市丸ギン
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温かい腕に包まれた憶えは薄い。
頭を撫でられたり、褒め叱られたことも。
◯◯をすっぽりと包み込む腕は、細かったが力強く安心感が存在した。
「市丸隊長。家族に抱きしめられたことってあります?」
「そんなことやったらお安い御用や。◯◯やったらいつでも大歓迎……」
咄嗟に広げられた手を押し返す。
「……そういう意味じゃなくて。公衆の面前でそんな大きな声で言わないで下さい……みんながこっち見てるじゃないですか……」
「気にする必要ないやんか。……照れてんの?」
頬が林檎色に染まってあわてふためく姿を、市丸は笑う。
わざと◯◯の顔にピントを合わせて、紅潮を煽らせる。
「照れてなんかいません!」
「ほんま可愛いわぁ。顔、真っ赤やし」
「べ、べ別に赤くなんて……もう……仕事して下さい!」
市丸隊長の怠け癖はひどい。
吉良副隊長が溜息をついているのを見る度にそう思う。
「◯◯君、隊長に働くように言ってほしいんだ」
吉良副隊長……大変そうだなあ。
休暇でもとって、たまにはゆっくりしてほしいけどそうもいかず。
市丸隊長が怠ける原因は◯◯自身。
恋人の怠惰は私の怠惰だから。
「市丸隊長」
ペンを置いて、真剣な眼差しで市丸を見る。
「ん?」
「仕事終わったら……ご飯、食べに行きませんか? その、よかったらですけど」
「ほんま?」
「ええ……で、行くんですか?」
「当たり前やんか。……とその前に」
これでよかった、と◯◯がほっとしていたら、市丸は立ち上がって彼女の腰に差してある斬魄刀を手にとって懐に収めた。
一瞬思考が止まった。
「市丸隊長?」
「デートの人質や。仕事終わるまで預かっとくわな」
「斬魄刀がなかったら虚退治に行けないじゃないですか!」
「現世行く予定がないのは把握済みやで。ボク一応三番隊の隊長やねんから部下のスケジュールぐらいはわかってるつもりや。……今日は何もナシやろ? 緊急招集かけられる以外は」
不意をつかれて◯◯は咳き込む。
言い合いに抵抗する気力はまだある。
「招集かかったらどうすんですか!」
「ほな行かんとき。これで円満解決やね♪ 終わったら迎えに来るわ」
市丸は笑っているが、◯◯はげっそりしている。
そうして彼は一目散に逃げていった。
全速力で追いかけたが、ひとり取り残されて脱力だけが残る。
「もう……!」
強引な押しに抗えないのは、惚れた弱みか。
毎度毎度振り回されているものの、むげに出来なくて、いつも彼に負けてしまう。
頬を膨らまして書類の束を机に叩きつけていると、ため息混じりの声がきこえた。
いつになく疲労が溜まっている吉良副隊長。
「心中お察しするよ」
「吉良副隊長……あの、休暇でももらってゆっくりして下さいよ」
「そうしたいんだけど……隊長が真面目に仕事してくれないとね」
苦労が絶えない人だなあ……。
吉良副隊長の有休申請したいけど、第三席の私じゃ無理かぁ……。
ここはひとつ、市丸隊長に相談するしかない。
吉良副隊長が倒れでもしたら、隊長も困っちゃうだろうし。
そして市丸隊長捜しを再開した。
「通行の邪魔だ!」
後ろから襟首を鷲掴みにされて、空中から静かに落とされる。
「すみません。あ、一角さん。私ちょっと人を探してて」
「あ、じゃねぇよ! んなもんは余所でやれ。余所で!!!!」
「虚退治に行って来いっ、て指令が出たら私、絶対降格されるに決まってるし」
しばしの沈黙が二人の間に流れる。
「もしかしねぇでも三番隊隊長探してんのか」
「はあ……斬魄刀を人質にとられちゃいました……。何でとられるまで気付かなかったんだろう……」
「振り回されてやがんなあ」
哀れみを含んだ目で見られて◯◯は睨み返す。
「仕事頼まれたらどうしたらいいか……」
「ねぇんだろ?」
「緊急以外は」
更木隊の詰め所入り口に腰掛ける。
大きな人影が映って振り返ると、肩に小さな少女を乗せた男がいた。
「市丸の野郎に手を焼いてるみてぇだな、◯◯」
「更木隊長……」
「モテる女は辛えよなあ。適当にあしらってもまたしがみついてきやがるからな」
「気の毒な人は市丸隊長だけですよ」
「まんざらでもなさそうじゃねえか」
上司と部下。しかも上司は隊長。
更木隊長が誰の事を示しているかすぐわかった。
階級の差がコンプレックスでありネック。配属されるまでにかなりの時間を要した。
言い寄ってくる面接官を無碍にしたのが悪かったのか。
上に上がって何度奈落の底に突き落とされても、媚びを売っても昇進したいと思った事はない。
何度目かの遭遇で怒りは頂点に達し、足を振り上げた時、◯◯の足首を捉える手が見えた。
『女の子がそんな事したらあかんよ。一応君の上司なんやで?』
『!!』
『話、きこか。…ほな席外してもらえるやろか?』
相当な霊圧に血の気を失いそうになった。
笑っているように見える目と口は、男に戦慄を与える。
二人きりになって市丸に事のいきさつを説明すると、彼は顔をしかめて頷いた。
『そらあかんわ。面接官……いや死神失格やね』
『もちろんお断りしましたよ。賄賂みたいじゃないですか、そんなの。そうまでして入隊するくらいなら、下っ端でいる方がマシだと思ったので』
『賢明な判断や。……とりあえず名前聞こか』
『◯◯です』
『ボクは市丸ギンや。よろしゅう』
『市丸……三番隊隊長さんって貴方の事だったんですか』
少し驚いた顔をして◯◯を見る。
『知っとったんかいな』
『はい。だって有名ですもん』
面接官の代わりに市丸隊長が代役を引き受けてくれた時はまだわからなかった。
隊長クラスの死神に接した事がなかったから理解できなかった。
斬魄刀を解放することなく、涼しい顔でひらりひらりと刃をかわす。 長時間の手合いは未経験だったから、息を切らして肩で呼吸しながら体勢を整える。
傷をつけまいとしてか、はたまた手合いをきりあげるためか、霊圧で壁に押し当てられるようにして一気に吹き飛ばされた。
それだけで壁にはしっかりとひびが入る。
(手加減したんだ……)
本気で戦り合っていたのなら、塵ほどにも残らなかっただろう。
(下手したら……)
よからぬ想像が脳内の片隅に走る。
刀を収めると、◯◯の手を取って起き上がらせた。
『お疲れさん。……合格や。ちゅーことで今日から三番隊配属決定やから、よろしゅう』
『????』
『そないに驚かんでも……最初からわかってたやろ? 斬魄刀出さして貰たん久し振りでつい、なぁ。普段は滅多に抜く事ないもんやから』
『はあ……』
すんなり事が運ぶなんて予想外な事で、拍子抜けする◯◯。
『そうと決まったら入隊手続きしにいこか! 次の異動までよろしゅうな、新米さん』
嫌とは言わせない強引さは既に健在だった。
仕事はさぼりがちだけど、悪い人ではない。
隊長という階級で金銭的な不自由もなく、言い寄らずとも恋人がいなくて困った事もなさそうだし。
市丸隊長に憧れる女性は数えられないほど存在する。
(いいのかなあ……)
勤務終了時間が過ぎると、詰め所から死神たちが慌しく出て行く。
「誰もいなくなったなぁ……」
ひとり取り残された◯◯は手に頬を添えて、溜息をついた。
時計を見るともう八時。そろそろかな、と立ち上がると後ろから人肌の感触が伝わる。
見上げると流れる銀髪が視界に飛び込んできた。
「音たてないで入ってこないで下さい、市丸隊長! 何すんですか……」
「◯◯を抱きしめてる最中」
「そうじゃなくて!」
市丸の腕から逃れて眉を吊り上げる。
頬を膨らませて怒っていると主張しても、市丸には通用しない。
「誰もおらんから別に構わんのに」
「もう……仕事ちゃんとしました?」
「虚退治に行ってたんやで? あ、信用してへんやろ」
◯◯の妙な視線に気付いたのかこちらを見る。
もちろん、と頷く◯◯に市丸はうなだれながら、懐から紙を取り出して茉規に見せる。
その紙に大きく書かれた文字。
報告書。
「証拠品や。な?」
「お昼も見かけませんでしたっけ……いつもそうだと我々部下は嬉しいんですけど」
棘のある言葉さえ愛情表現の一環。
彼はそう解釈して、笑って応える。
無論、真実であるが故に否定できない。
「まあええわ。いこか?」
死覇装のまま連れ出された先は趣のある居酒屋。
高価そうな衣服を纏った男女がせわしなく盆を抱いて往復している。
「……どうして居酒屋なんですか!?」
「嫌やった?」
「お酒苦手なもので……あまり飲めませんよ?」
「そやったんか……ほんま堪忍な。ほな、ゆる~いヤツにしよ。んでお酌してな。お兄さん、注文頼むわ~」
といって、次々に注文していく。
果たして食べきれるのだろうか、と見兼ねた◯◯は怪訝そうな顔をして市丸に問うた。
「こんなに注文しちゃって……食べれるんですか? その前に会計がどえらいことになっちゃってますよ」
畳の隅に置かれたそれはたいそうな金額になっていた。
◯◯では到底支払えないくらいの桁。
「構へんて。そのつもりで来たんやし」
「ダメです! ……じゃあ割り勘に……」
「絶対あかん」
「どうしてですか!?」
即答されて負けじと応戦するが、結局はいつも通り負けてしまう。
財布の底が浅い私には、市丸隊長の深さが羨ましい。
「下っ端から卒業できるのはいつになるんだろ……」
「まだ配属されたばっかやんか」
「そうなんですけど。早く釣り合うようになりたいなあ……って」
懐の差は階級の差。
憧れに一歩近付けただけでも嬉しい事なのに欲が尽きる事はなく。
「気にしてるん?」
「学徒時代から噂届いてたくらい有名だったんですよ」
「良からぬ噂ちゃうん?」
「強くて女の子に人気があって。配属されてから実感しましたけど」
「……初耳やねんけど」
「またまた~今更惚けなくても」
「ほんまやって。んで、配属されてからイヅルらにも色々吹き込まれたんちゃう? 言うてみ」
栓を抜いて液体を注ぎこむ。一気に飲み干すと◯◯に手酌を催促する。
無言で瓶を傾けて注ぎはじめると液体ゆらゆら揺れてグラス越しの表情が霞んで見えた。
「仕事はさぼりがちで怠けてるし吉良副隊長に任せっきりで……それに人前なのに抱きついてくるし、職権乱用は日常茶飯事」
「そら酷いわ。まあ事実も含んでるからしゃあないけど」
「……でも尊敬してるんですよ。じゃなきゃ副隊長や部下達がついてきませんよ」
コクコク、と喉を鳴らして液体を通す。
「甘酒にすればよかった。飲むにはまだ早いかな」
市丸は◯◯のその行動に魅入られて目が離せなかった。
「前から思とったけど……ほんまに自分で感じたことだけ口にするんやな」
「だって本当のことですもん。嘘がつけるほど器用じゃないですから」
思い出したように市丸は笑い出した。
「下っ端がどうこう言うてたけどな。金と地位なんてモンはすぐ消えてまうもんなんやで」
「どういう意味ですか?」
「値段が付けられへんくらい価値のあるもんがあるんよ。そやから自信持ち」
手を繋いだだけで胸の波長が乱される。
きっと、知らないだろうな。
目を細めて◯◯は微笑んだ。
「変ですよ。酔ってます?」
「酔ってへんよ。……あかんなぁ」
「何か言いました?」
「いいや、元気な子やな~思て」
「子ども扱いしないで下さい! お酒も飲めるし!」
「甘酒にしといたらよかった~て言うてたんは誰や~?」
「甘いの好きですもん……それはそうと。市丸隊長、人質返して下さい」
「そや」
思い出したかのように掌に拳を突き立てて言う。
どうやら忘れていたらしい。
「冷や冷やしましたよ」
「仕事あるんわかってたらわざわざ取らへんよ」
……絶対嘘だ。
からかって楽しむためなら、貴方は何でもするでしょう。
茉規は心の中で呟いた。
「ふう……ご馳走様でした。時間割いてわざわざ付き合っていただいて……」
「それはこっちの台詞や。一人酒より◯◯が注いでくれると一段と美味しゅうてなぁ……」
滝のような酒を飲んだというのに赤みひとつ見当たらない。
(お酒に強いんだなあ……)
一口付き合っただけで、私は火照っているのに。
「なぁ、いつになったら名前で呼んでくれるん?」
「私たちは上司と部下じゃないですか……ひゃ……っ!?」
ふらりとよろけて市丸にもたれかかる。
絶好の機会といわんばかりに腕を回して引き寄せる。
酔いのせいか全ての対象物がぼやけていた。
「なぁ……◯◯はどう思とる?」
「とっくに知ってるじゃないですか」
「◯◯の口からききたいんよ」
「好き、ですよ。私」
「二人でおる時でもあかん?」
公私混同したら仕事に支障がきたすからわざと定着させた呼び方。
上司と部下だと再認識させて。
「ギン……?」
「よくできました」
彼に勝てないのは実証済み。
温かく心地いい腕の中。
頭を撫でられたり、褒め叱られたことも。
◯◯をすっぽりと包み込む腕は、細かったが力強く安心感が存在した。
「市丸隊長。家族に抱きしめられたことってあります?」
「そんなことやったらお安い御用や。◯◯やったらいつでも大歓迎……」
咄嗟に広げられた手を押し返す。
「……そういう意味じゃなくて。公衆の面前でそんな大きな声で言わないで下さい……みんながこっち見てるじゃないですか……」
「気にする必要ないやんか。……照れてんの?」
頬が林檎色に染まってあわてふためく姿を、市丸は笑う。
わざと◯◯の顔にピントを合わせて、紅潮を煽らせる。
「照れてなんかいません!」
「ほんま可愛いわぁ。顔、真っ赤やし」
「べ、べ別に赤くなんて……もう……仕事して下さい!」
市丸隊長の怠け癖はひどい。
吉良副隊長が溜息をついているのを見る度にそう思う。
「◯◯君、隊長に働くように言ってほしいんだ」
吉良副隊長……大変そうだなあ。
休暇でもとって、たまにはゆっくりしてほしいけどそうもいかず。
市丸隊長が怠ける原因は◯◯自身。
恋人の怠惰は私の怠惰だから。
「市丸隊長」
ペンを置いて、真剣な眼差しで市丸を見る。
「ん?」
「仕事終わったら……ご飯、食べに行きませんか? その、よかったらですけど」
「ほんま?」
「ええ……で、行くんですか?」
「当たり前やんか。……とその前に」
これでよかった、と◯◯がほっとしていたら、市丸は立ち上がって彼女の腰に差してある斬魄刀を手にとって懐に収めた。
一瞬思考が止まった。
「市丸隊長?」
「デートの人質や。仕事終わるまで預かっとくわな」
「斬魄刀がなかったら虚退治に行けないじゃないですか!」
「現世行く予定がないのは把握済みやで。ボク一応三番隊の隊長やねんから部下のスケジュールぐらいはわかってるつもりや。……今日は何もナシやろ? 緊急招集かけられる以外は」
不意をつかれて◯◯は咳き込む。
言い合いに抵抗する気力はまだある。
「招集かかったらどうすんですか!」
「ほな行かんとき。これで円満解決やね♪ 終わったら迎えに来るわ」
市丸は笑っているが、◯◯はげっそりしている。
そうして彼は一目散に逃げていった。
全速力で追いかけたが、ひとり取り残されて脱力だけが残る。
「もう……!」
強引な押しに抗えないのは、惚れた弱みか。
毎度毎度振り回されているものの、むげに出来なくて、いつも彼に負けてしまう。
頬を膨らまして書類の束を机に叩きつけていると、ため息混じりの声がきこえた。
いつになく疲労が溜まっている吉良副隊長。
「心中お察しするよ」
「吉良副隊長……あの、休暇でももらってゆっくりして下さいよ」
「そうしたいんだけど……隊長が真面目に仕事してくれないとね」
苦労が絶えない人だなあ……。
吉良副隊長の有休申請したいけど、第三席の私じゃ無理かぁ……。
ここはひとつ、市丸隊長に相談するしかない。
吉良副隊長が倒れでもしたら、隊長も困っちゃうだろうし。
そして市丸隊長捜しを再開した。
「通行の邪魔だ!」
後ろから襟首を鷲掴みにされて、空中から静かに落とされる。
「すみません。あ、一角さん。私ちょっと人を探してて」
「あ、じゃねぇよ! んなもんは余所でやれ。余所で!!!!」
「虚退治に行って来いっ、て指令が出たら私、絶対降格されるに決まってるし」
しばしの沈黙が二人の間に流れる。
「もしかしねぇでも三番隊隊長探してんのか」
「はあ……斬魄刀を人質にとられちゃいました……。何でとられるまで気付かなかったんだろう……」
「振り回されてやがんなあ」
哀れみを含んだ目で見られて◯◯は睨み返す。
「仕事頼まれたらどうしたらいいか……」
「ねぇんだろ?」
「緊急以外は」
更木隊の詰め所入り口に腰掛ける。
大きな人影が映って振り返ると、肩に小さな少女を乗せた男がいた。
「市丸の野郎に手を焼いてるみてぇだな、◯◯」
「更木隊長……」
「モテる女は辛えよなあ。適当にあしらってもまたしがみついてきやがるからな」
「気の毒な人は市丸隊長だけですよ」
「まんざらでもなさそうじゃねえか」
上司と部下。しかも上司は隊長。
更木隊長が誰の事を示しているかすぐわかった。
階級の差がコンプレックスでありネック。配属されるまでにかなりの時間を要した。
言い寄ってくる面接官を無碍にしたのが悪かったのか。
上に上がって何度奈落の底に突き落とされても、媚びを売っても昇進したいと思った事はない。
何度目かの遭遇で怒りは頂点に達し、足を振り上げた時、◯◯の足首を捉える手が見えた。
『女の子がそんな事したらあかんよ。一応君の上司なんやで?』
『!!』
『話、きこか。…ほな席外してもらえるやろか?』
相当な霊圧に血の気を失いそうになった。
笑っているように見える目と口は、男に戦慄を与える。
二人きりになって市丸に事のいきさつを説明すると、彼は顔をしかめて頷いた。
『そらあかんわ。面接官……いや死神失格やね』
『もちろんお断りしましたよ。賄賂みたいじゃないですか、そんなの。そうまでして入隊するくらいなら、下っ端でいる方がマシだと思ったので』
『賢明な判断や。……とりあえず名前聞こか』
『◯◯です』
『ボクは市丸ギンや。よろしゅう』
『市丸……三番隊隊長さんって貴方の事だったんですか』
少し驚いた顔をして◯◯を見る。
『知っとったんかいな』
『はい。だって有名ですもん』
面接官の代わりに市丸隊長が代役を引き受けてくれた時はまだわからなかった。
隊長クラスの死神に接した事がなかったから理解できなかった。
斬魄刀を解放することなく、涼しい顔でひらりひらりと刃をかわす。 長時間の手合いは未経験だったから、息を切らして肩で呼吸しながら体勢を整える。
傷をつけまいとしてか、はたまた手合いをきりあげるためか、霊圧で壁に押し当てられるようにして一気に吹き飛ばされた。
それだけで壁にはしっかりとひびが入る。
(手加減したんだ……)
本気で戦り合っていたのなら、塵ほどにも残らなかっただろう。
(下手したら……)
よからぬ想像が脳内の片隅に走る。
刀を収めると、◯◯の手を取って起き上がらせた。
『お疲れさん。……合格や。ちゅーことで今日から三番隊配属決定やから、よろしゅう』
『????』
『そないに驚かんでも……最初からわかってたやろ? 斬魄刀出さして貰たん久し振りでつい、なぁ。普段は滅多に抜く事ないもんやから』
『はあ……』
すんなり事が運ぶなんて予想外な事で、拍子抜けする◯◯。
『そうと決まったら入隊手続きしにいこか! 次の異動までよろしゅうな、新米さん』
嫌とは言わせない強引さは既に健在だった。
仕事はさぼりがちだけど、悪い人ではない。
隊長という階級で金銭的な不自由もなく、言い寄らずとも恋人がいなくて困った事もなさそうだし。
市丸隊長に憧れる女性は数えられないほど存在する。
(いいのかなあ……)
勤務終了時間が過ぎると、詰め所から死神たちが慌しく出て行く。
「誰もいなくなったなぁ……」
ひとり取り残された◯◯は手に頬を添えて、溜息をついた。
時計を見るともう八時。そろそろかな、と立ち上がると後ろから人肌の感触が伝わる。
見上げると流れる銀髪が視界に飛び込んできた。
「音たてないで入ってこないで下さい、市丸隊長! 何すんですか……」
「◯◯を抱きしめてる最中」
「そうじゃなくて!」
市丸の腕から逃れて眉を吊り上げる。
頬を膨らませて怒っていると主張しても、市丸には通用しない。
「誰もおらんから別に構わんのに」
「もう……仕事ちゃんとしました?」
「虚退治に行ってたんやで? あ、信用してへんやろ」
◯◯の妙な視線に気付いたのかこちらを見る。
もちろん、と頷く◯◯に市丸はうなだれながら、懐から紙を取り出して茉規に見せる。
その紙に大きく書かれた文字。
報告書。
「証拠品や。な?」
「お昼も見かけませんでしたっけ……いつもそうだと我々部下は嬉しいんですけど」
棘のある言葉さえ愛情表現の一環。
彼はそう解釈して、笑って応える。
無論、真実であるが故に否定できない。
「まあええわ。いこか?」
死覇装のまま連れ出された先は趣のある居酒屋。
高価そうな衣服を纏った男女がせわしなく盆を抱いて往復している。
「……どうして居酒屋なんですか!?」
「嫌やった?」
「お酒苦手なもので……あまり飲めませんよ?」
「そやったんか……ほんま堪忍な。ほな、ゆる~いヤツにしよ。んでお酌してな。お兄さん、注文頼むわ~」
といって、次々に注文していく。
果たして食べきれるのだろうか、と見兼ねた◯◯は怪訝そうな顔をして市丸に問うた。
「こんなに注文しちゃって……食べれるんですか? その前に会計がどえらいことになっちゃってますよ」
畳の隅に置かれたそれはたいそうな金額になっていた。
◯◯では到底支払えないくらいの桁。
「構へんて。そのつもりで来たんやし」
「ダメです! ……じゃあ割り勘に……」
「絶対あかん」
「どうしてですか!?」
即答されて負けじと応戦するが、結局はいつも通り負けてしまう。
財布の底が浅い私には、市丸隊長の深さが羨ましい。
「下っ端から卒業できるのはいつになるんだろ……」
「まだ配属されたばっかやんか」
「そうなんですけど。早く釣り合うようになりたいなあ……って」
懐の差は階級の差。
憧れに一歩近付けただけでも嬉しい事なのに欲が尽きる事はなく。
「気にしてるん?」
「学徒時代から噂届いてたくらい有名だったんですよ」
「良からぬ噂ちゃうん?」
「強くて女の子に人気があって。配属されてから実感しましたけど」
「……初耳やねんけど」
「またまた~今更惚けなくても」
「ほんまやって。んで、配属されてからイヅルらにも色々吹き込まれたんちゃう? 言うてみ」
栓を抜いて液体を注ぎこむ。一気に飲み干すと◯◯に手酌を催促する。
無言で瓶を傾けて注ぎはじめると液体ゆらゆら揺れてグラス越しの表情が霞んで見えた。
「仕事はさぼりがちで怠けてるし吉良副隊長に任せっきりで……それに人前なのに抱きついてくるし、職権乱用は日常茶飯事」
「そら酷いわ。まあ事実も含んでるからしゃあないけど」
「……でも尊敬してるんですよ。じゃなきゃ副隊長や部下達がついてきませんよ」
コクコク、と喉を鳴らして液体を通す。
「甘酒にすればよかった。飲むにはまだ早いかな」
市丸は◯◯のその行動に魅入られて目が離せなかった。
「前から思とったけど……ほんまに自分で感じたことだけ口にするんやな」
「だって本当のことですもん。嘘がつけるほど器用じゃないですから」
思い出したように市丸は笑い出した。
「下っ端がどうこう言うてたけどな。金と地位なんてモンはすぐ消えてまうもんなんやで」
「どういう意味ですか?」
「値段が付けられへんくらい価値のあるもんがあるんよ。そやから自信持ち」
手を繋いだだけで胸の波長が乱される。
きっと、知らないだろうな。
目を細めて◯◯は微笑んだ。
「変ですよ。酔ってます?」
「酔ってへんよ。……あかんなぁ」
「何か言いました?」
「いいや、元気な子やな~思て」
「子ども扱いしないで下さい! お酒も飲めるし!」
「甘酒にしといたらよかった~て言うてたんは誰や~?」
「甘いの好きですもん……それはそうと。市丸隊長、人質返して下さい」
「そや」
思い出したかのように掌に拳を突き立てて言う。
どうやら忘れていたらしい。
「冷や冷やしましたよ」
「仕事あるんわかってたらわざわざ取らへんよ」
……絶対嘘だ。
からかって楽しむためなら、貴方は何でもするでしょう。
茉規は心の中で呟いた。
「ふう……ご馳走様でした。時間割いてわざわざ付き合っていただいて……」
「それはこっちの台詞や。一人酒より◯◯が注いでくれると一段と美味しゅうてなぁ……」
滝のような酒を飲んだというのに赤みひとつ見当たらない。
(お酒に強いんだなあ……)
一口付き合っただけで、私は火照っているのに。
「なぁ、いつになったら名前で呼んでくれるん?」
「私たちは上司と部下じゃないですか……ひゃ……っ!?」
ふらりとよろけて市丸にもたれかかる。
絶好の機会といわんばかりに腕を回して引き寄せる。
酔いのせいか全ての対象物がぼやけていた。
「なぁ……◯◯はどう思とる?」
「とっくに知ってるじゃないですか」
「◯◯の口からききたいんよ」
「好き、ですよ。私」
「二人でおる時でもあかん?」
公私混同したら仕事に支障がきたすからわざと定着させた呼び方。
上司と部下だと再認識させて。
「ギン……?」
「よくできました」
彼に勝てないのは実証済み。
温かく心地いい腕の中。