捧げ物
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セント・ガブリエル号はダグラスと姫の結婚を祝うためにやって来た、他国からの来訪者の笑い声で包まれていた。
空は雲一つない晴天で太陽は凝視できないほどに眩しい。まるで彼らを祝福しているかのような天候である。
そんな中で船員が未だかつて見たことがない、老人と青年が肩を並べて立っていた。
アンキュラの伝統に従い、礼装や小物に青を取り入れてはいるが、肌の色や言葉訛りから見るにアンキュラの民には思えない。
ダグラスは顔が広いといっても、彼らのような男性をセント・ガブリエル号に連れてきたことはない。部外者だろうか、と船員の彼らを見る目が光る。
しかし彼らを知らないのは仕方のないことであった。
なぜなら彼らは姫の唯一の家族であり、夢王族だからだ。
「父上、何故承諾したのですか」
「何故、とは? 姫が想う男ならば別に相手を選ぶ必要などないだろう」
光悦茶の髪を風に靡かせ、成人男性にしては小柄な背格好をした青年が、白髪混じりの光悦茶の髪を持つ老人に問う。
細かな皺を刻んだ口許は何も語らないが、その緩んだ表情から青年は答えを読み取った。
妹の結婚相手に口出しする隙間すらないことを。
夢王族が住まうトロイメアの現国王は在位中であるが、政の一切は息子であり姫の兄である王子に一任しており、政治に関与せず王子の補佐をしつつも未来の王を育成するという形で穏やかな日々を過ごしている。
王子は政を一手に引き受けるだけでなく、指揮官として軍を指揮し、育成を行うとともに必要とされれば自ら戦場へと出向く男だ。
武術や剣術にも秀で、亡き王妃に似た美丈夫ではあるが戦場では先陣を切り、敵を追い詰めるその表情は血肉に飢えた獣(けだもの)のようであり、畏怖と敬意を込めて戦神と呼ばれている。
そんな彼が命令を下せば、ダグラスの首はもちろんのことアンキュラを消し去ることも難しい話ではない。
しかしそうはできない理由があった。ダグラスは姫の恋人だからというだけではなく、夢王は個人的に彼を非常に好ましく思っているからだ。
「しかし──海賊など野蛮ではありませんか」
「ナイフの腕は一級品。武芸にも秀でているし、体格もいいし健康そうだから姫を守ってくれるだろう。彼の顔や体にある傷は勲章であり、屈辱であることは軍人であるお前が一番よく判っているはずだ。彼になら安心して任せられる。唯一問題があるとすれば──結婚しても蝶が集まってくること、か……」
「ちょっといいですかい、お兄さん方」
野太い声が二人の頭上で響き、振り返ると浅黒い肌が印象的で、その頬には猫の髭のように三本の傷を持つ銀髪の男が立っていた。
ブラックスーツを着てはいるが、ゆるめのネクタイで飾ったシャツから覗く胸元は相当鍛え上げられていると窺えるもので、海賊の男そのものだ。きっと彼はダグラスの部下なのだろう。
「何だ」
「お頭の顔がお広いとは言っても、どう見たってお頭と繋がりがあるとはと到底思えねぇなあ。失礼を承知でお訊ねしますが、どこからいらしたんで?」
「……」
王子は眉間に皺を寄せ、静かに怒りを顕にしながら海賊を睨み付けた。
トロイメアの王子と国王だと知ればどのような表情をするのだろう。
驚愕、それとも恐れをなしてひれ伏すか、それも見物ではあるが敢えて言葉は口にしない。
王子の睨みに睨みで返してくる海賊との間に見えない火花が散るのが見えるようだった。
この海賊が自国の部下なら、王子はその首に剣を向けたことだろう。
規律を乱す者は足並みを揃えることができない者だ。
戦場においては行動ひとつが自らの命を左右し、最悪の場合軍の全滅を意味する。
他者を危険に晒す者は厳罰に処すべきだと王子に言い聞かせ、今もトロイメアの軍を率いている。
しかしここは他国であり、夢王族と言えども国民に剣を向けるなどということはしてはならない。それはダグラスは元よりアンキュラへの軽視と侮蔑と受け取られ兼ねないからである。
そして夢王である父の名を汚すことにも繋がるからだ。
「それほどまでに気になるなら名乗らせていただこう。俺達は──」
「おい! その方は俺の父と兄にあたる方だ。職業柄とはいえ口を慎め」
背後で聞き慣れた怒号が飛ぶ。その声は低く、意志の強さと色香を纏っていた。
陽射しを浴びて煌めく海を切り取ったような瞳。精悍な顔に走る傷。日に焼けた素肌を掠める銀髪。
タキシードに身を包み、どこの紳士かと見紛うほどに雰囲気が異なるが、その人物はアンキュラの海賊であり姫の恋人であったダグラスその人だった。
「久し振りだな、ダグラス。まあ耄碌した爺がよもや王族などとは思わんだろう。今日は目出度(めでた)い日だ。今の言葉は聞かなかったことにしておこう」
「──だそうだ。父上と兄上の深いご慈悲に感謝しろよ」
ダグラスは部下の肩を抱き、トロイメア国王と王子には聞こえないように小声で呟く。
(兄上を見た目で判断すると痛い目を見るぞ。見目は美しいが、生まれ持っての軍人気質の方だから、次に同じことをしたら海の藻屑になり兼ねないぞ)
ダグラスの呟きに部下は顔面蒼白になり、先程の威勢は何処へいったのやら、深く礼をしてその場を去っていった。
「父上、兄上、部下に代わり非礼をお詫び致します。海賊という職業柄、血の気が多い連中が多いのです。根は悪い奴ではないのですが……」
「まったくだな。部下の責任は頭領の責任でもある。仮にもお前は姫との結婚で姻戚になったんだ。品位を問われるような振る舞いは慎むようにな」
「おいおい、あまりダグラスに強く当たるな。今日からは義理とはいえ兄弟になるんだ。今、自分の口から言っただろう? 姻戚になった、とな」
変わらず王子のダグラスへの態度は冷たい。それは夢王が姫とダグラスの交流を知り、トロイメアへ招いた際からずっとである。
海賊と聞けば何事も暴力で片を付ける野蛮な輩であるに違いないと決めつけ、ダグラスと姫が相思相愛であるにも関わらず、姫の弱みにつけこんだに決まっていると洗脳するように自分に言い聞かせ、姫だけでなくその人柄で父の心を奪うように惹き付けるダグラスが憎くて憎くて仕方ないのだ。
王子にとって姫は唯一無二の血を分けた妹であり、生まれた時から目に入れても痛くないほど可愛がって育てたものだ。
夢王族らしく品位と教養を兼ね備え、社交の場で踊る姿は蝶のように優雅な所作と可憐な容姿で民の視線を一身に受けた王妃のように育ってほしいと教育したはずが、王子の思いとは裏腹に好奇心旺盛で天真爛漫、少しばかり世間知らずな姫君に育ってしまった。
それでも妹が大切なトロイメアの姫君であることには変わらない。
そんな姫が自らの意思で夫を選んだ。心から喜ばなければならないが、姫の夫となり王子の義弟になる男だ。必ずお眼鏡に敵う男でなければならない。
あれはだめ、これはだめと難癖をつけてみても、ダグラスは男から見ても頼もしく、女から見れば危険な香りがするのに引き寄せられてしまう、そんな男だった。
ダグラスなら姫が襲われたとしても経験豊かな知識と実力で彼女を守り抜いてくれるだろう。
逞しいだけでなく、公の場では姫のエスコートもスマートにやってのける。
悔しいけれどダグラスを義弟として迎えなければならない。きっと彼以上の男などいないのだから。
「それはともかく、姫はまだなのか」
「私ならここです。父様! 兄様!」
ヒールが床を鳴らす音が少しずつ近付いてくる。ドレスの裾を摘まみ、肩を上下させ息を荒げながら現れた姫がダグラスの隣に並ぶ。
ウェディングドレスの袖はパフスリーブタイプで、サイドから見るとリボンのデザインになっている。
露になった首筋から鎖骨にかけてゆらゆらと揺れるピンクゴールドのチェーンの中心にはアクアマリンがあしらわれ、姫の白い肌に華を添えている。
足首が見えるくらいの丈のウェディングドレスには繊細な花々の刺繍が施され、所々アクセントに小粒のアクアマリンが縫い付けられていた。
「いつもの調子で走って転んだら大変なことになりそうだ。白いドレスは汚れが目立つからね。君のドレス姿は見慣れたはずなのに、今日はどこか特別に見える。まるで知らない人みたいだ」
「それはダグラスさんだって同じです」
確かに姫は小柄で化粧も薄く、年よりも若く見られることが多い。
だが今日は結婚式の主役ということもあり、化粧も衣装も隙が一切なく、同一人物なのかと疑ってしまうほどに姫は美しい花嫁になっていた。
それは身内贔屓からくる評価ではなく、俗に言う幸せオーラなるものが成せる業なのだろう。
人が花に魅せられるように、花のような姫の明るい笑顔は誰というわけでなく、万人の目を引き付けていた。
「姫、お前の花嫁姿を見ていたら……王妃を思い出すよ。私が若い頃、王妃はトロイメアの憧憬の的となり、伴侶となる者は幸せになれると言われ、男達は皆躍起になったものだ。美しく教養があり、男を立ててはくれるが意志の強い女性だった」
「父様……」
「姫、幸せにおなり。王妃もきっとお前とダグラスが夫婦になることを喜んでくれているだろう──」
「私のことなら大丈夫です、父様。いつまでも泣き虫で甘えてばかりの子供ではありません」
感慨深げに瞳を潤ませる夢王に姫は人目を憚らずに抱きつき、恐れ多いことながらも彼の目元を拭う。
その背後では新郎のダグラスと夢王の息子である王子が、姫の独身最後の父との語らいを見守っていた。
結婚式は終始和やかなムードの中行われ、ダグラスが最も好む派手で賑やかな祝宴となった。
式を終えると来訪者達は続々と帰っていったが、夢王と王子だけはまだ滞在していた。
トロイメアへと繋がるムーンロードが開かれないからである。
ムーンロードが開かれるまでの一週間はダグラス自らがアンキュラを案内し、あっという間に一週間が経過していた。
「言っておくが俺はダグラスを認めた訳じゃないからな。姫、アンキュラとダグラスに飽きたらいつでも帰ってきていいぞ。お前の婿候補なんていくらでもいるんだからな」
「兄様、幸せいっぱいの私達に水を差すようなこと、言わないで下さい。私はダグラスさんと別れませんし、アンキュラを離れませんから。でも時々はトロイメアに帰りますね」
兄の発言が本気ではないのは分かっている。だが姫はダグラスへの想いを言葉にせずにはいられなかった。
公務でアンキュラを離れることはあるだろうが、年に数回しか会えないのはもう終いだ。これからは朝から晩まで彼と共にいられるのだ。
ムーンロードを渡る夢王と王子の姿が見えなくなるまで手を振る。
姿が消えたのを見送ると、言葉を掛けるでもなくダグラスと姫は互いの体を支えるように抱き合った。
「ダグラスさん、何で言い返さなかったんです?」
「君の兄上だからね。得体の知れない男に可愛い妹を奪われて、腹立たしくて憎らしいのは理解できないこともない」
夫婦になったことでひとつのベッドで眠ることにした二人は眠ることもせず、ベッドの上で体を寄せあっていた。
あまりにも離れている期間が長すぎて、一緒になったということが非現実に感じているのだ。
眠って朝になれば、こうして二人でいる時間が魔法のように解けてしまって、また離れ離れになるかもしれないと思ったらとてもじゃないが眠れない。眠るなら愛しい人の体温を感じていたい、と姫はダグラスに撓(しな)垂れ掛かる。
「そうでしょうか? 兄様は最初からダグラスさんを毛嫌いしていましたからね。心配してくれているのは分かるんですが、私だってもう子供じゃないんですから、意思を尊重してほしいのに」
「兄上からすれば君が年をとっても、ずーっと妹であることは変わらない。兄上に限らず、父上もお袋だってそうだ。きっと君と俺の子供が生まれたら、可愛がってくれるよ。それはまだ先の話になりそうかな?」
ダグラスはワイングラスをふたつ持ち出すとボトルを開け、グラスにエメラルドグリーンの液体を注ぐ。
ボトルに貼られたラベルは年月が経過しているせいなのかか、摩擦で消えてしまったのかはわからないが文字が判別できない。
中央には金貨と宝石があふれんばかりに入った開かれた宝箱が描かれている。
「ダグラスさん、これ──」
「俺と君の結婚を祝して、献上されたものだ。アンキュラの地酒でね、国民は酒豪が多いから少しばかりきついけど、折角だから一緒に飲もうか?」
「私がお酒弱いの知ってて言うなんて、ダグラスさんは意地悪です。酔い潰れたら介抱してくれるんですか?」
意地が悪いと言いながら、真に意地が悪いのは姫の方であった。
ダグラスと姫では酒に対する耐性が全く違うため、姫と飲む時は彼女に合わせてゆっくり飲んでいる。
もちろん姫が酔ってしまった時は甲斐甲斐しく世話をすることも度々あった。
酔った姫を放置するようなダグラスではないことを知っていてこのようなことを訊ねるのは、彼を心から信頼し気を許している表れでもある。
「もちろん。君を放っておいて飲んだことなんてないだろう? じゃあ今日はとことん飲み明かそうか。でも無理はしないようにね。眠くなったらいつもみたいに寝ていい……この部屋は俺の部屋でもあるけど、君のものでもある。夜更かししなくたってこれからずっと会えるんだ。心配しなくても大丈夫だよ」
「はい、ずっとお傍に置いてくださいね」
これからは会えないからと涙して袖を濡らしたり、心配をかけまいと別れ際に無理矢理笑顔を作ることももうないだろう。
二人はワイングラスを軽く重ね、乾杯した後に夫婦になってした初めての口付けはアルコールの味がした。
アルコールに、愛しい者が傍にいる幸せに二人は酔いしれ、密かに時には大胆に、未知を知るための船旅はまだ始まったばかりである。
空は雲一つない晴天で太陽は凝視できないほどに眩しい。まるで彼らを祝福しているかのような天候である。
そんな中で船員が未だかつて見たことがない、老人と青年が肩を並べて立っていた。
アンキュラの伝統に従い、礼装や小物に青を取り入れてはいるが、肌の色や言葉訛りから見るにアンキュラの民には思えない。
ダグラスは顔が広いといっても、彼らのような男性をセント・ガブリエル号に連れてきたことはない。部外者だろうか、と船員の彼らを見る目が光る。
しかし彼らを知らないのは仕方のないことであった。
なぜなら彼らは姫の唯一の家族であり、夢王族だからだ。
「父上、何故承諾したのですか」
「何故、とは? 姫が想う男ならば別に相手を選ぶ必要などないだろう」
光悦茶の髪を風に靡かせ、成人男性にしては小柄な背格好をした青年が、白髪混じりの光悦茶の髪を持つ老人に問う。
細かな皺を刻んだ口許は何も語らないが、その緩んだ表情から青年は答えを読み取った。
妹の結婚相手に口出しする隙間すらないことを。
夢王族が住まうトロイメアの現国王は在位中であるが、政の一切は息子であり姫の兄である王子に一任しており、政治に関与せず王子の補佐をしつつも未来の王を育成するという形で穏やかな日々を過ごしている。
王子は政を一手に引き受けるだけでなく、指揮官として軍を指揮し、育成を行うとともに必要とされれば自ら戦場へと出向く男だ。
武術や剣術にも秀で、亡き王妃に似た美丈夫ではあるが戦場では先陣を切り、敵を追い詰めるその表情は血肉に飢えた獣(けだもの)のようであり、畏怖と敬意を込めて戦神と呼ばれている。
そんな彼が命令を下せば、ダグラスの首はもちろんのことアンキュラを消し去ることも難しい話ではない。
しかしそうはできない理由があった。ダグラスは姫の恋人だからというだけではなく、夢王は個人的に彼を非常に好ましく思っているからだ。
「しかし──海賊など野蛮ではありませんか」
「ナイフの腕は一級品。武芸にも秀でているし、体格もいいし健康そうだから姫を守ってくれるだろう。彼の顔や体にある傷は勲章であり、屈辱であることは軍人であるお前が一番よく判っているはずだ。彼になら安心して任せられる。唯一問題があるとすれば──結婚しても蝶が集まってくること、か……」
「ちょっといいですかい、お兄さん方」
野太い声が二人の頭上で響き、振り返ると浅黒い肌が印象的で、その頬には猫の髭のように三本の傷を持つ銀髪の男が立っていた。
ブラックスーツを着てはいるが、ゆるめのネクタイで飾ったシャツから覗く胸元は相当鍛え上げられていると窺えるもので、海賊の男そのものだ。きっと彼はダグラスの部下なのだろう。
「何だ」
「お頭の顔がお広いとは言っても、どう見たってお頭と繋がりがあるとはと到底思えねぇなあ。失礼を承知でお訊ねしますが、どこからいらしたんで?」
「……」
王子は眉間に皺を寄せ、静かに怒りを顕にしながら海賊を睨み付けた。
トロイメアの王子と国王だと知ればどのような表情をするのだろう。
驚愕、それとも恐れをなしてひれ伏すか、それも見物ではあるが敢えて言葉は口にしない。
王子の睨みに睨みで返してくる海賊との間に見えない火花が散るのが見えるようだった。
この海賊が自国の部下なら、王子はその首に剣を向けたことだろう。
規律を乱す者は足並みを揃えることができない者だ。
戦場においては行動ひとつが自らの命を左右し、最悪の場合軍の全滅を意味する。
他者を危険に晒す者は厳罰に処すべきだと王子に言い聞かせ、今もトロイメアの軍を率いている。
しかしここは他国であり、夢王族と言えども国民に剣を向けるなどということはしてはならない。それはダグラスは元よりアンキュラへの軽視と侮蔑と受け取られ兼ねないからである。
そして夢王である父の名を汚すことにも繋がるからだ。
「それほどまでに気になるなら名乗らせていただこう。俺達は──」
「おい! その方は俺の父と兄にあたる方だ。職業柄とはいえ口を慎め」
背後で聞き慣れた怒号が飛ぶ。その声は低く、意志の強さと色香を纏っていた。
陽射しを浴びて煌めく海を切り取ったような瞳。精悍な顔に走る傷。日に焼けた素肌を掠める銀髪。
タキシードに身を包み、どこの紳士かと見紛うほどに雰囲気が異なるが、その人物はアンキュラの海賊であり姫の恋人であったダグラスその人だった。
「久し振りだな、ダグラス。まあ耄碌した爺がよもや王族などとは思わんだろう。今日は目出度(めでた)い日だ。今の言葉は聞かなかったことにしておこう」
「──だそうだ。父上と兄上の深いご慈悲に感謝しろよ」
ダグラスは部下の肩を抱き、トロイメア国王と王子には聞こえないように小声で呟く。
(兄上を見た目で判断すると痛い目を見るぞ。見目は美しいが、生まれ持っての軍人気質の方だから、次に同じことをしたら海の藻屑になり兼ねないぞ)
ダグラスの呟きに部下は顔面蒼白になり、先程の威勢は何処へいったのやら、深く礼をしてその場を去っていった。
「父上、兄上、部下に代わり非礼をお詫び致します。海賊という職業柄、血の気が多い連中が多いのです。根は悪い奴ではないのですが……」
「まったくだな。部下の責任は頭領の責任でもある。仮にもお前は姫との結婚で姻戚になったんだ。品位を問われるような振る舞いは慎むようにな」
「おいおい、あまりダグラスに強く当たるな。今日からは義理とはいえ兄弟になるんだ。今、自分の口から言っただろう? 姻戚になった、とな」
変わらず王子のダグラスへの態度は冷たい。それは夢王が姫とダグラスの交流を知り、トロイメアへ招いた際からずっとである。
海賊と聞けば何事も暴力で片を付ける野蛮な輩であるに違いないと決めつけ、ダグラスと姫が相思相愛であるにも関わらず、姫の弱みにつけこんだに決まっていると洗脳するように自分に言い聞かせ、姫だけでなくその人柄で父の心を奪うように惹き付けるダグラスが憎くて憎くて仕方ないのだ。
王子にとって姫は唯一無二の血を分けた妹であり、生まれた時から目に入れても痛くないほど可愛がって育てたものだ。
夢王族らしく品位と教養を兼ね備え、社交の場で踊る姿は蝶のように優雅な所作と可憐な容姿で民の視線を一身に受けた王妃のように育ってほしいと教育したはずが、王子の思いとは裏腹に好奇心旺盛で天真爛漫、少しばかり世間知らずな姫君に育ってしまった。
それでも妹が大切なトロイメアの姫君であることには変わらない。
そんな姫が自らの意思で夫を選んだ。心から喜ばなければならないが、姫の夫となり王子の義弟になる男だ。必ずお眼鏡に敵う男でなければならない。
あれはだめ、これはだめと難癖をつけてみても、ダグラスは男から見ても頼もしく、女から見れば危険な香りがするのに引き寄せられてしまう、そんな男だった。
ダグラスなら姫が襲われたとしても経験豊かな知識と実力で彼女を守り抜いてくれるだろう。
逞しいだけでなく、公の場では姫のエスコートもスマートにやってのける。
悔しいけれどダグラスを義弟として迎えなければならない。きっと彼以上の男などいないのだから。
「それはともかく、姫はまだなのか」
「私ならここです。父様! 兄様!」
ヒールが床を鳴らす音が少しずつ近付いてくる。ドレスの裾を摘まみ、肩を上下させ息を荒げながら現れた姫がダグラスの隣に並ぶ。
ウェディングドレスの袖はパフスリーブタイプで、サイドから見るとリボンのデザインになっている。
露になった首筋から鎖骨にかけてゆらゆらと揺れるピンクゴールドのチェーンの中心にはアクアマリンがあしらわれ、姫の白い肌に華を添えている。
足首が見えるくらいの丈のウェディングドレスには繊細な花々の刺繍が施され、所々アクセントに小粒のアクアマリンが縫い付けられていた。
「いつもの調子で走って転んだら大変なことになりそうだ。白いドレスは汚れが目立つからね。君のドレス姿は見慣れたはずなのに、今日はどこか特別に見える。まるで知らない人みたいだ」
「それはダグラスさんだって同じです」
確かに姫は小柄で化粧も薄く、年よりも若く見られることが多い。
だが今日は結婚式の主役ということもあり、化粧も衣装も隙が一切なく、同一人物なのかと疑ってしまうほどに姫は美しい花嫁になっていた。
それは身内贔屓からくる評価ではなく、俗に言う幸せオーラなるものが成せる業なのだろう。
人が花に魅せられるように、花のような姫の明るい笑顔は誰というわけでなく、万人の目を引き付けていた。
「姫、お前の花嫁姿を見ていたら……王妃を思い出すよ。私が若い頃、王妃はトロイメアの憧憬の的となり、伴侶となる者は幸せになれると言われ、男達は皆躍起になったものだ。美しく教養があり、男を立ててはくれるが意志の強い女性だった」
「父様……」
「姫、幸せにおなり。王妃もきっとお前とダグラスが夫婦になることを喜んでくれているだろう──」
「私のことなら大丈夫です、父様。いつまでも泣き虫で甘えてばかりの子供ではありません」
感慨深げに瞳を潤ませる夢王に姫は人目を憚らずに抱きつき、恐れ多いことながらも彼の目元を拭う。
その背後では新郎のダグラスと夢王の息子である王子が、姫の独身最後の父との語らいを見守っていた。
結婚式は終始和やかなムードの中行われ、ダグラスが最も好む派手で賑やかな祝宴となった。
式を終えると来訪者達は続々と帰っていったが、夢王と王子だけはまだ滞在していた。
トロイメアへと繋がるムーンロードが開かれないからである。
ムーンロードが開かれるまでの一週間はダグラス自らがアンキュラを案内し、あっという間に一週間が経過していた。
「言っておくが俺はダグラスを認めた訳じゃないからな。姫、アンキュラとダグラスに飽きたらいつでも帰ってきていいぞ。お前の婿候補なんていくらでもいるんだからな」
「兄様、幸せいっぱいの私達に水を差すようなこと、言わないで下さい。私はダグラスさんと別れませんし、アンキュラを離れませんから。でも時々はトロイメアに帰りますね」
兄の発言が本気ではないのは分かっている。だが姫はダグラスへの想いを言葉にせずにはいられなかった。
公務でアンキュラを離れることはあるだろうが、年に数回しか会えないのはもう終いだ。これからは朝から晩まで彼と共にいられるのだ。
ムーンロードを渡る夢王と王子の姿が見えなくなるまで手を振る。
姿が消えたのを見送ると、言葉を掛けるでもなくダグラスと姫は互いの体を支えるように抱き合った。
「ダグラスさん、何で言い返さなかったんです?」
「君の兄上だからね。得体の知れない男に可愛い妹を奪われて、腹立たしくて憎らしいのは理解できないこともない」
夫婦になったことでひとつのベッドで眠ることにした二人は眠ることもせず、ベッドの上で体を寄せあっていた。
あまりにも離れている期間が長すぎて、一緒になったということが非現実に感じているのだ。
眠って朝になれば、こうして二人でいる時間が魔法のように解けてしまって、また離れ離れになるかもしれないと思ったらとてもじゃないが眠れない。眠るなら愛しい人の体温を感じていたい、と姫はダグラスに撓(しな)垂れ掛かる。
「そうでしょうか? 兄様は最初からダグラスさんを毛嫌いしていましたからね。心配してくれているのは分かるんですが、私だってもう子供じゃないんですから、意思を尊重してほしいのに」
「兄上からすれば君が年をとっても、ずーっと妹であることは変わらない。兄上に限らず、父上もお袋だってそうだ。きっと君と俺の子供が生まれたら、可愛がってくれるよ。それはまだ先の話になりそうかな?」
ダグラスはワイングラスをふたつ持ち出すとボトルを開け、グラスにエメラルドグリーンの液体を注ぐ。
ボトルに貼られたラベルは年月が経過しているせいなのかか、摩擦で消えてしまったのかはわからないが文字が判別できない。
中央には金貨と宝石があふれんばかりに入った開かれた宝箱が描かれている。
「ダグラスさん、これ──」
「俺と君の結婚を祝して、献上されたものだ。アンキュラの地酒でね、国民は酒豪が多いから少しばかりきついけど、折角だから一緒に飲もうか?」
「私がお酒弱いの知ってて言うなんて、ダグラスさんは意地悪です。酔い潰れたら介抱してくれるんですか?」
意地が悪いと言いながら、真に意地が悪いのは姫の方であった。
ダグラスと姫では酒に対する耐性が全く違うため、姫と飲む時は彼女に合わせてゆっくり飲んでいる。
もちろん姫が酔ってしまった時は甲斐甲斐しく世話をすることも度々あった。
酔った姫を放置するようなダグラスではないことを知っていてこのようなことを訊ねるのは、彼を心から信頼し気を許している表れでもある。
「もちろん。君を放っておいて飲んだことなんてないだろう? じゃあ今日はとことん飲み明かそうか。でも無理はしないようにね。眠くなったらいつもみたいに寝ていい……この部屋は俺の部屋でもあるけど、君のものでもある。夜更かししなくたってこれからずっと会えるんだ。心配しなくても大丈夫だよ」
「はい、ずっとお傍に置いてくださいね」
これからは会えないからと涙して袖を濡らしたり、心配をかけまいと別れ際に無理矢理笑顔を作ることももうないだろう。
二人はワイングラスを軽く重ね、乾杯した後に夫婦になってした初めての口付けはアルコールの味がした。
アルコールに、愛しい者が傍にいる幸せに二人は酔いしれ、密かに時には大胆に、未知を知るための船旅はまだ始まったばかりである。