捧げ物
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ブルメリアではかつて戦が起こり、土地や民の心は荒れ狂い、悲しみが国を包み込んだ時期があった。
しかし今では平和を維持し、姫とユリウスの結婚で国全体が祝賀ムード一色に染まっている。
かつては人を寄せ付けず、常に人との距離を取っていたユリウスが特定の女性に心を奪われ、恋人を心の拠り所にするなど誰が予想できただろうか。
本人達ですら想像できなかったことを予測できる者はどこにもいない。とにもかくにも姫とユリウスの結婚式が執り行われることとなり、街や城内は未だかつてないほどに活気付き、賑やかさを増すのだった。
侍女を従え、ビスチェとAラインを組み合わせた純白のウェディングドレスに着替えた姫は侍女にメイクを施され、鏡の前の自分を見つめていた。
化粧がいつもよりも幾分も濃い。姫は普段はメイクにさほど時間をかけないため、侍女たちの念入りのメイクに感心していた。
あまりに濃すぎて、ユリウスに別人だと思われないだろうか。そう考えると途端に不安になり、姫の表情が曇る。
「せっかくの結婚式にそのようなお顔は似合いませんわよ。女性にとって結婚式は一大イベントですもの。一番綺麗な姿をユリウス様に見ていただきたいでしょう」
「でも濃くありませんか? 普段なんて化粧に十分しかかけませんもん」
「姫様は肌がお綺麗ですからね。厚化粧すればいいというものではありませんが、手間隙かければ仕上がりは変わってきますよ」
当日の姫は朝早くに湯浴をさせられ、肌や髪には香油を丁寧に塗りたくられた。
湯浴から着替えに至るまで文字通りお姫様のような扱いを受け、元々一般人である姫は非現実的な体験をしたように感じ、自らが姫であることを再認識したのだった。
「さ、終わりましたよ、姫様。鏡の中をどうぞご覧下さい」
ドレッサーの鏡に映し出された姫は自分の顔をまじまじと見つめる。
瞼に塗られたピンクブラウンのアイシャドウには繊細なパールが配合されており、自然でいながらも品のよさと健康的な色香を醸し出していた。
唇には普段の姫なら決して撰ぶことのない、ローズピンクの口紅が彩りを添える。
いつもなら年齢にしては幼く見えてしまう姫だが、今日だけは年齢相応の大人の女性に見えた。
それに加えて姫の気分を盛り上げてくれるのが、シルクのウェディングドレスだ。
恋人が今日自身の夫になる──そう思うだけで、姫の頬は赤く染まり、幸せに満ち溢れた笑みを浮かべた。
「あなたが結婚とは……いやはや誰が思ったでしょう。タキシードを着たあなたを見る日がこようとは──ふふふっ……」
「それならお前も同じだろ。正装してるお前を見る日が来るとは思わなかった」
新郎の控え室では黒のスーツを着たネペンテスが怪しげな笑みを浮かべ、タキシードを身に纏うユリウスを見つめている。
たとえドレスコードがあるといえども、正装したネペンテスを見ることができるというのは非常に稀なことだ。
というのも彼の行動理由は常に単純明快、食にまつわることのみだ。
そんな彼がユリウスから招待されたとはいえ、正装してブルメリアに足を運んだ理由は決まりきっている。彼らを祝い、未だ見ぬ美食を堪能することだ。いや、今回に限っては食事は二の次かもしれない。
「私は食用の花、それも祝宴の席に出される料理ならさぞ絶品と思い、足を運んだまで。美食のためなら手段は選びません」
「式が終わったら鱈腹食わせてやるから、ちょっと辛抱しろよ。最中は静かにしてろ。いいな?」
ネペンテスなら式などそっちのけにして、欲望のままに只管料理を貪っていそうだ、と思い、彼に忠告するが返事は返ってこない。
ネペンテスは目を閉じ、鼻を引くつかせた。彼は食を追い求めるがゆえに味覚だけでなく、嗅覚が人間のものを超越している。
花が放つ濃い香りや不快感を与える異臭にならば人は感じることができるが、人が持つ性質から香りを感じることは不可能だ。だがネペンテスはその不可能を可能にできる、唯一の男である。
「ああ……随分とまあ甘い香りになりましたねぇ……」
「おい、人の話聞いてんのか?」
「聞いておりますとも。まさに薔薇の棘のように人を寄せ付けず、傷つけてしまうようなあなたが、棘を溶かし花弁のように丸く、柔らかな香りを纏うようになるとは、誰が想像できたでしょう」
控え室に置かれた花瓶には花が活けてあるが、噎(む)せ返るような濃厚な香りは放っていないはずだ。
しかしネペンテスの鼻は人が持つ性質の香りを感じることができる。
かつてのユリウスは口数が少なく、表情の変化も乏しく、戦争の体験が彼の性格に暗い影を落とした。
だがユリウスが姫との出会いによって、彼によい化学変化をもたらされたことは言うまでもない。
いつしか剣を振るう手は姫の手を優しく包み込み、小さな体を慈しむように抱き締め、足りない部分は唇で愛を伝えるようになった。
花々が咲き乱れる花畑に微風が吹いたように、柔らかな雰囲気になったのはすべて姫のおかげと言えよう。
その香りは濃厚で且つ他者を惹き付けてやまない。それはまるで虫を補食する食虫植物のように。
「それでは私は失礼します。ああ、そうでした……私としたことが忘れておりました」
ネペンテスはビロードの大きなリボンがついた、シルクの布で包装された包みを胸元から出し、ユリウスに手渡した。
ユリウスは訝しげにネペンテスを見やるが、彼は鋸(のこぎり)のように鋭利な歯を見せながら、不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「何だよ、これは」
「なに、婚礼の祝いに私達からあなた方への贈答品です。サンキャッチャーなのですが、新婚夫婦に相応しい花を閉じ込めてあります」
花の精の国の王子でいえば、曼珠沙華は悲しい思い出といった正しく新しい生活を始めようとする二人にとって相応しくない花言葉だが、情熱という花言葉もある。
一番危険なのはウツボカズラだ。食虫植物であることから、危険・油断・甘い罠などの花言葉を持っていることから、新婚夫婦に贈るには適切でない花であることは一目瞭然だ。
「ちなみに残念ながらウツボカズラは省かせていただきました。他の花とは違い、今日の日に相応しくありませんからね」
「ネペンテス……」
「改めて、おめでとうございます。それではまた後程──」
ネペンテスの好みと言えば、他者には理解できないような珍味──所謂下手物に分類されるものだが、まともな感覚も持ち合わせているようだ。
これは彼にとっての礼儀なのかもしれない。そう思うとユリウスは口許を緩めずにはいられなかった。
ユリウスと姫の結婚式にはブルメリアとトロイメアが交流をしている国々の王族や彼らの友人が足を運んでくれた。
国の慶事を民にも広く知らしめたいと馬車で街から城へと続く道を行き、馬車の中から笑顔で拍手を贈ってくれる国民に手を振る。
誰も彼も咲き誇る花のように、明るい笑顔で溢れていた。
正装したユリウスと姫は恥ずかしそうにしながらも互いの顔を見つめる。
普段は見られない恋人の服装に戸惑いながら、この非日常の空間を現実として感じるために、空いている片方の手を重ねる。掌は少し汗ばんでいて緊張していることが伝わってきた。嗚呼、この穏やかで幸せな時間は確かに現実のようだ、と確認する。
「ブルメリアがこんなに賑やかになったのは初めてだ……ありがとな」
「いいえ、本来はこうあるべきなんです。皆が皆が、それぞれに幸せになる権利があるんです。だから私、今が一番幸せです。ユリウスさんの傍にいられて──」
「ああ、オレもだ。こんな日が来るなんてな」
ユリウスは暫しの間、姫に寄りかかり馬車に揺られながら目を閉じる。
年上にも関わらず幼さを残したいつもの姫が、今日は年相応に色気を纏っていて、この至近距離では直視できない。もう夫婦になるというのにおかしな話だ。
入城し馬車から下りると、ユリウスは姫を残して教会の入り口に向かって敷かれている、真っ赤な絨毯の上を歩き始めた。
そのすっと伸びた背筋は姿勢の良さを窺わせ、彼の日々の鍛練が背中を美しく見せている。
思わずユリウスに見惚れていた姫だったが、ユリウスの歩く姿が小さくなり教会に入っていく所を目にし、ユリウスの従者が姫に寄り添うように歩き出した。
本来ならこの役目は姫の父がすべきところだが、生憎姫に父親は存在しない。
その代役としてユリウスを幼い頃から世話してきた、古老の従者が姫の隣を歩いている。
本当なら両親に自分が選んだ王子を、彼の家族を、ブルメリアを目の当たりにして祝って欲しかった。しかしそれは叶わぬ夢だ。
「姫様、どうかユリウス様をお願いいたします。姫様と年はそんなに変わりませんが、戦争があったために年相応の経験をしてこられなかった方です。幼い所はおありですが、姫様の慈悲深いお心で包んで差し上げて下さい」
「いいえ、私がユリウスさんの慈悲深いお心に救われてきたんです。ですからこれからは彼を支えたいと思います」
教会の入り口に入ると左右から割れんばかりの拍手が聞こえてくる。
参列者は笑顔に満ち、中には感極まり泣いてしまう者もいた。
祝福された末にユリウスと夫婦となるのだと思えば、姫は思わず目頭が熱くなる。
しかし泣けば折角のメイクが台無しになってしまうので、ぐっと堪えて笑顔を形作る。
そして一足先に着いたユリウスに並び、古老の従者からユリウス自らが選んだというブーケを手渡された。
姫はユリウスほどではないが、花には様々な花言葉があることを知っている。
今日という日に、これからの生活にたくさんの想いがこのブーケには込められている。そう思えばドレスや指輪よりもずっと尊いものに思えた。
二人は皆が見守る中で口付けを交わす。胸に抱いたブーケからは瑞々しく清らかな香りが立ち込めてきた。
二人は幾度も口付けを交わしてきたが、後にも先にも今日以上の記憶が残る口付けはもうできないのではないか、と二人は思いながら、姫とユリウスの結婚式は幕を閉じたのだった。
式を終えた二人は衣装を脱ぎ、ナイトウェアに着替えてベッドの上でネペンテスらから貰ったサンキャッチャーを眺めながら寛ぐ。
振り子のように揺れながら、角度によって輝きが色を変えるのは真新しく映り、二人は声を揃えて綺麗だと賞賛した。
「なあ、俺さ、行きたい所があるんだよ」
「何処ですか?」
「トロイメア──お前の生まれた所に行きたいんだ。宗主国だからおいそれと一方的に訪ねられないし、けど一回お前の兄貴に直接挨拶したくてな。手紙のやりとりはしたことあるけど、手紙と会うのとじゃ全然違うだろ?」
文字通り亡国と化したトロイメアでは姫の兄であるナビが王となり、国を再興するために奮闘している。
妹のめでたい席であっても多忙な王が城を不在にすることはできず、ユリウスとも実際に対話したことはなく、手紙のやりとりだけではあったがそれだけでも互いの人柄を知ることができた。
人柄の良さを知ってしまえば会いたいという欲が自然と湧いてしまうわけだが、悲しいかな相手は国王であり、おいそれと会うことは叶わない。
姫を妻にしたわけであるから、トロイメアの国王はユリウスの義兄だというのに。
「そうですね……今は無理だと思いますが、トロイメアがもう少し落ち着いて兄に余裕ができれば会えると思いますよ。私もユリウスさんのこと、ちゃんと兄に紹介したいですし」
「お前に似てるなら、きっと人が好くて優しくて他人を一番に考えるような王様なんだろうな。国を再興するには先ずは民の頭数が必要だ。でもお前の兄貴ならきっと──そんなこと言わないよな。助けてほしい、援助が欲しいなんて言うわけがない。現にお前も俺とこうなるまで何度も逢ったけど、弱音を吐いたりすることもなかった」
「ユリウスさん──」
強引に奪うように、ユリウスは姫を抱き締めた。
また来る──そう言って年に数回しか会えず、寂しい思いをしただろうに姫はそんな素振りすら見せず、大輪の花のような笑顔でユリウスを癒してきた。
トロイメアの姫としての公務はこれからも絶えずあるだろうが、これからはブルメリアに帰ってきてくれる。
そう思うと目頭が熱くなり、離すまいと腕に力を込めていた。
「私はどんなことがあっても必ず帰ってきます。もう私の家同然なんですから──ユリウスさんのこと、兄はきっと気に入ってくれると思います」
「ああ、わかってる……頼りないだろうけどこれからはオレが傍にいる。お前の荷物も背負ってやれる。だからお前は何も心配しなくていいからな」
「はい……」
二人は互いの熱を求めて唇を重ねる。
ユリウスの体重でベッドに沈み込み、彼の熱烈な口付けを受けながら窓から見える月を見上げた。
月には兎の影が見えると姫の住む世界ではよく言われていたが、今は亡きもう一人の兄が微笑んでいるように見えた。
しかし今では平和を維持し、姫とユリウスの結婚で国全体が祝賀ムード一色に染まっている。
かつては人を寄せ付けず、常に人との距離を取っていたユリウスが特定の女性に心を奪われ、恋人を心の拠り所にするなど誰が予想できただろうか。
本人達ですら想像できなかったことを予測できる者はどこにもいない。とにもかくにも姫とユリウスの結婚式が執り行われることとなり、街や城内は未だかつてないほどに活気付き、賑やかさを増すのだった。
侍女を従え、ビスチェとAラインを組み合わせた純白のウェディングドレスに着替えた姫は侍女にメイクを施され、鏡の前の自分を見つめていた。
化粧がいつもよりも幾分も濃い。姫は普段はメイクにさほど時間をかけないため、侍女たちの念入りのメイクに感心していた。
あまりに濃すぎて、ユリウスに別人だと思われないだろうか。そう考えると途端に不安になり、姫の表情が曇る。
「せっかくの結婚式にそのようなお顔は似合いませんわよ。女性にとって結婚式は一大イベントですもの。一番綺麗な姿をユリウス様に見ていただきたいでしょう」
「でも濃くありませんか? 普段なんて化粧に十分しかかけませんもん」
「姫様は肌がお綺麗ですからね。厚化粧すればいいというものではありませんが、手間隙かければ仕上がりは変わってきますよ」
当日の姫は朝早くに湯浴をさせられ、肌や髪には香油を丁寧に塗りたくられた。
湯浴から着替えに至るまで文字通りお姫様のような扱いを受け、元々一般人である姫は非現実的な体験をしたように感じ、自らが姫であることを再認識したのだった。
「さ、終わりましたよ、姫様。鏡の中をどうぞご覧下さい」
ドレッサーの鏡に映し出された姫は自分の顔をまじまじと見つめる。
瞼に塗られたピンクブラウンのアイシャドウには繊細なパールが配合されており、自然でいながらも品のよさと健康的な色香を醸し出していた。
唇には普段の姫なら決して撰ぶことのない、ローズピンクの口紅が彩りを添える。
いつもなら年齢にしては幼く見えてしまう姫だが、今日だけは年齢相応の大人の女性に見えた。
それに加えて姫の気分を盛り上げてくれるのが、シルクのウェディングドレスだ。
恋人が今日自身の夫になる──そう思うだけで、姫の頬は赤く染まり、幸せに満ち溢れた笑みを浮かべた。
「あなたが結婚とは……いやはや誰が思ったでしょう。タキシードを着たあなたを見る日がこようとは──ふふふっ……」
「それならお前も同じだろ。正装してるお前を見る日が来るとは思わなかった」
新郎の控え室では黒のスーツを着たネペンテスが怪しげな笑みを浮かべ、タキシードを身に纏うユリウスを見つめている。
たとえドレスコードがあるといえども、正装したネペンテスを見ることができるというのは非常に稀なことだ。
というのも彼の行動理由は常に単純明快、食にまつわることのみだ。
そんな彼がユリウスから招待されたとはいえ、正装してブルメリアに足を運んだ理由は決まりきっている。彼らを祝い、未だ見ぬ美食を堪能することだ。いや、今回に限っては食事は二の次かもしれない。
「私は食用の花、それも祝宴の席に出される料理ならさぞ絶品と思い、足を運んだまで。美食のためなら手段は選びません」
「式が終わったら鱈腹食わせてやるから、ちょっと辛抱しろよ。最中は静かにしてろ。いいな?」
ネペンテスなら式などそっちのけにして、欲望のままに只管料理を貪っていそうだ、と思い、彼に忠告するが返事は返ってこない。
ネペンテスは目を閉じ、鼻を引くつかせた。彼は食を追い求めるがゆえに味覚だけでなく、嗅覚が人間のものを超越している。
花が放つ濃い香りや不快感を与える異臭にならば人は感じることができるが、人が持つ性質から香りを感じることは不可能だ。だがネペンテスはその不可能を可能にできる、唯一の男である。
「ああ……随分とまあ甘い香りになりましたねぇ……」
「おい、人の話聞いてんのか?」
「聞いておりますとも。まさに薔薇の棘のように人を寄せ付けず、傷つけてしまうようなあなたが、棘を溶かし花弁のように丸く、柔らかな香りを纏うようになるとは、誰が想像できたでしょう」
控え室に置かれた花瓶には花が活けてあるが、噎(む)せ返るような濃厚な香りは放っていないはずだ。
しかしネペンテスの鼻は人が持つ性質の香りを感じることができる。
かつてのユリウスは口数が少なく、表情の変化も乏しく、戦争の体験が彼の性格に暗い影を落とした。
だがユリウスが姫との出会いによって、彼によい化学変化をもたらされたことは言うまでもない。
いつしか剣を振るう手は姫の手を優しく包み込み、小さな体を慈しむように抱き締め、足りない部分は唇で愛を伝えるようになった。
花々が咲き乱れる花畑に微風が吹いたように、柔らかな雰囲気になったのはすべて姫のおかげと言えよう。
その香りは濃厚で且つ他者を惹き付けてやまない。それはまるで虫を補食する食虫植物のように。
「それでは私は失礼します。ああ、そうでした……私としたことが忘れておりました」
ネペンテスはビロードの大きなリボンがついた、シルクの布で包装された包みを胸元から出し、ユリウスに手渡した。
ユリウスは訝しげにネペンテスを見やるが、彼は鋸(のこぎり)のように鋭利な歯を見せながら、不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「何だよ、これは」
「なに、婚礼の祝いに私達からあなた方への贈答品です。サンキャッチャーなのですが、新婚夫婦に相応しい花を閉じ込めてあります」
花の精の国の王子でいえば、曼珠沙華は悲しい思い出といった正しく新しい生活を始めようとする二人にとって相応しくない花言葉だが、情熱という花言葉もある。
一番危険なのはウツボカズラだ。食虫植物であることから、危険・油断・甘い罠などの花言葉を持っていることから、新婚夫婦に贈るには適切でない花であることは一目瞭然だ。
「ちなみに残念ながらウツボカズラは省かせていただきました。他の花とは違い、今日の日に相応しくありませんからね」
「ネペンテス……」
「改めて、おめでとうございます。それではまた後程──」
ネペンテスの好みと言えば、他者には理解できないような珍味──所謂下手物に分類されるものだが、まともな感覚も持ち合わせているようだ。
これは彼にとっての礼儀なのかもしれない。そう思うとユリウスは口許を緩めずにはいられなかった。
ユリウスと姫の結婚式にはブルメリアとトロイメアが交流をしている国々の王族や彼らの友人が足を運んでくれた。
国の慶事を民にも広く知らしめたいと馬車で街から城へと続く道を行き、馬車の中から笑顔で拍手を贈ってくれる国民に手を振る。
誰も彼も咲き誇る花のように、明るい笑顔で溢れていた。
正装したユリウスと姫は恥ずかしそうにしながらも互いの顔を見つめる。
普段は見られない恋人の服装に戸惑いながら、この非日常の空間を現実として感じるために、空いている片方の手を重ねる。掌は少し汗ばんでいて緊張していることが伝わってきた。嗚呼、この穏やかで幸せな時間は確かに現実のようだ、と確認する。
「ブルメリアがこんなに賑やかになったのは初めてだ……ありがとな」
「いいえ、本来はこうあるべきなんです。皆が皆が、それぞれに幸せになる権利があるんです。だから私、今が一番幸せです。ユリウスさんの傍にいられて──」
「ああ、オレもだ。こんな日が来るなんてな」
ユリウスは暫しの間、姫に寄りかかり馬車に揺られながら目を閉じる。
年上にも関わらず幼さを残したいつもの姫が、今日は年相応に色気を纏っていて、この至近距離では直視できない。もう夫婦になるというのにおかしな話だ。
入城し馬車から下りると、ユリウスは姫を残して教会の入り口に向かって敷かれている、真っ赤な絨毯の上を歩き始めた。
そのすっと伸びた背筋は姿勢の良さを窺わせ、彼の日々の鍛練が背中を美しく見せている。
思わずユリウスに見惚れていた姫だったが、ユリウスの歩く姿が小さくなり教会に入っていく所を目にし、ユリウスの従者が姫に寄り添うように歩き出した。
本来ならこの役目は姫の父がすべきところだが、生憎姫に父親は存在しない。
その代役としてユリウスを幼い頃から世話してきた、古老の従者が姫の隣を歩いている。
本当なら両親に自分が選んだ王子を、彼の家族を、ブルメリアを目の当たりにして祝って欲しかった。しかしそれは叶わぬ夢だ。
「姫様、どうかユリウス様をお願いいたします。姫様と年はそんなに変わりませんが、戦争があったために年相応の経験をしてこられなかった方です。幼い所はおありですが、姫様の慈悲深いお心で包んで差し上げて下さい」
「いいえ、私がユリウスさんの慈悲深いお心に救われてきたんです。ですからこれからは彼を支えたいと思います」
教会の入り口に入ると左右から割れんばかりの拍手が聞こえてくる。
参列者は笑顔に満ち、中には感極まり泣いてしまう者もいた。
祝福された末にユリウスと夫婦となるのだと思えば、姫は思わず目頭が熱くなる。
しかし泣けば折角のメイクが台無しになってしまうので、ぐっと堪えて笑顔を形作る。
そして一足先に着いたユリウスに並び、古老の従者からユリウス自らが選んだというブーケを手渡された。
姫はユリウスほどではないが、花には様々な花言葉があることを知っている。
今日という日に、これからの生活にたくさんの想いがこのブーケには込められている。そう思えばドレスや指輪よりもずっと尊いものに思えた。
二人は皆が見守る中で口付けを交わす。胸に抱いたブーケからは瑞々しく清らかな香りが立ち込めてきた。
二人は幾度も口付けを交わしてきたが、後にも先にも今日以上の記憶が残る口付けはもうできないのではないか、と二人は思いながら、姫とユリウスの結婚式は幕を閉じたのだった。
式を終えた二人は衣装を脱ぎ、ナイトウェアに着替えてベッドの上でネペンテスらから貰ったサンキャッチャーを眺めながら寛ぐ。
振り子のように揺れながら、角度によって輝きが色を変えるのは真新しく映り、二人は声を揃えて綺麗だと賞賛した。
「なあ、俺さ、行きたい所があるんだよ」
「何処ですか?」
「トロイメア──お前の生まれた所に行きたいんだ。宗主国だからおいそれと一方的に訪ねられないし、けど一回お前の兄貴に直接挨拶したくてな。手紙のやりとりはしたことあるけど、手紙と会うのとじゃ全然違うだろ?」
文字通り亡国と化したトロイメアでは姫の兄であるナビが王となり、国を再興するために奮闘している。
妹のめでたい席であっても多忙な王が城を不在にすることはできず、ユリウスとも実際に対話したことはなく、手紙のやりとりだけではあったがそれだけでも互いの人柄を知ることができた。
人柄の良さを知ってしまえば会いたいという欲が自然と湧いてしまうわけだが、悲しいかな相手は国王であり、おいそれと会うことは叶わない。
姫を妻にしたわけであるから、トロイメアの国王はユリウスの義兄だというのに。
「そうですね……今は無理だと思いますが、トロイメアがもう少し落ち着いて兄に余裕ができれば会えると思いますよ。私もユリウスさんのこと、ちゃんと兄に紹介したいですし」
「お前に似てるなら、きっと人が好くて優しくて他人を一番に考えるような王様なんだろうな。国を再興するには先ずは民の頭数が必要だ。でもお前の兄貴ならきっと──そんなこと言わないよな。助けてほしい、援助が欲しいなんて言うわけがない。現にお前も俺とこうなるまで何度も逢ったけど、弱音を吐いたりすることもなかった」
「ユリウスさん──」
強引に奪うように、ユリウスは姫を抱き締めた。
また来る──そう言って年に数回しか会えず、寂しい思いをしただろうに姫はそんな素振りすら見せず、大輪の花のような笑顔でユリウスを癒してきた。
トロイメアの姫としての公務はこれからも絶えずあるだろうが、これからはブルメリアに帰ってきてくれる。
そう思うと目頭が熱くなり、離すまいと腕に力を込めていた。
「私はどんなことがあっても必ず帰ってきます。もう私の家同然なんですから──ユリウスさんのこと、兄はきっと気に入ってくれると思います」
「ああ、わかってる……頼りないだろうけどこれからはオレが傍にいる。お前の荷物も背負ってやれる。だからお前は何も心配しなくていいからな」
「はい……」
二人は互いの熱を求めて唇を重ねる。
ユリウスの体重でベッドに沈み込み、彼の熱烈な口付けを受けながら窓から見える月を見上げた。
月には兎の影が見えると姫の住む世界ではよく言われていたが、今は亡きもう一人の兄が微笑んでいるように見えた。