捧げ物
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結婚とは人生の始まりであり、終わりであり、墓場だと言う者がいる。
そのどれもが事実ではあろうが、それは経験しなければわからないことだ。
人と深く関わらずして生きてきたキャピタにとっては愛や恋の延長線上にある結婚こそが謎のひとつであり興味の対象ではあったが、自分ではない赤の他人と共に暮らすなどキャピタにとっては考えられないことだった。
──そう、姫に恋をして結婚するまでは。
独身時代は知識を深めることだけに人生の大半を使ってきたため、食事は楽しむというよりも仕方なく摂っていただけだったので、味覚や料理を目で楽しむことに対して鈍感になっていたのかもしれない。
姫と共に暮らすまでは知らなかったが、毎日彩り豊かな料理が食卓に並べられ、他愛もない会話を楽しみながら食事をすることが知らぬ間に心地のよいものになっていた。
そして出される料理は料理人ではなく姫自らが調理したもので、マッドハッターの言葉遊びのようにバリエーション豊かであり、身内贔屓と言われてしまうかもしれないが味の方も申し分ない。
次はどんな料理が出されるのだろう、と毎日の食事が楽しみになり、キャピタは少年のように目を輝かせ、今日も愛妻の手料理を平らげるのだ。
「いつも思いますが……食事の時はいらっしゃるのお早いですね」
「もしやまずかっただろうか?」
「いえ、そうではないんですが……」
二人だけで食事をするには広すぎる木目調のダイニングテーブルに所狭しと料理が並んでいる。
どう見ても二人で平らげられる量ではないが、残しては妻に申し訳ないとキャピタはいつも妻の愛証たる料理を味わいながら詰め込むのだ。
「私は貴方の才能を殺しているようだな」
キャピタは料理を咀嚼し、ワイングラスに入ったミネラルウォーターで喉を潤す。
口元をナプキンで拭うと、微笑を浮かべながら首を傾げる姫を見つめた。
「それはなぜですか?」
「貴方の調理技能はこの城に住む料理人も顔負けのものだ。貴方の誠意はとても心地よく有り難いものだが、このままでは厨房に立つ者達に暇を出さなければならなくなりそうだ。それに貴方も毎食振る舞っていては疲れるだろう?」
「疲れることはありませんが、キャピタさんがいつも食事を楽しみにされているようなので、それを見たら嬉しくてつい……普通はあまりこういうことはしないものなのでしょうか」
姫がかつて住んでいた世界では、一般人が料理をすることはごく普通のことであったため、気にしたことはなかったがこの世界では宗主国の姫でありフォルストの主であるキャピタの妻──下々の者からすれば主人に等しい存在だ。
そんな者が厨房に立ち、自ら料理を振る舞うなど考えられないことなのだろう。
姫はトロイメアの姫ではあるが、それと同時にフォルストに嫁いだ身なのだ。
郷に入っては郷に従え──そんな言葉もあるが、立場上調理は控えた方がいいのかもしれない。
そう思うと少し寂しくなり、姫は肩を落とした。
「貴方は私の妻になったが、それでもトロイメアの姫君としての公務があるし、公務に差し障りがあっては元も子もない。
勿論厨房に立つなとは言わない。貴方が作ってくれた料理を食すのは私にとっても至福の一時だ。だが……皆の意思も汲んでやってはくれないだろうか?」
キャピタは困ったように眉を下げ、向かい合う姫の小さな手を包むように握りしめる。
言葉は時として凶器にも、盾にもなることをキャピタはかつて姫に教えられた。
今が正にそうだ。言葉が姫を傷付ける刃になるなら、何も語らず寄り添うことで姫の傷を癒せるなら幸いだ。
穏やかで平和な一日を重ねながら、今日も夜が更けてゆく。
窓からは星々がちりばめられ、漆黒に染め上げられたカーテンが顔を覗かせていた。
パジャマに着替えて、二人は仲良くベッドに身を沈める。
キャピタはモノクルとピアスを外し、子猫のように体温を求めて身を寄せてくる姫の髪をすいた。
不安そうに見つめてくる姫の瞼に口付けを落とすと、彼女はキャピタの胸板に指を添える。
「今日の貴方は随分甘えたがりだな。いつもそうならいいのだが」
「だってキャピタさん、あったかいんですもん……こうしてると安心します」
まるで子猫が母猫に甘えているようだ、とキャピタは思いながら、風邪を引かないようにと布団をかけ直して、夜着から露出した姫の肩を隠した。夫婦というよりかは親子のようである。
「明日なのだが……貴方は確か休みだったな」
「はい、キャピタさんはどこかお出掛けですか?」
「いや、貴方を是非とも連れて行きたい場所があってな。貴方さえよければ行きたいと思うが」
夫に誘われて嫌だと決して答えないと知りながら、キャピタは微笑を浮かべる。
以前はマッドネスに出掛けたりすることもあったが、最近は国外に出ることはなかったため、姫には嬉しい申し出だった。
しかしどこに行くのだろうか。それが気になって仕方なく、寝る前だというのに、睡魔が何処かへ行ってしまったようだ。
謎を愛し、魅了され、追求する彼に何処へ行くのかという問いは愚問なのだろう。
「是非行きたいです。でも何処へ行くんですか?」
「謎は自身で紐解いてこそ価値があるものだ。そうは思わないか? だが貴方が、いや女性が嫌がるものではないとは思うのだが……私から出せるヒントはこれまでにして、謎解きのためにもう眠ることにしよう」
キャピタが猫の形をしたベッドサイドランプの尻尾を引っ張ると、先刻までの明かりが闇色に包まれた。
明かりを消した時、まるで世界に自分だけ置き去りにされたかのような気になってしまう姫の為に、おやすみの挨拶と頬への口付けは日課となり、今宵もキャピタに分け与えられた体温に安心して姫は静かな寝息を立てる。
そんな妻が眠ったのを確認してから、キャピタは目を閉じた。
なんて贅沢で幸せな一時なのだろうか──永遠などこの世に存在しないと理解しながらも、二人の仲が永遠であるように求めている。
変化を拒んでいた自分がこのようになるとは、とキャピタは自嘲しつつ、眠りに就いた。
フォルストの朝は早い。寝惚けてキャピタの胸に顔を埋めていた姫だったが、ドアをノックする音で目を覚まし、ようやくキャピタの胸から離れて頬を染めながら朝の挨拶を交わす。
ドアをノックする音は朝食を知らせるために二人の寝室に足を運んだメイドによるものだ。
身仕度を整え、朝食を済ませると二人は森の奥深くへと足を進める。
「連れて行きたいところって森だったんですね。一体何があるんだろう?」
姫がいくら問いかけても、キャピタは知らぬ存ぜぬといった顔で笑みを浮かべているだけだ。
雑談を交わしている間に森の最奥に辿り着く。
青々とした緑が生い茂る中、ところとごろ白い花が不自然に顔を出していた。
フォルストの森には何度か足を運んだことはあるが、ここでは見たことのない花だ。
けれど姫はこの花をどこかで見た記憶があった。
「見せたいものってもしかしてこの花ですか? あれ、でもイチゴに似てるような……小さくて可愛らしいですし」
「イチゴという回答は正解ではあるか、正確ではないな。厳密にはワイルドストロベリーと言うらしい」
「じゃあこのワイルドストロベリー、キャピタさんが植えたんですか?」
本の虫であるキャピタがそれ以外の行為に没頭し、土いじりをしているなんて想像することは難しい。
何故急に園芸なんて──姫がキャピタに訊ねると彼は自ら植えたワイルドストロベリーの花を撫でながら微笑を浮かべた。
「そうだ。ガラッシアの王子が農業に詳しいと聞き、教わったのだが何分初心者だからな。これが収穫できたら次はまた別のものを植えたいと思っている。
貴方や城の者が作る料理の食材となる野菜や果物を自ずからの手で育てれば、より一層美味と感じるはずだ。ただ単に消費するだけでなく、私も何かしたくなったのだ。今までの私なら考えられなかったことだ──」
キャピタに背後から抱き締められると花の香りが香水のように香った。
花が実を付け、実が熟する時、また森の中は刻々と変化していくのだろう。
だがキャピタは姫を愛することで増殖し続ける謎を楽しみながら、フォルストで他者と関わり、変化しながら生きていく。
謎を食(は)みながらキャピタと姫は確信した。
二人で食べる謎の味は酸味があって甘い苺のようだったと──。
そのどれもが事実ではあろうが、それは経験しなければわからないことだ。
人と深く関わらずして生きてきたキャピタにとっては愛や恋の延長線上にある結婚こそが謎のひとつであり興味の対象ではあったが、自分ではない赤の他人と共に暮らすなどキャピタにとっては考えられないことだった。
──そう、姫に恋をして結婚するまでは。
独身時代は知識を深めることだけに人生の大半を使ってきたため、食事は楽しむというよりも仕方なく摂っていただけだったので、味覚や料理を目で楽しむことに対して鈍感になっていたのかもしれない。
姫と共に暮らすまでは知らなかったが、毎日彩り豊かな料理が食卓に並べられ、他愛もない会話を楽しみながら食事をすることが知らぬ間に心地のよいものになっていた。
そして出される料理は料理人ではなく姫自らが調理したもので、マッドハッターの言葉遊びのようにバリエーション豊かであり、身内贔屓と言われてしまうかもしれないが味の方も申し分ない。
次はどんな料理が出されるのだろう、と毎日の食事が楽しみになり、キャピタは少年のように目を輝かせ、今日も愛妻の手料理を平らげるのだ。
「いつも思いますが……食事の時はいらっしゃるのお早いですね」
「もしやまずかっただろうか?」
「いえ、そうではないんですが……」
二人だけで食事をするには広すぎる木目調のダイニングテーブルに所狭しと料理が並んでいる。
どう見ても二人で平らげられる量ではないが、残しては妻に申し訳ないとキャピタはいつも妻の愛証たる料理を味わいながら詰め込むのだ。
「私は貴方の才能を殺しているようだな」
キャピタは料理を咀嚼し、ワイングラスに入ったミネラルウォーターで喉を潤す。
口元をナプキンで拭うと、微笑を浮かべながら首を傾げる姫を見つめた。
「それはなぜですか?」
「貴方の調理技能はこの城に住む料理人も顔負けのものだ。貴方の誠意はとても心地よく有り難いものだが、このままでは厨房に立つ者達に暇を出さなければならなくなりそうだ。それに貴方も毎食振る舞っていては疲れるだろう?」
「疲れることはありませんが、キャピタさんがいつも食事を楽しみにされているようなので、それを見たら嬉しくてつい……普通はあまりこういうことはしないものなのでしょうか」
姫がかつて住んでいた世界では、一般人が料理をすることはごく普通のことであったため、気にしたことはなかったがこの世界では宗主国の姫でありフォルストの主であるキャピタの妻──下々の者からすれば主人に等しい存在だ。
そんな者が厨房に立ち、自ら料理を振る舞うなど考えられないことなのだろう。
姫はトロイメアの姫ではあるが、それと同時にフォルストに嫁いだ身なのだ。
郷に入っては郷に従え──そんな言葉もあるが、立場上調理は控えた方がいいのかもしれない。
そう思うと少し寂しくなり、姫は肩を落とした。
「貴方は私の妻になったが、それでもトロイメアの姫君としての公務があるし、公務に差し障りがあっては元も子もない。
勿論厨房に立つなとは言わない。貴方が作ってくれた料理を食すのは私にとっても至福の一時だ。だが……皆の意思も汲んでやってはくれないだろうか?」
キャピタは困ったように眉を下げ、向かい合う姫の小さな手を包むように握りしめる。
言葉は時として凶器にも、盾にもなることをキャピタはかつて姫に教えられた。
今が正にそうだ。言葉が姫を傷付ける刃になるなら、何も語らず寄り添うことで姫の傷を癒せるなら幸いだ。
穏やかで平和な一日を重ねながら、今日も夜が更けてゆく。
窓からは星々がちりばめられ、漆黒に染め上げられたカーテンが顔を覗かせていた。
パジャマに着替えて、二人は仲良くベッドに身を沈める。
キャピタはモノクルとピアスを外し、子猫のように体温を求めて身を寄せてくる姫の髪をすいた。
不安そうに見つめてくる姫の瞼に口付けを落とすと、彼女はキャピタの胸板に指を添える。
「今日の貴方は随分甘えたがりだな。いつもそうならいいのだが」
「だってキャピタさん、あったかいんですもん……こうしてると安心します」
まるで子猫が母猫に甘えているようだ、とキャピタは思いながら、風邪を引かないようにと布団をかけ直して、夜着から露出した姫の肩を隠した。夫婦というよりかは親子のようである。
「明日なのだが……貴方は確か休みだったな」
「はい、キャピタさんはどこかお出掛けですか?」
「いや、貴方を是非とも連れて行きたい場所があってな。貴方さえよければ行きたいと思うが」
夫に誘われて嫌だと決して答えないと知りながら、キャピタは微笑を浮かべる。
以前はマッドネスに出掛けたりすることもあったが、最近は国外に出ることはなかったため、姫には嬉しい申し出だった。
しかしどこに行くのだろうか。それが気になって仕方なく、寝る前だというのに、睡魔が何処かへ行ってしまったようだ。
謎を愛し、魅了され、追求する彼に何処へ行くのかという問いは愚問なのだろう。
「是非行きたいです。でも何処へ行くんですか?」
「謎は自身で紐解いてこそ価値があるものだ。そうは思わないか? だが貴方が、いや女性が嫌がるものではないとは思うのだが……私から出せるヒントはこれまでにして、謎解きのためにもう眠ることにしよう」
キャピタが猫の形をしたベッドサイドランプの尻尾を引っ張ると、先刻までの明かりが闇色に包まれた。
明かりを消した時、まるで世界に自分だけ置き去りにされたかのような気になってしまう姫の為に、おやすみの挨拶と頬への口付けは日課となり、今宵もキャピタに分け与えられた体温に安心して姫は静かな寝息を立てる。
そんな妻が眠ったのを確認してから、キャピタは目を閉じた。
なんて贅沢で幸せな一時なのだろうか──永遠などこの世に存在しないと理解しながらも、二人の仲が永遠であるように求めている。
変化を拒んでいた自分がこのようになるとは、とキャピタは自嘲しつつ、眠りに就いた。
フォルストの朝は早い。寝惚けてキャピタの胸に顔を埋めていた姫だったが、ドアをノックする音で目を覚まし、ようやくキャピタの胸から離れて頬を染めながら朝の挨拶を交わす。
ドアをノックする音は朝食を知らせるために二人の寝室に足を運んだメイドによるものだ。
身仕度を整え、朝食を済ませると二人は森の奥深くへと足を進める。
「連れて行きたいところって森だったんですね。一体何があるんだろう?」
姫がいくら問いかけても、キャピタは知らぬ存ぜぬといった顔で笑みを浮かべているだけだ。
雑談を交わしている間に森の最奥に辿り着く。
青々とした緑が生い茂る中、ところとごろ白い花が不自然に顔を出していた。
フォルストの森には何度か足を運んだことはあるが、ここでは見たことのない花だ。
けれど姫はこの花をどこかで見た記憶があった。
「見せたいものってもしかしてこの花ですか? あれ、でもイチゴに似てるような……小さくて可愛らしいですし」
「イチゴという回答は正解ではあるか、正確ではないな。厳密にはワイルドストロベリーと言うらしい」
「じゃあこのワイルドストロベリー、キャピタさんが植えたんですか?」
本の虫であるキャピタがそれ以外の行為に没頭し、土いじりをしているなんて想像することは難しい。
何故急に園芸なんて──姫がキャピタに訊ねると彼は自ら植えたワイルドストロベリーの花を撫でながら微笑を浮かべた。
「そうだ。ガラッシアの王子が農業に詳しいと聞き、教わったのだが何分初心者だからな。これが収穫できたら次はまた別のものを植えたいと思っている。
貴方や城の者が作る料理の食材となる野菜や果物を自ずからの手で育てれば、より一層美味と感じるはずだ。ただ単に消費するだけでなく、私も何かしたくなったのだ。今までの私なら考えられなかったことだ──」
キャピタに背後から抱き締められると花の香りが香水のように香った。
花が実を付け、実が熟する時、また森の中は刻々と変化していくのだろう。
だがキャピタは姫を愛することで増殖し続ける謎を楽しみながら、フォルストで他者と関わり、変化しながら生きていく。
謎を食(は)みながらキャピタと姫は確信した。
二人で食べる謎の味は酸味があって甘い苺のようだったと──。