捧げ物
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「またか……」
朝早くから山のような書類がなだれ込んできた。
原因の根本が市丸にあることを知っているだけに腹立たしく、イヅルに同情の念を抱いてしまう。
隈の薄れぬ目の下が仕事の残酷さを物語っている。
さらさらと筆を流すように紙の上で走らせる。
目の前にある席は誰も座っておらず、空からの状態。
月末が近付くと水音は決まって非番を取る。
珍しく姫がいないものだから心を乱されることもない。
目の前でふわふわとちらつかせでもされたら、仕事に身が入らないから。
休みをとってくれたことに感謝する、といったら語弊があるかもしれないが。
流れ作業でこなしていった書類を乱菊に手渡していく。
ゆっくりと目を通しながら妙に何かが引っ掛かる、そんな文字が目に付いて乱菊は一枚の書類を日番谷につきだした。
「隊長」
「何だ? 誤りでもあったか」
「貴方の名前は目番谷なんですか」
「何言ってんだ。俺はちゃんと……」
しっかりみると浮かび上がる『目』の字。
確かに自分の字で刻んである、余分な一の字が痛い。
乱菊は今にも吹き出しそうな勢いで後ろを向いて笑っている。
集中を途切れさせている人物をよく知るからこそ、日番谷がどれほど翻弄されているのかがよくわかるというものだ。
日番谷の鋭利な眼光に射られているのがわかると急いでこほん、と咳き込んだ。
「まぁ…結婚したら名字が変わりますからね。婿養子にでも?」
「それ以上言いやがったらただじゃおかねぇぞ。……誤字なんざ誰にでもあるだろうが。棚に上げんじゃねぇ」
心の内は真紅に似た色が湧き上がっていた。
羞恥と呆れが交錯して、脳裏を巡る。
大まかではあるが最上の口部分を筆の先端で埋め尽くし、無理矢理な『日』の字を作り出した。
墨が乾ききる時間を待つ間、残された書類に目を通しつつ筆を走らせていく。
「姫は休みですもんねぇ」
「……何がだ」
「気が気じゃないんじゃないですか? 月末近くなると非番取ってるみたいだし……」
「……」
姫の存在を確認できないのが苛立たしい。
いつもならば乱菊と他愛もない話で盛り上がり、黄色い声を詰所に響かせているのに今日は静かだ。
たかが声が聞こえないだけで冷静さを失うほど、隣にいるのが当たり前になっていたからか。
気にならないといえば、嘘になるだろう。
幼少時は共に過ごしたといってもそれは流魂街にいた時の話。
死神としての姫のことはあまり知らず、同性である乱菊が優位にあるかもしれないという事実は恋人としては物足りない。
「あぁ、両親の墓があんだよ。……いつも月の終わりには行ってるらしい。それだろ」
「……気になるなら言ってきて下さっても構いませんよ。気が気じゃないようですし」
「……仕事とは別の話だ。そうだろ?」
嫌におとなしい乱菊を凝視してみれば、案の定何かを企てんとしているような笑みさえ浮かべている。
「……何かが可笑おかしい」
「いえ、ね……お墓なんて静かな所で危ないなあ……なんて」
「墓で宴会する奴がいるか!」
「もうちょっと彼女に危機感持たないと……盗られちゃいますよ? 姫って警戒心なさすぎなんですもん」
強く机上に叩きつけると、書類が空に舞った。
ばさばさと崩れ落ちた書類を拾いながら、乱菊を見上げた。
強がった目が訴えるのは不安だと察する。
まさか姫が裏切り行為をするような器ではないことは十二分に承知しているが、 日番谷の心中は彼女を引き留めたいと声を大にして叫ぶ。
「……何だよ、それは」
「大分前の事なんですけどね。用事で流魂街に行ったんですよ。他の隊でしたっけ……背が高くて市丸隊長みたいな感じの男性と仲良さそうにしてましたよ」
「……で?」
間髪入れずに乱菊は答える。
「お墓です」
まだまだ付き合いはじめたばかりで仲は浅い。
こんなにも早く訪れるとは想像にもしなかった倦怠期なるもの。
騙しを物ともしない少女ではないと思うが、冷静になれない自分がいて。
「悪ぃな、すぐ戻る」
十の字が眩しい隊長着をはためかせ、裾が舞い上がった時にはもう彼の姿はなかった。
「姫に限ってそんなことは断じてないですよ。他人の恋愛どうこう言う前にまず自分の事を先に考えればいいのに……」
口を開けば、日番谷の事ばかり口にする。
壊れた物のように、何度も何度も繰り返し。
「姫が心変わりなんて……天地がひっくり返っても有り得ませんよ」
見知った風景でも長きに亘り、目に触れぬそれは見慣れない。
こんなにも質素でひっそりとしていただろうか。
羽織が目立つせいか民衆の目が痛い。
「っ……俺は何やってんだよ……」
こそこそと盗人のような真似をして。
知人に見つかりでもしたら、姫に何を言われるか。
地位を貶おとしめる以外の何にもならない。
子供だからだ、と開き直ればそれまで。
だが自尊心がそれを許さない。
家から近い墓なら角を曲がってすぐ、記憶が正しければそのはずだ。
季節的に花を持ってくる者など墓守でもいない。
墓地で待ち合わせる奇特な恋人同士がいるとするなら、目の錯覚だと思いたいが目の前には仲睦まじい二人が墓前に花を添えている。
姿は見なくとも霊圧だけで水音だと分かる。
雲のようにふわふわとしていて、小さいけれどどこか温かい。
相手の男の顔は見えず、後姿しか確認できなかったが市丸によく似た背丈で身も細かった。
死覇装ではなく安っぽい色落ちした着物を身に纏っているところから見るに、流魂街の出身者だろうか。
「汚れ、ちゃんと落ちた? 苔がこべりついてたねぇ……」
「大まかなとこは取れたけどもっと先が細かいヤツじゃないと取れないって。……っと、水切れたみたいだから汲んでくるよ」
桶を脇に抱えて男の姿が見えなくなるまでじっと待った。
姫はその後姿に手を振り続け、影形が消えると墓前に向き直る。
「……今年は寒かったんじゃない? こっちも寒かったんだけど……そっちはどう? って聞くのもヘンかぁ……でもね、無事でやってるから心配しないでね」
墓石を労わるように撫でながら、とてつもなく無防備な背中。
日番谷はその機を見逃さず、咄嗟に姫の背後に躍り出た。
霊圧に気付く余裕もないのか、もしくは気付いていないだけなのか。
姫は一向に振り向こうとはしない。
「姫」
堪らず声を掛けて、ようやく日番谷の存在に気が付いて振り返ると目を丸くしていた。
距離を縮めて、やっとのこと。
聞きたいのは何でここにいるのか、不思議で仕方のない事…ただそれだけ。
「冬獅郎……! どうして」
「アイツ、誰だよ」
「……は?」
「だから誰だっつってんだよ!」
「憶えてない? 冬獅郎の知ってる人だよ」
「それは認めてんだな。……で、こそこそ会ってた、っつーわけか」
とうとうか、と覚悟はしていた。
これから同じ隊で自然に顔を合わせることができるだろうか、と。
そんな黒い靄(もや)を破ったのは誰でもない姫だった。
「こそこそする必要なんてないもん。私の弟なんだから」
「……弟?」
「……そう、弟。冬獅郎が死神になる前は小さかったから憶えてないのは当たり前だよね」
「憶えてねぇなぁ……。……つーか何年もの間にあんだけ成長するのも珍しいんじゃねぇか? ……ん?」
姫は手を叩いて大きく笑った。
隣にいる男が気になって仕事を抜けてきた、なんて有り得ない。
目で追うのはいつも私の方だったのに、彼が嫉妬なんて失礼だけど可笑しすぎる。
真っ赤になって睨まれても説得力はない。
「やっだぁ~……私がそんなことするわけないじゃない」
「もしかしたら、あるかもしんねぇじゃねぇか」
「嫉妬……してくれたんだ」
「……全部お前の所為だろ。俺は一切悪くねぇ」
命を繋ぐ心の核・心臓はあれど心はもう道端で彷徨ってはいない。
妬く心があるというなら一生縛り付けるだけ。
「私が好きなの、冬獅郎なのにな」
「……そりゃ有難いこったな」
「本当だってば。ねぇ」
「わかったって」
日番谷の顔を覗き込んだら、視界が銀色一面で埋め尽くされた。
口の自由を奪われているのに気付いたのは少し後になってからで、酒を口にしたような高揚感で酔わされていたようだ。
まだ始まったばかりで先は見えないけれど。
二人を縛る糸が一瞬だけ見えた。
朝早くから山のような書類がなだれ込んできた。
原因の根本が市丸にあることを知っているだけに腹立たしく、イヅルに同情の念を抱いてしまう。
隈の薄れぬ目の下が仕事の残酷さを物語っている。
さらさらと筆を流すように紙の上で走らせる。
目の前にある席は誰も座っておらず、空からの状態。
月末が近付くと水音は決まって非番を取る。
珍しく姫がいないものだから心を乱されることもない。
目の前でふわふわとちらつかせでもされたら、仕事に身が入らないから。
休みをとってくれたことに感謝する、といったら語弊があるかもしれないが。
流れ作業でこなしていった書類を乱菊に手渡していく。
ゆっくりと目を通しながら妙に何かが引っ掛かる、そんな文字が目に付いて乱菊は一枚の書類を日番谷につきだした。
「隊長」
「何だ? 誤りでもあったか」
「貴方の名前は目番谷なんですか」
「何言ってんだ。俺はちゃんと……」
しっかりみると浮かび上がる『目』の字。
確かに自分の字で刻んである、余分な一の字が痛い。
乱菊は今にも吹き出しそうな勢いで後ろを向いて笑っている。
集中を途切れさせている人物をよく知るからこそ、日番谷がどれほど翻弄されているのかがよくわかるというものだ。
日番谷の鋭利な眼光に射られているのがわかると急いでこほん、と咳き込んだ。
「まぁ…結婚したら名字が変わりますからね。婿養子にでも?」
「それ以上言いやがったらただじゃおかねぇぞ。……誤字なんざ誰にでもあるだろうが。棚に上げんじゃねぇ」
心の内は真紅に似た色が湧き上がっていた。
羞恥と呆れが交錯して、脳裏を巡る。
大まかではあるが最上の口部分を筆の先端で埋め尽くし、無理矢理な『日』の字を作り出した。
墨が乾ききる時間を待つ間、残された書類に目を通しつつ筆を走らせていく。
「姫は休みですもんねぇ」
「……何がだ」
「気が気じゃないんじゃないですか? 月末近くなると非番取ってるみたいだし……」
「……」
姫の存在を確認できないのが苛立たしい。
いつもならば乱菊と他愛もない話で盛り上がり、黄色い声を詰所に響かせているのに今日は静かだ。
たかが声が聞こえないだけで冷静さを失うほど、隣にいるのが当たり前になっていたからか。
気にならないといえば、嘘になるだろう。
幼少時は共に過ごしたといってもそれは流魂街にいた時の話。
死神としての姫のことはあまり知らず、同性である乱菊が優位にあるかもしれないという事実は恋人としては物足りない。
「あぁ、両親の墓があんだよ。……いつも月の終わりには行ってるらしい。それだろ」
「……気になるなら言ってきて下さっても構いませんよ。気が気じゃないようですし」
「……仕事とは別の話だ。そうだろ?」
嫌におとなしい乱菊を凝視してみれば、案の定何かを企てんとしているような笑みさえ浮かべている。
「……何かが可笑おかしい」
「いえ、ね……お墓なんて静かな所で危ないなあ……なんて」
「墓で宴会する奴がいるか!」
「もうちょっと彼女に危機感持たないと……盗られちゃいますよ? 姫って警戒心なさすぎなんですもん」
強く机上に叩きつけると、書類が空に舞った。
ばさばさと崩れ落ちた書類を拾いながら、乱菊を見上げた。
強がった目が訴えるのは不安だと察する。
まさか姫が裏切り行為をするような器ではないことは十二分に承知しているが、 日番谷の心中は彼女を引き留めたいと声を大にして叫ぶ。
「……何だよ、それは」
「大分前の事なんですけどね。用事で流魂街に行ったんですよ。他の隊でしたっけ……背が高くて市丸隊長みたいな感じの男性と仲良さそうにしてましたよ」
「……で?」
間髪入れずに乱菊は答える。
「お墓です」
まだまだ付き合いはじめたばかりで仲は浅い。
こんなにも早く訪れるとは想像にもしなかった倦怠期なるもの。
騙しを物ともしない少女ではないと思うが、冷静になれない自分がいて。
「悪ぃな、すぐ戻る」
十の字が眩しい隊長着をはためかせ、裾が舞い上がった時にはもう彼の姿はなかった。
「姫に限ってそんなことは断じてないですよ。他人の恋愛どうこう言う前にまず自分の事を先に考えればいいのに……」
口を開けば、日番谷の事ばかり口にする。
壊れた物のように、何度も何度も繰り返し。
「姫が心変わりなんて……天地がひっくり返っても有り得ませんよ」
見知った風景でも長きに亘り、目に触れぬそれは見慣れない。
こんなにも質素でひっそりとしていただろうか。
羽織が目立つせいか民衆の目が痛い。
「っ……俺は何やってんだよ……」
こそこそと盗人のような真似をして。
知人に見つかりでもしたら、姫に何を言われるか。
地位を貶おとしめる以外の何にもならない。
子供だからだ、と開き直ればそれまで。
だが自尊心がそれを許さない。
家から近い墓なら角を曲がってすぐ、記憶が正しければそのはずだ。
季節的に花を持ってくる者など墓守でもいない。
墓地で待ち合わせる奇特な恋人同士がいるとするなら、目の錯覚だと思いたいが目の前には仲睦まじい二人が墓前に花を添えている。
姿は見なくとも霊圧だけで水音だと分かる。
雲のようにふわふわとしていて、小さいけれどどこか温かい。
相手の男の顔は見えず、後姿しか確認できなかったが市丸によく似た背丈で身も細かった。
死覇装ではなく安っぽい色落ちした着物を身に纏っているところから見るに、流魂街の出身者だろうか。
「汚れ、ちゃんと落ちた? 苔がこべりついてたねぇ……」
「大まかなとこは取れたけどもっと先が細かいヤツじゃないと取れないって。……っと、水切れたみたいだから汲んでくるよ」
桶を脇に抱えて男の姿が見えなくなるまでじっと待った。
姫はその後姿に手を振り続け、影形が消えると墓前に向き直る。
「……今年は寒かったんじゃない? こっちも寒かったんだけど……そっちはどう? って聞くのもヘンかぁ……でもね、無事でやってるから心配しないでね」
墓石を労わるように撫でながら、とてつもなく無防備な背中。
日番谷はその機を見逃さず、咄嗟に姫の背後に躍り出た。
霊圧に気付く余裕もないのか、もしくは気付いていないだけなのか。
姫は一向に振り向こうとはしない。
「姫」
堪らず声を掛けて、ようやく日番谷の存在に気が付いて振り返ると目を丸くしていた。
距離を縮めて、やっとのこと。
聞きたいのは何でここにいるのか、不思議で仕方のない事…ただそれだけ。
「冬獅郎……! どうして」
「アイツ、誰だよ」
「……は?」
「だから誰だっつってんだよ!」
「憶えてない? 冬獅郎の知ってる人だよ」
「それは認めてんだな。……で、こそこそ会ってた、っつーわけか」
とうとうか、と覚悟はしていた。
これから同じ隊で自然に顔を合わせることができるだろうか、と。
そんな黒い靄(もや)を破ったのは誰でもない姫だった。
「こそこそする必要なんてないもん。私の弟なんだから」
「……弟?」
「……そう、弟。冬獅郎が死神になる前は小さかったから憶えてないのは当たり前だよね」
「憶えてねぇなぁ……。……つーか何年もの間にあんだけ成長するのも珍しいんじゃねぇか? ……ん?」
姫は手を叩いて大きく笑った。
隣にいる男が気になって仕事を抜けてきた、なんて有り得ない。
目で追うのはいつも私の方だったのに、彼が嫉妬なんて失礼だけど可笑しすぎる。
真っ赤になって睨まれても説得力はない。
「やっだぁ~……私がそんなことするわけないじゃない」
「もしかしたら、あるかもしんねぇじゃねぇか」
「嫉妬……してくれたんだ」
「……全部お前の所為だろ。俺は一切悪くねぇ」
命を繋ぐ心の核・心臓はあれど心はもう道端で彷徨ってはいない。
妬く心があるというなら一生縛り付けるだけ。
「私が好きなの、冬獅郎なのにな」
「……そりゃ有難いこったな」
「本当だってば。ねぇ」
「わかったって」
日番谷の顔を覗き込んだら、視界が銀色一面で埋め尽くされた。
口の自由を奪われているのに気付いたのは少し後になってからで、酒を口にしたような高揚感で酔わされていたようだ。
まだ始まったばかりで先は見えないけれど。
二人を縛る糸が一瞬だけ見えた。