捧げ物
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色付く花に春の気配を感じずにはいられない。
桜色が広がって死神たちはすっかり浮かれている。
花見の季節に誕生日。彼は知らないだろうな。
誕生日がいつだ、と話した事もないのだから。
誕生日の代わりに花見ができたらそれでいいのだけれど。
三番隊も話題は桜一色。
予め仕事を済ませておいたのでその点は問題ない。
普段ならイヅルにガミガミと説教されそうだが、既に仕事は済ませてある。
口の出しようがない筈だ。
隊内は酒の匂いで満たされていた。酒瓶やらお猪口は散らかり放題。
「綺麗に咲きましたね、ちょっとだけ遅かったみたいですけど」
「そやなあ……他の隊も花見やっとるみたいや。いつもはゆっくりする暇ないからなァ」
「吉良副隊長からいっつも逃げてるじゃないですか。それは暇だってことです」
「一緒におる時間ないやんか……」
「隊長と平。それは仕方ない事ですし……気になさらないで下さい」
「遠回しやなぁ…ボクがさっさと上に……」
「光栄ですけど、お断りします。主義を存じていらっしゃるでしょう?」
「言うと思たわ。姫がそのつもりやったらボクは何もせんよ」
実力でのし上がるならまだいいけれど、まるで彼の権威を利用するために付き合っているようだったから断った。
近付くなら自分の力で近付きたい。まだまだ遠い道程ではあるけれど。
仕事をこなせどもまだまだ新米。剣の腕も市丸の足元にも及ばない。
才はからっきしでも時間を共有できることは嬉しい。
そして一日の終わりは直ぐにやってくる。
「何か嫌なんですもん。……賄賂みたいで」
「悪い事してへんのに?」
「してはいないんですけどそんな気になってしまって」
「変な子やな……ほんまやったら有難く受け取ることなんよ?」
「変でいいんです。私がこんな死神だ、ってご存知のはずですし」
「端(はな)から頷いてくれるとは思わんかったけど一刀両断されるとはなぁ……」
「その節はすみません……」
そう、一般の部下なら有難く受け取らねばいけない話だ。
気に入られているなら尚更蹴ってはならない。
平であるならば寧ろ好機。
取り入り、右腕となるよい機会ではないか。
だが敢えて姫は昇進を蹴った。
市丸の方も姫が蹴る事は重々承知していたようで、その話は水に流されたが。
上下関係で共にしているのではなく、愛情でも結ばれていると思っているのはこちらだけかもしれないけれどいつでも対等でいたいのだ。
立場こそは対等になれないけれど気持ちの上は同じ位置でありたい。
同期で姫と同じ平の者からは「贅沢だ」と罵られ、詰られるだろうが。
「姫がそれでええんやったらそれでええんよ。そら……ちょっとは気に入らんけど」
「あのお話を蹴ったからですか?」
地に這い蹲つくばって生きる姿は痛々しく、浅ましいのだろうか。
見苦しく見えるのか、とさえ感じ取る。
裕福とは程遠い生活。
一時の贅沢も許されず、その場その場を懸命に生きる。
市丸とは360度、いやもっと。かけ離れているかもしれないけれど。
隊長と平。同情でも哀れみでもない。
単純な優しさでも受け取るわけにもいかず。
突き放したのではない。
ただ自尊心が邪魔をして蹴ってしまった。……有難いお話を。
「他の平の子やったらそないな真似せんやろ? 楽して昇進したかったら、気に入られたらそれだけでええ生活が待っとる。……でも姫はそれをせぇへん」
「いくら貧しくても思うようにいかなくても……充実してますから。ですから私は……平でいいんです」
市丸の手を取れば贅沢も叶う。
切羽詰ることもなくなる。
母に十分な仕送りができるだろうし、改装でも何でも思いのまま。
夢見る贅沢な暮らしは姫の頷きひとつで叶うのだ。
隊長格ともなればある程度の事なら自由がきくのだろう。
一隊を任される隊長なのだから当然といえば当然だけれど。
尊敬と共に恐怖さえ感じる。
興味が失せたらいずれは消されてしまうのだ、と。
「欲がないなぁ……牛耳ったろか、とかないんかいな」
「恐れ多いですよ。どちらかというと利用されるかもしれないですけど」
「お人好しやもんなぁ……十分に有り得るわ」
「あ、お酒が……」
市丸が差し出したお猪口に滴が二滴、三滴と落ちる。
酔った素振りひとつも見せないから気付くことができなかった。
一升瓶が空になってしまう程に飲んでいたらしい。
「なくなったみたいです……」
「そない飲んだ気せぇへんけど?」
「いいえ飲みましたよ。見ての通り空っぽでしょう?」
「……ボクの所為なん?」
「飲んだ記憶もないんですか。私は1、2杯お付き合いしただけですから」
「今日ぐらい許したってぇな……なぁ、姫。ええやろ?」
今日ぐらい。
吉良副隊長が発するならまだしも……貴方が言うべき事ですか。
真面目な態度が見られるのは指で数えるほどしかないのに。
甘えに弱い事を熟知していて良い意味で利用する。
惹かれてしまうトーンを落としたような声で囁かれても頬を染めてはいけない。
彼をつけあがらせる材料になるだけなのだから。
「いくら飲んだと思ってるんですか……一升瓶ですよ? 一升瓶!!」
「もうちょいだけ。な、ええやろ?」
「まだ飲むつもりですか……明日も仕事ですよ?」
「大丈夫やって。ボク酒には強いから」
「そういう問題じゃないんですけど……」
負けじと固く決めた誓いも力尽き敗れ去る。
少しだけならまあいいか、と甘やかしてしまうのがいけないのだろう。
どこからか取り出した酒瓶を市丸にひとつ差し出した。
「コレで最後ですからね。今日は後にも先にもこれっきり、一本だけ」と添えて。
「まだ雀の涙ほどしか呑んでへんやろ?」
「……もう出しませんからね。泥酔しておぶって帰るなんて嫌ですもん」
「姫にそんなんさせへんて。おぶられるんは姫や」
「私はちゃんと帰れますから大丈夫です」
「そない警戒せんでも取って食おうやなんて思ってないて。……そや、姫」
咲き乱れる桜に激しく、燃えているような夕日の色が混ぜられる。
美しく咲いた後は儚く散らされていく。
ちょっとした風でさえも仲間をひとつひとつ剥いでいってしまうのだ。
「……はい?」
「これから……後、時間ええ?」
「構いませんけど……何でしょう?」
「今は言えへん。この後、隊首室までおいで。待っとくから」
髪に熱を残して立ち去る市丸を姫はじっと見つめていた。
ぱたりと閉められる障子。
(ここで話せば良いのに……)
隠れて話さずともここで話してくれさえすればいいではないか。
どこかいつもと調子が違っていたように感じるのは気のせいか。
妙に浮ついた視線。
ただただトクトクと酒を喉の奥に流し込み、どこか途切れ途切れの時間が流れる。
穏やかな時間の流れを受け入れ、照れを偽るように酒を飲み干して。
彼の背中を見つめるようになった原因は元よりない。
入隊する以前から良くも悪くも高名だった。
日毎に隣に佇む女性は替えられて失望させられたこともあったが、浮気性なのか飽き性なのかはわからない。
途切れがちの会話も慣れでいつしか繋がるようになり、惹かれてしまうまでに至っていた。
今でさえいまいち人柄を掴めていないような気もするけれど。
気付いてしまった気持ちにどうしようどうしようと日夜悩み、市丸本人に呼び出されて告げられてしまった。
心の奥底に深く潜んでいた気持ちを。
そして長い月日を経て未だ隣の席という名の空間に座っている。
望んでも良いだろうか。まだ、隣にいてもいいか、と。
「三番隊・姫です。市丸隊長はいらっしゃるでしょうか」
「入り」
小声で笑う市丸の影が障子に映し出される。
正座したまま障子を開いて足を崩さぬまま障子を閉じた。
「そないに畏かしこまらんでもええよ? 膝、痛いやろ」
「いえ……大丈夫です」
笑う市丸を見上げて姫は立ち上がる。
多忙など欠片も感じない片付いた部屋。
というよりもあまり使っていないのだろうが。
「何で呼ばれたか見当つくやろ?」
「いえ……私がお聞きしたいくらいで……」
「鈍いなあ……詰所やったら都合悪いからわざわざ足運んでもろたのに」
「気にすることないじゃないですか。詰所で言って下されば良かったのに」
掴み所のない雲のように自由を流れる。
自由気ままで強引で。
人目を気にするなど柄でもない。そう思いはしても姫は口にしなかった。
「よそ様に見られて噂になって困るんは姫やろ」
「もう慣れましたよ。……そういうようなことは聞かない事にしてますから」
「……姫。今日は何の日や?」
「……何もないですよ。普通の日……」
「しらばっくれんでもわかっとるやろ? くどいぐらい単刀直入に言わなわからんか? 姫の誕生日やん。今日は姫の日や」
「ご存知だったんですか? ……私、てっきり……」
誕生日はただの通過点。
物を贈られる為の日ではない。
品を贈られることは望んではいない。
欲するは価値をつけられぬ言葉ひとつ。
祝いの言葉ひとつで胸が弾む。
「おめでとう」ひとつで癒され、満たされるのだ。
「三番隊に入隊した時の書類でな、知ったんや」
「私は隊長の誕生日すら知らないのに……ズルイです」
「ボクは秋や。……一隊長の特権やな」
「また調子いいことばっかり……」
市丸は懐を探り、潜めておいた小袋から青の箱を取り出す。
箱の口を開けると銀の輪が姿を見せた。
何処かで見たことがある。
何処だったろうか。
そう、現世で見た物だ。
異国の衣服を纏いし女たちが黄色い高らかな声をあげながら、熱心に見ていたか。
「指輪……とかって言うんですよね。それ、現世で見ました」
「恋人持ちはここの指にはめるんやて。姫、手だしてみ」
以前見た物よりも細く、指にはめても不自然ではなく肌に馴染む。
それは薙葉の薬指にストン、と落とされた。
「あんまり目立たんやろ? 死覇装で隠れてまうけどな」
「誕生日だからって物を贈って頂かなくてもいいですのに……」
「ええ機会やろ? 姫の周りは危ない連中しかおらんのやから」
無意識に男共をごく自然に惹きつけている。
ただの会釈が何気ない挨拶が引き金になっているとも知らずに。
犯罪に該当する笑顔という凶器を内に潜ませている姫の虜は増えるばかり。
市丸も被害者の一人となった。
時の経過とともに敵は増殖し、見えぬ牙を研ぎ澄ませているだろう。
指輪は横恋慕防止の警告。
もう触れてはならない、と。
「死神はみんなそうじゃないですか。そういう仕事なんですから」
「ボクがいう危ない言うのんはみんな男やで? おるやろ、三番隊にも」
「一番隊でも二番隊でも……何処の隊にでもいるじゃないですか。どうしたんですか?」
「まだわからんか? 思ってるより狭量なんよ、ボクは」
ひとつ所に閉じ込めおかなければ忍びやってくる不安。
不覚にも溺れている事は確かで。
自己の為に付き合いを制限させるなどとは勝手とは思うが。
自分でも内心呆れてしまうほどだ。
数ほどいる中の一人に悩まされるとは。
「……そんなこといったら仕事できないですよ……」
「無意識が一番怖いんや。気にならん? 周りの目が」
「いえその……色んな意味では気になりますけどね」
「目の届く範囲内だけでも……我慢でけへん。気、移るやろから」
「いいえ……ありがとうございます。誕生日なんて必要ないなんて思ってましたけど、
今日からは楽しみにします。だって……」
「何や?」
小声で囁く姫の何とも言えぬ表情といったら。
全ての思考回路を遮断し、抱き締めたい衝動に駆られる。
触れて寄せて口づけて。
息が苦しくなるほどに腕に力を込めると、姫は市丸を見上げた。
今はこの関係が心地いい。
甘い鎖で繋がるのならば本望だ。
薬指には金属色に輝く輪の鎖が誇らしげに光る。
桜色が広がって死神たちはすっかり浮かれている。
花見の季節に誕生日。彼は知らないだろうな。
誕生日がいつだ、と話した事もないのだから。
誕生日の代わりに花見ができたらそれでいいのだけれど。
三番隊も話題は桜一色。
予め仕事を済ませておいたのでその点は問題ない。
普段ならイヅルにガミガミと説教されそうだが、既に仕事は済ませてある。
口の出しようがない筈だ。
隊内は酒の匂いで満たされていた。酒瓶やらお猪口は散らかり放題。
「綺麗に咲きましたね、ちょっとだけ遅かったみたいですけど」
「そやなあ……他の隊も花見やっとるみたいや。いつもはゆっくりする暇ないからなァ」
「吉良副隊長からいっつも逃げてるじゃないですか。それは暇だってことです」
「一緒におる時間ないやんか……」
「隊長と平。それは仕方ない事ですし……気になさらないで下さい」
「遠回しやなぁ…ボクがさっさと上に……」
「光栄ですけど、お断りします。主義を存じていらっしゃるでしょう?」
「言うと思たわ。姫がそのつもりやったらボクは何もせんよ」
実力でのし上がるならまだいいけれど、まるで彼の権威を利用するために付き合っているようだったから断った。
近付くなら自分の力で近付きたい。まだまだ遠い道程ではあるけれど。
仕事をこなせどもまだまだ新米。剣の腕も市丸の足元にも及ばない。
才はからっきしでも時間を共有できることは嬉しい。
そして一日の終わりは直ぐにやってくる。
「何か嫌なんですもん。……賄賂みたいで」
「悪い事してへんのに?」
「してはいないんですけどそんな気になってしまって」
「変な子やな……ほんまやったら有難く受け取ることなんよ?」
「変でいいんです。私がこんな死神だ、ってご存知のはずですし」
「端(はな)から頷いてくれるとは思わんかったけど一刀両断されるとはなぁ……」
「その節はすみません……」
そう、一般の部下なら有難く受け取らねばいけない話だ。
気に入られているなら尚更蹴ってはならない。
平であるならば寧ろ好機。
取り入り、右腕となるよい機会ではないか。
だが敢えて姫は昇進を蹴った。
市丸の方も姫が蹴る事は重々承知していたようで、その話は水に流されたが。
上下関係で共にしているのではなく、愛情でも結ばれていると思っているのはこちらだけかもしれないけれどいつでも対等でいたいのだ。
立場こそは対等になれないけれど気持ちの上は同じ位置でありたい。
同期で姫と同じ平の者からは「贅沢だ」と罵られ、詰られるだろうが。
「姫がそれでええんやったらそれでええんよ。そら……ちょっとは気に入らんけど」
「あのお話を蹴ったからですか?」
地に這い蹲つくばって生きる姿は痛々しく、浅ましいのだろうか。
見苦しく見えるのか、とさえ感じ取る。
裕福とは程遠い生活。
一時の贅沢も許されず、その場その場を懸命に生きる。
市丸とは360度、いやもっと。かけ離れているかもしれないけれど。
隊長と平。同情でも哀れみでもない。
単純な優しさでも受け取るわけにもいかず。
突き放したのではない。
ただ自尊心が邪魔をして蹴ってしまった。……有難いお話を。
「他の平の子やったらそないな真似せんやろ? 楽して昇進したかったら、気に入られたらそれだけでええ生活が待っとる。……でも姫はそれをせぇへん」
「いくら貧しくても思うようにいかなくても……充実してますから。ですから私は……平でいいんです」
市丸の手を取れば贅沢も叶う。
切羽詰ることもなくなる。
母に十分な仕送りができるだろうし、改装でも何でも思いのまま。
夢見る贅沢な暮らしは姫の頷きひとつで叶うのだ。
隊長格ともなればある程度の事なら自由がきくのだろう。
一隊を任される隊長なのだから当然といえば当然だけれど。
尊敬と共に恐怖さえ感じる。
興味が失せたらいずれは消されてしまうのだ、と。
「欲がないなぁ……牛耳ったろか、とかないんかいな」
「恐れ多いですよ。どちらかというと利用されるかもしれないですけど」
「お人好しやもんなぁ……十分に有り得るわ」
「あ、お酒が……」
市丸が差し出したお猪口に滴が二滴、三滴と落ちる。
酔った素振りひとつも見せないから気付くことができなかった。
一升瓶が空になってしまう程に飲んでいたらしい。
「なくなったみたいです……」
「そない飲んだ気せぇへんけど?」
「いいえ飲みましたよ。見ての通り空っぽでしょう?」
「……ボクの所為なん?」
「飲んだ記憶もないんですか。私は1、2杯お付き合いしただけですから」
「今日ぐらい許したってぇな……なぁ、姫。ええやろ?」
今日ぐらい。
吉良副隊長が発するならまだしも……貴方が言うべき事ですか。
真面目な態度が見られるのは指で数えるほどしかないのに。
甘えに弱い事を熟知していて良い意味で利用する。
惹かれてしまうトーンを落としたような声で囁かれても頬を染めてはいけない。
彼をつけあがらせる材料になるだけなのだから。
「いくら飲んだと思ってるんですか……一升瓶ですよ? 一升瓶!!」
「もうちょいだけ。な、ええやろ?」
「まだ飲むつもりですか……明日も仕事ですよ?」
「大丈夫やって。ボク酒には強いから」
「そういう問題じゃないんですけど……」
負けじと固く決めた誓いも力尽き敗れ去る。
少しだけならまあいいか、と甘やかしてしまうのがいけないのだろう。
どこからか取り出した酒瓶を市丸にひとつ差し出した。
「コレで最後ですからね。今日は後にも先にもこれっきり、一本だけ」と添えて。
「まだ雀の涙ほどしか呑んでへんやろ?」
「……もう出しませんからね。泥酔しておぶって帰るなんて嫌ですもん」
「姫にそんなんさせへんて。おぶられるんは姫や」
「私はちゃんと帰れますから大丈夫です」
「そない警戒せんでも取って食おうやなんて思ってないて。……そや、姫」
咲き乱れる桜に激しく、燃えているような夕日の色が混ぜられる。
美しく咲いた後は儚く散らされていく。
ちょっとした風でさえも仲間をひとつひとつ剥いでいってしまうのだ。
「……はい?」
「これから……後、時間ええ?」
「構いませんけど……何でしょう?」
「今は言えへん。この後、隊首室までおいで。待っとくから」
髪に熱を残して立ち去る市丸を姫はじっと見つめていた。
ぱたりと閉められる障子。
(ここで話せば良いのに……)
隠れて話さずともここで話してくれさえすればいいではないか。
どこかいつもと調子が違っていたように感じるのは気のせいか。
妙に浮ついた視線。
ただただトクトクと酒を喉の奥に流し込み、どこか途切れ途切れの時間が流れる。
穏やかな時間の流れを受け入れ、照れを偽るように酒を飲み干して。
彼の背中を見つめるようになった原因は元よりない。
入隊する以前から良くも悪くも高名だった。
日毎に隣に佇む女性は替えられて失望させられたこともあったが、浮気性なのか飽き性なのかはわからない。
途切れがちの会話も慣れでいつしか繋がるようになり、惹かれてしまうまでに至っていた。
今でさえいまいち人柄を掴めていないような気もするけれど。
気付いてしまった気持ちにどうしようどうしようと日夜悩み、市丸本人に呼び出されて告げられてしまった。
心の奥底に深く潜んでいた気持ちを。
そして長い月日を経て未だ隣の席という名の空間に座っている。
望んでも良いだろうか。まだ、隣にいてもいいか、と。
「三番隊・姫です。市丸隊長はいらっしゃるでしょうか」
「入り」
小声で笑う市丸の影が障子に映し出される。
正座したまま障子を開いて足を崩さぬまま障子を閉じた。
「そないに畏かしこまらんでもええよ? 膝、痛いやろ」
「いえ……大丈夫です」
笑う市丸を見上げて姫は立ち上がる。
多忙など欠片も感じない片付いた部屋。
というよりもあまり使っていないのだろうが。
「何で呼ばれたか見当つくやろ?」
「いえ……私がお聞きしたいくらいで……」
「鈍いなあ……詰所やったら都合悪いからわざわざ足運んでもろたのに」
「気にすることないじゃないですか。詰所で言って下されば良かったのに」
掴み所のない雲のように自由を流れる。
自由気ままで強引で。
人目を気にするなど柄でもない。そう思いはしても姫は口にしなかった。
「よそ様に見られて噂になって困るんは姫やろ」
「もう慣れましたよ。……そういうようなことは聞かない事にしてますから」
「……姫。今日は何の日や?」
「……何もないですよ。普通の日……」
「しらばっくれんでもわかっとるやろ? くどいぐらい単刀直入に言わなわからんか? 姫の誕生日やん。今日は姫の日や」
「ご存知だったんですか? ……私、てっきり……」
誕生日はただの通過点。
物を贈られる為の日ではない。
品を贈られることは望んではいない。
欲するは価値をつけられぬ言葉ひとつ。
祝いの言葉ひとつで胸が弾む。
「おめでとう」ひとつで癒され、満たされるのだ。
「三番隊に入隊した時の書類でな、知ったんや」
「私は隊長の誕生日すら知らないのに……ズルイです」
「ボクは秋や。……一隊長の特権やな」
「また調子いいことばっかり……」
市丸は懐を探り、潜めておいた小袋から青の箱を取り出す。
箱の口を開けると銀の輪が姿を見せた。
何処かで見たことがある。
何処だったろうか。
そう、現世で見た物だ。
異国の衣服を纏いし女たちが黄色い高らかな声をあげながら、熱心に見ていたか。
「指輪……とかって言うんですよね。それ、現世で見ました」
「恋人持ちはここの指にはめるんやて。姫、手だしてみ」
以前見た物よりも細く、指にはめても不自然ではなく肌に馴染む。
それは薙葉の薬指にストン、と落とされた。
「あんまり目立たんやろ? 死覇装で隠れてまうけどな」
「誕生日だからって物を贈って頂かなくてもいいですのに……」
「ええ機会やろ? 姫の周りは危ない連中しかおらんのやから」
無意識に男共をごく自然に惹きつけている。
ただの会釈が何気ない挨拶が引き金になっているとも知らずに。
犯罪に該当する笑顔という凶器を内に潜ませている姫の虜は増えるばかり。
市丸も被害者の一人となった。
時の経過とともに敵は増殖し、見えぬ牙を研ぎ澄ませているだろう。
指輪は横恋慕防止の警告。
もう触れてはならない、と。
「死神はみんなそうじゃないですか。そういう仕事なんですから」
「ボクがいう危ない言うのんはみんな男やで? おるやろ、三番隊にも」
「一番隊でも二番隊でも……何処の隊にでもいるじゃないですか。どうしたんですか?」
「まだわからんか? 思ってるより狭量なんよ、ボクは」
ひとつ所に閉じ込めおかなければ忍びやってくる不安。
不覚にも溺れている事は確かで。
自己の為に付き合いを制限させるなどとは勝手とは思うが。
自分でも内心呆れてしまうほどだ。
数ほどいる中の一人に悩まされるとは。
「……そんなこといったら仕事できないですよ……」
「無意識が一番怖いんや。気にならん? 周りの目が」
「いえその……色んな意味では気になりますけどね」
「目の届く範囲内だけでも……我慢でけへん。気、移るやろから」
「いいえ……ありがとうございます。誕生日なんて必要ないなんて思ってましたけど、
今日からは楽しみにします。だって……」
「何や?」
小声で囁く姫の何とも言えぬ表情といったら。
全ての思考回路を遮断し、抱き締めたい衝動に駆られる。
触れて寄せて口づけて。
息が苦しくなるほどに腕に力を込めると、姫は市丸を見上げた。
今はこの関係が心地いい。
甘い鎖で繋がるのならば本望だ。
薬指には金属色に輝く輪の鎖が誇らしげに光る。