第一章 眼を眩ますは浅葱色
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「ど、どういうこと……?
義孝さん、義孝さんなの!?!」
思わずその男の元に駆け寄ろうとするも、思うように動かず痛みが走るだけだ。
水を浴びてずぶ濡れの自分の身体が、縄で柱に縛りつけられていることに気付いたのはそれからだった。
「……誰と勘違いしているんだ?」
抑揚のない、低い声。
それさえもまぎれなく峯そのものであるのに、その口が告げたのはこちらを突き放すものだ。
「副長、この女どうしますか?」
「素性をとりあえずここで吐いてもらう。お前はもう下がれ」
「へい___それでは」
傷跡の男はどうやらこの部屋から出ていったらしい。
なんとか状況を把握しようと周りを見渡す。
自分がいるのはさほど大きくない部屋で、このオレンジ色の光源は目の前で燃え盛る炎によるものだとわかった。
「……これは夢?」
こちらに近づいてくるその副長と呼ばれた男はやはり、どこからどうみても峯そのものだ。
「お前は一体何処から来た。誰の命を受けて動いている?」
「義孝さんなんでしょう!?どうしてこんな……」
身体は随分きつく縛られているようで、少し動いただけでも痛みが走った。
「話にならんな。よく見ろ、ここがどういう場所だかわからないのか?」
視線を周りに促され、よくこの部屋全体を見渡してみる。
「こ、これって……」
そこにあったのは、悍ましい種類と量の拷問器具だった。
素人目でもわかる禍々しいその道具たちの状態は、かなり“使い込まれている”ようだった。
「痛みを伴いたくなければ今すぐに全て吐くんだな」
死んだはずの峯の姿を見ることが出来て、心臓がはじけるほどの衝撃と歓喜の心が脳を震わせたというのに、現実はどんどんと残酷なまでの不可解な状況を突きつけてくる。
「本当に……峯義孝さんではないんですね……?」
「違うと言っているだろう。
__誰なんだ?そいつは」
“違う”という否定の言葉を改めて突きつけられ、目の前が真っ暗になるようだった。
それならば、何故これほど彼は峯義孝にそっくりなのだろうか。
所謂ドッペルゲンガーだとしても、そうであるとは言えないほどすべてが“同じ”なのだ。
「……私の、死んだ恋人です」
名前の言葉にその男はより一層眉間にしわを寄せた。
「残念ながら、お前のことなど何も知らないし出会ったこともない」
「記憶をなくした、というわけではないんですか?」
「ないな。
お前の質問に答えるのはもう終わりだ。
次はお前が答える番だ」
僅かな可能性すらも悉くつぶされてしまって、ただただ脱力するばかりだった。
「どこから来た__なんて私が一番知りたいです。
だって私はあの時トラックに轢かれて……」
轢かれる瞬間のことを思い出して鳥肌が立つ。
克明にフラッシュバックされるその記憶は紛れもなく事実であったはずだ。
「なのに今の私には怪我ひとつない」
大怪我では済まされないはずの自分の体はどこまでも無傷で、尚のこと気味悪かった。
「……とらっく?なんのことだ」
「え?」
言い慣れなそうに“トラック”を口にする目の前の男。
「まさか知らないなんていいませんよね?
トラックですよ、車の」
「荷車の類か?」
「は?……まあ、そうですけど……本当に記憶喪失なんじゃないですか?」
こちらの発言に更にしかめられた眉と真剣な物言いに、本当に“トラック”を知らないのかもしれないと感じた。
「ご、ごめんなさい!誰にでも知らないことくらいありますよね!アハハ……」
本気で怖い顔をしていたので必死に雰囲気を変えようとするが全くの逆効果なようだった。
「その“とらっく”という荷車に轢かれてお前は屯所内に倒れていたというのか」
「屯所?」
「本当は屯所に忍び込もうとしたんじゃないのか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。屯所って何のことです?私は東都大病院近くの横断歩道にいたはずですけど」
「先ほどからわけのわからない単語を並べて逃れようとしているのだろう」
「それはこっちのセリフです!だいたい倒れていたのならなんでこんな柱に縛りつけるなんてふざけた真似を……」
「言ったろう。今すぐ吐かなければ斬る」
「ひっ……!」
思わず小さく悲鳴が漏れたのは、男が素早く眼前に何かを差し向けてきたからだ。
それが何か理解するのに時間がかかったのは、そへが紛れもなく本物の“真剣”だったからである。
その刀はどうやらこの男の腰に帯刀されていたものらしかった。
よく見れば男は着物を着ていて、まるで時代劇のようだ、などと危機迫る状況の中だというのに考えてしまう。
「己の立場がようやくわかったようだな」
「……私、もしかして死んだの?」
あまりにも、都合が良すぎる。
トラックに轢かれたはずなのに目の前には死んだはずの恋人そっくりの人間がいる。
「頭でも強く打ったのか?まるで話にならんな」
呆れたのか、男は深いため息をつきながら納刀する。
そんなことを言ったって、訳の分からない状況下におかれてため息をつきたいのはこちらの方だ。
「倒れた衝撃か何かで記憶が混濁しているんだろう。
とりあえず今話せることから話せ。お前の名前はなんだ」
「名前は……名前です。苗字名前」
「名前、だな」
峯そのものの声で自分の名前を呼ばれ、ドキリと心臓が鳴る。
「っ……そう、です」
久しぶりに響いたその心地の良い音は、この半年間ずっと探し求めていたものだった。
自分の中でずっとせき止めていたものが一気にあふれ出してきて、涙が流れた。
「……重傷なようだ」
「っすみませ、」
「なにも泣かせることないやろ、歳ちゃん」
そう言って新しく入ってきた男を見て驚いた。
「ご、吾朗さん!?」
いつものパイソン柄のジャケットではないが、惜しげもなく晒された上半身と左目の眼帯。
そしてその軽い口調の関西弁。
それは紛れもなく真島吾朗その人であるのに。
「誰のこと言うてんねや」
“吾朗”という単語を聴いた瞬間に、その眼帯の男は酷く冷たい視線になった。
「名前、お前はこの男と知り合いか?」
峯によく似た男も一層厳しくなったように思える。
「知り合いも何も……嶋野組もとい真島組とうちの組は東城会の古参派として昔から付き合いがあったでしょう!」
峯同様、こちらのことを一切知らないというような態度をとる真島に思わず力が入る。
こちらは藁をもすがる思いなのだ。
「真島組……?
そんなん知らんわ。嬢ちゃん、誰かと勘違いしてるんとちゃうか?」
「なっ、吾朗さんは昔から私と大吾の面倒見てくれてたじゃないですか!
それとも本当に義孝さん同様、真島吾朗じゃないと言い張るんですか!?」
「真島……吾朗。俺はそないな名前とちゃう。
沖田総司や」
「え?」
真島から飛び出した思いもよらぬ名前に硬直してしまう。
「沖田総司?沖田総司ってあの?」
「せや。だから絶対“ごろうさん”なんて呼ぶなや」
目の前の男たちが着物の上に羽織っている羽織の色は浅葱色。
これではまるで__
「新選組だ、とでも言いたいんですか」
「なんや、嬢ちゃん。それ知らんでこないなとこおるんかいな」
嫌な汗が頬を伝う。
いやまさか、そんなことが起こるはずはない。
「__新選組っていったらまさか今は幕末……江戸幕府の時代だなんていいませんよね?」
「幕府が江戸やないっちゅうんやったらなんや言うねん」
当たり前のように発せられる言葉から、どうやら突飛だと思われた発想は正解の様だと悟る。
「私、タイムスリップしちゃったの……!??!」
ある意味最悪ともいえる状況で、なんと自分の幕末ライフは強制スタートしてしまったらしい。