神奈川選抜

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神宗一郎と恋するお話
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食べ終わった選手達は莉子や彦一に『お疲れさん』や『ご馳走さん』『ありがとうな』と声を掛けると食堂から出ていく。

神は席に座ったままお茶を飲みつつ時間を潰していた。その理由は莉子と二言以上話すためだ。

みんなからお礼を言われ嬉しそうに笑う莉子を見ているとなんだか緊張してきた。

神はモテるが恋愛経験はない。そんな自分が莉子を楽しませる事ができるのだろうか…。

しかし莉子の笑顔を見ていると不安よりも莉子への好奇心が大きくなってワクワクしてくる。

神「……」(数少ない木村さんと話すチャンスだ…ここは慎重に…)

一言で終わりたくない。自分も莉子と楽しい時間を過ごしたいし、できれば好印象を持ってもらいたい。

その為にはどんな言葉をかければいいんだろう?

ジッと莉子と仙道を観察する。

仙道「料理上手だな。スゲー美味かったよ」

莉子「ありがとうございます。みんなで頑張ったんです」

と嬉しそうに笑う莉子

神(本当…可愛いなぁ…)

莉子の顔を見てホワッと心が和むのを感じた。

神はコトリと音をたてコップをテーブルに戻すと頬杖をついて楽しそうに話す莉子と仙道に視線を送った。

男らしく端正な顔立ちをした仙道と可愛らしさを残しつつも綺麗で上品な顔立ちをした莉子が並ぶと映画のワンシーンの様に絵になって神は(お似合いだな…)と思った。

チクンと胸に痛みを感じた様な気がして神は胸に手を当てた。

神「……」(こんなの俺らしくない…)

頭と心がバラバラで自分の気持ちがわからなくなる。

ここにはバスケをしに来ている。今、一番優先すべきはバスケであり『神奈川選抜』だ。

神(頭じゃわかってるんだけど…)

莉子と楽しそうに話す仙道を見て羨ましくて仕方ない。今すぐにでも2人の間に割って入って引き離してしまいたい。

自分も莉子を笑顔にしたいしその笑顔を独り占めしたい。たくさんの時間を一緒に過ごしたい。

そして誰も知らない一面を知りたい。できれば誰よりも多く…。

心が莉子を優先したがっている。

そんな渇望に(俺じゃないみたいだ…)と戸惑った。

バスケを頑張りたい。国体の経験を活かして冬の大会では3年に全国制覇をプレゼントしたい。

桜木ともまた対戦したい。そして今度こそは絶対に勝つ。

恋愛なんかしてる場合じゃない。どうやって声を掛けようかなんて考えてる時間なんかないんだ。早く食堂から出て体育館に向かっていつもの自主練習を始めないといけないんだ。

わかっているのに莉子に話しかける為に今だに席を立たずに機会を伺ってしまう自分…。

神(わかってるのに体が動かない…)

『はぁ…』とため息をついて頭を抱える。

莉子「?」

ため息が聞こえたのか莉子が不意に神の方へ振り返った。

神「‼︎⁉︎」

神の肩が驚きと動揺でビクッと揺れた。

莉子が再び仙道の方へ向き直り何かを言うと仙道はニコッと笑うと福田と共に食堂を出て行った。

莉子が神の所にやってくる。

莉子「大丈夫ですか?」

神「え⁉︎あ…あ…」

突然話しかけられ、神は言葉に詰まり黙り込んでしまった。

静まり返った食堂に今、莉子と2人っきりなんだと痛感し血液が沸騰したのか思うほど心と体が熱くなった。

莉子「…もしかして熱があるんじゃ…」

真っ赤な顔をした神を心配し顔を覗き込む莉子

神「‼︎⁉︎」

眉尻が下がり心配そうな瞳で見つめられ心臓に痛みを感じるほど高鳴った。

初めて見る莉子の表情に神は思わずのけぞる様に立ち上がるとガタンとテーブルが大きな音を立てた。するとテーブルに置いたコップがグラリと揺れた。

莉子「あ!」

莉子はコップの落下を阻止しようと手を伸ばす。トンッと軽く莉子の体が触れた。女の子特有の柔らかさを感じたとたんアルコール度数の高いお酒を飲んだ時の様にギューと胃が縮み上がった。

パシッと莉子がコップを掴むとホッとした様に『セーフ』とへにゃりと笑う。

またしても『初めての表情』を目撃し、それに加え超至近距離という事も相まって神の緊張は最高潮を迎えた。
 
今にもひっくり返りそうだ。

神(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい‼︎)

神は慌てて莉子から離れる。

慌てふためきガタンガタンと椅子にぶつかりながら自分と距離を取ろうとしている神を莉子は不思議そうに首を傾げ見つめている。

莉子「…神さん…?どうしたんですか?」

神「‼︎⁉︎」

莉子の口から自分の名前が紡がれる。その破壊力たるや相当な威力だった。

神(な、名前…呼ばれた…!)

頬に熱を感じ口元が緩む。喜びを隠しきれず神は手で口を隠した。

神(いやいやいや…単純すぎるだろ…俺…。しかも名前って言っても苗字だぞ…。今までだって他の女の子に散々、呼ばれてるのに…)

莉子相手だとこんなに胸が高鳴るのか…と戸惑った。

好きになったら絶対に面倒なことになる。それがわかるから好きになりたくないのにドキドキとうるさい心臓がすでにお前は莉子を好きなんだと訴えてくる。

神(か、勘弁してくれよ…)

莉子「…もしかして吐きそうなんですか?」

と口元を隠しているせいだろうか、そんな事を言いながら青ざめた表情の莉子が近づいてきて背中に手を置いた。

瞬間に香る制汗剤の香りにクラッとした。

莉子「だ、だ大丈夫ですか?」

ひんやりとした柔らかい手のひらが神の背中をゆっくりと上下に動く。

冷たい手のひらから伝わる温もりに腹の底から這い上がってくる愛おしさを必死に抑え込む。

神「……」(…た、耐えろ…俺…)

力一杯抱きしめたい衝動を必死に抑える神。

口元を押さえたまま何も言わない神に吐きそうなんだと解釈した莉子はもう片方の手で椅子を神の方へ引き寄せると『ここに座って下さい』と促す。

神はハッとした。莉子が勘違いしている。神は慌てて莉子の手から離れ『だ、大丈夫…。ごめんね。勘違いさせちゃって…』と笑う。

莉子はジッと神を見つめ『大丈夫なんですか?体調不良じゃないんですか?』と首を傾げた。

神「…う、うん…紛らわしい事してごめんね」(そんな潤んだ目で見ないでくれ…)

他人から心配されてこんなに嬉しいのは初めてだった。

必死に抱きしめたい衝動を抑える神。

莉子「よかったぁ。体調悪いのかと思ってびっくりしちゃいました」

と安心したように笑う莉子に神はキュンとした。

愛おしい…

次々と溢れてくる愛おしさを必死に押さえ込む。

好きになりたくない神は莉子を好きだと気付きたくない。

込み上げてくるモノに蓋をして心の奥底に鍵をかけてしまっておきたいのに、なぜだか自分が莉子をどう思ってるのか知ってもらいたくてどうしようもない。

だから込み上げてくるモノの中から一番『好き』とは遠いモノを口にする。

好きだと気付かないように、好きだと気付かれない様に…

神が乱した椅子を整える莉子を手伝い、コホンと咳払いをしてから声を掛ける。

神「…今日は…色々…本当にありがとう…」

突然感謝を伝えられた莉子はキョトンとしている。

莉子「…え?」

戸惑う莉子に神は慌てて補足を加える。

神「信長の事とか食事のフォローとか…ウチの一年がたくさん迷惑かけて助けてもらったから」

『だから、ありがとうってコト…』と笑う。

神の言葉を聞いた莉子が手をブンブン振った。

莉子「そんな…私は何も…彦一君や田中君も手伝ってもらったからできた事で…」

と恥ずかしそうにはにかむ莉子に神は素直に言ってよかったと思った。

神「……」(この子が笑うとホッとするな…)

さっきまで緊張していたのが嘘の様に肩の力が抜ける。

もっと笑って欲しい。

神「木村さんはめちゃくちゃ凄いよ」

もっと笑って欲しくて自然と出た言葉だった。

莉子「へ…」

驚いた顔をする莉子を見て神はもっともっと自分の目に映る莉子の話をしたくなった。

神が頭を掻く。そして『だってさ…』と言葉を紡いでいく。

神「信長に罵倒された時…俺、絶対に泣くって思った…。よく泣かなかったよね…。みんなすごいって感心してたよ」

と言うと莉子が気まずそうに苦笑いを浮かべる。

莉子「…だって私が泣いたら清田君が悪者になっちゃうから…」

神「え?」

莉子「私の不要な言葉で清田君を悪者にさせるわけにはいきませんから」

神「だから言い返したの?」

莉子「はい。私が言い返せば喧嘩両成敗になるかなって…でも結局、随分と怒られたみたいですけど…」

『申し訳ないことしちゃいました…』と苦笑いを浮かべる莉子

椅子を綺麗に並べ直し『よしっ』と満足げな莉子の横顔を見つめる。

あの行動は清田の為だったんだと知った神の胸は一杯になった。

神(この子…本当にすごい…)

感心と同時に尊敬の念を感じる。自分だったらどうするだろう?一生懸命やっていることを『雑用』と一蹴されたら?仲間だと思っている人から『外野』と言われたら?

さすがに喧嘩はしないだろうけど…。でも清田が『悪者にならない為』の行動をしなきゃなんて思い付きもしないだろうなとは思う。

神(こんなに人に寄り添える人なんて初めて見た…)

心の奥に鍵をかけたモノが出してくれと震え出すのを感じた。

神(あぁ…ヤバい…)

早く蓋をしなきゃいけない。莉子への想いは神にとって危険だ。頑張りたいこともやるべき事もたくさんあるのに全てを投げ出してし莉子に振り向いてもらう事に全力を尽くしてしまいそうだ。

そんな自我が保てない様な恋愛なんて怖すぎる。『冷静沈着』な俺でありたい。

でも莉子はそれだけの魅力がある。だって初めて見た時、心臓を撃ち抜かれたんだから…

恋愛経験のない神にとって莉子への感情は未知のモノだ。怖くてしかたない…。

神(今は恋愛なんてしてる場合じゃない…牧さんが引退したら俺がキャプテンにって言われてる…17年連続出場を終わらせる訳にはいかないんだ…)

制御ができる内に莉子への想いはしっかりともっともっと厳重に蓋をして鍵をかけてしまっておくことにした。

神「俺、もう行くよ」

莉子「はい」

神が食堂から出る時、神は振り返った。

神「…ごちそうさま…すごくおいしかった」

莉子「よかったです」

莉子の返事に神はニコッと笑うと食堂を出た。そのまま体育館に向かいやるべき事を始めた。

はずなのだが…

ガツン!

誰もいない体育館。いつも通り練習を開始したが大きな音を立ててボールがゴールに弾かれ端っこまで転がっていく。

神「はぁ…、はぁ…、はぁ…」

テン、テン、テンと転がるボールを横目に膝に手をつきシャツの裾で汗を拭う。

神(全然、入らない…)

『クソッ』と拳を握った。原因はわかってる。

莉子だ。

神(木村さんが悪い訳じゃないけど…彼女が頭から離れない…)

さっきから莉子の顔がチラついてしかたない。

泣きそうな顔に笑った顔、一生懸命に仕事をする横顔…

今日見た莉子が次々と現れては神に『諦めて本当に後悔しないのか?』と聞いてくる。

莉子と離れてから1時間半経った。投げた本数は110本ほど、入った回数は…。

神(このままじゃ入らない感覚を覚えそう…)

入らないシュート練習を続けても意味がない。

神は初めて練習を中断した。

神「はぁ…明日から仕切り直しだ…」

神は明日に賭けることにして体育館の片付けをし早々にシャワーを浴びた。

シャワーを浴びた神が部屋に戻ろうと渡り廊下を歩いているとプールの方へと誰かが歩いて行くのが見え足を止めた。

神「ん?誰だ…?」

窓から外をジッと覗き込む。月明かりの下を歩く人影は莉子のように見えた。

神「…ダメだ…全部、木村さんに見える…」

ガクッと項垂れた。

ウンザリだ。どこまでも莉子莉子莉子莉子‼︎何が鍵をしてしまっとくだ‼︎何一つできていないじゃないか‼︎‼︎‼︎

人影は建物で見えなくなった。

神(部屋に戻るか…)

踵を返し部屋に戻ろうとするがすぐに足を止める。

神(だけどもしさっきの人が本当に木村さんだったら…?)

正確な時間はわからないが9時は過ぎているはずだ。帰り道はあの飲み屋街を通るのに1人で大丈夫なはずない…。莉子は目立つのだ。

神「…確認しなきゃ…」

神はプールへと急いだ。




プール前

莉子はゴクっと唾を飲み込んだ。

更衣室へと続く道は真っ暗だ。それは得体の知れない世界に続いてるかのように見えて莉子は狼狽えた。

莉子「……」(どうしよう…怖い…)

月明かりは雲で見え隠れしていて常に照らしてくれるわけじゃない。真っ暗な通路に怯え立ち止まる。来た道を戻ろう…。どこかに電気のスイッチがあったのを見落としたのかもしれない。

莉子が来た道を戻ろうとした時、後ろからトットットッと軽快に走ってくる足音に気がついた。

明らかに自分へ向かって走って来ている。

莉子(誰か…来た…?)

気付いた瞬間、莉子の体が石の様に固まった。

莉子(逃げなきゃ…)

目の前には真っ暗な道が続いている。隠れる様な物影もない。逃げる術がない。

莉子(こ…怖い…)

額に脂汗が滲む。バクンバクンと体が心臓になったかの様に大きく脈打つ。

足音はもうすぐそこまで来ている。莉子は体を硬くしてギュッと目を瞑った。

木村さん?」

莉子「きゃあぁぁぁぁ‼︎」

神「‼︎⁉︎」

神が声をかけた途端、莉子は叫ぶとその場にうずくまり頭を隠す様にガタガタと震え始めた。

神「俺だよ!俺‼︎神‼︎」

莉子の反応に神は慌てて莉子の前に膝をつくと肩を掴んで自分の顔を見せる。目にいっぱい涙を溜めた瞳で莉子が『神、さん…?』と神を見上げた。

莉子が神を認識するとホッとしたのかポロポロと涙が溢れた。

莉子「よ、よかった…わ、私…誰が来たのかわからなくて…」

ポロポロ涙を流す莉子を見て神は焦った。

神「ご、ごめん!驚かせるつもりなんてなかったんだ…俺…」

『ご、ごめん…本当にごめん…』と申し訳なさそうな#神#に莉子がプルプルと首を横に振った。

莉子「私こそびっくりさせちゃってごめんなさい…ホッとしたら涙が出ちゃいました…」

『あははは』と笑い涙を拭う莉子莉子の言う通り涙は止まったようだ。

でも涙を拭う手はカタカタと震えたまま…。

神(まだ震えてる…)

そんなに怖い思いをさせてしまったのかと申し訳なく思う。(俺がなんとかしなきゃ…)と神は考える。

神「…怖い思いさせちゃってごめんね…大丈夫?」

莉子の背中に手を置いた。莉子の背中を(落ち着いてくれ)と願いながらトントンと叩いた。

神(なんて小さい背中なんだろう…)

自分とは違う小さく華奢な背中に触れていると俺が守ってあげなきゃ…なんて庇護欲が出てくる。

背中を叩いていると段々と震えが収まってきた。

神は莉子の背中から手を離すと顔を覗き込んだ。

神「大丈夫?落ち着いた?」

莉子「はい…」

莉子の返事に神がニコッと笑い『よかった…立てる?』と手を差し出す。莉子が神の手を取ると神に支えてもらいながらゆっくりと立ち上がり恥ずかしそうに『ありがとうございます』と呟いた。

神「こんなところで何をしてたの?」

神の質問に莉子が暗闇の中を指差した。

莉子「この先の更衣室をお借りしてて荷物を取りに行こうと思ったんですけど…真っ暗で怖いなぁ…って思ってた所だったんです」

神「え?この先の更衣室?女バスの更衣室を使うんじゃないの?」

莉子「変更になったって言ってこっちを案内されたんです。神さん、ここの通路の電気のスイッチってどこにあるかわかりますか?わ、私…暗い所…苦手で…」

と気まずそうに神を見上げた。

だからあんなに驚いていたのか…原因がわかるとホッとした。どんな些細なことでも莉子の事ならなんでも知りたい。

神「ここはもう使われてないから電球自体外されてるよ」

と言われ『えっ…』と莉子の表情が強張る。

不安げな莉子をできるだけ安心させれる様に優しく『大丈夫』と声をかける。

神「俺も一緒に行くよ」

莉子「いいんですか?」

神「もちろん!行こう」

神が歩き始めるとすぐ後ろを莉子が歩き始める。チラッと莉子の様子を窺うとギュッと拳を握りしめているのが見えた。

神(怖がってるな…)

神がポケットに手を入れたままできる限り自然に紳士的に『腕、掴みなよ。足元危ないから』と言った。

莉子「だ、大丈夫です!」

と言った途端『きゃ!』と莉子がブロックの段差に躓いた。

神の背中に抱きつく様にぶつかった。

莉子「ご、ごめんなさい…」

神「いいよ。でもやっぱりつかまった方が良さそうだね」

と言うと腕を出す。

莉子「本当…迷惑ばかりかけてすみません…」

と言いながら神の腕を両手でそっと掴んだ。ひんやりと張り付くような柔らかい手のひらの感触にドキドキが止まらなかった。

神「いや…そ、んなこと…ない、から…」(やばい…めっちゃ緊張する…)

莉子も緊張しているのだろう…。2人は黙り込んでしまった。

神「……」(何かしゃべらないと…でも緊張で頭が回らない…)

莉子「………」

何も話せないまましばらく歩くと莉子が『あ、ここです』と言った。見てみればそこはコンクリのブロックを詰んだだけの昭和の香り漂う小屋だった。ドアの上には『女子更衣室』とギリギリ読める字で描かれている。

神「…本当にここ?」

莉子「はい」

莉子がポケットから出した鍵でドアを開けるとカビと埃の匂いがツンと鼻を刺激した。

神は顔を顰めた。

莉子がドアの近くにあった電気のスイッチをパチンと押したが電気はつかなかった。何度かパチンパチンと繰り返したが結果は同じだった。

神・莉子「……」

外は月のお陰で少しは明るいが中はカーテンがしまっているのだろうか真っ暗だった。

そこに古さも加わってお化け屋敷の様な雰囲気が漂っている。

莉子も更衣室を前に固まってしまっている。神は莉子の背中をポンと叩いた。

神「荷物どこ?俺が取ってくる」

莉子「え…でも…」

遠慮する莉子に神はニコッと笑う。

神「いいから。どこらへんに置いてあるの?」

莉子「…荷物は真ん中にある机の上にポンって置いてあります」

神「了解」

神は躊躇する事なくカビ臭い部屋の中に入っていく。幸い荷物はすぐに見つかりリュックを持つと入り口に向かう。

神「荷物はこれだけ?」

莉子「はい。ありがとうございます」

神「着替えるなら男バスの更衣室使いなよ。俺が誰も来ないように見張ってるから」

莉子はプルプルと首を横に振った。

莉子「大丈夫です。今日はこのまま帰ります」

神「そっか…じゃあ行こっか。鍵は俺が預かる」

と言って施錠すると神はポケットに鍵を入れた。

莉子「ありがとうございます」

2人で校門に向かい駅に向かう。

賑やかな飲み屋街のお陰でさっきよりは緊張せずにいられた。

莉子「本当に神さんが来てくれてよかったです…ありがとうございました」

莉子はもう何度言ったかわからないお礼をもう一度言う。

神はニコッと笑い『どういたしまして』と言った後、『それにしても…』と顔を顰めた。

神「あの更衣室は酷いね。牧さんに別の場所ないか相談しとく」

莉子「私は大丈夫です。懐中電灯があれば平気ですよ」

神「よくない!あんな汚い場所ダメだ。急な変更だったとしてもあんな不衛生な所を使わせるなんて木村さんに失礼だよ」

まるで自分のことの様に怒ってくれる神に莉子は『ふふふ』と笑った。

莉子の笑顔に怒りが収まっていく。呆れた様に神が言う。

神「笑い事じゃないでしょ?もっと怒りなよ…人が良すぎる」

莉子「私は『お客さん』のつもりで来てないですから」

神「え?」

莉子が立ち止まり『私は神奈川選抜のマネージャーです』と胸を叩いた。

向かい合う神と莉子莉子はそのまま続けた。

莉子「だから更衣室なんてどこでもいいんです。ちょっと今日は面食らっちゃいましたけど…」

と笑う莉子を見ていると(なんでこんなに頑張れるんだろう…)と疑問に思った。

神「何で、そんなに頑張れるの?Bチームの連携も食事のことも放っておいても誰も木村さんを責めたりしないよ。自分からわざわざ大変な思いしにいく必要ない。だってマネージャーは功績が残らないし…歓声を浴びる訳でもない…。むしろ今日みたいに蔑ろにされることだってある…。なのになんでそんなに頑張れるの…?木村さんのモチベーションってなんなの?」

神の質問に目をパチクリさせた後『私は…』と言葉を紡ぐ。

莉子「…みんなに頑張って欲しいだけです…」

神「え?」

莉子「『頑張る』って大事です。頑張ってもどうしようもないことたくさんありますけど…でも高い壁に挑んだ事は絶対に糧になります!だからみんなが頑張れる様に私も頑張ります!」

と強い眼差しを向けられる。

その瞬間、神の心の奥の奥にあった鍵がカチャンと外れた気がした。

初めて見た時から莉子の圧倒的な存在感に強く心惹かれた事も風鈴のように軽やかで懐かしさを感じる声が心をとらえて離さないことも認めなかっただけで最初からずっと魅了されている。

『鍵をかけてしまっておく』と決めた時点で神の負けだった。

『断ち切る』ことができないから『鍵をかける』ことを無意識に実行しようとしてただけだ。

そしてダメ押しの一発。

神の周りにいる『ミーハーな女の子』とは一線を画す発言に神はコロリと落ちた。

認めてしまえば簡単だった。

神(俺…この子が好きだ…この子の全部が欲しい…手に入れたい…)

莉子「神さん?」

急に黙り込んだ神を心配そうに見つめる莉子

神が莉子を見た。

神「俺、頑張るよ。覚悟しといて」

莉子「覚悟?」

キョトンとしている莉子に『行こう。遅くなる』と言うと神は歩き出した。
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