神宗一郎と恋するお話
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莉子の母親に『どうぞ』と促されて入ったリビング。
夕飯のいい匂いがして一気にお腹が空くのを感じた。
神は足元を見た。
床の上には青いレールの上をぐるぐる走る電車と新幹線のおもちゃが陣取っていて、ソファーの上にはパンがモチーフのヒーローが転がっている。
カラフルなオモチャが転がるリビングはどこか懐かしく、温かい空気が流れていた。
神の視線がおもちゃに向いている事に気づいた莉子は(しまった…!)とおもちゃに手を伸ばす。
神と部屋に直行する予定だった莉子はおもちゃで荒れ果てたリビングに慌てた。
莉子が『ち、散らかっててすみません』と片付けようとするが悠人が『ダメェ‼︎』と莉子の邪魔をする。
莉子「片付けなさい!」
と怒る莉子に悠人は『ダメ!このまま‼︎』と莉子の手を押さえる。
莉子が『もう!』と怒っているのを見て神はクスッと笑うと莉子の横にしゃがんだ。
神は新幹線を指差し悠人に『こまち好きなの?』と聞いた。
悠人は突然喋りかけられ莉子の後ろに隠れるが莉子に『好きなの?って聞いてるよ?』と促されコクリと小さく頷いた。
神「かっこいいよな。俺も好き」
と笑うとソファーを指差し『あっちは片付けよっか』と言うとまた小さく頷きいそいそと片付け始める悠人。
莉子と目が合うとどちらともなく笑う。
神(ん?)
神は莉子の後ろにあるキャビネットに気づいた。
キャビネットには写真が飾られていて自然と目がいった。
吸い寄せられるように立ち上がりキャビネットの前に立つ。
神「………」
3人が赤ちゃんだった頃の写真の横に並べられたイベントごとの写真たち。
神「……この子は木村さん?」
1枚の写真を指差した。悠馬を後ろから抱きしめ笑顔を向けている女の子。
莉子「あ……。はい…」
と気まずそうな莉子。
神「へぇ」
と興味津々の様子で写真を眺めている。
写真の中の莉子は今よりぽっちゃりしていて体が大きく見えた。
神はクスッと笑った。
『たくさん食べていた』
納得の一枚だった。
悠馬「昔はデブだったんですよ」
莉子「太ってないから!私はただみんなより少し大きかっただけ!」
と悠馬を睨む。
悠馬「いや…少しじゃないだろ。明らかに幅と厚みが違ってたじゃん…」
莉子「うるさい!」
と怒る莉子に神はポツリと呟いた。
神「可愛い…」
莉子・悠馬「え」
神「!」
神はハッとして『コロコロしてて可愛いっていう意味!』と訂正したが顔が赤い。
悠馬「…そのフォローもどうなんだろう…」
莉子「ゔー…」
首を傾げる悠馬と唸る莉子。
神「えっ⁉︎待って‼︎褒めてるよ⁉︎」
悠馬「いや…でも女子に『コロコロ』は…」
『ちょっと…ねぇ?』と首を傾げる悠馬と
『コロコロ…』と呟き肩を落とす莉子に神は慌てる。
神「た…確かに女の子に『コロコロ』は言うべきじゃなかったけど…」
と写真をもう一度見る。ふわふわと柔らかそうな丸い頬にぷっくりと膨らんだクリームパンみたいな手…。
弟が可愛いくて仕方ないのが伝わってくる笑顔がまた愛くるしい。
神「やっぱり可愛いよ」
莉子は嬉しそうな神に気恥ずかしくなって『ご、ご飯を食べましょ…』と言った。
テーブルの上には唐揚げ、エビフライ、チキンナゲット、スパゲッティにグラタンとご馳走が並んでいる。
悠人は『わぁ』と歓声を上げた後『きょう、たんじょうび?』と首をかしげた。
莉子はクスクス笑い『違うよ』と言うと悠人をハイチェアーに座らせた。
莉子「お母さん、神さんが来るから張り切ったみたい」
と悠人に笑いかける。
そして神を見て『ここどうぞ』と近くのお誕生日席に置かれていた椅子を引いた。
神「ありがとう」
莉子が悠人の隣に座る。左側に座った神に笑顔を向け『たくさん食べて下さいね』と言った。
賑やかな食事が始まった。
一人っ子の神には新鮮で楽しい時間だった。
悠人の隣で莉子はせっせと悠人に取り分けたり補助をしたりしている。
神はそんな莉子を横目で見ていた。
神は『マネージャー』や『後輩』としての莉子しか知らない。
『姉』である莉子はこんな風なんだ…と噛み締めるように見つめる神。
悠人「降りる!降りる!」
食事が終わった悠人がハイチェアーから降ろせとただをこね始めた。
『はい、はい』と莉子がハイチェアーから降ろすと悠人は莉子の手を引いて『ねえね。あそぼ』とリビングへ連れていく。
莉子は嬉しそうに『仕方ないな』と笑いながら悠人に着いていく。
神「……」(本当に可愛くて仕方ないんだろうな…)
リビングで遊び始めた2人を微笑ましく眺めていると母親が『ねえ、神君』と声をかけてきた。
神「はい」
母親はお箸を置くと膝に手を置き神に深々と頭を下げて『ありがとう』と言った。
神は驚き『えっ⁉︎』と声をあげる。
母親は頭を上げると『悠馬から聞いたの。あの子の為に小野寺君との間に立って色々してくれたんでしょ?神君のおかげで早く話がまとまったの。本当にありがとう』と頭を下げた。
神「…いえ…そんな…俺は別に何もしてないんです…」
母親は『そんなことない』とゆっくりと首を横に振った。
悠人がこちらを見た。
悠人が悠馬に向かって『にーにもこっち来てぇ』と小さな手で手招きをする。
悠馬は『はぁ』とため息を吐くと席を立ち『後でまた食うから』とリビングへ歩いていく。
楽しそうに遊び出す3人に少し寂しさを感じていると母親がポツリと呟いた。
「私がいけなかったのよ…」
神「え?」
母親「さっきあの子の写真、見てたでしょ。小5くらいまでは太ってたの」
神「……」
母親が何を言いたいのか分からず神は黙って話を聞いていた。
母親は『子供ってね縦と横の成長を交互に繰り返して成長するのよね』と手で丸を作った後はそれを上下に長く粘土を伸ばすように動かした。
神「へえ…」
母親「莉子は横の成長期間がすっごく長かったの。で、5年生の終わりくらいから一気に身長が伸びたの」
神「?」
神が首を傾げているのを見て母親は『体重はそのままで身長だけがグングン伸びたのよ』と言った。
神は『え⁉︎』と驚いた。
神「まさか…それで今、みたいな感じに?」
母親「そう。そんな急激な変化にあの子も周りの子たちもついていけなかったのよね…」
神「?」
母親「嫌な話だけどね…太ってる子って見下される事が多いのよ。莉子は大人しかったしね。尚更ね…。一気に痩せたあの子に周りもびっくりよ。私だってびっくりしたし…」
神「痩せたぐらいでそんなに…?」
母親「学校を休むとあの子のプリントを誰が届けるかで喧嘩になるくらいだったんだから」
と苦笑いを浮かべる。
母親「それまでは男の子に見向きもされなかった莉子がモテ始めると周りの女の子たちの反応が変わったのよ。小学生でも女は女…。出る杭は打たれるって言うのかしら…。今まで目立たなかった子が注目を浴びてそれを面白くない子が心無いことを言う…。莉子が色々、悩んでるのは気づいてたけど何もしなかったの」
神「どうして…」
思わず出た不満に神は慌てて口を押さえ『すいません…』と謝った。
母親は首を横に振り『ううん。そう思うのは当然よ』と言った。
母親「引っ込み思案だったから余計に…同級生みたいな上も下もない対等な人間関係の中で自分の立ち位置をちゃんと確立できる人になってほしいと思ったから黙って何もしなかった…間違えてた…」
神「……」
母親「後悔ばかり…。あの子は自分が家族を振り回して苦しめたと思ってるけどそうじゃない…。何もしなかった私に全ての責任があるわ」
母親はハッと我に返り『ごめんね。初対面でこんな話を聞かせて…。神君は不思議な子ね。なんか話しやすくてついつい余計な事まで話しちゃったわ』と額を撫でた。
神は莉子を見た。
神「木村さんは…ちゃんと自分の立ち位置を作れる人ですよ」
母親「え?」
神「合宿初日に俺、湘北のキャプテンから木村さんは男が苦手だから怖がらせないでくれって言われたんです」
母親「そうなのね…。気を使わせて迷惑をかけてごめんなさいね…」
神はゆっくりと首を横に振った
神「俺は迷惑だなんて思ってないです。宮城…湘北のキャプテンだって迷惑そうには見えませんでした。木村さんを思っての発言だったと思います」
母親「……」
神「知り合いも頼れる人もいないゼロからのスタートで木村さんは部活に入って県代表の合宿に呼ばれるだけの人望を作ったんです。俺は尊敬します」
母親「……」
神「それに気を遣ってたのは木村さんの方です。他校で、苦手な男ばかりの中で女の子はたった1人。小野寺もいて心細かったと思いますが弱音一つ吐かずにいつも明るくて…たくさん支えてもらいました。うちのキャプテンが土日だけでも来てほしいって派遣を頼むくらい活躍してましたよ」
とまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑う神を見て母親の表情も緩む。
母親「…お世話は得意だからね…」
と2人の視線が3人の方に向かう。
神は清々しい気分だった。
『自分を好きだと思っている男が苦手』
俺たちってもしかして両思いなのかも…。
そう思うたびに、その言葉が呪いのように神の足元へ絡みつき、その場に留まらせようとする。
莉子から感じるわずかな自分に対する『好意』ですら、神がそれを受け入れた瞬間、距離を縮めようと動いたその瞬間から莉子を苦しめることになるのではないか?
そんな不安がずっとあった。
近づきたい。
そうする事ができる環境にいてもそれが『正しい』のかわからなかった。
神「……」(好きだと言う前に伝えなきゃいけないことがあったんだな…)
それがはっきりと形になった。
神(…ちゃんと言葉にしよう)
神は席を立った。
突然、立ち上がった神に母親は『もういいの?』と聞くと神は『はい。木村さんと話したい事がたくさんあるんです』と言って『全部、美味しかったです。ご馳走様でした』と言うとリビングでわちゃわちゃしている3人のところへ向かう。
母親は(大きい背中ね…)と笑い少しだけ肩の荷が降りた気分になった。
莉子の部屋に入ると『そこのテーブルに座ってください』と言われそそくさと座る。
莉子の部屋は白と木目を基調とし、水色と黄色の小物がバランスよく散りばめられた部屋だった。
女の子の部屋は初めてだった。茜の部屋ですら入った事がない。
神(見過ぎないようにしなきゃ…)
莉子とテーブルを挟み向かい合わせに座る。
莉子は神が正座をしていることに気づき莉子は『楽にしてくださいね』と声をかける。
神「うん…」
神が胡座になると莉子がテーブルの上に手を置くように言った。
神は『うん…』と小さく返事をすると手をパーの形に広げて置くと莉子は『じゃあ早速、始めますね』と神の手を下から掬い上げるように触れた。
柔らかくしっとりとした莉子の手が
神の指先をなぞる様に動く。
ドキドキドキドキ
激しい鼓動に神は黙り込んだ。
莉子の親指が神の爪をクルクルと円を描く様に撫でる。
その優しい触り方に莉子の手を握り返したくなるがグッと我慢した。
神には伝えなきゃいけないことがあるのだ。
莉子がエメリーボードを手に取ると、中指にそっと当てた。
シャッシャッシャッシャッ。
爪を削る小さな音だけが部屋に響く。
莉子は集中しているのか、黙ったまま手を動かしている。
神「……」
神は伝えたい言葉を頭の中で何度も繰り返しながら、莉子を眺めていた。
俯いた莉子の長いまつ毛が小さく揺れる。
神(……綺麗だな)
そんなことを考えているうちに、莉子が顔を上げた。
莉子「できました」
バチッ。
目が合った。
莉子「っ‼︎」
ビクッと体が跳ね、そのまま固まる。
神「……すごく集中してたね」
神は笑いながら、仕上がった爪を眺める。
神「おぉ!すごい‼︎めちゃくちゃ綺麗になった」
と無邪気に笑う。
莉子「私、自分以外の爪に慣れてないから余裕なくて…退屈でしたよね。ごめんなさい」
神「ううん。俺もネイルなんて初めてだったから、見てて楽しかったよ」
神はまだ終わっていない方の手を差し出した。
神「こっちもお願い」
莉子「はい」
再び莉子の指が神の手に触れる。
神(……一生懸命だな)
その姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
やがて仕上げのオイルを手に取ったところで、神が静かに口を開いた。
神「……木村さん」
莉子「はい」
神「……そのままでいいから、聞いて」
莉子「?」
莉子が顔を上げた。
神「今日はたくさん木村さんの事を見たし聞いた」
莉子(聞いた…?)
神「木村さんが望まない好意に苦しんだこと俺はちゃんと知ってる。そう簡単に心の傷が癒えるわけないことだって理解してるつもり」
莉子「……」
神「俺は絶対に強引なことはしない。君を支配するつもりもない。だから君も気の進まないことはしなくていい」
莉子「……」
神「これから先、君がまた理不尽に傷つけられたら全力で守る。君が悪いことをしてしまったら一緒に頭を下げるしどうするべきか一緒に考える。愚痴だって聞く。泣いてもいいし、怒りをぶつけてもいい。話すのがしんどかったら話さなくてもいい。しんどい時は俺のところに来ればいい。そういうの全部、俺が引き受けるから。俺はそういう事がしてあげたくて木村さんといるって決めてたから…。だから…俺、相手に遠慮するなよ」
莉子「……」
神は優しく『いい?』と首を傾げると莉子の心に伝わる様にと願いながらゆっくりと優しい声で言った。
神「嫌なことは嫌って言っていい。俺に腹が立ったら怒っていい。俺が間違ってたらちゃんと言ってほしい。俺のことを気遣って、無理に笑わなくてもいい。俺には……ちゃんと自分の気持ちを言ってほしい」
莉子の瞳が揺れる。
神「俺も君の我慢に気付ける男になるから…。でも今はまだ難しいんだ。」
莉子は黙って話を聞いている。
神「今日、悠馬から学校に通えないって泣いた事を聞いた。お母さんから小学校時代の周りの変化の話も聞いたよ。心が痛かった。やっぱり君の辛かった時にそばにいたかったなって思った。だから…今聞かせて?木村さんの傷を受け止めたい…」
莉子「それは…」
神「だから…いつか木村さんが俺を信用できるようになった時、聞かせてくれる?」
莉子「えっ…」
神「言っただろ。強引なことはしないよ」
莉子「……」
莉子合宿中に2人でお弁当を食べたことを思い出した。
あの時、神に『辛いことは話した方が心が軽くなるよ。俺には話しづらいと思うけど俺は全部聞いた。全部、知ってるんだよ。だから我慢しないでよ』と言われた。
莉子も本当は全てを曝け出してしまいたかった。
でもまた理解されなかったら…
そんな不安から『ごめんなさい』しか言えなかった。
それでも神は『いいんだよ』と笑った。
きっと今でも『言えません』といえば『そっか』と笑ってくれる気がした。
莉子「……」(この人を信じることができなかったら私はこの先誰も信用でいないんだろうな…)
しばらくの沈黙の後、莉子は『私が…』とポツリ、ポツリと話し始めた。
莉子「1番、いやだったのは誤解されることでした…。友達の好きな人や彼氏が私を好きだって言ったって…私は気を引こうなんてしてないのに…責められて…すごくそれが嫌でした…」
神「うん…」
莉子「…初めて…写真が出回った時…男の人がたくさん来て…顔とか…か、体の事をすごく言われて…」
だんだんと声が震えてくる。莉子はグッと力を込めて話す。
神「うん…」
莉子「値踏みされているみたいで、それもすごく嫌でした…」
神「うん」
莉子「断ってるのに何度も告白されるのもどうしたらいいのかわからなくて…。強く断ると調子に乗ってるって言われるしやんわり断れば思わせぶりって言われるし…困ってるって相談すればモテる自慢しているって言われるし…段々と誰にも相談できなりました…」
神「うん…」
莉子「『気にしなくてもいい』って言われても…それもできなくて…。励ましの言葉だってわかってるんです。…でも『気にしない』なんて無理で…モヤモヤして…こんな事で傷付く私がおかしいのかもって…素直に友達の言葉や告白を受け取れない自分が嫌な人間なのかもって自分の気持ちとか考え方に自信が持てないんです…」
ポロリと涙がこぼれ落ちる。神はそれを見て苦しげに眉を顰めた。
神「うん…」
莉子の悲しみや憤りが傾れ込んでくるような感覚に胸が苦しい。
莉子「こっちに来てからだってずっと惨めでした。学校に行けなくて…私、何やってるんだろうって…なんで私は赤ちゃんの世話をしてこんなに疲れ切ってるんだろうって…すごく虚しくなりました。だって私が今こうしてる間にも小野寺先輩は楽しく学校生活してるのに…悠馬はサッカーをやめました。お母さんも悠人も危ない目に遭った…人間関係をちゃんとできない私のせい…。新しい環境でもちゃんとできるか自信なくて…みんなが普通にやってることができない私は情けない人間だって思ってて…」
神は思わず『そんなことない!』と莉子の言葉を止めた。
莉子が神を見た。
神「木村さんは湘北の連中に大事にされてるよ。知ってる?牧さんや藤真さんが木村さんの事を褒めると宮城や三井さんはすごく嬉しそうなんだ。それに君が作るドリンクだってみんなに『美味いから飲め』って勧めてさ。で、また褒められると喜ぶんだ。俺。それを見て『大事にされてるんだな』って思ったよ。それは君の努力の賜物だよ」
神は莉子の頭にそっと手を置き『君は情けない人間じゃない』と頭を撫でた。
大きくあたたかい手に莉子は『ありがとうございます』と声を震わせた。