神宗一郎と恋するお話
国体
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国体前日
莉子の部屋
いつもと同じように部活を終えると、急いで帰宅した莉子はバタバタと準備に追われていた。
莉子「ふう…」
莉子はとても緊張していた。
莉子(ちゃんとできるかな)
目の前には爪を整える為の道具が並んでいる。母親から借りたそれらを眺めながら心を落ち着かせようと深呼吸を一つ。
神と莉子は合宿が終わった日から、日中はメッセージ、夜は三十分の電話が日課になっていた。
最初はどちらもぎこちなかった会話も、一日、また一日と重ねるうちに自然と笑い合えるようになっていった。
メッセージでは日常の些細な出来事を報告し合い、夜の電話ではその日にあったことや昔話を語り合う。
莉子は神が毎朝ジョギングを欠かさないことや、体重を増やすために筋トレや食事量を増やしていることを知った。
関係を積み重ねていることに安心感が募った。
そんなある日、神は『国体では山王と戦うのが楽しみだ』と言った。
同世代に仙道や沢北がいるのはとても幸運だと話す神。
それを聞いた莉子は(すごいなぁ)と感心した。
ライバルが現れたり超えられない壁のような存在が現れたらもっと焦ったりしてもおかしくないのに…。
神はいつでも真っ直ぐ前を見ている。
その原動力はなんなんだろう…
そんな小さな興味本位で莉子は『神さんは仙道さんや沢北さんみたいな選手がいて焦ったり嫉妬したりしないんですか?』と聞いた。
神は莉子の質問に軽く答える。
神「それって木村さんは俺が仙道や沢北にも負けてるって思ってること?」
神の言葉に焦る莉子
莉子「えっ⁉︎ち、違います!そ、そーじゃなくて」
と焦る莉子の声を聞いて神は『冗談だよ』と笑う。
神「まぁ…確かに俺は当たり負けもよくするしそう思われても仕方ないよね。運動神経は悪くない方だけど仙道や沢北には遠く及ばないのはわかってるし…」
莉子「……」
莉子は居た堪れなくなった。
莉子(すごく失礼な事を言っちゃった…)
落ち込む莉子に神は軽く言う。
神「でも俺、総合力では負けてても仙道にも沢北にも負けてないって自負してるから」
莉子「………」
神「この大会で見せてあげるよ」
と楽しそうな神の声。
その声に揺るぎない自信を感じた。莉子は他人の視線や評価を気にし過ぎる自分とはまったく違う考えを持つ神にますます尊敬の念が強くなった。
これだけの自信を付けるために神はどんな努力をしてきたんだろう…。
自分はそういう努力をしてきただろうか…?
莉子(私はただ波風が立たないように静かにしてただけだ…)
途端に恥ずかしくなった。神への質問もこれまでの行いも…。
自分にできることは何かないのかなと考えた。
神からもらった刺激が莉子を駆り立てる。
莉子(……私にできること…)
合宿が終わってしまった今、選手達にできることはもう何もない。
莉子(ゔーーーーーん。私にできる事…)
合宿中、神はどんなことをしていただろう?その中に何かヒントはないかな…?
莉子の頭の中に合宿であった事が次々と浮かび上がる。
莉子の頭の中で神がシュートを打っている。
莉子「あ」
合宿中、神の手を見る機会は何度もあった。
シューターである神の指先は、いつも綺麗に整えられていた。
そういえばお母さんが『スポーツ選手ほど爪は大事』と言っていたような気がする。
莉子「私に爪のお手入れをさせてもらえませんか?」
気付いたら莉子は神に爪の手入れをさせてくれないかと申し出ていた。
神「え…」
一瞬、間が空いて莉子はしまったと思った。大事なのであればそれ相応のこだわりがあったっておかしくない。
莉子は慌てた。
莉子「あ、あの…無理にとは…」
神は『いいの?』と言った。
神の表情が電話越しでもわかるくらい声が弾んでいる。
神「明日は前日だからこっちは練習はほぼないんだ。湘北は?時間作れそう?」
莉子は電話だということを忘れブンブンと首を縦に振りながら『はいっ!大丈夫ですっ‼︎』と頷いた。
こうして大会前日に会うことになった神と莉子。
莉子(神さん…喜んでくれるといいな)
一通りの準備を終え携帯を見ると神からメッセージが届いていた。
メッセージの内容は『電車に乗ったよ』
莉子が受信の時間を確認し時計を見た。
莉子(後20分位で着いちゃう!)
莉子はすぐにリビングに向かう。
莉子「悠馬!神さんが電車に乗ったって!あと20分くらいで着く!」
悠馬はソファーに座り一番下の弟の悠人を腹の上に乗せ遊んでいた。
悠人を下ろすと『おー。じゃあボチボチ迎えに行くか』と立ち上がり伸びをする。
莉子「うん。お願いね」
悠馬を駅へと向かわせると莉子は部屋の最終チェックをする。
何もする事がなくなるとソワソワしてしまう。
莉子「はぁ〜…緊張する…」
リビングに戻ってきた莉子がソワソワしていると悠人が『ねぇね、抱っこ〜』と足に抱きつく。
莉子はフッと表情を緩めると『本当甘えん坊だなぁ』と悠人を抱き上げ頬にチュッチュッとキスをする。
悠人はキャッキャッと楽しそうに笑う。
莉子は少し緊張がほぐれた。
莉子「…早く会いたいなぁ…」
と悠人をギュッと抱きしめた。
莉子宅 最寄り駅前
駅前では神がやはり緊張した面持ちで立っていた。
大会前日と言うこともあり国体組は軽く汗を流す程度で練習は終わった。そこから神は清田に手伝ってもらい、いつもの自主練をこなした。
そして時刻は5時前
神「はぁ〜」(めっちゃ緊張する…)
そんな事を考えながら神は悠馬を待つ。
しばらく待っていると悠馬が歩いてくるのが見えた。
神「あ」
神はそれをじっと見つめていてある事に気付く。
神(こうやって見てみるとあんまり似てないんだな…)
莉子は大きなアーモンドアイで優しげな大きな黒目が印象的だ。
一方、悠馬は切れ長の目をしていて近寄りがたい雰囲気がある。
悠馬と目が合い神は手を上げる。
悠馬は駆け足でやってくると『すみません。遅くなっちゃって』と言った。
神「‼︎」
神は一瞬、驚いた表情をした後おかしそうに『あははは』と笑い『大丈夫。たった今来たところだから』と言った。
悠馬は首を傾げた。
クスクス笑う神を訝しげに見つめ『何笑ってんスか』と睨む。
神は『ごめん、ごめん』と言い『『すみません遅くなっちゃって』の言い方がすごく木村さんっぽかったからさ』と嬉しそうに笑う。
悠馬「な、なんでそんなに嬉しそうなんですか…。怖いんですけど」
『俺のことそういう目で見てんですか?』と自分自身を抱きしめるように腕をクロスさせる。
神「そんなわけないだろ‼︎」
悠馬「わかってますよ」
と無表情で返す。
悠馬「姉ちゃんが待ってますから行きますか」
『こっちです』と悠馬が来た道を引き返す。
神も後を追う。
神は『手土産を買う時間がなかったからどこかに寄ってもいい?』と聞くと悠馬は首を横に振った。
悠馬「姉ちゃんが色々準備してるので気を使わないで下さい」
神「準備?」
悠馬「なんかクッキーをめっちゃ作ってましたよ」
と言う悠馬に神は『本当?』と嬉しそうだ。
悠馬「クッキー好きなんですか?」
神「前に作ってもらったことがあってさ。めちゃくちゃ美味かったからまた食べれたらいいなと思ってたんだ」
悠馬「へぇ」
2人で並んで歩く。学校が見えてきて神はなんとなくその学校を見た。
神「……」(学校だ…)
フェンス越しに見たグランドにはたくさんの生徒が部活をしていた。
野球部にサッカー部、テニス部に陸上部…みんなが各々に汗を流し練習をしている。
特徴のないごくごく普通の学校だがなんとなく目が離せず横目で学校を見ていると悠馬が『この学校、俺の中学です』と言った。
神「あ、そうなんだ」
悠馬「姉ちゃんは通ってないですけど一応、母校ってやつになりますね」
神「……」
神の足が止まった。
神は何と返事をしていいのか分からず黙っていると悠馬が『こっちに引っ越してきてからすぐに一番下の弟が生まれたんです』と話始めた。
悠馬「姉ちゃんはめちゃくちゃ可愛がって世話をしてました。俺は姉ちゃんが弟の世話に没頭するのはあまり良い気はしてなかったんですけど…」
神「え?なんで?」
悠馬「なんか…弟を口実に逃げてるように見えて…嫌でした。俺、前の学校でサッカー部だったんです。結構、強豪でワクワクしてました。でもバカと姉ちゃんのトラブルで部活はやりにくいし転校する羽目になるし…ここはサッカー弱小だし…」
と中学校を見る。サッカーの練習をしているが素人の神にはそれが『弱小』なのかよく分からなかった。
神「サッカーはもうしてないのか?」
悠馬「…はい…。なんか…どうでも良くなっちゃって…」
神「…学校は弱小でも地域のサッカークラブとかあるだろ」
悠馬「…あの学校でエースになりたかったから…。憧れてたんです。浜岡中のエース」
神「……」
その気持ちはなんとなくわかる。自分だって海南のレギュラーになりたくて練習を頑張っていた時があった。
悠馬「俺は残りたかったんです。でもあの時の家の状況で言えなかった。たとえ言えたとしても無理だったと思いますけど…。精神的に不安定な姉ちゃんと絶対安静の妊婦、もうすぐ生まれてくる赤ちゃん…それを父さん1人で支えられるわけないです。働かないといけないし」
『精神的に不安定』
その言葉に神の心は重たくなった。
神「…」
悠馬「当時の俺は苦渋の決断でこっちに引っ越して来たのに姉ちゃんは『かわいい、かわいい』って弟を猫可愛がりして…。そんな姉ちゃんがくっそムカついて…」
神「……」
悠馬「ちょっとは申し訳なさそうにしろよって思ってました。俺はサッカーを諦めたのに何、楽しんでんだよって思ってました」
神「そうか…」
悠馬「でもある日、全然弟が泣き止まなくて…。母さんが自宅でネイルサロンしてたからお客さんが家にいて…気を遣った姉ちゃんが外に連れ出したんです」
神「うん」
悠馬「そしたら姉ちゃんが泣きながら帰って来たんです」
神「え」
悠馬「俺…その時が初めてだったんです…。姉ちゃんが泣いてるの見たの…」
神「……」
悠馬「きっと俺の知らない所でたくさん泣いてたんだと思うんですけど…俺は『見たことがない』から…それがわからなくて…。俺は初めて姉ちゃんがあのバカにされた事を目の当たりにしたような気がします」
神「…木村さんはどうして泣いて帰って来たの?」
悠馬「『どうして私は学校に通えないんだろう』って泣いてました」
神「っ!」
悠馬「何がどうなって感情が溢れたのか俺にはわからないですけど…」
神は無意識に拳を握り込んでいた。
悠馬は同じ学校に通っていた。近くで莉子の現状を見ていた悠馬ですら莉子に対して『申し訳なく思えよ』と思っていたのだ。
莉子の孤独は神が思っているよりずっと深いのかもしれない。
神「……」(…木村さん…)
当時の莉子には寄り添う人はいたのだろうか?悲しみや悔しさを受け止めてくれる人はいたのだろうか…。
明るく笑う莉子が目に浮かんだ。
神は少しだけ笑った。
神「でも今は違う」
悠馬が神を見た。
神「今の木村さんはすごく楽しそうだよ」
悠馬「俺には昔とそんなに変わって見えないんですけどね…。神さんから見たら違うんですか?」
神は黙っていた。
『あの頃』の莉子は知らないが今の莉子なら多少わかる。
今の莉子は周りをよく見て出過ぎないようにしている。そして周囲が自分に対して同情的だと感じれば虚勢を張って自分を強く見せる場面もあった。
まるで私は大丈夫だから気にかけるなと言っているように。
清田に『マネージャーのクセに出しゃばるな』と罵倒された時でも莉子は『私が泣けば清田君が悪者になっちゃう』と言った。それも本心なのだろうが、もしかしたら泣けば目立つ、同情されると思い咄嗟に言い返したのかもしれない…。
神の心を動かしたあの言葉の裏に莉子の悲しい過去があったのかもしれない。
神は悠馬に『もう行こう』と歩き出した。
無性に莉子に会いたい。
神は気付けば早足になっていた。
莉子がウロウロしていると『ピンポーン』とインターフォンが鳴った。
莉子「あ…」
莉子が出るより先に一番下の悠人が『はぁーい』と可愛らしい声で玄関に向かって走って行く。
莉子「玄関は危ないから1人で行っちゃダメ!」
莉子も慌てて玄関に向かい悠人を抱き上げ施錠を解除する。
莉子がドアを開ける。
悠馬「ただいま」
莉子は悠馬に『おかえり』と言いすぐ後ろにいた神に『神さん…お疲れ様です。どうぞ入ってください』と笑う。
神「お邪魔します」
玄関に一歩踏み入れると悠人が怯えたように『ねぇーね。これだれ?』と莉子の首に抱きつき神を指差した。
莉子は悠人に『指を差しません!あとこれじゃないでしょ』と注意をすると『こちらは神宗一郎さん。ねぇねのお友達』と言った。
神「……」(友達か…)
莉子の首元に顔を隠す様に押し付けながらチラチラと様子を伺う悠人に神は腰を屈め『よろしくね』と笑う。
しかし悠人は莉子の胸に顔を埋めて隠れてしまう。
神「……」(…小さい子ってどうしたらいいのか分からないな…)
どうしたらいいのかわからず神は助けを求める様に莉子に視線を送る。
莉子は『一番下の弟の悠人です。ちょっと人見知りする子で…すみません』と言った。
神は『ううん』と言って悠人から離れた。
悠馬が悠人に向かって手を出し『悠人。ねぇねは今から神さんとお話があるからこっちに来い。にーにと遊ぶぞ。ほら』と悠人の脇の下に手を入れ引っ張ると悠人が『やー!』と叫び莉子の首に抱きついた。
莉子「うっ!」
悠人の細く小さい腕が莉子の首を締め上げる。
悠馬「ほら!わがまま言うな!」
と無理やり引き離しにかかる悠馬。悠人も負けていない。
悠人「やーーーーだぁぁぁーーー!」
と強く莉子の首に抱きついた。
莉子「ぐ…ぐるじぃ…」
莉子がまるでプロレスのギブアップのジェスチャーの様に悠人の背中をポンポン叩く。
悠馬「こら!離せ‼︎」
悠人「やぁーーだーーーー!」
莉子「うっ…」
目の前で起こる三人姉弟のやり取りに一人っ子の神は『ちょっ…』とアタフタするのみ。
すると『何、騒いでるの』と奥から女性がやって来た。
悠馬が『こいつが姉ちゃんから離れないんだよ』と文句を言いつつ手を離す。
悠人が『おかぁしゃーん』と嬉しそうに手を伸ばす。それを見てニコッと笑うと悠人を抱っこした。
母親へ悠人を渡した莉子は一息ついた。
莉子「はぁ…。苦しかった…」
神は悠馬を見た。
悠馬「?」
神(悠馬は母親似なんだな…)
悠馬に似た女性が神を見た。そして目を細め『いらっしゃい』と笑った。
神の背筋がピンと伸びた。
神「は、初めまして。俺は神宗一郎と言います。よろしくお願いします…」
「莉子の母です。いきなりだけど今日はお家の人はご飯の準備とか終わってるかな?」
神「えっと…母はまだ仕事をしている時間なので準備はこれからだと思います…」
母「じゃあうちで食べていきなさい。実はもう準備してあるの。どうぞどうぞ」
と中へ入るように促す。
その有無を言わさない母親の誘いに莉子が待ったをかける。
莉子「こんな早い時間に食べたら変な時間にお腹空いちゃいませんか?」
神「いや」
『そんな事ないよ』と言いかけた所で母親が『そんなのあんたみたいに2回夕飯食べればいいじゃない』と言った。
莉子・神「‼︎⁉︎」
母親は神を見て『育ち盛りだもん。食べれるでしょ?』と言った。
悠馬「ぷっ!」
釣られるように神も『ぷっ!』と吹き出した。
悠馬が噴き出すと莉子はギロっと悠馬を睨み黙らせると莉子は慌てて『昔の話ですよ?昔!今は食べてません!』と神に詰め寄る。
神は笑いを堪えながら『うん。成長期だった時の話だよね』と言った。
神はクスクス笑いながら(本当にたくさん食べてたんだな)と莉子を見た。
莉子は顔を赤くし神から気まずそうに目を逸らした。
莉子「……」(最悪…)
悠人「お腹すいたー」
悠人の言葉に母親が神に『ほら、上がって。ご飯食べてからネイルしたらいいから。帰りは送ってくからね』と言った。
神は『ありがとうございます。じゃあご馳走になります』と靴を脱いだ。
莉子の部屋
いつもと同じように部活を終えると、急いで帰宅した莉子はバタバタと準備に追われていた。
莉子「ふう…」
莉子はとても緊張していた。
莉子(ちゃんとできるかな)
目の前には爪を整える為の道具が並んでいる。母親から借りたそれらを眺めながら心を落ち着かせようと深呼吸を一つ。
神と莉子は合宿が終わった日から、日中はメッセージ、夜は三十分の電話が日課になっていた。
最初はどちらもぎこちなかった会話も、一日、また一日と重ねるうちに自然と笑い合えるようになっていった。
メッセージでは日常の些細な出来事を報告し合い、夜の電話ではその日にあったことや昔話を語り合う。
莉子は神が毎朝ジョギングを欠かさないことや、体重を増やすために筋トレや食事量を増やしていることを知った。
関係を積み重ねていることに安心感が募った。
そんなある日、神は『国体では山王と戦うのが楽しみだ』と言った。
同世代に仙道や沢北がいるのはとても幸運だと話す神。
それを聞いた莉子は(すごいなぁ)と感心した。
ライバルが現れたり超えられない壁のような存在が現れたらもっと焦ったりしてもおかしくないのに…。
神はいつでも真っ直ぐ前を見ている。
その原動力はなんなんだろう…
そんな小さな興味本位で莉子は『神さんは仙道さんや沢北さんみたいな選手がいて焦ったり嫉妬したりしないんですか?』と聞いた。
神は莉子の質問に軽く答える。
神「それって木村さんは俺が仙道や沢北にも負けてるって思ってること?」
神の言葉に焦る莉子
莉子「えっ⁉︎ち、違います!そ、そーじゃなくて」
と焦る莉子の声を聞いて神は『冗談だよ』と笑う。
神「まぁ…確かに俺は当たり負けもよくするしそう思われても仕方ないよね。運動神経は悪くない方だけど仙道や沢北には遠く及ばないのはわかってるし…」
莉子「……」
莉子は居た堪れなくなった。
莉子(すごく失礼な事を言っちゃった…)
落ち込む莉子に神は軽く言う。
神「でも俺、総合力では負けてても仙道にも沢北にも負けてないって自負してるから」
莉子「………」
神「この大会で見せてあげるよ」
と楽しそうな神の声。
その声に揺るぎない自信を感じた。莉子は他人の視線や評価を気にし過ぎる自分とはまったく違う考えを持つ神にますます尊敬の念が強くなった。
これだけの自信を付けるために神はどんな努力をしてきたんだろう…。
自分はそういう努力をしてきただろうか…?
莉子(私はただ波風が立たないように静かにしてただけだ…)
途端に恥ずかしくなった。神への質問もこれまでの行いも…。
自分にできることは何かないのかなと考えた。
神からもらった刺激が莉子を駆り立てる。
莉子(……私にできること…)
合宿が終わってしまった今、選手達にできることはもう何もない。
莉子(ゔーーーーーん。私にできる事…)
合宿中、神はどんなことをしていただろう?その中に何かヒントはないかな…?
莉子の頭の中に合宿であった事が次々と浮かび上がる。
莉子の頭の中で神がシュートを打っている。
莉子「あ」
合宿中、神の手を見る機会は何度もあった。
シューターである神の指先は、いつも綺麗に整えられていた。
そういえばお母さんが『スポーツ選手ほど爪は大事』と言っていたような気がする。
莉子「私に爪のお手入れをさせてもらえませんか?」
気付いたら莉子は神に爪の手入れをさせてくれないかと申し出ていた。
神「え…」
一瞬、間が空いて莉子はしまったと思った。大事なのであればそれ相応のこだわりがあったっておかしくない。
莉子は慌てた。
莉子「あ、あの…無理にとは…」
神は『いいの?』と言った。
神の表情が電話越しでもわかるくらい声が弾んでいる。
神「明日は前日だからこっちは練習はほぼないんだ。湘北は?時間作れそう?」
莉子は電話だということを忘れブンブンと首を縦に振りながら『はいっ!大丈夫ですっ‼︎』と頷いた。
こうして大会前日に会うことになった神と莉子。
莉子(神さん…喜んでくれるといいな)
一通りの準備を終え携帯を見ると神からメッセージが届いていた。
メッセージの内容は『電車に乗ったよ』
莉子が受信の時間を確認し時計を見た。
莉子(後20分位で着いちゃう!)
莉子はすぐにリビングに向かう。
莉子「悠馬!神さんが電車に乗ったって!あと20分くらいで着く!」
悠馬はソファーに座り一番下の弟の悠人を腹の上に乗せ遊んでいた。
悠人を下ろすと『おー。じゃあボチボチ迎えに行くか』と立ち上がり伸びをする。
莉子「うん。お願いね」
悠馬を駅へと向かわせると莉子は部屋の最終チェックをする。
何もする事がなくなるとソワソワしてしまう。
莉子「はぁ〜…緊張する…」
リビングに戻ってきた莉子がソワソワしていると悠人が『ねぇね、抱っこ〜』と足に抱きつく。
莉子はフッと表情を緩めると『本当甘えん坊だなぁ』と悠人を抱き上げ頬にチュッチュッとキスをする。
悠人はキャッキャッと楽しそうに笑う。
莉子は少し緊張がほぐれた。
莉子「…早く会いたいなぁ…」
と悠人をギュッと抱きしめた。
莉子宅 最寄り駅前
駅前では神がやはり緊張した面持ちで立っていた。
大会前日と言うこともあり国体組は軽く汗を流す程度で練習は終わった。そこから神は清田に手伝ってもらい、いつもの自主練をこなした。
そして時刻は5時前
神「はぁ〜」(めっちゃ緊張する…)
そんな事を考えながら神は悠馬を待つ。
しばらく待っていると悠馬が歩いてくるのが見えた。
神「あ」
神はそれをじっと見つめていてある事に気付く。
神(こうやって見てみるとあんまり似てないんだな…)
莉子は大きなアーモンドアイで優しげな大きな黒目が印象的だ。
一方、悠馬は切れ長の目をしていて近寄りがたい雰囲気がある。
悠馬と目が合い神は手を上げる。
悠馬は駆け足でやってくると『すみません。遅くなっちゃって』と言った。
神「‼︎」
神は一瞬、驚いた表情をした後おかしそうに『あははは』と笑い『大丈夫。たった今来たところだから』と言った。
悠馬は首を傾げた。
クスクス笑う神を訝しげに見つめ『何笑ってんスか』と睨む。
神は『ごめん、ごめん』と言い『『すみません遅くなっちゃって』の言い方がすごく木村さんっぽかったからさ』と嬉しそうに笑う。
悠馬「な、なんでそんなに嬉しそうなんですか…。怖いんですけど」
『俺のことそういう目で見てんですか?』と自分自身を抱きしめるように腕をクロスさせる。
神「そんなわけないだろ‼︎」
悠馬「わかってますよ」
と無表情で返す。
悠馬「姉ちゃんが待ってますから行きますか」
『こっちです』と悠馬が来た道を引き返す。
神も後を追う。
神は『手土産を買う時間がなかったからどこかに寄ってもいい?』と聞くと悠馬は首を横に振った。
悠馬「姉ちゃんが色々準備してるので気を使わないで下さい」
神「準備?」
悠馬「なんかクッキーをめっちゃ作ってましたよ」
と言う悠馬に神は『本当?』と嬉しそうだ。
悠馬「クッキー好きなんですか?」
神「前に作ってもらったことがあってさ。めちゃくちゃ美味かったからまた食べれたらいいなと思ってたんだ」
悠馬「へぇ」
2人で並んで歩く。学校が見えてきて神はなんとなくその学校を見た。
神「……」(学校だ…)
フェンス越しに見たグランドにはたくさんの生徒が部活をしていた。
野球部にサッカー部、テニス部に陸上部…みんなが各々に汗を流し練習をしている。
特徴のないごくごく普通の学校だがなんとなく目が離せず横目で学校を見ていると悠馬が『この学校、俺の中学です』と言った。
神「あ、そうなんだ」
悠馬「姉ちゃんは通ってないですけど一応、母校ってやつになりますね」
神「……」
神の足が止まった。
神は何と返事をしていいのか分からず黙っていると悠馬が『こっちに引っ越してきてからすぐに一番下の弟が生まれたんです』と話始めた。
悠馬「姉ちゃんはめちゃくちゃ可愛がって世話をしてました。俺は姉ちゃんが弟の世話に没頭するのはあまり良い気はしてなかったんですけど…」
神「え?なんで?」
悠馬「なんか…弟を口実に逃げてるように見えて…嫌でした。俺、前の学校でサッカー部だったんです。結構、強豪でワクワクしてました。でもバカと姉ちゃんのトラブルで部活はやりにくいし転校する羽目になるし…ここはサッカー弱小だし…」
と中学校を見る。サッカーの練習をしているが素人の神にはそれが『弱小』なのかよく分からなかった。
神「サッカーはもうしてないのか?」
悠馬「…はい…。なんか…どうでも良くなっちゃって…」
神「…学校は弱小でも地域のサッカークラブとかあるだろ」
悠馬「…あの学校でエースになりたかったから…。憧れてたんです。浜岡中のエース」
神「……」
その気持ちはなんとなくわかる。自分だって海南のレギュラーになりたくて練習を頑張っていた時があった。
悠馬「俺は残りたかったんです。でもあの時の家の状況で言えなかった。たとえ言えたとしても無理だったと思いますけど…。精神的に不安定な姉ちゃんと絶対安静の妊婦、もうすぐ生まれてくる赤ちゃん…それを父さん1人で支えられるわけないです。働かないといけないし」
『精神的に不安定』
その言葉に神の心は重たくなった。
神「…」
悠馬「当時の俺は苦渋の決断でこっちに引っ越して来たのに姉ちゃんは『かわいい、かわいい』って弟を猫可愛がりして…。そんな姉ちゃんがくっそムカついて…」
神「……」
悠馬「ちょっとは申し訳なさそうにしろよって思ってました。俺はサッカーを諦めたのに何、楽しんでんだよって思ってました」
神「そうか…」
悠馬「でもある日、全然弟が泣き止まなくて…。母さんが自宅でネイルサロンしてたからお客さんが家にいて…気を遣った姉ちゃんが外に連れ出したんです」
神「うん」
悠馬「そしたら姉ちゃんが泣きながら帰って来たんです」
神「え」
悠馬「俺…その時が初めてだったんです…。姉ちゃんが泣いてるの見たの…」
神「……」
悠馬「きっと俺の知らない所でたくさん泣いてたんだと思うんですけど…俺は『見たことがない』から…それがわからなくて…。俺は初めて姉ちゃんがあのバカにされた事を目の当たりにしたような気がします」
神「…木村さんはどうして泣いて帰って来たの?」
悠馬「『どうして私は学校に通えないんだろう』って泣いてました」
神「っ!」
悠馬「何がどうなって感情が溢れたのか俺にはわからないですけど…」
神は無意識に拳を握り込んでいた。
悠馬は同じ学校に通っていた。近くで莉子の現状を見ていた悠馬ですら莉子に対して『申し訳なく思えよ』と思っていたのだ。
莉子の孤独は神が思っているよりずっと深いのかもしれない。
神「……」(…木村さん…)
当時の莉子には寄り添う人はいたのだろうか?悲しみや悔しさを受け止めてくれる人はいたのだろうか…。
明るく笑う莉子が目に浮かんだ。
神は少しだけ笑った。
神「でも今は違う」
悠馬が神を見た。
神「今の木村さんはすごく楽しそうだよ」
悠馬「俺には昔とそんなに変わって見えないんですけどね…。神さんから見たら違うんですか?」
神は黙っていた。
『あの頃』の莉子は知らないが今の莉子なら多少わかる。
今の莉子は周りをよく見て出過ぎないようにしている。そして周囲が自分に対して同情的だと感じれば虚勢を張って自分を強く見せる場面もあった。
まるで私は大丈夫だから気にかけるなと言っているように。
清田に『マネージャーのクセに出しゃばるな』と罵倒された時でも莉子は『私が泣けば清田君が悪者になっちゃう』と言った。それも本心なのだろうが、もしかしたら泣けば目立つ、同情されると思い咄嗟に言い返したのかもしれない…。
神の心を動かしたあの言葉の裏に莉子の悲しい過去があったのかもしれない。
神は悠馬に『もう行こう』と歩き出した。
無性に莉子に会いたい。
神は気付けば早足になっていた。
莉子がウロウロしていると『ピンポーン』とインターフォンが鳴った。
莉子「あ…」
莉子が出るより先に一番下の悠人が『はぁーい』と可愛らしい声で玄関に向かって走って行く。
莉子「玄関は危ないから1人で行っちゃダメ!」
莉子も慌てて玄関に向かい悠人を抱き上げ施錠を解除する。
莉子がドアを開ける。
悠馬「ただいま」
莉子は悠馬に『おかえり』と言いすぐ後ろにいた神に『神さん…お疲れ様です。どうぞ入ってください』と笑う。
神「お邪魔します」
玄関に一歩踏み入れると悠人が怯えたように『ねぇーね。これだれ?』と莉子の首に抱きつき神を指差した。
莉子は悠人に『指を差しません!あとこれじゃないでしょ』と注意をすると『こちらは神宗一郎さん。ねぇねのお友達』と言った。
神「……」(友達か…)
莉子の首元に顔を隠す様に押し付けながらチラチラと様子を伺う悠人に神は腰を屈め『よろしくね』と笑う。
しかし悠人は莉子の胸に顔を埋めて隠れてしまう。
神「……」(…小さい子ってどうしたらいいのか分からないな…)
どうしたらいいのかわからず神は助けを求める様に莉子に視線を送る。
莉子は『一番下の弟の悠人です。ちょっと人見知りする子で…すみません』と言った。
神は『ううん』と言って悠人から離れた。
悠馬が悠人に向かって手を出し『悠人。ねぇねは今から神さんとお話があるからこっちに来い。にーにと遊ぶぞ。ほら』と悠人の脇の下に手を入れ引っ張ると悠人が『やー!』と叫び莉子の首に抱きついた。
莉子「うっ!」
悠人の細く小さい腕が莉子の首を締め上げる。
悠馬「ほら!わがまま言うな!」
と無理やり引き離しにかかる悠馬。悠人も負けていない。
悠人「やーーーーだぁぁぁーーー!」
と強く莉子の首に抱きついた。
莉子「ぐ…ぐるじぃ…」
莉子がまるでプロレスのギブアップのジェスチャーの様に悠人の背中をポンポン叩く。
悠馬「こら!離せ‼︎」
悠人「やぁーーだーーーー!」
莉子「うっ…」
目の前で起こる三人姉弟のやり取りに一人っ子の神は『ちょっ…』とアタフタするのみ。
すると『何、騒いでるの』と奥から女性がやって来た。
悠馬が『こいつが姉ちゃんから離れないんだよ』と文句を言いつつ手を離す。
悠人が『おかぁしゃーん』と嬉しそうに手を伸ばす。それを見てニコッと笑うと悠人を抱っこした。
母親へ悠人を渡した莉子は一息ついた。
莉子「はぁ…。苦しかった…」
神は悠馬を見た。
悠馬「?」
神(悠馬は母親似なんだな…)
悠馬に似た女性が神を見た。そして目を細め『いらっしゃい』と笑った。
神の背筋がピンと伸びた。
神「は、初めまして。俺は神宗一郎と言います。よろしくお願いします…」
「莉子の母です。いきなりだけど今日はお家の人はご飯の準備とか終わってるかな?」
神「えっと…母はまだ仕事をしている時間なので準備はこれからだと思います…」
母「じゃあうちで食べていきなさい。実はもう準備してあるの。どうぞどうぞ」
と中へ入るように促す。
その有無を言わさない母親の誘いに莉子が待ったをかける。
莉子「こんな早い時間に食べたら変な時間にお腹空いちゃいませんか?」
神「いや」
『そんな事ないよ』と言いかけた所で母親が『そんなのあんたみたいに2回夕飯食べればいいじゃない』と言った。
莉子・神「‼︎⁉︎」
母親は神を見て『育ち盛りだもん。食べれるでしょ?』と言った。
悠馬「ぷっ!」
釣られるように神も『ぷっ!』と吹き出した。
悠馬が噴き出すと莉子はギロっと悠馬を睨み黙らせると莉子は慌てて『昔の話ですよ?昔!今は食べてません!』と神に詰め寄る。
神は笑いを堪えながら『うん。成長期だった時の話だよね』と言った。
神はクスクス笑いながら(本当にたくさん食べてたんだな)と莉子を見た。
莉子は顔を赤くし神から気まずそうに目を逸らした。
莉子「……」(最悪…)
悠人「お腹すいたー」
悠人の言葉に母親が神に『ほら、上がって。ご飯食べてからネイルしたらいいから。帰りは送ってくからね』と言った。
神は『ありがとうございます。じゃあご馳走になります』と靴を脱いだ。