神宗一郎と恋するお話
神奈川選抜合宿3日目 日曜日
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神「っ‼︎」
大輪の花が咲いた様な笑顔に神は息が止まりそうになった。
莉子は『ふふっ』と楽しそうに笑うと神のメモを口元に当てて『家に着いたら連絡します』と少女の様に微笑むと軽快な足取りで帰って行った。
莉子は手に持った神の連絡先を両手で大切そうに包み込んだ。
莉子の心の中はポカポカと温かい。
男の子が苦手な自分のために『断っていい』『無理に連絡しなくていい』『途中で辞めても構わない…』と逃げ道を作りつつ、歩み寄ろうとしてくれた神により一層、心惹かれた。
莉子にとって『男の人』は手のひらを返す様にいつ変貌するかわからない存在だった。
莉子は大きくなるにつれて『可愛いから』と目立つようになった。
それを初めて自覚したのは小学6年生の夏頃だった。
久しぶりに会った友達のおばあちゃんに言われた『莉子ちゃんは将来、貰い手に困らないね』という言葉がきっかけだ。
当時の莉子もその友達も『?』と首を傾げたぐらいだが
その頃から徐々に周囲の関心が大きくなっていった。
友達とお菓子を買いに行けば『可愛いからおまけね』と駄菓子屋のおじちゃんにお菓子を一つ多く入れてもらったりする事が増えた。
そんな些細な『優遇』が増えた。
大人の態度や言葉が子供達への呼び水の様に広がり、周りからは『見た目がいいだけなのにズルしてる』と見られる様になっていた。仲の良かった子達までもが『莉子ちゃんはいいよね。美人だから何もしなくても好かれちゃうから得だよね』と言う様になった。
中学になると違う小学校の子達と関わるようになった。
思春期を迎えた年代だけあってその頃から『恋愛』が絡み出した。
莉子に気に入られようとやたら優しくする人。
莉子を餌に男子や先輩と関わろうとする人。
断れば『散々顔で甘やかされてきたんだから、それくらい我慢しろ』と言われ、仲良くすれば『媚びている』と言われる。
告白され断れば『期待させやがって』とキレられる。
これらに不満を漏らせば『チヤホヤされていい思いしてるんだから仕方ないよね』と言われてしまう。
莉子が何を好きで何が嫌いで何を大切にしているか…。
『自分』という存在を否定されたような気分だった。
誰も莉子自身を見ていなかった。
可愛いという見た目だけで判断され、勝手な期待を押し付けられる。
周りから認められるにはどうしたらいい?
どれだけ周りに気を配っても、誰かを傷つけないようにしても、それで認められることはなかった。
この頃から莉子は他人の視線が気になるようになった。でもそれを知られたくなかった。
それは莉子の弱みだから。
弱みを見せてはダメだと耐えた。耐えて耐えて耐えた先に待っていたのは小野寺との衝突だった。
どんなに気を配ろうとも報われない事に絶望した。
でも神は違った。
莉子のために怒り、気持ちを尊重し、莉子が受けた傷に心を痛め、その傷を理解しようとしてくれた。
そんな人は今までいなかった。
莉子が笑うために全力を注いでくれる神と恋がしたいと思った。
莉子(どうしたら神さんに振り向いてもらえるんだろう)
合宿が終われば切れてしまうと思っていた縁。
その縁を繋ぐ小さなメモ用紙を胸に抱き、莉子は神を想った。
神は『う、受け取ってもらえたぁ…』とその場にしゃがみ込む。
去り際、メモを見せながら『連絡しますね』と笑った莉子を思い出して胸が高鳴った。
神(かわいかったな…。やっぱり木村さんは笑顔が一番かわいい…)
さっき見た笑顔が頭にこびりついて離れない。
神(勇気出してよかった…)
廊下で連絡先を書いて莉子を待っている間、実は渡そうかどうか迷っていたのだ。
藤真にメモを渡していたのを見た神。結果はレシピであったが神を動揺させるには十分だった。
神(モタモタしてたらダメだ…)
人からは見えずらい素敵な部分をたくさん持った莉子。
それに気付かない人から好き勝手に傷つけられても、それでも他人との関わりを諦めず立ち向かう強さを持った莉子。
しかも『耐える』という勇敢さまで持つ強い女の子。
そんな莉子の心からの笑顔が取り戻せるように支えてあげたい。
神(でも…)
宮城から言われた言葉が胸に突き刺さる。
『莉子ちゃんは男が苦手なんだ。特に自分を好きな男が大の苦手だ』
神(だからこそ急ぎたくない)
莉子はメモを渡そうとする自分を見たらどう思うだろう?
気持ち悪い?
怖い?
それともお前もかってがっかりするだろうか…
神(脅威にはなりたくないんだけどな…)
それでも莉子との時間を手放したくなかった。
心配だから――。
そんな口実で連絡先を渡そうとしてしまった。
けれど、何の疑いもなく受け取ろうとする莉子を見た瞬間、思わず本音を口にしていた。
だけど莉子は嫌な顔をしなかった。
神(マジでよかった…)
安堵のため息をつく神。
やっぱり莉子には誠実でいたい。
いや、誠実でいるべきだ。
だって莉子の心が欲しいのだから。
神(そのためにできることはなんでもしてやる!)
神は立ち上がり部室へと向かう。部室のロッカーを開け携帯電話をポケットに突っ込む。
莉子から連絡があったらすぐに確認するためだ。
神「さっさと終わらせるか」
しかし体育館に戻ると茜がいなくなっていた。
神「アイツ…」
神は苦虫を噛むように顔を顰めた。
茜のために莉子は気を遣って帰った。
それなのに当の本人がいなくなるなんて…。
と怒りが沸く。
普段なら怒ったりしない。この手伝いはあくまでも茜の厚意である。帰ろうが何しようが神には口を出す権利はないと思っている。
でも今日だけは腹が立った。
莉子との時間がなくなってしまった…。
神「まったく!」
怒りを鎮めるようにふぅと息を吐きボールを手に取る。
何度かボールを床について気持ちを落ち着かせてからゴールを見た。
シュッ
ボールは綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれるように入った。
神(なるべく早く終わらせて木村さんと電話しなきゃ)
神は練習を始めた。
シュッ!
神がボールを放った。
神「はぁ…はぁ…はぁ…」(96…)
シュパッと気持ちいい音を立ててボールがネットを揺らす。
ゴール下をテンテンテンとボールが転がる。
それを茜が拾った。
茜は『ナイシュー』と言うと神はボールをパスした。
神は茜を見た。
神「…?目、赤くない?どうした?」
茜は気まずそうに『目にゴミが入っちゃって…それで顔を洗いに行ってて遅くなっちゃった…。ごめんね』と言った。
神は『そう…。まぁ、無理するなよ』と言うと練習を再開させた。
神は嘘だなとわかっていた。
体育館の扉は開け放たれている。
だからそよ風程度の風が吹いているがこんな砂埃も何もない体育館でどうやって目にゴミが入るのか…。
神「……」(まったく…)
茜が泣いた理由に心当たりはある。
昔から、自分の世話は茜がするものだと思っている節がある。
茜は莉子とは真逆で言いたい事ははっきりと言うタイプだ。
言わないと言う事は言いたくないんだろう。
言いたくなったら勝手に話し出すだろ…と神はそう思った。
練習が再開され神は無言で黙々とシュートを放っていく。
茜も淡々と神へパスを回していく。
茜(相変わらず綺麗なシュート…)
神がバスケを始めた時からずっと練習を見てきた。
神の成長が茜と神の絆だった。
茜も10年間、まったく揺るがなかったわけではなかった。
もうダメだと挫けそうになった事なんて数え切れないほどある。
そう言う時、茜は神に我儘を言った。
我儘を言うと困った様に笑い『仕方ないな…』と言って甘えさせてくれる。
一昨日だって『汗を拭かせて欲しい』と頼んだ時も最初は嫌がっていたが最後には『仕方ないな…』と汗を拭かせてくれた。
神は最後には許してくれる。受け入れてくれる。
そんな小さな安心感で茜はここまできた。
でも莉子の登場でそれらが全部、自己満足に過ぎなかった事を痛感した。
顔に怪我までして莉子を守った。
莉子にヘイトを向けさせない為にこれまで避けてきた苦手なファンサービスをするようになった。
大声で笑い、男友達の様に遠慮なく接しているかと思えば、話しかける声や言葉は思いやりと気遣いで溢れている。
何もかもが自分とは違った。
莉子への態度を見ていると、自分は特別なんかじゃなかったのだと思い知らされる。
引っ込んだ筈の涙がまた込み上げてくるのを感じて茜は奥歯を強く噛んだ。
神は茜の異変に気付いた。
神「茜?」
茜は『何でもない』と言ったが神は『…何でもない事はないだろ…』と返す。
神「今日はもう帰ったら?」
神なりの気遣いだったが茜には面倒くさいやつは必要ないと言われているように感じた。
茜「ねえ、宗ちゃん」
神「ん?」
茜「宗ちゃんはあの子の事どう思ってるの?」
神「あの子って木村さんの事?」
茜はコクリと頷いた。
神は質問の意味がわからず『どうって…』と頭を掻いた。
茜「『好き』?『嫌い』?」
神「…何、その質問…」
と怪訝そうに茜を見つめる神。
茜「どっちなの⁉︎」
茜は問い詰めたが神は『何でそんな事を茜には言わないといけないんだよ』と練習を再開させようとボールカゴに手を伸ばした。
茜「じゃあ私は?私の事は『好き』?『嫌い』?」
神「マジでさっきから何なんだよ⁉︎」
神にとって茜は妹の様な存在だ。妹に『好き』なんて言う兄なんていないだろう。
そもそも茜相手に『好き』か『嫌い』かという質問が合ってない。強いて言うなら『大事』か『大事じゃないか』の方がしっくりくる。
でもそんな事、説明したくもないし『大事だよ』なんて口が裂けても言えない。絶対に嫌だ。
だが茜は『答えて』と食い下がる。
神「嫌だ!」
茜「答えて!」
神「嫌だ!」
茜「答えて!」
神は『はぁー』とため息をつくと『もう帰りなよ』と言った。
莉子に練習を頼んだことへの不平不満なら手を止めて聞くのはいい。
莉子が変な誤解されるなんて困る。
でもこんな意図も何もはっきりとしない馬鹿げた質問で練習が止まるのはまっぴらごめんだった。
しかし茜は『答えてくれるまで帰らない』と引き下がらない。
神はギロっと茜を睨んだ。
神「いい加減にしろ。俺は忙しいんだ。邪魔するなら帰れ」
怒鳴るわけでもなく淡々と静かに言った神。
茜「………」
茜はもう小さな安心感もくれないのかと悲しくなった。
茜はそのまま何も言わずに体育館を出た。
茜が外へ出るとボールがネットを揺らす音が聞こえた。
茜「…追いかけて来てもくれないんだ…」
ポツリと呟く。諦めがつかずしばらく待ってみたが神は練習を続けていた。
茜「………」
茜は校舎に向かって歩き出した。
どうして私ではダメなのだろう…
どうしてあの子が良かったのだろう…
そんな事を考えながら校舎内を歩く。
窓ガラスに映った自分が目に入った。
テニスをするのに邪魔だからと短く切られた髪の毛…
黒く日焼けした肌…
155センチの小柄な身長…
筋肉質な手足…
全部、あの子とは正反対な自分。
茜「あの子みたいになれたら……宗ちゃんは私を見てくれるのかな」
と短く切られた髪を撫でた。
神は最後のボールを放った。
ボールはそのままゴールに入る。
神「ふーーー。終了…」
神は汗を拭き水分を摂るとボールを片付け始める。
倉庫にボールカゴをしまう。
神「………」(茜…様子、見に行った方がいいかな…)
いつも言いたい事を好き勝手に言う茜が暗い顔をして意味不明な質問をしてきた。
何か悩んでるのかな…。
いつも手伝ってくれる茜に対して冷たくしてしまったか…?と少し後悔もあった。
神「はぁ…」
神は携帯を手に取った。莉子が無事に家に着いたのは随分前に確認済みだ。
莉子へ練習が終わったので今から家に帰ることをメッセージで送る。
すぐに既読がついて『お疲れ様です。気をつけて帰って下さいね』と返信が届く。
神は心が和らぐのを感じ、口元が綻んだ。
明日はどんなメッセージを送ってきてくれるだろう。
明日はもう会えない。でも繋がっている。
そのことが嬉しかった。
神は携帯をポケットにしまうと体育館を出た。
神(早く声が聞きたいな…)
神は小走りで部室へと向かうのだった。
同じ頃、莉子は既読がついたメッセージを見つめていた。
莉子(今頃、帰りの準備中かな…)
神のことを考えていると部屋がノックされ莉子はドアを見た。
悠馬「飯!」
ドア越しにそれだけ言うと空腹なのかドタバタと慌ただしく階段を降りていく足音が聞こえた。
莉子は『ふふ』も笑うと部屋を出た。
これから神とおしゃべりをする。明日になったらメッセージのやりとりも始まるかもしれない。
莉子は自然と鼻歌を歌っていた。
莉子(早く声が聞きたいな)
まだ始まったばかりの小さな繋がりを胸に、莉子は軽やかな足取りで階段を降りていく。
それぞれの想いを胸に抱えたまま、夏の合宿は静かに幕を閉じた。
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