神宗一郎と恋するお話
神奈川選抜合宿3日目 日曜日
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クッキーを頬張っていた神が『あ、そういえば聞きたいことがあったんだった…』と手を止める。
神にそう言われた莉子は『なんでしょうか?』と首を傾げる。
神「なんで中学はテニス部だったの?」
莉子「え?」
神「バスケ部には憧れの先輩がいたから入ったっていうのは聞いたけどテニス部に入った理由ってなんだったの?元々テニスが好きだったの?」
莉子は『あー…』と目を泳がせた後、気まずそうに話し始めた。
莉子「私のお母さんってネイリストなんです」
神「うん?」
なぜいきなり母親の話?と思いながらも黙って話を聞く。
莉子「そのせいなのか昔から美容にうるさくて…。特に『太る』ことに敏感で…」
神「へぇ…」
無意識に莉子を見た。
神(確かにスタイルいいもんな…)
きっと運動とか食べるものとかに気をつけてるんだろうな…。水を2リットル飲んだり朝起きたら白湯飲んだり、アサイーとか食べてるんだ…。
となけなしの美容知識をかき集める。
莉子「あ、あの…神さんは中学時代とか食欲どうでした?」
神「食欲?あー…。あんまり食に興味もない方だし…少食かも…」
莉子は『そうなんですね…』と俯く。
神「?食欲が何か関係あるの?」
莉子は覚悟を決めた様にグッと拳に力を入れた。
莉子「私、食欲すごくて…」
神「へ?」
莉子「でも母親からは太るからお菓子の類は制限をかけられてて…。だからテニス部に入れば太らずにたくさん食べられると思って…それで…入部したんです…」
神「………」
莉子「……?」(あ、アレ?)
神「つまり…」
莉子「はい…」
神「たくさん食べるためにテニス部に?」
莉子「……はい」
神「……っ」
莉子「?」
神「………」
何も言わない神の様子を伺う莉子。
神「…ふっ…」
神の肩がプルプルと小さく揺れ始める。
莉子「?じ、神さん…?」
神「…ふっ…ははは、あははははは」
莉子「⁉︎」
神がお腹を抱えて笑う。
神「マジか‼︎それは予想外過ぎる!…くっ…あははははははは」
莉子「そ、そんなに笑わなくてもいいのに…」
神「ご、ごめん…。でも入部理由がお腹いっぱい食べたいからって…そんなの…ふ、はははははははは」
きっと美容や体型維持のためだと思っていた。
まさか食欲が原動力だったとは。
莉子「そんなに笑わなくてもいいのに…」
神は莉子がシュンとしている事に気づき『ごめん、ごめん』と謝った。
神「で…いっぱい食べれた?」
莉子「いっぱい食べました!」
莉子の答えを聞いて神は再び肩を震わせる。
神「っ…ふふ…よ、よかったね…う、運動した後って…ふっ…めっちゃ腹減るもんね…くっ…ダメだ…はははははははは…はぁーお腹痛い…」
と目に溜まった涙を拭く神。
笑いすぎて息も絶え絶えな神を見て『もういいです!』と膝を抱え込み不貞腐れる莉子。
神「ごめん、ごめん…予想外過ぎてつい…でももう笑わないから…」
と言っても莉子は膝を抱えたまま神を見ない。
そしてポツリと呟く。
莉子「今はもう食欲が落ち着いたんです…」
と言う莉子に神は『そっか』と頭を撫でる。
神「成長期だったのかな」
莉子「………」
コクリと頷く莉子。
神「…木村さん…」
莉子「?」
神「木村さんが食いしん坊なのはもうわかったから俺の前では遠慮せずたくさん食べなよ。その後の運動も付き合うし」
と笑う。
莉子「!」
莉子は驚いた様に神を見て気まずそうに視線を逸らした後、コクっと頷いたのだった。
頬をほんのり染めた莉子を神は優しく見つめる。
体育館を抜ける風だけが静かに2人の間を通り過ぎた。
誰も何も言わない。
それでも、その沈黙は心地よかった。
――ずっとこうしていたい。
その想いだけが、2人の胸に静かに重なっていた。
茜「な…何で…」
茜は神がいつも居残り練習をしている事を知っている。だからいつものように体育館へやってきた。
なのに目の前には信じられない光景が広がっている。
神のお気に入りの場所で楽しくおしゃべりをしている2人。
体育館は茜と神の場所だった。
少なくとも茜はそうだった。
やっと合宿が終わった。
あの子ももう来なくなる。
また日常に戻ればあの子がいないことが日常になる。
神に手応えを感じず離れていった女の子たちと同じ様に神も忘れてしまうだろう…。
そう思っていたのに…。
神「マジか‼︎それは予想外過ぎる!」
と叫ぶ様に言った後神の笑い声が体育館に響いた。
茜は咄嗟に体育館の2階へと走っていた。
そっと体育館の2階から2人の頭上にある細い通路を歩く。
耳をすませば2人の話し声が聞こえる。茜はその場にぺたんと座り込み2人の会話に聞き耳を立てた。
『たくさん食べれた?』
『たくさん食べました』
まだ何か話しているが笑いすぎて声が震えていて何を言っているか聞き取れない。
それほどの大笑いを茜は見たことがなかった。
また神が大笑いをし始め『お腹痛い』と言った。
茜は床を掴むように拳を握りしめた。
神だって笑うし、大笑いだって爆笑だってする。
でもその視線の先にいるのはいつでも『男の子』だ。
神が女の子相手にこれだけ笑うのを見たのはこれが初めてだった。
茜「……」
ぐらりと地面が揺れた気がした。
座っててよかった…
そんな見当違いな事を考える。
神が『木村さんが食いしん坊なのはもうわかったから俺の前では遠慮せずたくさん食べなよ。その後の運動も付き合うし』と言った。莉子の声は聞こえなかった。
ざわざわと風が木の枝を揺らしている。
茜はその場から動けずただ木のざわめきを聞いていた。
茜「……」(すごく優しい話し方…)
元々、穏やかな性格で物腰も柔らかい。
それでも莉子が相手だと、その優しさは別格だった。
声の調子も言葉の選び方も、まるで小さな子どもに話しかけるように柔らかい。
そうかと思えば大笑いをする。
2人の距離は、もう茜が思っていた以上に縮まっていた。
神はもう、莉子に心を許している。
パァン
現実に引き戻す様な乾いた音に茜はハッとした。
茜(な、何…)
神が『さぁ、練習しようか』と言った。
その発言で神が手を叩いた音だとわかった。神は仕切り直す時に手を叩く癖がある。
莉子は『私、ゴミ捨ててきますね』と言って体育館を小走りで出て行く。
莉子が出て行ったことにホッとした。
神が自主練の準備をし始める。
茜(出るタイミング難しい…)
2階に来てしまったせいで声をかけることができない。
聞き耳を立てていたことを知られたくない。
茜(ここでじっとしてても仕方ないし…よしっ!)
茜はそっと立ち上がる。
神が体育館倉庫に入って行くのを見て一気に一階へと駆け下りた。
そして出口に立ち、さも今来ましたよと言う顔で『宗ちゃーーーーん!いるーーー⁉︎』と大声で呼んだ。
体育館倉庫からボール籠を引っ張り出しながら神が顔を出す。
神「相変わらず元気だな…」
と呆れた様な顔をしている。
茜「……」(私にはそんな顔なのに…)
もしこれが莉子だったら『元気だね』と笑うクセに…。
そして『何かいい事あったの?』と聞くはずだ。
茜は黙っていた。今、口を開けばまた神を怒らせてしまいそうだ。
神「?何か怒ってる?」
茜「…別に」
神「ふーん」
茜(あの子だったらもっと突っ込んで聞くんだろうな…)
茜はチラッと神を見た。目が合う。
そして神が『あ、そうだ!』と言った。
茜「?」
神「ボール出しの手伝いに来てくれたんだよな?」
茜「うん。いつも私がしてるし」
神「そうなんだけどさ…今日は大丈夫」
茜「え?あの一年生がするの?」
神「…いや…違う、けど…」
途端にニヤニヤと神の口元が緩む。
茜「何?どうしたの?」
神「え?何?」
神を責めるような言い方をしていると自覚があったがどうしても莉子の顔がチラついて焦りが隠せなかった。
茜「ニヤニヤしてる」
茜の言葉にアタフタと手で口元を隠す神。
神「に、ニヤけてないから」
茜は『どっちでもいいけど』と冷たく言い放つ。
茜「で、今日の練習相手は誰なの?」
と問う。
神「…木村さん…」
全身の毛が逆立つのを感じた。
体育館は私達の場所…。
この自主練だって…私の大切な時間だったのに…。
宗ちゃんは違うの?
茜「何で…」
神「…べ、別に変な話じゃないだろ…。木村さんはマネージャーだし…自主練の相手ぐらい…」
茜「合宿はもう終わってるじゃん!」
神「そうだけど…。でも木村さんは神奈川選抜のマネージャーで大会は終わってないし練習手伝ってもらうのは普通だ」
茜「でも!」
莉子「あ、あのー…」
今にも口論が始まりそうな2人に割って入るのんびりとした声。
神、茜「⁉︎」
驚いた2人は声のする方を見た。莉子が入り口に立っていた。
神(聞かれてたか…?)
神は引き攣った笑いを浮かべ『お、おかえり…』と言った。
莉子もまた困った様に笑う。
莉子「神さん…。すみません。私、用事があったの思い出して…。もう帰らないと…だからお手伝いできそうなくて…」
神・茜「………」
茜と神は嘘だとすぐにわかった。
神は茜を見た。
拳を握り俯いている茜。その拳が微かに震えている。
神は『はぁ…』とため息をついた。
神「うん。わかった…。じゃあ駅まで送ってく」
莉子「大丈夫ですよ。まだ外は明るいので1人で帰ります。最後までお手伝いできなくてごめんなさい」
神は莉子の所へ駆け出していた。
神「ダメだって!送ってくから。茜!」
茜は顔を上げた。
神「駅まで送ったら帰ってくるから話はその後でもいい?」
そう聞かれて茜は神を見た。
『嫌だ』
と言ったら?
茜はフッと息を漏らす様に笑った。
どうなるかなんて想像できる。
茜はコクリと頷いた。
神は『いや、でも…』と遠慮し続けている莉子の背中を軽く押しながら体育館を出て行った。
閉まりかけた扉の向こうから、二人の話し声が少しだけ聞こえた。
やがてそれも遠ざかり、体育館には静けさだけが残る。
大切な場所も時間も取り返した…。
でも大切な人だけがいない。
茜は誰もいなくなった体育館で声を殺して泣いた。
更衣室に向かいながら神は『さっきの話を聞いてたでしょ』と言った。
莉子は『え?』と言いながら目を泳がせる。
神は(わかりやすいな)と苦笑いを浮かべ『ごめん』と謝った。
莉子「どうして謝るんですか」
神「気まずい思いさせたから…。本当、ごめんね」
莉子「私は…嫌な思いなんてしてないですよ」
神「茜は元々世話好きなんだろうけど俺の世話をするのは自分!って思い込んでる節があってさ。俺ももうそんなに小さくないんだけどね」
莉子「神さんと…茜さんはいつからのお友達なんですか?」
神「…物心ついた時には一緒にいたよ。家が近くてよく公園で遊んでたんだ。幼馴染って言える子は茜以外にもいるけど高校まで一緒なのは茜ぐらい」
莉子「へぇ…。物心がついた頃…それはすごく長いお付き合いですね」
神「だから遠慮がなくて困るよ。まぁ、昔からずっとあんな感じだけど」
莉子「でも毎日、練習に付き合ってくれてるんですよね。素敵な幼馴染さんですね」
神「まぁ…確かに茜には色々助けられたかな。あいつ、おせっかいだから困ってる時は絶対放っておかないし」
莉子「……」(ずっと神さんの隣には茜さんがいたんだ…)
モヤッ
莉子はドキッとした。茜に嫉妬なんて馬鹿げていると思った。
更衣室に着くと神が『筆記用具持ってる?』と聞いた。
莉子はポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出し『こういうのなら…』と神の方へ差し出した。
神「一枚、もらってもいい?」
莉子「はい。一枚でいいですか?」
神が『うん』と頷くのを見て莉子はメモを一枚ちぎってボールペンと一緒に渡す。
神はそれらを『ちょっと借りるね』と言って受け取る。
莉子は『じゃあ私は荷物取ってきますね』と更衣室へ入っていく。
いつもの様にリュックを取り出し背負う。そして戸締りをして出た。
莉子「お待たせしました」
壁にもたれ何かを書いていた神が顔を上げ莉子に向かってニコッと笑う。
そして『ありがとう』とボールペンを差し出す。
莉子はそれを受け取りリュックの小さなポーチの中に入れた。
玄関まで来て莉子は言った。
莉子「あの…やっぱりここまでいいです。茜さんが待ってるし早く戻ってください」
神が苦笑いを浮かべ下駄箱に伸ばした手を止める。
神「そういうと思った」
莉子「え…」
神がメモを莉子へ差し出す。
不思議そうに神とメモ用紙を交互に見た。
神「これ俺の連絡先」
莉子「えっ⁉︎」
神「家に着いたら連絡して。心配だから」
莉子は(なんだ…そういうことか)と少しがっかりした。
莉子は『はい。わかりました』とメモに手を伸ばす。
もう少しで掴むという所で神が『やっぱりダメだ!』とメモを引っ込めた。
莉子の出した手が虚しく空を切る。
莉子は『え⁉︎』と困惑している。
神「…ご…ごめん。こんな渡し方、ずるいよね。」
莉子「ズルい?」
戸惑う莉子に神は説明を始める。
神「心配だからって言えば受け取ってもらえる気がしたんだ…。もちろん心配なのも本心だけど…」
莉子「…ど、どういういいですか?」
神は困った様に笑うと恥ずかしそうに頭を掻いた。
神「俺、もっと木村さんと話したいんだよね」
莉子「…っ」
莉子が息を呑む
神は一度言葉を止めた。
この先を口にしたら、今までの関係が変わる気がした。
それでも、伝えたかった。
神「でも無理強いをするつもりもないんだ。だから断ってもらってもいいし、受け取ってもやっぱり無理だと思ったら連絡しなくてもいいし途中でやめてもいい。その…俺と…と、友達になるということを一回、真剣に考えて欲しい…」
莉子は顔を真っ赤にした神を見た。
真剣に言ってくれてる…。
莉子はそっとメモを手に取った。
指先が少し震えていた。
神が自分のために勇気を出してくれた。
そのことが、何より嬉しかった。
莉子が神を見た。
莉子は『よかった』と呟くと『私ももっと神さんとお話ししたいなって思ってました』と笑った。
神にそう言われた莉子は『なんでしょうか?』と首を傾げる。
神「なんで中学はテニス部だったの?」
莉子「え?」
神「バスケ部には憧れの先輩がいたから入ったっていうのは聞いたけどテニス部に入った理由ってなんだったの?元々テニスが好きだったの?」
莉子は『あー…』と目を泳がせた後、気まずそうに話し始めた。
莉子「私のお母さんってネイリストなんです」
神「うん?」
なぜいきなり母親の話?と思いながらも黙って話を聞く。
莉子「そのせいなのか昔から美容にうるさくて…。特に『太る』ことに敏感で…」
神「へぇ…」
無意識に莉子を見た。
神(確かにスタイルいいもんな…)
きっと運動とか食べるものとかに気をつけてるんだろうな…。水を2リットル飲んだり朝起きたら白湯飲んだり、アサイーとか食べてるんだ…。
となけなしの美容知識をかき集める。
莉子「あ、あの…神さんは中学時代とか食欲どうでした?」
神「食欲?あー…。あんまり食に興味もない方だし…少食かも…」
莉子は『そうなんですね…』と俯く。
神「?食欲が何か関係あるの?」
莉子は覚悟を決めた様にグッと拳に力を入れた。
莉子「私、食欲すごくて…」
神「へ?」
莉子「でも母親からは太るからお菓子の類は制限をかけられてて…。だからテニス部に入れば太らずにたくさん食べられると思って…それで…入部したんです…」
神「………」
莉子「……?」(あ、アレ?)
神「つまり…」
莉子「はい…」
神「たくさん食べるためにテニス部に?」
莉子「……はい」
神「……っ」
莉子「?」
神「………」
何も言わない神の様子を伺う莉子。
神「…ふっ…」
神の肩がプルプルと小さく揺れ始める。
莉子「?じ、神さん…?」
神「…ふっ…ははは、あははははは」
莉子「⁉︎」
神がお腹を抱えて笑う。
神「マジか‼︎それは予想外過ぎる!…くっ…あははははははは」
莉子「そ、そんなに笑わなくてもいいのに…」
神「ご、ごめん…。でも入部理由がお腹いっぱい食べたいからって…そんなの…ふ、はははははははは」
きっと美容や体型維持のためだと思っていた。
まさか食欲が原動力だったとは。
莉子「そんなに笑わなくてもいいのに…」
神は莉子がシュンとしている事に気づき『ごめん、ごめん』と謝った。
神「で…いっぱい食べれた?」
莉子「いっぱい食べました!」
莉子の答えを聞いて神は再び肩を震わせる。
神「っ…ふふ…よ、よかったね…う、運動した後って…ふっ…めっちゃ腹減るもんね…くっ…ダメだ…はははははははは…はぁーお腹痛い…」
と目に溜まった涙を拭く神。
笑いすぎて息も絶え絶えな神を見て『もういいです!』と膝を抱え込み不貞腐れる莉子。
神「ごめん、ごめん…予想外過ぎてつい…でももう笑わないから…」
と言っても莉子は膝を抱えたまま神を見ない。
そしてポツリと呟く。
莉子「今はもう食欲が落ち着いたんです…」
と言う莉子に神は『そっか』と頭を撫でる。
神「成長期だったのかな」
莉子「………」
コクリと頷く莉子。
神「…木村さん…」
莉子「?」
神「木村さんが食いしん坊なのはもうわかったから俺の前では遠慮せずたくさん食べなよ。その後の運動も付き合うし」
と笑う。
莉子「!」
莉子は驚いた様に神を見て気まずそうに視線を逸らした後、コクっと頷いたのだった。
頬をほんのり染めた莉子を神は優しく見つめる。
体育館を抜ける風だけが静かに2人の間を通り過ぎた。
誰も何も言わない。
それでも、その沈黙は心地よかった。
――ずっとこうしていたい。
その想いだけが、2人の胸に静かに重なっていた。
茜「な…何で…」
茜は神がいつも居残り練習をしている事を知っている。だからいつものように体育館へやってきた。
なのに目の前には信じられない光景が広がっている。
神のお気に入りの場所で楽しくおしゃべりをしている2人。
体育館は茜と神の場所だった。
少なくとも茜はそうだった。
やっと合宿が終わった。
あの子ももう来なくなる。
また日常に戻ればあの子がいないことが日常になる。
神に手応えを感じず離れていった女の子たちと同じ様に神も忘れてしまうだろう…。
そう思っていたのに…。
神「マジか‼︎それは予想外過ぎる!」
と叫ぶ様に言った後神の笑い声が体育館に響いた。
茜は咄嗟に体育館の2階へと走っていた。
そっと体育館の2階から2人の頭上にある細い通路を歩く。
耳をすませば2人の話し声が聞こえる。茜はその場にぺたんと座り込み2人の会話に聞き耳を立てた。
『たくさん食べれた?』
『たくさん食べました』
まだ何か話しているが笑いすぎて声が震えていて何を言っているか聞き取れない。
それほどの大笑いを茜は見たことがなかった。
また神が大笑いをし始め『お腹痛い』と言った。
茜は床を掴むように拳を握りしめた。
神だって笑うし、大笑いだって爆笑だってする。
でもその視線の先にいるのはいつでも『男の子』だ。
神が女の子相手にこれだけ笑うのを見たのはこれが初めてだった。
茜「……」
ぐらりと地面が揺れた気がした。
座っててよかった…
そんな見当違いな事を考える。
神が『木村さんが食いしん坊なのはもうわかったから俺の前では遠慮せずたくさん食べなよ。その後の運動も付き合うし』と言った。莉子の声は聞こえなかった。
ざわざわと風が木の枝を揺らしている。
茜はその場から動けずただ木のざわめきを聞いていた。
茜「……」(すごく優しい話し方…)
元々、穏やかな性格で物腰も柔らかい。
それでも莉子が相手だと、その優しさは別格だった。
声の調子も言葉の選び方も、まるで小さな子どもに話しかけるように柔らかい。
そうかと思えば大笑いをする。
2人の距離は、もう茜が思っていた以上に縮まっていた。
神はもう、莉子に心を許している。
パァン
現実に引き戻す様な乾いた音に茜はハッとした。
茜(な、何…)
神が『さぁ、練習しようか』と言った。
その発言で神が手を叩いた音だとわかった。神は仕切り直す時に手を叩く癖がある。
莉子は『私、ゴミ捨ててきますね』と言って体育館を小走りで出て行く。
莉子が出て行ったことにホッとした。
神が自主練の準備をし始める。
茜(出るタイミング難しい…)
2階に来てしまったせいで声をかけることができない。
聞き耳を立てていたことを知られたくない。
茜(ここでじっとしてても仕方ないし…よしっ!)
茜はそっと立ち上がる。
神が体育館倉庫に入って行くのを見て一気に一階へと駆け下りた。
そして出口に立ち、さも今来ましたよと言う顔で『宗ちゃーーーーん!いるーーー⁉︎』と大声で呼んだ。
体育館倉庫からボール籠を引っ張り出しながら神が顔を出す。
神「相変わらず元気だな…」
と呆れた様な顔をしている。
茜「……」(私にはそんな顔なのに…)
もしこれが莉子だったら『元気だね』と笑うクセに…。
そして『何かいい事あったの?』と聞くはずだ。
茜は黙っていた。今、口を開けばまた神を怒らせてしまいそうだ。
神「?何か怒ってる?」
茜「…別に」
神「ふーん」
茜(あの子だったらもっと突っ込んで聞くんだろうな…)
茜はチラッと神を見た。目が合う。
そして神が『あ、そうだ!』と言った。
茜「?」
神「ボール出しの手伝いに来てくれたんだよな?」
茜「うん。いつも私がしてるし」
神「そうなんだけどさ…今日は大丈夫」
茜「え?あの一年生がするの?」
神「…いや…違う、けど…」
途端にニヤニヤと神の口元が緩む。
茜「何?どうしたの?」
神「え?何?」
神を責めるような言い方をしていると自覚があったがどうしても莉子の顔がチラついて焦りが隠せなかった。
茜「ニヤニヤしてる」
茜の言葉にアタフタと手で口元を隠す神。
神「に、ニヤけてないから」
茜は『どっちでもいいけど』と冷たく言い放つ。
茜「で、今日の練習相手は誰なの?」
と問う。
神「…木村さん…」
全身の毛が逆立つのを感じた。
体育館は私達の場所…。
この自主練だって…私の大切な時間だったのに…。
宗ちゃんは違うの?
茜「何で…」
神「…べ、別に変な話じゃないだろ…。木村さんはマネージャーだし…自主練の相手ぐらい…」
茜「合宿はもう終わってるじゃん!」
神「そうだけど…。でも木村さんは神奈川選抜のマネージャーで大会は終わってないし練習手伝ってもらうのは普通だ」
茜「でも!」
莉子「あ、あのー…」
今にも口論が始まりそうな2人に割って入るのんびりとした声。
神、茜「⁉︎」
驚いた2人は声のする方を見た。莉子が入り口に立っていた。
神(聞かれてたか…?)
神は引き攣った笑いを浮かべ『お、おかえり…』と言った。
莉子もまた困った様に笑う。
莉子「神さん…。すみません。私、用事があったの思い出して…。もう帰らないと…だからお手伝いできそうなくて…」
神・茜「………」
茜と神は嘘だとすぐにわかった。
神は茜を見た。
拳を握り俯いている茜。その拳が微かに震えている。
神は『はぁ…』とため息をついた。
神「うん。わかった…。じゃあ駅まで送ってく」
莉子「大丈夫ですよ。まだ外は明るいので1人で帰ります。最後までお手伝いできなくてごめんなさい」
神は莉子の所へ駆け出していた。
神「ダメだって!送ってくから。茜!」
茜は顔を上げた。
神「駅まで送ったら帰ってくるから話はその後でもいい?」
そう聞かれて茜は神を見た。
『嫌だ』
と言ったら?
茜はフッと息を漏らす様に笑った。
どうなるかなんて想像できる。
茜はコクリと頷いた。
神は『いや、でも…』と遠慮し続けている莉子の背中を軽く押しながら体育館を出て行った。
閉まりかけた扉の向こうから、二人の話し声が少しだけ聞こえた。
やがてそれも遠ざかり、体育館には静けさだけが残る。
大切な場所も時間も取り返した…。
でも大切な人だけがいない。
茜は誰もいなくなった体育館で声を殺して泣いた。
更衣室に向かいながら神は『さっきの話を聞いてたでしょ』と言った。
莉子は『え?』と言いながら目を泳がせる。
神は(わかりやすいな)と苦笑いを浮かべ『ごめん』と謝った。
莉子「どうして謝るんですか」
神「気まずい思いさせたから…。本当、ごめんね」
莉子「私は…嫌な思いなんてしてないですよ」
神「茜は元々世話好きなんだろうけど俺の世話をするのは自分!って思い込んでる節があってさ。俺ももうそんなに小さくないんだけどね」
莉子「神さんと…茜さんはいつからのお友達なんですか?」
神「…物心ついた時には一緒にいたよ。家が近くてよく公園で遊んでたんだ。幼馴染って言える子は茜以外にもいるけど高校まで一緒なのは茜ぐらい」
莉子「へぇ…。物心がついた頃…それはすごく長いお付き合いですね」
神「だから遠慮がなくて困るよ。まぁ、昔からずっとあんな感じだけど」
莉子「でも毎日、練習に付き合ってくれてるんですよね。素敵な幼馴染さんですね」
神「まぁ…確かに茜には色々助けられたかな。あいつ、おせっかいだから困ってる時は絶対放っておかないし」
莉子「……」(ずっと神さんの隣には茜さんがいたんだ…)
モヤッ
莉子はドキッとした。茜に嫉妬なんて馬鹿げていると思った。
更衣室に着くと神が『筆記用具持ってる?』と聞いた。
莉子はポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出し『こういうのなら…』と神の方へ差し出した。
神「一枚、もらってもいい?」
莉子「はい。一枚でいいですか?」
神が『うん』と頷くのを見て莉子はメモを一枚ちぎってボールペンと一緒に渡す。
神はそれらを『ちょっと借りるね』と言って受け取る。
莉子は『じゃあ私は荷物取ってきますね』と更衣室へ入っていく。
いつもの様にリュックを取り出し背負う。そして戸締りをして出た。
莉子「お待たせしました」
壁にもたれ何かを書いていた神が顔を上げ莉子に向かってニコッと笑う。
そして『ありがとう』とボールペンを差し出す。
莉子はそれを受け取りリュックの小さなポーチの中に入れた。
玄関まで来て莉子は言った。
莉子「あの…やっぱりここまでいいです。茜さんが待ってるし早く戻ってください」
神が苦笑いを浮かべ下駄箱に伸ばした手を止める。
神「そういうと思った」
莉子「え…」
神がメモを莉子へ差し出す。
不思議そうに神とメモ用紙を交互に見た。
神「これ俺の連絡先」
莉子「えっ⁉︎」
神「家に着いたら連絡して。心配だから」
莉子は(なんだ…そういうことか)と少しがっかりした。
莉子は『はい。わかりました』とメモに手を伸ばす。
もう少しで掴むという所で神が『やっぱりダメだ!』とメモを引っ込めた。
莉子の出した手が虚しく空を切る。
莉子は『え⁉︎』と困惑している。
神「…ご…ごめん。こんな渡し方、ずるいよね。」
莉子「ズルい?」
戸惑う莉子に神は説明を始める。
神「心配だからって言えば受け取ってもらえる気がしたんだ…。もちろん心配なのも本心だけど…」
莉子「…ど、どういういいですか?」
神は困った様に笑うと恥ずかしそうに頭を掻いた。
神「俺、もっと木村さんと話したいんだよね」
莉子「…っ」
莉子が息を呑む
神は一度言葉を止めた。
この先を口にしたら、今までの関係が変わる気がした。
それでも、伝えたかった。
神「でも無理強いをするつもりもないんだ。だから断ってもらってもいいし、受け取ってもやっぱり無理だと思ったら連絡しなくてもいいし途中でやめてもいい。その…俺と…と、友達になるということを一回、真剣に考えて欲しい…」
莉子は顔を真っ赤にした神を見た。
真剣に言ってくれてる…。
莉子はそっとメモを手に取った。
指先が少し震えていた。
神が自分のために勇気を出してくれた。
そのことが、何より嬉しかった。
莉子が神を見た。
莉子は『よかった』と呟くと『私ももっと神さんとお話ししたいなって思ってました』と笑った。