神宗一郎と恋するお話
神奈川選抜合宿3日目 日曜日
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合宿最終日の朝
莉子は電車に揺られていた。
始発のおかげか日曜日でも人がいなくて快適だ。
莉子は膝の上には昨晩、作ったクッキーが入った紙袋。
莉子「…」
思いたたったが吉日
そう思い勢いで作ったが今更、本当によかったのか気になってきた。
クッキー好きかな…
そもそも人の手作りが苦手って人もいるけど神さんは大丈夫かな…
あ、でも玉子焼きのジャンケンには参加してたし大丈夫か…
そんな事ばかり考えているとあっという間に海南の最寄駅に着いた。
リュックを背負いクッキーを胸に抱いて電車を降りる。
人のまばらな改札口を抜けて海南へと向かう。
なんだか気が急いて小走りで向かったおかげであっという間に海南に着く。
更衣室に寄ってロッカーにリュックを放り込むと食堂へ向かう。
賑やかな食堂の扉をそっと開けるとすぐにバスケ部のメンバーを見つける。
ご飯を口に運ぶ神がいた。昨日、清田に預けた絆創膏だろうか。口元には絆創膏が貼られている。
莉子(食事中…)
よく考えればそうだよなと思った。
この時間は練習に向けて準備をする時間だ。のんびり話している時間なんてないだろう。
莉子(ちょっと落ち着かなきゃ…)
ここで自分が随分と焦っていたんだと気付いた。莉子は食堂のドアを閉めるとまた更衣室に戻りクッキーをしまう。
莉子(まずはちゃんと自分の仕事をしよう)
莉子は体育館へと向かった。
牧から体育館の鍵を借りて窓を開ける。
倉庫からボールの籠を引っ張り出す。
得点ボードも出すと倉庫の扉を閉めて、端っこに寄せていた机とパイプ椅子二つを出す。
スコアブックを机の上に置いてパイプ椅子を置く。少し離れたところに監督用のパイプ椅子を置く。
2階に干してあったビブスを取りに行く。
一枚、一枚二つ折りにして腕に引っ掛けていく。
赤と白のビブスを持って一階に降りてくると彦一がいた。
莉子「あ、おはよう」
彦一「おはよう!1人で準備させてもーてごめんなぁ」
と言う彦一に莉子は『いいの。私が早く来すぎちゃって勝手にしてるだけだから』と笑う。
彦一「…そうなん?気合い入ってんなあ」
と感心した様に言う彦一。
莉子「あははは…」(本当はそんなんじゃないんだけど…)
彦一「今日で最終やもんなぁ…。あっちゅう間やったで」
莉子「本当だね」
彦一「後は何が残っとるん?」
莉子は辺りを見渡して『後はタオルとドリンクだけ…かな』と言うと彦一は『じゃあそれはワイが取りに行くわ!莉子ちゃんは休んどいて』と言うと体育館を出て行った。
莉子「ありがとう!」
1人残った莉子が(どうしよう…)と思っていると選手達が入ってきた。
莉子「おはようございます」
最初に入って来たのは三井と宮城だった。
三井「おう。早いな」
彦一と同じことを言われて莉子はギクリと肩を揺らした。
莉子「なんか気付いたら来てました…」
三井「なんだそりゃ」
と呆れ顔の三井と笑う宮城。
宮城「最終日だから気合い入っちゃった?」
莉子「そう…なのか、な…。あはははは…」
三井・宮城「?」
神が清田と共に入って来た。
莉子「あ…」
思わず三井の影に隠れてしまう莉子。
三井「?」
神は体育館の端っこまで歩いて行くとそこでバッシュを履き始めた。
莉子はチラッと神を見た。床に座りバッシュの紐を結んでいる神。
清田が神に何か話しかけている。それに耳を傾けながら靴紐を結んでいく。
神が『ははっ。何だそれ』と笑う。
クシャと笑う神の顔にキュンと胸が鳴る。
莉子「……」(清田君…いいな…私も話したい…)
お礼を言うこと
茜との関係をはっきりさせること
これが今日の目標だ。
だが…
莉子(まずはちゃんとお礼を言わなきゃ…)
そう思うとますます胸がドキドキして声をかけられなかった。
結び終わった神が顔を上げた。莉子と目が合うと神は嬉しそうに顔を綻ばせ立ち上がった。
そして小走りでやってくると『おはよう』と言った。
莉子「おはようございます」
神「絆創膏ありがとう」
会えて嬉しい!
見ているだけでそんな神の感情が伝わってくる表情に三井はイラっとし宮城はうへぇ…と呆れてしまう。
莉子だけは気まずそうにプルプル首を横に振って『いえ…そんな…』と言った。
莉子(お礼言わなきゃ…)
意を決して顔を上げる。
莉子「あ、あの…」
莉子に向かって優しく微笑み『ん?なに?』と神は莉子の方へ体と首を傾ける。
これは神が人の話を聞く時の癖だった。
身長差が20センチにもなると相手の言っている事が聞こえにくいのだ。だから神はだいたいの女の子にしている。
この行動自体に深い意味はないがでも莉子が相手だとその距離の詰め方も少し変わる。
首を傾けるだけではなく片足に重心を掛け莉子の方へ体ごと傾けるのだ。
グッと体の距離が縮む。これで莉子の声だけでなく表情もよく見えるようになる。
莉子は距離が近づいた事で一気に緊張感が増した。
莉子「あの…えっと…」
いつの間にか神の背後に回った三井と宮城。三井が『接近禁止』と神の耳元で囁く。
イラっ…
神「……」(しつこいな…)
莉子「?」
顔を顰めた神に戸惑う莉子。
取り繕うように神はニコッと笑うと『ごめんね。話はまた後でも大丈夫?』と言った。
莉子はコクコクと首を縦に振り『はい。大丈夫です』とうなづいた。
それを見た神は『じゃあまた後でね』と小さく手を振り清田と共にコートに入って行った。
神は清田と共にストレッチを始めた。
それを見つめる莉子。
莉子(お礼…言えなかった…)
仲の良かった子が離れていったことや告白してきた人が断った事で大きく変貌したことは莉子が思うよりずっと心に残っていた。
感謝を伝えるのは相手との距離が縮みそうで怖いし『助かった』と伝えるのは相手に自分の弱味を曝け出す様で本当に大丈夫なのかと疑心暗鬼になってしまう。
もう傷つけられたくない。
それが好きな人で特別な人ならば尚更不安は大きくなった。
これまでは莉子に好きな人がいなかったから莉子本人も好きな人にお礼を言うことができなくなっていることをこの時、初めて自覚した。
莉子「……」(好きな人を信用できなくなってるなんて…)
悲しくなった。
莉子「はぁ…」(ダメダメだ…。これが家族なら全然平気なのに…)
莉子は大きなため息をついた。
藤真「ため息なんてついてどうした」
莉子「あ!いえ…何でもないです」
藤真に声をかけられ莉子は背筋を伸ばす。
藤真は腕を組んで莉子を見つめた。
莉子「?」
藤真は莉子を見て『約束したこと覚えてるか?』と首を傾げる。
莉子「約束?ですか?」
莉子も首を傾げる。
藤真はフッと笑うと『ドリンクのレシピを教えてくれる約束だっただろ』と肩を莉子の肩にコツンとぶつけ『忘れるなよな』と不貞腐れてみせる。
神「!」
肩をぶつけられた莉子は『忘れてました…。帰りまでにメモして渡しますね。ごめんなさい』と手を合わせる。
藤真「頼んだぞ」
と言うと花形、長谷川と共にコートに入りストレッチを始める。
莉子(昨日から色々なことがあってすっかり忘れてた…。書く時間あるかな…)
神「……」
神が恨めしそうな視線を藤真に向ける。
藤真「何だよ…」
神「…何でもないです…」
と不貞腐れている神。
藤真「……」
そこに監督が入ってくる。
選手達が一斉に立ち上がり『チュース‼︎」と挨拶をする。
監督の簡単な挨拶と今日の練習メニューが伝えられる。
高頭「今日は最終日だ。さらに連携が取れる様に今日は朝から終了まで10分間のゲームをしていく」
選手達「はいっ!」
監督が準備を始める様に指示を出すと選手達は思い思いに準備を始める。
莉子と彦一は手分けして選手にビブスを渡していく。
選手達がベンチに集まってきて一回目のゲームが始まった。
ピピーーーッ
試合終了を告げるホイッスルに選手達の動きが止まる。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
高頭が立ち上がり選手達に昼休憩と午後の練習開始時間の指示を出す。
高頭「よし!休憩にしよう。ゆっくり休んで1時から練習再開だ」
「はいっ!」
高頭が体育館から出ていく。
神はチラッと壁にかけられた時計を見た。
時計は12時前を指していた。
神(木村さんと話す時間あるかな…)
莉子は何やら彦一と話をしている。莉子の真剣な表情からマネージャー業の話だろうと神は予想する。
莉子が彦一と体育館を出て行く。
2人の後ろを仙道や福田、三井、宮城がついて行く。
神(今は無理か…)
清田が『メシ行きましょー』と言いながらタオルを持ってきた。
神は『おう』とタオルを受け取ると顔を拭きながら出口へと向かう。
体育館の入り口で茜を見つけた。
神「……」
神は何か言いたげな茜に気づいたが昨日の今日でまだ茜と話をしたくない。
神はタオルを頭から被ると真っ直ぐ前を見て茜を避ける様に足早に通り過ぎた。
茜は何も言わなかった。
神「…」
清田「幼馴染さんと何かあったんですか?」
神「え?」
清田「いつも何かしら話すじゃないですか。もしかして莉子の前だからあえて気づかないフリをしたんですか?あんまり露骨だと莉子にヘイトが向きますよ」
こいつ本当に恋愛初心者なのか?と思う様な指摘に神はギョッとして清田を見た。
清田「神さんの幼馴染は独占欲強いんで」
茜は清田に厳しい。挨拶をしても無視されたり神と話してると絶対に間に割り込んで神を独占しようとする。
それは清田が自分と同じ様に下の名前で呼ばれているからで清田も神とは特別仲が良いと自覚しているので茜が自分にヤキモチを妬いているんだろうなと気づいている。男の自分でもそうなのだから同性のしかも神が好きな子なら茜はどう出るのか少し不安だ。
神「…実は昨日木村さんのことで喧嘩になったんだ」
清田「へぇ…」
神「こっちの事情なんて何も知らないのに好き勝手に言うのが許せないんだ。今は茜と話したくない」
清田「……」
神「少なくともこの合宿が終わるまでは茜と話す気はない。木村さんの事どうこう言われたくないんだよね。茜は頑固だし考えも態度も改めるタイプじゃないし…」
清田「…確かに…」
神は『今はお互いの為に距離を置くよ』
と笑った。
食堂
莉子は『ごちそうさまでした』と手を合わせた。
急いで片付けを済ませると食堂を慌ただしく出て行く。
選手達にお茶を配ったりしているとどうしても遅くなってしまう。
莉子(急げ、急げ…)
駆け足で更衣室に戻ってリュックから筆記用具を出し、レシピを書き始める。
材料さえ書いてしまえばあとは混ぜて冷やすだけなので思っていたより早く書けた。
最後に『お世話になりました。ありがとうございました 木村莉子』とメッセージを書いて四つ折りにした。
莉子「あとは渡すだけ!」
莉子はレシピをポケットに入れると更衣室を出た。
ドリンクも補充したしまだ少し時間がある。
走り回ったせいで喉が渇いてしまった。
莉子(ジュースでも飲んでちょっと休もうかな)
食堂の自販機は混んでいそうだから離れた所にある自販機に向かう。
狙い通り誰もいない。
小銭を握りしめ、(どっちにしようかな…)とレモンティーとリンゴジュースを見比べる。
迷っていると後ろから『ごめん。先、いい?』と言いながら手が伸びて来てコインを入れる。
莉子「す、すみません!」
驚いた莉子はサッと横に退くと手の主を見た。
170センチ近くある莉子が見上げる程大きな体の男性が2人立っていた。ジャージには『海南大バスケ部』の文字。
莉子「!」(大学生…?OBの人達かな…)
目をパチパチさせ驚いていると男性の1人が莉子の顔をマジマジと見て『君、高校生?』と声をかけて来た。
莉子「え…あ、はい…そうです…」
男性が莉子のジャージに書かれていた学校名に気付き『湘北ってあそこだ。夏に牧達と戦ってた所だよな』ともう1人に話しかける。
ジュースを買った人は『え?』と言い莉子を見た。
男性の目がギラッと光った様な気がした。
男性は『君は湘北のマネージャーなの?』と話しかけてくる。
嫌な緊張が莉子の心拍数を上げていく。
莉子は『は、はい』と頷く。
男性は『何か奢ってあげるから好きなの選んでいいよ』とコインを自販機に入れる。
莉子は『だ、大丈夫です』と手も首も横に振る。
男性2人組は『いいから。遠慮しないで』と引かない。
莉子「いやっ…でも…」
冷や汗が出てきた。
『ありがとうございます』と厚意を受け取れば『じゃあさ…』と見返りを求められたり『美人はお得だね』と嫌味や皮肉を言われたりあまり良い記憶がない。
莉子(どうしよう…)
『リンゴジュースでいい?それとも炭酸系?』と自販機を指差す男性。その時、別の男の子の声が背後からした。
「先輩!ご無沙汰してます!」
その声に莉子の体から力が抜けた。
男性2人組が声のする方を見ると『おぉ!』と声を上げた。
「神じゃねぇか!久しぶりだな」
神は駆け足でやってくるとOBと莉子の間に滑る様に入り込む。
莉子「……」
神の大きな背中を見つめていると神が後ろで手を組む。
神の手の動きを自然と目で追う。
すると神は手首をクイクイっと動かし『あっち行きな』とジェスチャーで伝えてきた。
莉子は神の背中を見た。神はOBに話しかけ続け気を逸らしている。
莉子はそっとその場を後にした。
莉子「…」(また、助けてもらっちゃった…)
自販機を出てすぐ曲がった所で立ち止まる。
ドキドキする鼓動を抑えながら少し離れた所でそこで待機することにした。
神が戻ってきた時がお礼を言うチャンスだ。
神へのドキドキとお礼を言うことのドキドキが重なって、ものすごく緊張してきた。
莉子(クッキー取りに行った方がいいかな…でもすれ違うかもしれないし…)
でもすれ違ってしまうかもしれない。
そんなことを考えてると角に立っていた莉子に驚いて『ぅわっ!』と誰かが声を上げた。
莉子「っ!‼︎」
莉子も飛び上がって驚いた。
神「びっくりしたぁ〜。木村さん…こんな所にいたの?」
莉子「じ、神さん…」
神は莉子だと気づくとホッと胸を撫で下ろした。そしてリンゴジュースを差し出す。
神「はい」
莉子「えっ…?」
神「いつもこれを飲んでたと思ったんだけど…」
と差し出されたリンゴジュース。
それを見た莉子は慌てて『お金いくらですか?120円で足りますか?』と財布を取り出す。
神「いいよ。今日までお世話になったお礼だと思って受け取って」
莉子は『でも…』と困った顔。
神はそれを(可愛いなぁ)と見ている。
莉子は『あっ!そうだ!』と手を叩いた。
神「ん?」
莉子「神さんには私がご馳走します!」
神「え⁉︎」
莉子「行きましょう!」
と自販機の方を指差す莉子。
神は少し困った様に『じゃあ行こっか』と笑った。
莉子も『はい!』と返事を返し、2人でゆっくりと自販機に向かって歩き出す。
神・莉子「………」(どうしよう…)
早々に神は話題に困ってしまう。
ただの友達であれば考えなくてもいいような事ばかり考えて話題が出てこない。
神(こういう時…)
その時の流れや雰囲気を壊さない様に相槌を打っていればいいやと思っていた。
でも相手が莉子だとそういうわけにいかなかった。
神(どんな話をすればいいんだろう?どんな話題なら木村さんは楽しいって思ってくれるんだろう?)
たくさんの言葉を交わしていろんな顔を見てみたい。
できれば莉子の事をもっと知りたいし自分のことももっと知ってもらいたい。
あわよくば心を掴みたい。
好きになってほしい…
そんな気持ちばかりが先走って肝心の言葉が何も浮かんでこない。
神「…」(どうしよう…)
その時、莉子が『あ、あの!』と神に話しかけた。
神「ん?なに?」
莉子「あ…あの…昨日のこと…なんですけど…」
神は内心(え?まだ謝る気?)と少しだけ気落ちした。
神「あぁ…。うん…。なに?」
莉子「ありがとうございました」
神「え?」
神は思わず足を止めた。
莉子「…昨日、ちゃんとお礼を言ってなかったから…今更ですけど…あの…本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる莉子。
神「……」
頭をゆっくりと上げ神を見た。
莉子「…私…先輩と揉めた時…接触禁止の誓約書を作ったんです。ちゃんと弁護士さんが作った正式な書類で…。それを作ることで警察沙汰にしないって約束で…。昨日の朝も食堂に来てたのは先輩から『お互い知らないふりをしよう』って話で。私も合宿をやり切りたかったから先輩の言うとおりにしようと思って黙っていたんです。まさか先輩が神さんに写真の事を話してるなんて思わなくて…。たくさん心配かけてしまってごめんなさい」
神は後頭部を撫でながら『そう言うことかぁ』と大きく息をはいた。そして苦笑い。
神「木村さんが謝る事じゃないよ…。そっかぁ…。俺、1人熱くなってたんだね。恥ずかしいな…」
と笑うと莉子はブンブン勢いよく首を横に振り『そんなことありません!』と声を張り上げた。
自分の声に驚いたのか莉子は口を押さえた。
そしてさっきとは打って変わって小さい声で『あの…でも神さんがしてくれたこと全部、嬉しかったです』と言った。
神「え」
耳まで真っ赤にした莉子。それに釣られる様に神の顔も赤く染まる。
莉子「心配してくれたことも…行動を起こしてくれたことも全部です…。痛い思いさせちゃったのは申し訳ないと思ってるんですけど…」
莉子は神を見て『ありがとうございました』と言った。
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