神宗一郎と恋するお話
神奈川選抜合宿2日目 土曜日
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ピピーーー!
体育館内にゲーム終了のホイッスルが鳴り響き一斉に選手達の動きが止まった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
神が手の甲で汗を拭った。
高頭が時計を見て『ちょうどいい時間だな…。ちょっと休憩したら昼食。1時間後に練習開始だ』と告げる。
「はいっ‼︎」
高頭は機嫌良さそうに扇子で自身を仰ぎながら体育館を後にした。
高頭が出ていくと選手達はベンチに戻り汗を拭い水分補給を始める。
莉子「どうぞ」
ベンチに戻って来た三井に莉子がタオルを差し出した。
三井「…おう…」
言葉少なめに莉子からタオルを受け取り流れ落ちる顔の汗を拭う。
ドスンと乱暴にベンチに腰を掛けると三井は首にタオルをかけ大きく息をついた。
イラついたその態度に莉子は怪訝な表情を浮かべた。
藤真「木村。俺達にもタオルくれ」
背後から藤真に声をかけられ慌てて『はい!どうぞ‼︎』とタオルを差し出す莉子。藤真の後ろにいた長谷川にも『お疲れさまでした』とタオルを渡す。
長谷川「ありがとう」
長谷川にニコッと笑うと莉子は再び三井に視線を戻した。
莉子に釣られる様に藤真と長谷川もチラリと三井を見た。
眉間に深い皺を寄せている三井が座っている。
藤真(…苛立ってんな…)
そのまま莉子に視線を移すと目が合った。
困った様に眉毛をハの字にした莉子を見て藤真は苦笑いを浮かべると肩をすくませた。
そんな2人のやり取りに気付かず三井がチラリとスコアボードを見つめている。
Aチーム 45
Bチーム 40
三井「………」(また5点差か…)
たった5点、されど5点…
ここからの点差が中々縮まらず三井は『ふぅ』と息を吐いた。
三井(…なかなかだな…)
あと3Pシュートが2本決まれば逆転できるのに…
なんて普段なら『素人の発想』と笑う様なことまで考えてしまう。
藤真「なかなか縮まらないな」
三井「⁉︎」
考えていた事を言い当てられた三井は驚いて隣に座っていた藤真を見た。
穏やかな表情を浮かべている藤真に『あぁ…そうだな…』と返事をし汗を拭った。
三井は後からやって来た高砂や清田にタオルを渡している莉子を見た。
莉子を喜ばせたい…
でも点差は縮まらない。
いつも憎まれ口を叩いてしまう三井が唯一莉子を喜ばせる事ができるのが『勝利』なのだ。
ジリジリと焦がすような焦燥感に三井はつい『チッ』と舌打ちをした。
莉子「三井先輩」
まるで三井の苛立ちが溢れ出すのがわかっていたようなタイミングで莉子がドリンクを持ってやってきた。
三井がハッとして莉子を見上げた。穏やかな笑みを浮かべた莉子と目が合う。
三井「な、なんだよ」
莉子「ドリンク持ってしました!どうぞ。藤真さんもどうぞ」
と2人に差し出されたドリンクは莉子オリジナル。三井のお気に入りだ。
三井の隣に座っていた藤真は『サンキュー』と笑って受け取った後に三井も『おう』と言い受け取ると一口、口に含んだ。
爽やかな酸味が口の中に広がる。疲れた体に糖分が染み渡るような気がした。
三井(美味…)
親しみのある味に少しだけ三井の体から力が抜けた。
莉子(よかった…)
眉間の皺が薄くなったことに安堵する莉子。そんな莉子を見て藤真の頬が緩んだ。
藤真(…マネの存在だけは湘北が羨ましいな)
選手の様子を観察しながら何ができるかを考え行動する莉子が頼もしくもありまた羨ましくもある。
三井がホッと一息ついたのがわかりやたらとニコニコしている莉子。
三井「……」(ニヤニヤしやがって…)
三井はなんだか全てを見透かされているような気がして気恥ずかしくなり『な、なんだよ…』と口を尖らせる。
莉子「いえ…。ただ三井先輩は本当にそのドリンク好きなんだなぁと思って…」
三井は恥ずかしそうに『別にそこまで好きじゃねぇよ…』と呟いた。
三井の見え透いた嘘を聞いた藤真は『ははっ』と吹き出した。
三井・莉子「⁉︎」
驚いた2人が藤真を見た。
藤真は2人の視線に気付くと『悪い、悪い』と笑った。
そして三井に向かって藤真は『三井は嘘が下手だな』と言った。
三井「嘘じゃねぇし‼︎」
藤真「そうなのか?」
藤真はドリンクボトルを眺め『俺はこれ好きだけどな』と呟いた。
長谷川「俺も…美味いと思う…」
と長谷川も一口ドリンクを飲んだ。
藤真「そうだよな。三井は贅沢なんだよ。これが当たり前に出てくる状況に慣れやがって」
三井「………」
莉子は恥ずかしそうにはにかんだ後、小さい声で『ありがとうございます』と呟いた。
三井「……」
こういう場面でいつも意地を張ってしまう。宮城や藤真の様に素直に莉子に接することができない。
三井(俺もあぁいうの言えたらこいつももっと俺に懐くんだろうか…)
藤真「木村のオリジナルなんだろ?よくこんなの思いつくよな」
莉子「母に教えてもらったレシピをちょっとアレンジしただけでオリジナルという訳ではないんですよ」
藤真は『へぇ…』と返事をした後、莉子を見た。
藤真「このレシピ、俺にも教えてくれよ」
莉子「いいですよ」
藤真「サンキュー」
三井「は?」
三井のリアクションに莉子と藤真も『え?』と驚いた様に三井を見た。
三井の眉間に再び深い、皺が寄っているのを見て莉子が『三井先輩…?どうかしましたか…?』と恐る恐る尋ねる。
三井「…なんで…」
莉子「はい?」
三井「俺には教えねぇのになんでコイツらには簡単に教えんだよ」
何度か作り方を聞いたことがあるがなんだかんだはぐらかされてばかりで未だに教えてもらっていない。
なのに藤真には『教えて』『いいですよ』と簡単に教えてしまうことに距離を感じてしまう。
なんでコイツは良くて俺はダメなんだ!
納得のいかない三井は不服そうに仏頂面を浮かべている。
莉子はキョトンと三井を見て『だって三井さんには私がいるじゃないですか』とさも当然のように答えた。
三井「はぁ⁉︎」
藤真「え」
莉子は腰に手を当て『わかってないですねぇ』と言わんばかりにヤレヤレと首を左右に振って『いいですか?』と三井を見た。
莉子「こういうのは作ってもらうから美味しいんですよ。これからも三井先輩には私が用意しますから卒業までは甘えて下さい。その代わり卒業式後にレシピを渡しますのでそこからはご自身でお願いしますね」
ととびっきりの笑顔を見せる莉子。
莉子の言葉に三井と藤真は顔を見合わせた後ほぼ同時に手元のドリンクボトルを見た。
確かにそうかもしれない。
三井「…そういう事なら…」
藤真「確かに自分で作るより作ってもらう方が美味いよな…。これはやっぱり木村には土日に来てもらうしかないな!なぁ。一志‼︎」
意地の悪い笑顔を長谷川に向け長谷川の肩に腕を回す藤真。
長谷川「……」
藤真が三井を揶揄っているのは明らかだった。長谷川は面倒事はごめんだとフイっと顔を背けた。
三井「ダメだって言ってんだろ!」
急に怒り出した三井とケラケラ笑っている藤真、そんな藤真を見て呆れ顔の長谷川。
莉子だけが訳もわからず首を傾げている。
莉子「?どういう意味ですか?」
三井「お前は黙ってろ‼︎」
莉子「え…でも…」
騒がしくなったBチームのベンチに向かって宮城が『おーーーい!』と声を掛ける。
視線をやれば体育館の入り口付近にAチームが揃っていた。
宮城「何やってんの?早く昼メシ行きましょーよ‼︎」
宮城が食堂へ移動しようと声をかけてきた。
藤真「行くか」
藤真の声に座っていたBチームが立ち上がりAチームの方へ歩いて行く。
莉子(ついでにこれも持って行こう…)
莉子が使用済みのタオルが入ったカゴを手に取った。
莉子「よいしょ…っと」
使用済みタオルが入ったカゴを両手で持ち上げる莉子。
神「あっ」
神が咄嗟に足を一歩踏み出した。その瞬間、ピタッと動きが止まる。
神(ダメだって‼︎ 木村さんとは距離を…取らなきゃ…)
『俺が持つよ』と言い掛けた言葉を慌てて飲み込んだ。
神(あ、危なかった…バレてないかな…)
口元を押さえチラリと莉子を見た。莉子は神が一歩踏み出した事に気付いた様子もなく宮城達と楽しげに話している。
何を話しているかは聞こえてこないが楽しそうな莉子を見ていると幸せな気持ちになった。
神「………」
莉子が笑っているだけでなんだか安心できる。不思議な感覚だった。
しかし莉子を笑顔にできる宮城や三井が羨ましかった。
そんな感情で切なさで胸がいっぱいになる。
神はまばらになった体育館のギャラリーを見た。
見上げた先にいた女の子とバッチリ目が合う。
隣にいた友達が女の子の背中を押す。
目が合った女子生徒が頬を赤らめつつも神に小さく手を振ってきた。神はニコッと笑うと小さく会釈した。
「きゃーーーーーーーーーーーー‼︎」
神の反応に周りの女の子達が一斉に悲鳴を上げた。
それほど神の声援に対するリアクションは超レアだった。
完全無視ではないが試合が終わった後に控え室に戻る時に大勢の声援に対して手を挙げて応えるくらい。そして入り口で一瞬立ち止まりペコリと頭を下げる。良くてその程度だ。
個人的にリアクションを返す事などない。
そんな神の『会釈』(笑顔つき)に女の子の目はハートになり今にも倒れてしまいそうだ。
清田「珍しいですね。リアクション返すの」
神「…そうか…?」
と苦笑いを浮かべる。
ギャーギャー騒ぐ女の子は苦手でも女の子と話すのは嫌いではない。人づきあいも得意な方だと思う。
それでもこういった『ファンサービス』というモノは苦手だ。
照れくさいしそんなに騒いでもらうような人間ではないと自覚している。
でもそんな自分でも愛想良く接する事で女の子達の気が済み莉子が嫉妬の標的にならないなら喜んでする。
神が前を歩く莉子を見た。
すぐ背後には仙道が立っているがそれに気付いた三井が仙道に睨みを効かせている。そんな三井に臆すこともなく仙道がニコッと笑いかけている。
きっと三井は『近づくな!』と言い仙道は『まぁ、まぁ』なんて言っているんだろうな。
そんなやり取りを想像しながらゆっくりと歩いて行く。
莉子を囲む様に歩く集団。
少し離れて後ろから海南メンバーが着いて行く。
あまり海南の選手達が莉子の周りにいるのは良くないだろうと少し距離をとっているのだ。
神(…いいなぁ…俺もあの集団に入りたい…)
もしここが海南ではなく陵南や翔陽だったら今莉子の隣にいたのは自分だったかもしれないのに…。
神「…はぁ…」
話せなくてもいい。せめて同じ空間に居たい…。莉子と色々なモノを共有したい。
神(あぁ!クソッ‼︎)
普段の自分と莉子がいる時の自分とのギャップに今だに慣れない。
『最善』は頭でわかってる。
でもそれじゃ嫌なんだ。
だけど…
神(…それで木村さんに嫌な思いをさせたんだ…今度こそ…ちゃんとしなきゃ…)
と考えていると不意に莉子が振り返った。
ガッチリ目線が合う。
驚いた莉子は大きな目をさらに大きく見開いた。
そして一瞬…困った様に視線を彷徨わせた後、再び神に視線を戻すと頬を赤らめ控えめな笑顔を見せそのまま前に向き直った。
神「……」
それだけで充分だった。
だって2回も顔を逸らされた後だ。
それがたとえ控えめだったしても神の心を揺さぶるには充分だった。
神「……」(ワザと…?)
突き放されたと思っていたのに急に接近してくる莉子にドキドキと高鳴っていく胸の鼓動とキュンキュンと心を締め付けてくるトキメキで体が熱くなる。
神(何なんだよ…マジで…なんでそんなに可愛いんだよ‼︎)
神が立ち止まる。『愛おしさ』が込み上げてくる。
清田「?神さん?どうしたんですか?」
神「……」
反応を見せない神。清田の声に神の異変に気付いた牧と高砂も立ち止まり神を見た。
牧「…神…?どうした?」
握り込んだ神の拳が微かに震えている。
神「……ちょっと…」
耳まで真っ赤になっている神。しかし俯いている為表情は見えない。
牧「ん?何て言ったんだ?」
『ちょっと…』の後、何かをゴニョゴニョ言っている神に牧と高砂、清田の3人は顔を見合わせた。
3人「?」
バッと勢いよく顔を上げると大声で『ちょっと俺‼︎走ってきます‼︎‼︎』と宣言をするとクルリと方向転換をし来た道を猛ダッシュで駆け出した。
牧「は?」
清田「神さん⁉︎」
高砂「‼︎⁉︎」
突然、走り出しあっという間に姿が見えなくなった神に呆気にとられる3人。
牧「な…、なんだ…一体…」
高砂「…急にどうしたんだ…?」
清田「さ、さぁ…?」
3人の頭の上にはたくさんのクエスチョンマークが浮かんでいる。
一方、走り出した神は(頭を冷やさないと‼︎また抱きつきそう‼︎‼︎)とダッシュでグラウンドへ向かったのだった。
食堂
莉子達から遅れる事数分。海南のメンバーが食堂に入って来た。
弁当を配っていた莉子の手が止まる。
莉子「あれ?」
神の姿がない。莉子は清田に声をかけた。
莉子「神さんは?トイレ?」
『はい。どうぞ』と莉子の差し出したお弁当を受け取りながら『なんか急に走りに行った…。すぐに戻って来ると思うけど…』と困惑気味の清田。
莉子は質問を続ける。
莉子「え?走りに行ったの?」
清田がコクッと頷いた。莉子はさらに続けた。
莉子「タオルとか持って行ったかな…」
莉子の質問に清田は『あーー…』と考えた後『手ぶらじゃねーかな…。本当にすごい勢いでグラウンドに走って行ったし…』と割り箸を手に取る。
莉子「そっか…」
彦一を見た。もう食べ始めている。清田も『腹減ったぁー』と言いながら弁当の蓋を開けている。
莉子(ささっと行って早く戻って来たらいいよね…)
嫌がらせ対策でなるべく1人にならない様にと言われているが選手達にはしっかり休んでもらいたい。
少しの時間なら問題ないだろう…。
莉子はそっと食堂を抜け出し小走りで給湯室へ向かった。
給湯室ではどこかのマネージャーがドリンクの準備中だった。そっと入って行き小さな声で『お疲れまです』と言ってみた。
こういう場面ではどんな声掛けがいいのだろうか…。
ただでさえよく思われていないのだ。無礼者という印象だけでも避けたい。
マネージャーは莉子を見て『誰?』と言いたげな表情を浮かべたがそれは一瞬ですぐに『お疲れ様でーす』と軽く返事をしてくれた。
莉子(よかった…)
返事を返してくれたことにホッと胸を撫で下ろし新しいタオルとドリンクを持ち『お先に失礼します』と告げるとそのままグランウンドへ走る。
莉子「急がなきゃ…」
胸に抱えたドリンクとタオル。届ける人は神だ。
莉子(…喜んでくれたらいいな…)
そんな事が脳裏に浮かび慌て首を横に振る。
莉子(これはあくまでもマネージャーとして選手に必要な物を届けるだけで変な意味はないから‼︎)
外に出て階段を登るとグラウンドが見えた。見下ろしたグランドには神が1人でトラックを走っているのが見えた。
莉子「いた…」
綺麗なフォームで走っている神に少しの間、見惚れてしまう。
莉子(かっこいい…)
流れる汗と真剣な眼差しに心が騒ぎ出した。
しばらく眺めていると段々と速度がゆっくりになっていく。
腰に手を当てゆっくりと歩き始めた神。
走り終わったんだ。
莉子は神の方へ駆け寄ろうと階段を降りかけた。
その時、神が歩くトラックに駆け寄って行く人影が見えた。
莉子の足がピタッと止まった。
駆け寄って行ったのは茜だ。
茜「宗ちゃん!お疲れ様‼︎」
と神にタオルを差し出す茜とそれを受け取る神。
とてもスムーズで自然な行動だった。
莉子「……」
ぎゅうと胸が締め付けられた。
急に現実に引き戻されたような気分になった。
『宗ちゃん』と呼ぶ彼女が着ている物は『JIN』と書かれた練習用ウェアだ。
莉子「……」
そうだった…私だけじゃないんだった…
その事がとても寂しく感じた。
莉子(それは…そうだよね…たまたま私が困ってる所に神さんが来てくれるから色々親切にしてもらってるけど私はただのマネージャーだもん…私、勘違いしてた…)
あの時、抱きしめたのだってきっと神なりの考えがあったんだ。こんなに好きにさせておいてなんて残酷な事をするんだろう…。
だけど…
莉子(好きだから…嫌いになれない…)
目の奥がツンと痛んだ。
仙道「…木村」
莉子「‼︎⁉︎」
突然、背後から名前を呼ばれ飛び上がるほど驚いた。
振り返るとそこに立っていたのは仙道だった。
莉子「…仙道さん…?」
強張った表情で仙道を見上げる莉子。そんな莉子を優しく見つめる仙道。
仙道「こんな所で何してるんだ?1人で行動しちゃダメだろ」
仙道は視界の端でトラックでは神と茜が何か話しているのを捉えた。莉子が大事そうにドリンクとタオルを抱えていら事にも気付いた。
仙道「…それ…神に届けに来たのか…?」
胸に抱いている物を指差し仙道が質問した。莉子は悲しそうに笑った。
莉子「はい…。でも必要なかったみたいです…」
と茜と神を見た。茜が首にかけたタオルで神の顔の汗を拭こうとしている。茜が神に何かを言った。神は腰を屈めた。
茜と神の顔が一気に近付き、首にかけていたタオルで神のおでこの汗を拭った。
莉子「っ⁉︎」
パッと顔を背けた莉子。今にも泣き出しそうな莉子を見ていると胸が張り裂けそうだった。
仙道「……」
あの2人はただの幼馴染だよ。
そう言えばいい。莉子はあの2人を親密な関係だと勘違いしているだけなのだ。そう言ってしまえば莉子に笑顔が戻るはずだ。
でも言えなかった。莉子の段々と曇っていく表情に気づいていながら本当の事が言えなかった。
仙道「……」
黙り込んでしまった仙道に莉子は『も、戻りましょう』と来た道を戻り始めた。
莉子「仙道さんはお弁当食べましたか?」
軽快な足取りで階段を降りていく莉子。
莉子「私、お腹すいちゃった…。今日のメニューなんだろ。楽しみだなぁ」
やたら饒舌な莉子
しかし声が震えている。
仙道が莉子の後を追い階段を降りる。
仙道「木村…」
仙道の呼びかけに気づいているはずなのに立ち止まる事も返事もせずに他愛もない事を話し続ける莉子。
莉子「私的にはもう少し野菜のおかずが多いと嬉しいですけどそれだと男の人は物足りなかったりしますよね」
仙道「なぁ…。話を聞け。こっちを向くんだ」
莉子「私、すっごくお腹が空いてるから…」
話も歩く事もやめようとしない莉子。
仙道「木村!止まってくれ」
莉子「午後の練習もありますしちゃんと食べてしっかり休まないと…だから早く食堂に…」
仙道「木村っ‼︎‼︎」
仙道が莉子の腕を掴んだ。
無理やり振り向かせ拍子に胸に抱えていたドリンクボトルが足元に転がった。
目にいっぱい涙を溜めた莉子。
パッと顔を逸らすとすぐに足元に落ちたボトルに手を伸ばした。
仙道「無理すんな…」
莉子「な、何の話ですか?私…無理なんか…してま、せん…」
震える声に莉子が唇を噛んだ。
尚も涙を堪えている莉子を見て仙道も泣きそうになった。
思わず莉子を抱き寄せる。
莉子「‼︎⁉︎」
驚いた莉子が仙道を押し返そうと腕の中で必死にもがく。しかし仙道は莉子を離そうとしなかった。
莉子「やっ!」
莉子の腕の中からボトルとタオルが落ちた。しかし仙道は手を離そうとしなかった。
もがいてももがいても仙道の腕から逃げらない。莉子が仙道の胸を叩いた。
莉子「な、なんで…こんなことするんですか‼︎⁉︎」
我慢が出来ずに仙道の胸の中で叫ぶ莉子
仙道「……」
莉子「私のことからかってこんなことをしているんですか‼︎⁉︎酷いです‼︎神さんも‼︎仙道さんも酷い‼︎‼︎」
と胸を叩き続ける莉子。仙道はされるがままだった。
莉子「なんで…こんなこと…」
好きにさせといて本命がいたなんて本当にひどすぎる。あんまりだ。なんで抱きしめたの。なんであんなに優しく触れたの…。
莉子「酷い…。本当に酷いです…」
堪えきれなくなった莉子が嗚咽を漏らした。
仙道が泣く莉子をさらに強く抱きしめた。
莉子は抵抗するが仙道の腕はびくともしない。
そして仙道は莉子の耳元で一言、言葉を呟いた。
仙道「俺にしとけ…」
苦しそうに絞り出した仙道の言葉に莉子は息を飲んだのだった。
体育館内にゲーム終了のホイッスルが鳴り響き一斉に選手達の動きが止まった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
神が手の甲で汗を拭った。
高頭が時計を見て『ちょうどいい時間だな…。ちょっと休憩したら昼食。1時間後に練習開始だ』と告げる。
「はいっ‼︎」
高頭は機嫌良さそうに扇子で自身を仰ぎながら体育館を後にした。
高頭が出ていくと選手達はベンチに戻り汗を拭い水分補給を始める。
莉子「どうぞ」
ベンチに戻って来た三井に莉子がタオルを差し出した。
三井「…おう…」
言葉少なめに莉子からタオルを受け取り流れ落ちる顔の汗を拭う。
ドスンと乱暴にベンチに腰を掛けると三井は首にタオルをかけ大きく息をついた。
イラついたその態度に莉子は怪訝な表情を浮かべた。
藤真「木村。俺達にもタオルくれ」
背後から藤真に声をかけられ慌てて『はい!どうぞ‼︎』とタオルを差し出す莉子。藤真の後ろにいた長谷川にも『お疲れさまでした』とタオルを渡す。
長谷川「ありがとう」
長谷川にニコッと笑うと莉子は再び三井に視線を戻した。
莉子に釣られる様に藤真と長谷川もチラリと三井を見た。
眉間に深い皺を寄せている三井が座っている。
藤真(…苛立ってんな…)
そのまま莉子に視線を移すと目が合った。
困った様に眉毛をハの字にした莉子を見て藤真は苦笑いを浮かべると肩をすくませた。
そんな2人のやり取りに気付かず三井がチラリとスコアボードを見つめている。
Aチーム 45
Bチーム 40
三井「………」(また5点差か…)
たった5点、されど5点…
ここからの点差が中々縮まらず三井は『ふぅ』と息を吐いた。
三井(…なかなかだな…)
あと3Pシュートが2本決まれば逆転できるのに…
なんて普段なら『素人の発想』と笑う様なことまで考えてしまう。
藤真「なかなか縮まらないな」
三井「⁉︎」
考えていた事を言い当てられた三井は驚いて隣に座っていた藤真を見た。
穏やかな表情を浮かべている藤真に『あぁ…そうだな…』と返事をし汗を拭った。
三井は後からやって来た高砂や清田にタオルを渡している莉子を見た。
莉子を喜ばせたい…
でも点差は縮まらない。
いつも憎まれ口を叩いてしまう三井が唯一莉子を喜ばせる事ができるのが『勝利』なのだ。
ジリジリと焦がすような焦燥感に三井はつい『チッ』と舌打ちをした。
莉子「三井先輩」
まるで三井の苛立ちが溢れ出すのがわかっていたようなタイミングで莉子がドリンクを持ってやってきた。
三井がハッとして莉子を見上げた。穏やかな笑みを浮かべた莉子と目が合う。
三井「な、なんだよ」
莉子「ドリンク持ってしました!どうぞ。藤真さんもどうぞ」
と2人に差し出されたドリンクは莉子オリジナル。三井のお気に入りだ。
三井の隣に座っていた藤真は『サンキュー』と笑って受け取った後に三井も『おう』と言い受け取ると一口、口に含んだ。
爽やかな酸味が口の中に広がる。疲れた体に糖分が染み渡るような気がした。
三井(美味…)
親しみのある味に少しだけ三井の体から力が抜けた。
莉子(よかった…)
眉間の皺が薄くなったことに安堵する莉子。そんな莉子を見て藤真の頬が緩んだ。
藤真(…マネの存在だけは湘北が羨ましいな)
選手の様子を観察しながら何ができるかを考え行動する莉子が頼もしくもありまた羨ましくもある。
三井がホッと一息ついたのがわかりやたらとニコニコしている莉子。
三井「……」(ニヤニヤしやがって…)
三井はなんだか全てを見透かされているような気がして気恥ずかしくなり『な、なんだよ…』と口を尖らせる。
莉子「いえ…。ただ三井先輩は本当にそのドリンク好きなんだなぁと思って…」
三井は恥ずかしそうに『別にそこまで好きじゃねぇよ…』と呟いた。
三井の見え透いた嘘を聞いた藤真は『ははっ』と吹き出した。
三井・莉子「⁉︎」
驚いた2人が藤真を見た。
藤真は2人の視線に気付くと『悪い、悪い』と笑った。
そして三井に向かって藤真は『三井は嘘が下手だな』と言った。
三井「嘘じゃねぇし‼︎」
藤真「そうなのか?」
藤真はドリンクボトルを眺め『俺はこれ好きだけどな』と呟いた。
長谷川「俺も…美味いと思う…」
と長谷川も一口ドリンクを飲んだ。
藤真「そうだよな。三井は贅沢なんだよ。これが当たり前に出てくる状況に慣れやがって」
三井「………」
莉子は恥ずかしそうにはにかんだ後、小さい声で『ありがとうございます』と呟いた。
三井「……」
こういう場面でいつも意地を張ってしまう。宮城や藤真の様に素直に莉子に接することができない。
三井(俺もあぁいうの言えたらこいつももっと俺に懐くんだろうか…)
藤真「木村のオリジナルなんだろ?よくこんなの思いつくよな」
莉子「母に教えてもらったレシピをちょっとアレンジしただけでオリジナルという訳ではないんですよ」
藤真は『へぇ…』と返事をした後、莉子を見た。
藤真「このレシピ、俺にも教えてくれよ」
莉子「いいですよ」
藤真「サンキュー」
三井「は?」
三井のリアクションに莉子と藤真も『え?』と驚いた様に三井を見た。
三井の眉間に再び深い、皺が寄っているのを見て莉子が『三井先輩…?どうかしましたか…?』と恐る恐る尋ねる。
三井「…なんで…」
莉子「はい?」
三井「俺には教えねぇのになんでコイツらには簡単に教えんだよ」
何度か作り方を聞いたことがあるがなんだかんだはぐらかされてばかりで未だに教えてもらっていない。
なのに藤真には『教えて』『いいですよ』と簡単に教えてしまうことに距離を感じてしまう。
なんでコイツは良くて俺はダメなんだ!
納得のいかない三井は不服そうに仏頂面を浮かべている。
莉子はキョトンと三井を見て『だって三井さんには私がいるじゃないですか』とさも当然のように答えた。
三井「はぁ⁉︎」
藤真「え」
莉子は腰に手を当て『わかってないですねぇ』と言わんばかりにヤレヤレと首を左右に振って『いいですか?』と三井を見た。
莉子「こういうのは作ってもらうから美味しいんですよ。これからも三井先輩には私が用意しますから卒業までは甘えて下さい。その代わり卒業式後にレシピを渡しますのでそこからはご自身でお願いしますね」
ととびっきりの笑顔を見せる莉子。
莉子の言葉に三井と藤真は顔を見合わせた後ほぼ同時に手元のドリンクボトルを見た。
確かにそうかもしれない。
三井「…そういう事なら…」
藤真「確かに自分で作るより作ってもらう方が美味いよな…。これはやっぱり木村には土日に来てもらうしかないな!なぁ。一志‼︎」
意地の悪い笑顔を長谷川に向け長谷川の肩に腕を回す藤真。
長谷川「……」
藤真が三井を揶揄っているのは明らかだった。長谷川は面倒事はごめんだとフイっと顔を背けた。
三井「ダメだって言ってんだろ!」
急に怒り出した三井とケラケラ笑っている藤真、そんな藤真を見て呆れ顔の長谷川。
莉子だけが訳もわからず首を傾げている。
莉子「?どういう意味ですか?」
三井「お前は黙ってろ‼︎」
莉子「え…でも…」
騒がしくなったBチームのベンチに向かって宮城が『おーーーい!』と声を掛ける。
視線をやれば体育館の入り口付近にAチームが揃っていた。
宮城「何やってんの?早く昼メシ行きましょーよ‼︎」
宮城が食堂へ移動しようと声をかけてきた。
藤真「行くか」
藤真の声に座っていたBチームが立ち上がりAチームの方へ歩いて行く。
莉子(ついでにこれも持って行こう…)
莉子が使用済みのタオルが入ったカゴを手に取った。
莉子「よいしょ…っと」
使用済みタオルが入ったカゴを両手で持ち上げる莉子。
神「あっ」
神が咄嗟に足を一歩踏み出した。その瞬間、ピタッと動きが止まる。
神(ダメだって‼︎ 木村さんとは距離を…取らなきゃ…)
『俺が持つよ』と言い掛けた言葉を慌てて飲み込んだ。
神(あ、危なかった…バレてないかな…)
口元を押さえチラリと莉子を見た。莉子は神が一歩踏み出した事に気付いた様子もなく宮城達と楽しげに話している。
何を話しているかは聞こえてこないが楽しそうな莉子を見ていると幸せな気持ちになった。
神「………」
莉子が笑っているだけでなんだか安心できる。不思議な感覚だった。
しかし莉子を笑顔にできる宮城や三井が羨ましかった。
そんな感情で切なさで胸がいっぱいになる。
神はまばらになった体育館のギャラリーを見た。
見上げた先にいた女の子とバッチリ目が合う。
隣にいた友達が女の子の背中を押す。
目が合った女子生徒が頬を赤らめつつも神に小さく手を振ってきた。神はニコッと笑うと小さく会釈した。
「きゃーーーーーーーーーーーー‼︎」
神の反応に周りの女の子達が一斉に悲鳴を上げた。
それほど神の声援に対するリアクションは超レアだった。
完全無視ではないが試合が終わった後に控え室に戻る時に大勢の声援に対して手を挙げて応えるくらい。そして入り口で一瞬立ち止まりペコリと頭を下げる。良くてその程度だ。
個人的にリアクションを返す事などない。
そんな神の『会釈』(笑顔つき)に女の子の目はハートになり今にも倒れてしまいそうだ。
清田「珍しいですね。リアクション返すの」
神「…そうか…?」
と苦笑いを浮かべる。
ギャーギャー騒ぐ女の子は苦手でも女の子と話すのは嫌いではない。人づきあいも得意な方だと思う。
それでもこういった『ファンサービス』というモノは苦手だ。
照れくさいしそんなに騒いでもらうような人間ではないと自覚している。
でもそんな自分でも愛想良く接する事で女の子達の気が済み莉子が嫉妬の標的にならないなら喜んでする。
神が前を歩く莉子を見た。
すぐ背後には仙道が立っているがそれに気付いた三井が仙道に睨みを効かせている。そんな三井に臆すこともなく仙道がニコッと笑いかけている。
きっと三井は『近づくな!』と言い仙道は『まぁ、まぁ』なんて言っているんだろうな。
そんなやり取りを想像しながらゆっくりと歩いて行く。
莉子を囲む様に歩く集団。
少し離れて後ろから海南メンバーが着いて行く。
あまり海南の選手達が莉子の周りにいるのは良くないだろうと少し距離をとっているのだ。
神(…いいなぁ…俺もあの集団に入りたい…)
もしここが海南ではなく陵南や翔陽だったら今莉子の隣にいたのは自分だったかもしれないのに…。
神「…はぁ…」
話せなくてもいい。せめて同じ空間に居たい…。莉子と色々なモノを共有したい。
神(あぁ!クソッ‼︎)
普段の自分と莉子がいる時の自分とのギャップに今だに慣れない。
『最善』は頭でわかってる。
でもそれじゃ嫌なんだ。
だけど…
神(…それで木村さんに嫌な思いをさせたんだ…今度こそ…ちゃんとしなきゃ…)
と考えていると不意に莉子が振り返った。
ガッチリ目線が合う。
驚いた莉子は大きな目をさらに大きく見開いた。
そして一瞬…困った様に視線を彷徨わせた後、再び神に視線を戻すと頬を赤らめ控えめな笑顔を見せそのまま前に向き直った。
神「……」
それだけで充分だった。
だって2回も顔を逸らされた後だ。
それがたとえ控えめだったしても神の心を揺さぶるには充分だった。
神「……」(ワザと…?)
突き放されたと思っていたのに急に接近してくる莉子にドキドキと高鳴っていく胸の鼓動とキュンキュンと心を締め付けてくるトキメキで体が熱くなる。
神(何なんだよ…マジで…なんでそんなに可愛いんだよ‼︎)
神が立ち止まる。『愛おしさ』が込み上げてくる。
清田「?神さん?どうしたんですか?」
神「……」
反応を見せない神。清田の声に神の異変に気付いた牧と高砂も立ち止まり神を見た。
牧「…神…?どうした?」
握り込んだ神の拳が微かに震えている。
神「……ちょっと…」
耳まで真っ赤になっている神。しかし俯いている為表情は見えない。
牧「ん?何て言ったんだ?」
『ちょっと…』の後、何かをゴニョゴニョ言っている神に牧と高砂、清田の3人は顔を見合わせた。
3人「?」
バッと勢いよく顔を上げると大声で『ちょっと俺‼︎走ってきます‼︎‼︎』と宣言をするとクルリと方向転換をし来た道を猛ダッシュで駆け出した。
牧「は?」
清田「神さん⁉︎」
高砂「‼︎⁉︎」
突然、走り出しあっという間に姿が見えなくなった神に呆気にとられる3人。
牧「な…、なんだ…一体…」
高砂「…急にどうしたんだ…?」
清田「さ、さぁ…?」
3人の頭の上にはたくさんのクエスチョンマークが浮かんでいる。
一方、走り出した神は(頭を冷やさないと‼︎また抱きつきそう‼︎‼︎)とダッシュでグラウンドへ向かったのだった。
食堂
莉子達から遅れる事数分。海南のメンバーが食堂に入って来た。
弁当を配っていた莉子の手が止まる。
莉子「あれ?」
神の姿がない。莉子は清田に声をかけた。
莉子「神さんは?トイレ?」
『はい。どうぞ』と莉子の差し出したお弁当を受け取りながら『なんか急に走りに行った…。すぐに戻って来ると思うけど…』と困惑気味の清田。
莉子は質問を続ける。
莉子「え?走りに行ったの?」
清田がコクッと頷いた。莉子はさらに続けた。
莉子「タオルとか持って行ったかな…」
莉子の質問に清田は『あーー…』と考えた後『手ぶらじゃねーかな…。本当にすごい勢いでグラウンドに走って行ったし…』と割り箸を手に取る。
莉子「そっか…」
彦一を見た。もう食べ始めている。清田も『腹減ったぁー』と言いながら弁当の蓋を開けている。
莉子(ささっと行って早く戻って来たらいいよね…)
嫌がらせ対策でなるべく1人にならない様にと言われているが選手達にはしっかり休んでもらいたい。
少しの時間なら問題ないだろう…。
莉子はそっと食堂を抜け出し小走りで給湯室へ向かった。
給湯室ではどこかのマネージャーがドリンクの準備中だった。そっと入って行き小さな声で『お疲れまです』と言ってみた。
こういう場面ではどんな声掛けがいいのだろうか…。
ただでさえよく思われていないのだ。無礼者という印象だけでも避けたい。
マネージャーは莉子を見て『誰?』と言いたげな表情を浮かべたがそれは一瞬ですぐに『お疲れ様でーす』と軽く返事をしてくれた。
莉子(よかった…)
返事を返してくれたことにホッと胸を撫で下ろし新しいタオルとドリンクを持ち『お先に失礼します』と告げるとそのままグランウンドへ走る。
莉子「急がなきゃ…」
胸に抱えたドリンクとタオル。届ける人は神だ。
莉子(…喜んでくれたらいいな…)
そんな事が脳裏に浮かび慌て首を横に振る。
莉子(これはあくまでもマネージャーとして選手に必要な物を届けるだけで変な意味はないから‼︎)
外に出て階段を登るとグラウンドが見えた。見下ろしたグランドには神が1人でトラックを走っているのが見えた。
莉子「いた…」
綺麗なフォームで走っている神に少しの間、見惚れてしまう。
莉子(かっこいい…)
流れる汗と真剣な眼差しに心が騒ぎ出した。
しばらく眺めていると段々と速度がゆっくりになっていく。
腰に手を当てゆっくりと歩き始めた神。
走り終わったんだ。
莉子は神の方へ駆け寄ろうと階段を降りかけた。
その時、神が歩くトラックに駆け寄って行く人影が見えた。
莉子の足がピタッと止まった。
駆け寄って行ったのは茜だ。
茜「宗ちゃん!お疲れ様‼︎」
と神にタオルを差し出す茜とそれを受け取る神。
とてもスムーズで自然な行動だった。
莉子「……」
ぎゅうと胸が締め付けられた。
急に現実に引き戻されたような気分になった。
『宗ちゃん』と呼ぶ彼女が着ている物は『JIN』と書かれた練習用ウェアだ。
莉子「……」
そうだった…私だけじゃないんだった…
その事がとても寂しく感じた。
莉子(それは…そうだよね…たまたま私が困ってる所に神さんが来てくれるから色々親切にしてもらってるけど私はただのマネージャーだもん…私、勘違いしてた…)
あの時、抱きしめたのだってきっと神なりの考えがあったんだ。こんなに好きにさせておいてなんて残酷な事をするんだろう…。
だけど…
莉子(好きだから…嫌いになれない…)
目の奥がツンと痛んだ。
仙道「…木村」
莉子「‼︎⁉︎」
突然、背後から名前を呼ばれ飛び上がるほど驚いた。
振り返るとそこに立っていたのは仙道だった。
莉子「…仙道さん…?」
強張った表情で仙道を見上げる莉子。そんな莉子を優しく見つめる仙道。
仙道「こんな所で何してるんだ?1人で行動しちゃダメだろ」
仙道は視界の端でトラックでは神と茜が何か話しているのを捉えた。莉子が大事そうにドリンクとタオルを抱えていら事にも気付いた。
仙道「…それ…神に届けに来たのか…?」
胸に抱いている物を指差し仙道が質問した。莉子は悲しそうに笑った。
莉子「はい…。でも必要なかったみたいです…」
と茜と神を見た。茜が首にかけたタオルで神の顔の汗を拭こうとしている。茜が神に何かを言った。神は腰を屈めた。
茜と神の顔が一気に近付き、首にかけていたタオルで神のおでこの汗を拭った。
莉子「っ⁉︎」
パッと顔を背けた莉子。今にも泣き出しそうな莉子を見ていると胸が張り裂けそうだった。
仙道「……」
あの2人はただの幼馴染だよ。
そう言えばいい。莉子はあの2人を親密な関係だと勘違いしているだけなのだ。そう言ってしまえば莉子に笑顔が戻るはずだ。
でも言えなかった。莉子の段々と曇っていく表情に気づいていながら本当の事が言えなかった。
仙道「……」
黙り込んでしまった仙道に莉子は『も、戻りましょう』と来た道を戻り始めた。
莉子「仙道さんはお弁当食べましたか?」
軽快な足取りで階段を降りていく莉子。
莉子「私、お腹すいちゃった…。今日のメニューなんだろ。楽しみだなぁ」
やたら饒舌な莉子
しかし声が震えている。
仙道が莉子の後を追い階段を降りる。
仙道「木村…」
仙道の呼びかけに気づいているはずなのに立ち止まる事も返事もせずに他愛もない事を話し続ける莉子。
莉子「私的にはもう少し野菜のおかずが多いと嬉しいですけどそれだと男の人は物足りなかったりしますよね」
仙道「なぁ…。話を聞け。こっちを向くんだ」
莉子「私、すっごくお腹が空いてるから…」
話も歩く事もやめようとしない莉子。
仙道「木村!止まってくれ」
莉子「午後の練習もありますしちゃんと食べてしっかり休まないと…だから早く食堂に…」
仙道「木村っ‼︎‼︎」
仙道が莉子の腕を掴んだ。
無理やり振り向かせ拍子に胸に抱えていたドリンクボトルが足元に転がった。
目にいっぱい涙を溜めた莉子。
パッと顔を逸らすとすぐに足元に落ちたボトルに手を伸ばした。
仙道「無理すんな…」
莉子「な、何の話ですか?私…無理なんか…してま、せん…」
震える声に莉子が唇を噛んだ。
尚も涙を堪えている莉子を見て仙道も泣きそうになった。
思わず莉子を抱き寄せる。
莉子「‼︎⁉︎」
驚いた莉子が仙道を押し返そうと腕の中で必死にもがく。しかし仙道は莉子を離そうとしなかった。
莉子「やっ!」
莉子の腕の中からボトルとタオルが落ちた。しかし仙道は手を離そうとしなかった。
もがいてももがいても仙道の腕から逃げらない。莉子が仙道の胸を叩いた。
莉子「な、なんで…こんなことするんですか‼︎⁉︎」
我慢が出来ずに仙道の胸の中で叫ぶ莉子
仙道「……」
莉子「私のことからかってこんなことをしているんですか‼︎⁉︎酷いです‼︎神さんも‼︎仙道さんも酷い‼︎‼︎」
と胸を叩き続ける莉子。仙道はされるがままだった。
莉子「なんで…こんなこと…」
好きにさせといて本命がいたなんて本当にひどすぎる。あんまりだ。なんで抱きしめたの。なんであんなに優しく触れたの…。
莉子「酷い…。本当に酷いです…」
堪えきれなくなった莉子が嗚咽を漏らした。
仙道が泣く莉子をさらに強く抱きしめた。
莉子は抵抗するが仙道の腕はびくともしない。
そして仙道は莉子の耳元で一言、言葉を呟いた。
仙道「俺にしとけ…」
苦しそうに絞り出した仙道の言葉に莉子は息を飲んだのだった。