神宗一郎と恋するお話
神奈川選抜合宿2日目 土曜日
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体育館を出た神はサッカー部の部室へと向かった。
外に出ると秋を感じさせるカラリとした風が頬を撫で気持ちよかった。そよそよとそよぐ風の心地よさをなんだか莉子に教えたくなる。
それは母親に何でも話したくなる幼子の気持ちに似ている気がする。
神(さっきまで会ってたんだけどな…)
今すぐに踵を返して『風がすごく気持ちいい』と教えに行きたい。
なんだか無性に莉子に会いたい。
これから苦手な小野寺に会いに行くことと関係しているのだろうか。
サッカー部はそろそろ集まり始める時間だろう。
神(時間もないし早く来るといいんだけど…)
後ろ髪引かれる思いを振り切るように足早にサッカー部の部室前に着くとサッカー部員が何人かいた。
神はその中の1人に『よう』と声を掛ける。
部室の入り口前でしゃがみ込みシューズの紐を調節していた彼が顔を上げる。
「お。神じゃないか。珍しいな。こんな所で会うなんて」
と人懐っこい笑顔を見せる。
他の部員達は彼に『先に行ってる』と声をかけると神を一瞥してグランドへ駆けていく。
『おー』と仲間の背中に向かって叫ぶと1人残された彼は部員を見送ると立ち上がり『で?どうした?』と神を見た。
神「小野寺ってもう来てる?」
神と比較的仲のいい彼は小野寺の名前を聞いて少々驚いた様子だった。
彼は『まだ来てないけどあと5分もしたら来るんじゃないか?』と時計塔を見上げた。
「どういう風の吹き回しだ?いつもウザ絡みされて面倒臭いって愚痴ってんのに」
神「そうなんだけどさ…」
体育の試合、体力テスト、小テスト、実力テストなど事あるごとに何でも対抗しては『勝った』『次は負けない』『今回はたまたま勝っただけだから調子に乗るなよ』だのうるさい小野寺を神は鬱陶しいと避けている。なのに今日は神から尋ねてきた事に彼は驚いていた。
神「ちょっとね…」
言葉を濁し苦笑いを浮かべる神に彼は詮索することなく『ふーん』と頷き神の隣に立った。
神「ここで待たせてもらうよ」
と言うと神は部室の入り口横の壁にもたれた。それを見た彼は人の良さそうな笑顔を神に向けるとツツツと神の横に同じようにもたれると『ちょうど俺も神に頼みたい事があったんだよね』と声を顰めた。
神「俺に頼み事?何?」
腕を組んで彼を横目で見る。彼は顔の前で手を合わせると『あのさ…』と頼み事を始める。
「今、他校から来てるマネちゃんを紹介してくれない?昨日見かけたんだけどめっちゃ可愛いくない?俺、めっちゃタイプなんだよ‼︎」
神「……」
彼の言葉に神の表情はスンっと無表情になると『ダメ』と一言呟いた。
「即答⁉︎ちょっとぐらい考えろよな!」
と悲しそうな彼に神は『実は…』と莉子の事を話し始める。
神「彼女、男嫌いなんだ。だから紹介はできないかな」
『男嫌い』と聞いて彼は首を傾げた。
「男嫌い?男バスのマネなのに?」
幾度なく聞いた言葉に神は苦笑いを浮かべ『うん』と頷く。
神「だからそっとしておいてあげて。彼女、すごく頑張ってるからさ。邪魔したくないんだ」
と言う神に彼は『うーーん』と唸った後、神を見た。
「…マネちゃんの事情はわかった。そういう事なら神は少しマネちゃんを気にかけた方がいいぞ」
神「え?」
「マネちゃんに声をかけようとしてるの俺だけじゃないんだよ。サッカー部もだけど他の連中もみんな声かけようとしてたから」
神「マジ?」
「うん」
コクコクと頷く彼に神は『そうか…』と黙り込んだ。
神は(誰かがあの子に興味持つのは嫌だけど声をかけたい気持ちはわかる…)と莉子の人気に納得した。莉子は可愛い。それはもう本当、とてもとても可愛い。
それにとても良い子だ。莉子を知ったらみんなが好きになってしまうんじゃないかとすら思える程だ。
神(だから男嫌いなのかもな)
あれだけ目立つのだ。これまでもこういうことはたくさんあっただろう。まだ紹介してもらうのはいい。友達の紹介だから身元がはっきりしているし変なやつをわざわざ友達に紹介したりしないだろうから。
でもいきなり声をかけてくる正体不明な人間ならどうだろう?
神自身も経験がある。知らない人が自分のパーソナルエリアに入って来ると緊張するし話しかけるタイミングがわからず意図せず家にまで着いてきてしまった女の子が何人かいた。
恋する女の子の可愛い失敗談といえるエピソードも神の視点ではただのストーカー被害の怖い話となる。
何を想い、何を考えているのかなんて本人にしかわからない。話しかけるタイミングを伺っていただけなのかそれとも家を特定したかったのかなんてわからないのだ。された方はただ『知らない人が家まで着いて来た』という恐怖だけが残る。
そういう経験を莉子が人一倍多く体験していたとしたら…。
神(嫌になるよな…俺自身、女の子のことちょっと苦手だと思ってる節あるし…でも……木村さんの場合、俺や他のメンバーとはうまくやってるように見えるしなぁ…実際問題『男嫌い』ってどれくらいのものなんだろう…)
神の中の莉子はいつも楽しそうだ。昨日は涙を浮かべる場面もあったが基本的にいつもニコニコしてるし自分達を怖がっている様子もない。
男嫌いだと言いながらも本当に怖いのは小野寺だけなのでは?
神(…宮城も『軽度』って言ってたし…小野寺だけって可能性は十分あるよな…)
だからと言って莉子に誰かが話しかけるのは嫌だ。阻止したい。
「あれ?」
隣の彼が声を上げハッとした。『来たのか』と顔を上げると1人の男子生徒がこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。
「あれ…あいついつも小野寺と一緒に来るヤツなんだけど…今日は一緒じゃねぇのかな」
と頭を掻き首を傾げる彼。
いつも小野寺と登校しているという男子生徒が1人で歩いて来るのを見て不安になった。
いつも一緒に登校している奴と行動を共にしていない…。偶然にしてはタイミングが良過ぎる気がする。
神は風が吹き荒れる断崖絶壁に立たされてる様な緊張感に襲われる。
神「……」(…嫌な予感がする…)
俺はとんでもないミスをしたのでは…?そんな焦燥感に心臓が早鐘を鳴らし出す。
神と彼がジッと見つめていると男子生徒が神に気付き『おぉ…珍しい客だな』と驚いたように言った。
神は思わず男子生徒に『アイツは⁉︎』と掴みかかる勢いで肩に飛びついた。
「は?な、何だよ⁉︎」
神「小野寺だよ!今日は一緒じゃないのか⁉︎」
「お、小野寺…?あぁ…あいつなら…」
男子生徒の言葉を固唾を飲んで待つ。
「途中まで一緒だったんだけど宿泊棟の前で『用事がある』って言って分かれたんだ。中学時代の後輩が来てるって言ってたけど…」
神「‼︎」(しまった‼︎)
男子生徒の言葉を聞いてすぐに走り出す神。背中から『神⁉︎どうした⁉︎』と呼ぶ声がしたがそのまま莉子のいる宿泊棟に向かって走った。
すれ違う生徒が驚き神に道を開ける。そのまま突っ走る神。
『なるべく1人にならないように気をつけてね』
昨晩、神が莉子に言った言葉だ。
神(わかってたのになんで1人にしたんだ‼︎くそっ‼︎)
予想してたことなのに防げなかった事、油断していた事、自分の詰めの甘さ…全てに情けなくなった。
神(もしあいつに何かされたら…)
今、1人で莉子は小野寺と対峙している。怯えながら恐怖と戦っているのかもしれないと思うと胸が張り裂けそうなほど苦しい。
神(くそっ‼︎)
走り込む足に力を入れる。グッと力を入れた親指が地面を掴んで強く蹴り上げる。
早く、早く、早く‼︎
莉子の元へ‼︎
神はさらに加速した。
食堂の前まで走ってきた神は勢いそのままでドアを開けた。
バンっという音に中にいた人間が一斉に神の方を向いた。
「‼︎⁉︎」
神「はぁ…はぁ…」(…2人っきりじゃなかった…よかった…)
2人だけではなかった。さっきよりは人数は減ったがまだ朝食をとっている人や片付けをしている人もいて神はホッとした。これだけ人がいたら変なことはできないだろう。
神「はぁ…はぁ…」(…本当によかった…でも…)
すぐに違う事が気になり始める。
すごい勢いで現れた神に視線が集まっている。しかし神はそんな事は一切気にならなかった。
神の頭の中にあるのは莉子が不快な思いをしていないかどうかだけ。今はそれ以外に気が回らなかった。
神(嫌な思いさせられてないかな…)
2人っきりではなかったから変な事はされていないだろうが小野寺は女の子の扱いがぞんざいである。不快な思いはしていないだろうか…。
神が莉子を見た。
強張った表情を見て心がギュッと締め付けられる。
神「…はぁ…はぁ…はぁ…」(落ち着け……。まずは小野寺を木村さんから離す…)
息を整えるため大きく深呼吸をした後『小野寺…探してたんだ』と神が2人の方へ歩み寄る。
落ち着いた口調とは裏腹にその視線は獲物を狙う肉食獣のように鋭い。
普段の温厚な神から想像も出来ないような射抜くような視線。他者なら震え上がる様な視線も今の小野寺にとっては自尊心を高める要素でしかない。
神が莉子と小野寺の間に立つ。
神「…小野寺はこんな所で何してるの…?」
鋭い視線を向ける神の雰囲気に周りにいた人はただことではないと固唾を飲んで3人を見ている。
額に汗を滲ませ息を切らした神を見てニヤリと笑った。
小野寺「何をそんなに焦ってんの。そんなに俺と莉子ちゃと一緒にいるのが気になるの?」
今まで自分がどれだけ煽っても無反応だった神がこんなに取り乱している…。
ゾクゾクッと背中を走っていく優越感が自尊心を満たしていくのがなんとも心地よい。
神「…別に…ちょっと小野寺に用事があってさ…。もうすぐ練習始まるしそっちだって時間ないだろ?早く一緒に来てほしいんだ」
と食堂のドアを親指でクイクイと指差した。
小野寺「俺は莉子ちゃんに用事があるんだよ」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる小野寺に神は一瞬、顔を顰めたがすぐに表情は穏やかなモノに戻り莉子に視線を移す。
不安そうに神を見ている莉子と目が合った。
神「…木村さん」
できる限り優しく話しかける。
莉子は小さな声で『はい』と返事を返した。
神「木村さんはたくさん仕事あるでしょ?だからはやく仕事を始めた方がいいよ。三井さんのドリンクが間に合わなくなる」
莉子は一瞬、小野寺を見たがすぐに神へ視線を戻すと『はい』と返事をした。『失礼します』と頭を下げる莉子に小野寺がすかさず『おい』と低い声で莉子に行くなと牽制する。
ビクッと大きく肩を揺らすと莉子が青ざめた表情でピタッと動きが止まった。神は再び莉子に向かって『木村さん』と呼んだ。
自分を見つめる莉子の視線からどうしたらいいのかわからず困っているのがわかった。
腰を屈めて莉子としっかりと視線を合わせた。
神が『大丈夫…俺に任せて…』と言うとトンッと莉子の背中を押した。
小野寺が『ちょっと待て。話は終わってないぞ』と莉子に言うが莉子は『すみません…仕事が溜まってるんです』と言うと頭を下げ汁椀がたくさん乗ったトレイを持って調理室へと入って行った。
それを悔しそうに眺めていた小野寺に神は『じゃあ俺たちは場所を移動しようか』と肩に手を置いた。
適当な空き教室に入る。普段、人の出入りがないのだろう。少し埃っぽい。
小野寺が机に腰掛けると神を睨んだ。莉子との時間を邪魔した事を怒っているようだっだが神はお構いなしに本題に入る。
神「時間ないから単刀直入に言わせてもらうけど木村さんにちょっかい出すのやめてくれないか?」
神も負けていない。小野寺を見下ろす視線は敵意丸出しだ。
小野寺「ちょっかい?そんなつもりないんだけどな」
こんな敵意剥き出しの神なんて見た事ない。やっと神の目に自分が映っていると実感しようやく神と肩を並べられた様な気がして気持ちが高揚した。
へらへらと笑っている小野寺にイラッとしたが神は冷静に話す。
神「小野寺が俺を嫌ってるのは知ってる。俺が彼女の事をどう想っているのかも気付いてて、必要以上に木村さんに絡んでるだろ?だけど俺を揶揄うのに木村さんを利用するのをやめてくれ。彼女、頑張ってるんだ。そっとしておいてあげてくれ。俺とお前の問題に木村さんを巻き込むな」
いつもより饒舌な神に『必死さ』を感じる。自分の行動で冷静沈着、精密機械なんて呼ばれている神が振り回されている。
楽しい!
小野寺「必死だねぇ…。そんなに莉子ちゃんが好きなの?」
小野寺の言葉に神は表情を変えずに『……あぁ……。好きだよ』と答える。
あっさりと自分の気持ちを認めた神に小野寺は少し驚いた。
小野寺「随分と正直なんだな」
相変わらず冷たい視線を向ける神は『別に…』と言葉を紡ぐ。
神「最初に小野寺が俺に気持ちに気付いてるのはわかってるって言ったし…。隠す必要ないだろ」
小野寺は確信した。神は『自分』を攻撃されてもビクともしない。やっぱり莉子が弱点なんだ…。
小野寺はつまらなそうに『ふーん』と言うと『じゃあさ…』と言葉を続けた。
小野寺「俺と莉子ちゃんの関係…気にならない?」
小野寺は莉子の名前を使って神を揺さぶる。
神「先輩と後輩だろ?昨日、聞いた」
思った通りイラついた表情を見せる神に小野寺は楽しくなってくる。
小野寺「俺たちはただの先輩後輩の関係じゃないよ。莉子ちゃんは俺に逆らえないんだから」
神「は?逆らえない?どういう事?」
眉間に深いシワが寄る神。自分の言葉に振り回される神を見るのが楽しくってしかたなかった。
小野寺「俺はお前が嫌いだ。でもそれだけで莉子ちゃんに近付いたわけじゃないよ。莉子ちゃんって中学の時から群を抜いて可愛かったんだよね。高校に入ってさらに綺麗になってるし…だからまた欲しいなって思ってるんだよね」
わざと含みを持たせた言い方をして神の想像を膨らませるように仕向ける。
神は『また欲しい』と聞いた瞬間に険しい顔になり低い声で『どういう意味だ』と唸る様に呟いた。
莉子が絡むと神は思い通りに動く。優越感に浸り神を嘲笑う。
小野寺「俺たちってそういう関係ってこと」
神の顔から血の気がさーーーっと引いていく。
神「そういう…関係…?」
青ざめる神をおかしそうに見つめる小野寺。元恋人だと思い込ませる事に成功した。ここからどうすればさらに神を奈落の底に突き落としてやれるだろうか?
小野寺「莉子ちゃんが俺に逆らえない理由はわかっただろう?」
神は『なんでそう思う?』と問う。
神「とてもじゃないけど木村さんがお前に未練があるように見えない。お前に逆らえないわけない。絶対にヨリなんて戻さない」
怯えていた莉子に気づかないほど馬鹿ではないだろう。こいつは何を勘違いしてんだとイライラが大きく膨れた。
小野寺「好き嫌い関係ないんだって。さっきも言ったけど莉子ちゃんは俺には逆らえないの。俺が『付き合え』って言ったらそうするしかないんだよ。どんなに俺を嫌っててもな」
その発言に神は拳を握った。
神「…脅迫するつもりなのか…?お前…木村さんのこと何だと思ってるんだ…」
怒りで握り込んだ拳に爪が食い込んで白くなりプルプル震えた。
小野寺「見た目のいい女…ぐらいかな…。でもそういう女を連れて歩くと俺のステータスも上がるし一石二鳥なんだよね。それに嫌がる女を抵抗させずに従わせるって言うのも支配欲って言うの?そういうのが満たされて最高に気持ち良いんだよね。神も試してみたら?癖になるよ」
悪びれず最低な発言をする小野寺にこれまで以上の嫌悪感と怒りが暴風雨のごとく神の心の中に吹き荒れた。
神「お、まえ…」(こいつ…クソだな…)
神の表情が大きく歪んだ。
いつ殴りかかっておかしくない。怒りでどうにかなりそうだ。
でも今殴って謹慎や停学にでもなったら莉子を守る人間がいなくなってしまう。最悪の結果を招いてしまう。必死に怒りを抑える。
莉子への想いが神を食い止めている。
神(我慢だ…感情で動くな…こいつの思う壺になる…)
悔しそうに唇を噛む神を見て小野寺は(勝った…)と完全勝利を確信した。
神の好きな女を最低な形で奪ってやる。
莉子の性格なら多少知っている。莉子は秘密主義なところがある。こんなひどい事をされても誰にも相談できないのだ。
小野寺が教室内の時計を見て『あぁ。もう行かなきゃ』とため息をついた。
小野寺「俺が握ってる莉子ちゃんの弱味って気になる?」
小野寺は最後のダメ押しにと自分が握っている『弱味』の正体を匂わせる。
神は返事をしなかった。怒りを抑えることで精一杯で、じっと睨み返しただけだった。
小野寺は『ヒントは写真だよ。莉子ちゃんに聞いてみるといいよ』と笑う。
小野寺「聞いたらもう二度と話をしてくれなくなると思うけどね」
神が大切にしているモノを目の前で踏み付けて痛めつけてやる。そうすえれば自身が傷付くよりも苦痛を感じるはずだ。
小野寺は『じゃあな』と笑うと教室を出て行った。
軽快な足音が聞こえなくなると神は抑えていた怒りを爆発させた。
神「くっそぉぉぉぉぉぉ‼︎‼︎‼︎」
そう叫んだ後、小野寺の座っていた机を思いっきり蹴上げた。ガッシャーンと大きな音と共に机がひっくり返る。八つ当たりなんて初めてだった。
いつだって神は冷静に周りを観察し己を俯瞰で見て、その場その場で最善を尽くしてきた。『八つ当たり』なんてなんの生産性もないと思っていた。
そんな神でも莉子を軽視された事は我慢ならなかった。怒りが収まらない。
神「くそ…ふざけるなよ…」
神がグッと拳を握り直す。手のひらには爪の跡が残っている。
神「…絶対に思い通りになんかさせない…」
誰もいない教室に神の言葉がポトリと落ちた。
外に出ると秋を感じさせるカラリとした風が頬を撫で気持ちよかった。そよそよとそよぐ風の心地よさをなんだか莉子に教えたくなる。
それは母親に何でも話したくなる幼子の気持ちに似ている気がする。
神(さっきまで会ってたんだけどな…)
今すぐに踵を返して『風がすごく気持ちいい』と教えに行きたい。
なんだか無性に莉子に会いたい。
これから苦手な小野寺に会いに行くことと関係しているのだろうか。
サッカー部はそろそろ集まり始める時間だろう。
神(時間もないし早く来るといいんだけど…)
後ろ髪引かれる思いを振り切るように足早にサッカー部の部室前に着くとサッカー部員が何人かいた。
神はその中の1人に『よう』と声を掛ける。
部室の入り口前でしゃがみ込みシューズの紐を調節していた彼が顔を上げる。
「お。神じゃないか。珍しいな。こんな所で会うなんて」
と人懐っこい笑顔を見せる。
他の部員達は彼に『先に行ってる』と声をかけると神を一瞥してグランドへ駆けていく。
『おー』と仲間の背中に向かって叫ぶと1人残された彼は部員を見送ると立ち上がり『で?どうした?』と神を見た。
神「小野寺ってもう来てる?」
神と比較的仲のいい彼は小野寺の名前を聞いて少々驚いた様子だった。
彼は『まだ来てないけどあと5分もしたら来るんじゃないか?』と時計塔を見上げた。
「どういう風の吹き回しだ?いつもウザ絡みされて面倒臭いって愚痴ってんのに」
神「そうなんだけどさ…」
体育の試合、体力テスト、小テスト、実力テストなど事あるごとに何でも対抗しては『勝った』『次は負けない』『今回はたまたま勝っただけだから調子に乗るなよ』だのうるさい小野寺を神は鬱陶しいと避けている。なのに今日は神から尋ねてきた事に彼は驚いていた。
神「ちょっとね…」
言葉を濁し苦笑いを浮かべる神に彼は詮索することなく『ふーん』と頷き神の隣に立った。
神「ここで待たせてもらうよ」
と言うと神は部室の入り口横の壁にもたれた。それを見た彼は人の良さそうな笑顔を神に向けるとツツツと神の横に同じようにもたれると『ちょうど俺も神に頼みたい事があったんだよね』と声を顰めた。
神「俺に頼み事?何?」
腕を組んで彼を横目で見る。彼は顔の前で手を合わせると『あのさ…』と頼み事を始める。
「今、他校から来てるマネちゃんを紹介してくれない?昨日見かけたんだけどめっちゃ可愛いくない?俺、めっちゃタイプなんだよ‼︎」
神「……」
彼の言葉に神の表情はスンっと無表情になると『ダメ』と一言呟いた。
「即答⁉︎ちょっとぐらい考えろよな!」
と悲しそうな彼に神は『実は…』と莉子の事を話し始める。
神「彼女、男嫌いなんだ。だから紹介はできないかな」
『男嫌い』と聞いて彼は首を傾げた。
「男嫌い?男バスのマネなのに?」
幾度なく聞いた言葉に神は苦笑いを浮かべ『うん』と頷く。
神「だからそっとしておいてあげて。彼女、すごく頑張ってるからさ。邪魔したくないんだ」
と言う神に彼は『うーーん』と唸った後、神を見た。
「…マネちゃんの事情はわかった。そういう事なら神は少しマネちゃんを気にかけた方がいいぞ」
神「え?」
「マネちゃんに声をかけようとしてるの俺だけじゃないんだよ。サッカー部もだけど他の連中もみんな声かけようとしてたから」
神「マジ?」
「うん」
コクコクと頷く彼に神は『そうか…』と黙り込んだ。
神は(誰かがあの子に興味持つのは嫌だけど声をかけたい気持ちはわかる…)と莉子の人気に納得した。莉子は可愛い。それはもう本当、とてもとても可愛い。
それにとても良い子だ。莉子を知ったらみんなが好きになってしまうんじゃないかとすら思える程だ。
神(だから男嫌いなのかもな)
あれだけ目立つのだ。これまでもこういうことはたくさんあっただろう。まだ紹介してもらうのはいい。友達の紹介だから身元がはっきりしているし変なやつをわざわざ友達に紹介したりしないだろうから。
でもいきなり声をかけてくる正体不明な人間ならどうだろう?
神自身も経験がある。知らない人が自分のパーソナルエリアに入って来ると緊張するし話しかけるタイミングがわからず意図せず家にまで着いてきてしまった女の子が何人かいた。
恋する女の子の可愛い失敗談といえるエピソードも神の視点ではただのストーカー被害の怖い話となる。
何を想い、何を考えているのかなんて本人にしかわからない。話しかけるタイミングを伺っていただけなのかそれとも家を特定したかったのかなんてわからないのだ。された方はただ『知らない人が家まで着いて来た』という恐怖だけが残る。
そういう経験を莉子が人一倍多く体験していたとしたら…。
神(嫌になるよな…俺自身、女の子のことちょっと苦手だと思ってる節あるし…でも……木村さんの場合、俺や他のメンバーとはうまくやってるように見えるしなぁ…実際問題『男嫌い』ってどれくらいのものなんだろう…)
神の中の莉子はいつも楽しそうだ。昨日は涙を浮かべる場面もあったが基本的にいつもニコニコしてるし自分達を怖がっている様子もない。
男嫌いだと言いながらも本当に怖いのは小野寺だけなのでは?
神(…宮城も『軽度』って言ってたし…小野寺だけって可能性は十分あるよな…)
だからと言って莉子に誰かが話しかけるのは嫌だ。阻止したい。
「あれ?」
隣の彼が声を上げハッとした。『来たのか』と顔を上げると1人の男子生徒がこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。
「あれ…あいついつも小野寺と一緒に来るヤツなんだけど…今日は一緒じゃねぇのかな」
と頭を掻き首を傾げる彼。
いつも小野寺と登校しているという男子生徒が1人で歩いて来るのを見て不安になった。
いつも一緒に登校している奴と行動を共にしていない…。偶然にしてはタイミングが良過ぎる気がする。
神は風が吹き荒れる断崖絶壁に立たされてる様な緊張感に襲われる。
神「……」(…嫌な予感がする…)
俺はとんでもないミスをしたのでは…?そんな焦燥感に心臓が早鐘を鳴らし出す。
神と彼がジッと見つめていると男子生徒が神に気付き『おぉ…珍しい客だな』と驚いたように言った。
神は思わず男子生徒に『アイツは⁉︎』と掴みかかる勢いで肩に飛びついた。
「は?な、何だよ⁉︎」
神「小野寺だよ!今日は一緒じゃないのか⁉︎」
「お、小野寺…?あぁ…あいつなら…」
男子生徒の言葉を固唾を飲んで待つ。
「途中まで一緒だったんだけど宿泊棟の前で『用事がある』って言って分かれたんだ。中学時代の後輩が来てるって言ってたけど…」
神「‼︎」(しまった‼︎)
男子生徒の言葉を聞いてすぐに走り出す神。背中から『神⁉︎どうした⁉︎』と呼ぶ声がしたがそのまま莉子のいる宿泊棟に向かって走った。
すれ違う生徒が驚き神に道を開ける。そのまま突っ走る神。
『なるべく1人にならないように気をつけてね』
昨晩、神が莉子に言った言葉だ。
神(わかってたのになんで1人にしたんだ‼︎くそっ‼︎)
予想してたことなのに防げなかった事、油断していた事、自分の詰めの甘さ…全てに情けなくなった。
神(もしあいつに何かされたら…)
今、1人で莉子は小野寺と対峙している。怯えながら恐怖と戦っているのかもしれないと思うと胸が張り裂けそうなほど苦しい。
神(くそっ‼︎)
走り込む足に力を入れる。グッと力を入れた親指が地面を掴んで強く蹴り上げる。
早く、早く、早く‼︎
莉子の元へ‼︎
神はさらに加速した。
食堂の前まで走ってきた神は勢いそのままでドアを開けた。
バンっという音に中にいた人間が一斉に神の方を向いた。
「‼︎⁉︎」
神「はぁ…はぁ…」(…2人っきりじゃなかった…よかった…)
2人だけではなかった。さっきよりは人数は減ったがまだ朝食をとっている人や片付けをしている人もいて神はホッとした。これだけ人がいたら変なことはできないだろう。
神「はぁ…はぁ…」(…本当によかった…でも…)
すぐに違う事が気になり始める。
すごい勢いで現れた神に視線が集まっている。しかし神はそんな事は一切気にならなかった。
神の頭の中にあるのは莉子が不快な思いをしていないかどうかだけ。今はそれ以外に気が回らなかった。
神(嫌な思いさせられてないかな…)
2人っきりではなかったから変な事はされていないだろうが小野寺は女の子の扱いがぞんざいである。不快な思いはしていないだろうか…。
神が莉子を見た。
強張った表情を見て心がギュッと締め付けられる。
神「…はぁ…はぁ…はぁ…」(落ち着け……。まずは小野寺を木村さんから離す…)
息を整えるため大きく深呼吸をした後『小野寺…探してたんだ』と神が2人の方へ歩み寄る。
落ち着いた口調とは裏腹にその視線は獲物を狙う肉食獣のように鋭い。
普段の温厚な神から想像も出来ないような射抜くような視線。他者なら震え上がる様な視線も今の小野寺にとっては自尊心を高める要素でしかない。
神が莉子と小野寺の間に立つ。
神「…小野寺はこんな所で何してるの…?」
鋭い視線を向ける神の雰囲気に周りにいた人はただことではないと固唾を飲んで3人を見ている。
額に汗を滲ませ息を切らした神を見てニヤリと笑った。
小野寺「何をそんなに焦ってんの。そんなに俺と莉子ちゃと一緒にいるのが気になるの?」
今まで自分がどれだけ煽っても無反応だった神がこんなに取り乱している…。
ゾクゾクッと背中を走っていく優越感が自尊心を満たしていくのがなんとも心地よい。
神「…別に…ちょっと小野寺に用事があってさ…。もうすぐ練習始まるしそっちだって時間ないだろ?早く一緒に来てほしいんだ」
と食堂のドアを親指でクイクイと指差した。
小野寺「俺は莉子ちゃんに用事があるんだよ」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる小野寺に神は一瞬、顔を顰めたがすぐに表情は穏やかなモノに戻り莉子に視線を移す。
不安そうに神を見ている莉子と目が合った。
神「…木村さん」
できる限り優しく話しかける。
莉子は小さな声で『はい』と返事を返した。
神「木村さんはたくさん仕事あるでしょ?だからはやく仕事を始めた方がいいよ。三井さんのドリンクが間に合わなくなる」
莉子は一瞬、小野寺を見たがすぐに神へ視線を戻すと『はい』と返事をした。『失礼します』と頭を下げる莉子に小野寺がすかさず『おい』と低い声で莉子に行くなと牽制する。
ビクッと大きく肩を揺らすと莉子が青ざめた表情でピタッと動きが止まった。神は再び莉子に向かって『木村さん』と呼んだ。
自分を見つめる莉子の視線からどうしたらいいのかわからず困っているのがわかった。
腰を屈めて莉子としっかりと視線を合わせた。
神が『大丈夫…俺に任せて…』と言うとトンッと莉子の背中を押した。
小野寺が『ちょっと待て。話は終わってないぞ』と莉子に言うが莉子は『すみません…仕事が溜まってるんです』と言うと頭を下げ汁椀がたくさん乗ったトレイを持って調理室へと入って行った。
それを悔しそうに眺めていた小野寺に神は『じゃあ俺たちは場所を移動しようか』と肩に手を置いた。
適当な空き教室に入る。普段、人の出入りがないのだろう。少し埃っぽい。
小野寺が机に腰掛けると神を睨んだ。莉子との時間を邪魔した事を怒っているようだっだが神はお構いなしに本題に入る。
神「時間ないから単刀直入に言わせてもらうけど木村さんにちょっかい出すのやめてくれないか?」
神も負けていない。小野寺を見下ろす視線は敵意丸出しだ。
小野寺「ちょっかい?そんなつもりないんだけどな」
こんな敵意剥き出しの神なんて見た事ない。やっと神の目に自分が映っていると実感しようやく神と肩を並べられた様な気がして気持ちが高揚した。
へらへらと笑っている小野寺にイラッとしたが神は冷静に話す。
神「小野寺が俺を嫌ってるのは知ってる。俺が彼女の事をどう想っているのかも気付いてて、必要以上に木村さんに絡んでるだろ?だけど俺を揶揄うのに木村さんを利用するのをやめてくれ。彼女、頑張ってるんだ。そっとしておいてあげてくれ。俺とお前の問題に木村さんを巻き込むな」
いつもより饒舌な神に『必死さ』を感じる。自分の行動で冷静沈着、精密機械なんて呼ばれている神が振り回されている。
楽しい!
小野寺「必死だねぇ…。そんなに莉子ちゃんが好きなの?」
小野寺の言葉に神は表情を変えずに『……あぁ……。好きだよ』と答える。
あっさりと自分の気持ちを認めた神に小野寺は少し驚いた。
小野寺「随分と正直なんだな」
相変わらず冷たい視線を向ける神は『別に…』と言葉を紡ぐ。
神「最初に小野寺が俺に気持ちに気付いてるのはわかってるって言ったし…。隠す必要ないだろ」
小野寺は確信した。神は『自分』を攻撃されてもビクともしない。やっぱり莉子が弱点なんだ…。
小野寺はつまらなそうに『ふーん』と言うと『じゃあさ…』と言葉を続けた。
小野寺「俺と莉子ちゃんの関係…気にならない?」
小野寺は莉子の名前を使って神を揺さぶる。
神「先輩と後輩だろ?昨日、聞いた」
思った通りイラついた表情を見せる神に小野寺は楽しくなってくる。
小野寺「俺たちはただの先輩後輩の関係じゃないよ。莉子ちゃんは俺に逆らえないんだから」
神「は?逆らえない?どういう事?」
眉間に深いシワが寄る神。自分の言葉に振り回される神を見るのが楽しくってしかたなかった。
小野寺「俺はお前が嫌いだ。でもそれだけで莉子ちゃんに近付いたわけじゃないよ。莉子ちゃんって中学の時から群を抜いて可愛かったんだよね。高校に入ってさらに綺麗になってるし…だからまた欲しいなって思ってるんだよね」
わざと含みを持たせた言い方をして神の想像を膨らませるように仕向ける。
神は『また欲しい』と聞いた瞬間に険しい顔になり低い声で『どういう意味だ』と唸る様に呟いた。
莉子が絡むと神は思い通りに動く。優越感に浸り神を嘲笑う。
小野寺「俺たちってそういう関係ってこと」
神の顔から血の気がさーーーっと引いていく。
神「そういう…関係…?」
青ざめる神をおかしそうに見つめる小野寺。元恋人だと思い込ませる事に成功した。ここからどうすればさらに神を奈落の底に突き落としてやれるだろうか?
小野寺「莉子ちゃんが俺に逆らえない理由はわかっただろう?」
神は『なんでそう思う?』と問う。
神「とてもじゃないけど木村さんがお前に未練があるように見えない。お前に逆らえないわけない。絶対にヨリなんて戻さない」
怯えていた莉子に気づかないほど馬鹿ではないだろう。こいつは何を勘違いしてんだとイライラが大きく膨れた。
小野寺「好き嫌い関係ないんだって。さっきも言ったけど莉子ちゃんは俺には逆らえないの。俺が『付き合え』って言ったらそうするしかないんだよ。どんなに俺を嫌っててもな」
その発言に神は拳を握った。
神「…脅迫するつもりなのか…?お前…木村さんのこと何だと思ってるんだ…」
怒りで握り込んだ拳に爪が食い込んで白くなりプルプル震えた。
小野寺「見た目のいい女…ぐらいかな…。でもそういう女を連れて歩くと俺のステータスも上がるし一石二鳥なんだよね。それに嫌がる女を抵抗させずに従わせるって言うのも支配欲って言うの?そういうのが満たされて最高に気持ち良いんだよね。神も試してみたら?癖になるよ」
悪びれず最低な発言をする小野寺にこれまで以上の嫌悪感と怒りが暴風雨のごとく神の心の中に吹き荒れた。
神「お、まえ…」(こいつ…クソだな…)
神の表情が大きく歪んだ。
いつ殴りかかっておかしくない。怒りでどうにかなりそうだ。
でも今殴って謹慎や停学にでもなったら莉子を守る人間がいなくなってしまう。最悪の結果を招いてしまう。必死に怒りを抑える。
莉子への想いが神を食い止めている。
神(我慢だ…感情で動くな…こいつの思う壺になる…)
悔しそうに唇を噛む神を見て小野寺は(勝った…)と完全勝利を確信した。
神の好きな女を最低な形で奪ってやる。
莉子の性格なら多少知っている。莉子は秘密主義なところがある。こんなひどい事をされても誰にも相談できないのだ。
小野寺が教室内の時計を見て『あぁ。もう行かなきゃ』とため息をついた。
小野寺「俺が握ってる莉子ちゃんの弱味って気になる?」
小野寺は最後のダメ押しにと自分が握っている『弱味』の正体を匂わせる。
神は返事をしなかった。怒りを抑えることで精一杯で、じっと睨み返しただけだった。
小野寺は『ヒントは写真だよ。莉子ちゃんに聞いてみるといいよ』と笑う。
小野寺「聞いたらもう二度と話をしてくれなくなると思うけどね」
神が大切にしているモノを目の前で踏み付けて痛めつけてやる。そうすえれば自身が傷付くよりも苦痛を感じるはずだ。
小野寺は『じゃあな』と笑うと教室を出て行った。
軽快な足音が聞こえなくなると神は抑えていた怒りを爆発させた。
神「くっそぉぉぉぉぉぉ‼︎‼︎‼︎」
そう叫んだ後、小野寺の座っていた机を思いっきり蹴上げた。ガッシャーンと大きな音と共に机がひっくり返る。八つ当たりなんて初めてだった。
いつだって神は冷静に周りを観察し己を俯瞰で見て、その場その場で最善を尽くしてきた。『八つ当たり』なんてなんの生産性もないと思っていた。
そんな神でも莉子を軽視された事は我慢ならなかった。怒りが収まらない。
神「くそ…ふざけるなよ…」
神がグッと拳を握り直す。手のひらには爪の跡が残っている。
神「…絶対に思い通りになんかさせない…」
誰もいない教室に神の言葉がポトリと落ちた。