2025〜2026 冬の思い出 短編集
聖夜のメルヒェン
ふと目を上げると、そこに広がっていたのは光の王国だった。いや、光の王国とは比喩表現である。それはまるで、光の王国のように光り輝く豪勢なイルミネーションであった。今日は12月25日。時刻は19:00カップルたちが光にたかる羽虫のようにこの景色のもとに集まっていた。
ここは駅である。ほどよく都会の色を残すこの駅では、壮大なイルミネーションのイベントを開催していた。この駅には大きな広場があり、普段は待ち合わせ場所として活用される場であるが、そこでイルミネーションのイベントを催しているのである。光の壁に、光のトンネル、プロジェクションマッピング。仕事の疲れが癒される美しい景色であった。しかし、ここは普段私のような仕事帰りのOLの帰宅路である。今日とて、それは例外ではない。帰宅中の景色とクリスマスの景色がまじりあう、日常と非日常が交差した場所であった。
うつむきながら、一人悲しく、人と人の間を駆け抜けるーーが、私も数日前までは彼氏がいた。本当は、今日有休をとって彼氏と一緒にディナーを食べるはずだった。そして、そこでプロポーズされる予定であった。大学時代から付き合って七年。来年の春には私の苗字は変わる予定であった。しかし、お互い仕事が忙しくなり、生活のペースがあわず、お互い過ごす時間も減り、最後は喧嘩別れとなってしまった。
私は小さくため息をつく。未練は深く深く残っているのだ。彼と出会った日のこと、彼との初めてのデート、彼と初めて手をつないだ日、彼と初めて唇を合わせた日、彼と初めて体を合わせた日ーー楽しかった幸せな日々を思い出すだけで、ほろりと涙が零れ落ちそうになる。
こぼれそうな涙を落とさないために、私は顔を上げた。その先にあったのは一匹のドラゴンであった。光り輝く大きなドラゴンのイルミネーションである。白く輝くそれは、まるで私を包み込むように天から光をそそぐ。
クリスマスのイルミネーションでドラゴンとは珍しいな。
私は立ち止まり、まじまじとそれを見つめる。大きさも感服してしまうが、その造りも見事なものであった。光り輝く皮にはしっかりと一枚一枚うろこが刻まれ、瞳は凍てつくように鋭い。まるで本物のドラゴンである。しばらく見てみると、それが動いていることに気が付いた。ずいぶんとお金のかかったイルミネーションだ。ドラゴンは何かを探すように、首を左右に回している。その動きも非常になめらかで。本当に本物のようである。
ふと、ドラゴンと目が合った。そして、そのドラゴンの瞳孔が大きくなる。ここまで、現代の技術は発達しているのか。そう感心すると同時に、すこし奇妙に思えてきた。ドラゴンはずっと私の方を見ている。私もそのドラゴンに惹きこまれるように、その瞳を眺める。
そしてーー
そのドラゴンの顔が眼前に迫ってきた。ここで、愚かな私はようやくこの奇妙な違和感に気が付いた。このドラゴン、本物のようなドラゴンではない。本物なのだ。私はあたりを見渡す。あれほど、人がいたのに今は誰一人としてここにいない。というか、そもそも私が立っているのは駅ではなかった。いや、たしかにさっきまでは駅だったのである。でも、今はなぜか違う。
光の王国というべきか。まるで、異国のような街々が広がっていた。建物には、イルミネーションが輝き、まるでヨーロッパの街並みを模したテーマパークのようだと感じる……が、今はそれどころではない。
ドラゴンは足を一歩ずつ前に伸ばし、私に迫る。あまりにも不可解な出来事に、私はおもわず腰を抜かしてしまった。手のひらが床につく。
ドラゴンが私に覆いかぶさるように、私の顔を覗き込む。その時だった。後ろから誰かが私の身体を抱きしめた。ひゅっと私の身体が宙に浮く。誰かに抱え上げられたのだ。
「大丈夫?」
それは男の声だった。私はドラゴンから目を離し、彼の顔を見る。そこにあった顔を見て、私は唖然とした。元カレだ。数日前に分かれた元カレの顔であった。が、装いは大きく異なっていた。目の前の彼はまるで王子様のような白い衣装であった。彼はこんな趣味ではない。いつもよれよれのパーカーに、古びたジーンズをはいていた。とはいえ、顔がいいのでこの王子様のような服もよく似合う。
「達也……?」
おもわず、名前を呼びかける。が、彼は返事をすることなく首を傾げた。
「ごめん、達也じゃないんだ」
そういって。彼はドラゴンの方を向いた。
「いったん逃げるよ」
彼の脚が動いて、私の身体も揺れる。風のような速さだった。めくりめく光の景色を眺める余裕なんてなかった。しばらくして、彼の動きが止まった。そこは教会の前のようだった。あたりまえのように教会も光り輝いている。というか、教会のまわりにある家々も闇夜のなかで光り輝いている。まさしくここは光の王国であった。彼は教会の目の前にあった噴水の縁に私を腰かけさせる。そして、私の前にひざまずいた。王子様のようだ。ちなみに私は達也に王子様のような対応をされたことはない。物静かで、すこし気が利かなくって、デリカシーがなくて。
「手、見せて」
見た目は同じだが、どこかが明らかに違う彼に、私はおそるおそる手を差し伸べる。彼は私の手のひらを見る。
「傷があるね。ちょっと待ってて」
そういって、彼は懐からハンカチを取り出して、それを私の手に巻く。恐ろしく紳士的な男性である。おもわず、きゅんとしてしまう。
「ごめんね、応急処置しかできない」
「大丈夫です」
私は手を振る。正直、痛さはあまりない。ここまで大事にされるほどではないのだ。彼が朗らかに微笑む。私は達也のこんな顔を見たことがなかった。
「ここって……どこですか?」
私はずっと疑問に思ってたことを聞く。ドラゴンのこととか、目の前のこの男のこととか、他にも聞きたいことは山ほどあるが、まずはこの質問が1番初めに出てきた。彼は穏やかな笑みを携えながら、私に向かう。
「君がいちばんわかってるはずさ」
答えになってない答えをもらった。きっと、私は怪訝な顔をしているだろう。目の前の彼は肩をすくめる。そして、そのまま私の頬に触れた。
「……君はこの世界から出ないとね」
甘い声が私の耳を蕩けさせる。きっと私の耳は真っ赤になっていただろう。
「どうすれば、ここから出られるの?」
問う。すると、目の前の彼はすっと顔を離し、私の眼を覗き込む。
「君が愛を見つけるんだ」
「愛……?」
わけも分からず首を傾げる。そんな私の疑問が解決される前に。彼は私の手をぎゅっと握りしめた。
「私に恋してくれないか?」
照れる様子も見せず、彼は私にそういった。その言葉を聞いて、心が動かないわけではなかった。心のときめきはあったが、それが恋慕に発展することはなかった。なにせ、見た目は達也なのである。達也の皮をかぶった王子にしか見えなかった。彼を見るたび、彼が行動するたびにほんの少しだけ戸惑いが生まれてしまっている。これが、達也の見た目でなければ私も彼の告白に頷いたかもしれない。そんな私の心情を見越したのか、彼は肩をすくめた。「そんなすぐには決められないよね」とぽつりと言葉をこぼす。
「とりあえず、私と散歩しようか」
と、言って。私の手を引きながら、光り輝く王国の中を進みゆく。赤色、青色、白色、黄色。色鮮やかな光の家々が私たちを出迎える。あたりに人は私たち以外にはいなかった。まるで、ここは私たちだけの世界であった。そしてしばらく歩いて。私たちがやってきたのは大きなお城であった。彼はお城には入らず、その脇を抜ける。整備された煉瓦の道を抜けた先にあったのは、庭園であった。大きな噴水を中心として、切りそろえられた樹木が左右対称的に並べられる圧巻の庭であった。樹木の下や噴水の側にはライトが設置されており、闇夜のなか庭園を光が照らす。
「綺麗でしょう?」
そういう彼はどこか誇らしげだった。
「愛する人にはこの庭を見せたいなって思ってたんだ」
けろりとした顔でそんなことを言ってしまう。顔がほてるのを感じるが、私はそれを無視した。ぐるりと庭を見渡す。広大な庭である。まるで地平線の先まで、広がっているようだ。ところどころに道があり、庭のなかに入れるようになっている。迷路のような庭である。
確かにきれいである。が、あまりにも親しみのない風景のなかで、分相応ではない対応をされ気が引けてしまう。足がそわそわしてしまい、彼に何かを言おうとした刹那。
目の前が暗転した。この世界を彩るすべての明かりが消えてしまったのであった。何が起こったか分からなかった。頭が真っ白になった。隣にいるはずの彼を探す。が、気配がない。手探りで探してみる。が、いない。一人になってしまったのではないかという不安に襲われる。
「だれか!」
返事はない。彼からの返事すらない。
どうしよう、どうすればいいの? わからない。
どうなるの、なにがおこったの? わからない。
右往左往する。しかし、私の心が慌てふためこうが、ことが解決することはない。
足を進めてみる。固い地面の感覚が足を伝う。こつんこつんという足音が響き渡る。しばらく、しばらく、しばらくしばらくしばらく歩いた。真っ暗な世界に目が慣れることはない。これはきっとすべてのライトが消えてしまったのではない。本当に闇の中を歩いているのだと実感してしまう。
どれくらい歩いたか分からなくなったころ。私の目の前にひとつの光が現れた。それは私の心の明かりでもあった。私は走ってそこへ向かう。そこにいたのはローブを深くかぶった老婆だった。腰が曲がっており、背も低い。しわくちゃの顔が、フードの影から見える。お伽噺にでてくる魔法使いのようであった。
「すみません!」
私は声をかける。老婆の顔がぐるりと動いて、私の顔を覗き込む。でろりとした出目が私の顔をじっと見つめる。彼女から何か言葉を放つことがない。
「あの、私ここから帰りたいんです」
「……迷子かね?」
しわがれた声だった。私はこくんと頷く。
「あの……ここから帰るにはどうしたらいいんですか?」
問うた。すると、老婆がくっくっと笑う。
「それは、おまえがよくわかってるんだろう? 愛を見つけることだよ」
にたりとローブの奥の唇がゆがむ。彼から聞いたことと同じだ。
愛を見つける――彼に惚れればいいのだろうか? いや、それは私ができない気がした。私は彼に惚れることはない。どれだけ親切にされても、愛をささやかれても。何かが足りないのだ。
「目の前の姿だけがすべてじゃないさ」
老婆がぽつりと言った。そして、老婆の身体が徐々に、徐々に闇に溶けていく。
「まって」
せっかく人と出会えたのに。慌てて老婆の身体を捕らえようとするが、彼女は私の手からするりと逃げてしまう。
「愛を見つけるんだ」
その一言を最後に、老婆の身体が消えた。私は自分が八方塞がりになってしまったことを悟る。その場でへなへなとしゃがみ込んでしまった。このまま一生、ここにいるのは嫌だ。おそろしい。早く日常に帰りたい。自然と涙が目にたまってきた。愛なんて、愛なんて。そんなほいほいと見つかるものでもない。怒りと悲しみが私の心を荒らしていく。その荒らした心を平常に戻そうとするが、かなわなかった。
たまっていた涙が、ぽつりと地面に落ちた。
光の気配を感じた。私は、顔をあげ光のほうをみる。その光は私を包み込むような温かい光であった。私はそれに身を任せる。光が私の身体を覆う。あまりにもまぶしすぎて思わず目を閉じてしまった。その光の温かさは目を閉じていても、わかった。しばらくして、光が収まった。ゆっくりと目を開ける。
その景色に私は思わず、目を見開いた。そこにいたのは、私をこの世界に誘った光のドラゴンではないか。ここは屋敷のなかのようだった。いや、屋敷というには豪華絢爛過ぎる。王宮の広間のようだった。壁や柱には優美な装飾が施されており、天井にはきらびやかなシャンデリアが光る。地面は大理石であった。広さも十分あり、この大きなドラゴンがすっぽりと入ってしまうくらいの広さである。
ドラゴンは目を閉じていた。寝ているのだろうか。
私はドラゴンを起こさないように、ゆっくり、ゆっくり動く。そして、扉の前に立った。扉を開けるため、ドアノブに触った。その時だった。
ドラゴンの瞼がぴくりと動いて、その鋭い瞳があらわとなった。私の息が、驚きと恐怖で一瞬止まった。その隙に、ドラゴンは私の目の前まで迫る。
まずい、殺される。
そう思った。こんなところで死んでしまう恐ろしさもあったが、身体が動かない。死を覚悟した。走馬灯なんてものは流れなかった。最後に一瞬、ドラゴンの瞳を見る。その瞳はどこか懐かしいものだった。やさしくて、少し愛想がわるくて、でも私のことを思ってくれて――
ドラゴンの顔が眼前に迫る。それは私を襲うことはないようで。私の目とドラゴンの目があう。私の手がぴくりと動いた。そして、無意識のうちにその手をドラゴンに伸ばす。
「あぶない!」
突然、声が聞こえた。聞きなれた声である。達也の――彼の声だ。私の身体が誰かに抱えられる。腕の主を見るとそれは、例の彼であった。
「大丈夫?」
気遣いの言葉であったが、その言葉は心に響かなかった。私は目の前のドラゴンを見る。ドラゴンは彼を恐れるように、距離を取った。その瞳は哀愁漂うもので。私はそれを見捨てることはできなかった。
「ごめんなさい!」
私はするりと彼の腕から逃れた。そして、ドラゴンの鱗に触れる。それは暖かくて、懐かしくて。ドラゴンもそれにこたえるように、私の身体を尻尾で包み込む。
私、こうやって抱きしめられたことある。これは――
「達也?」
名前を呼ぶ。すると、ドラゴンは目を弓形にした。
「おい!」
隣で誰かが叫んだ。彼だった。彼は、眉と眉の間に深いしわを刻み、私を見ている。
「はやくこっちに来なさい。あぶないから」
「あぶなくない。だって達也だもの」
はっきりと断言する。すると、彼は頭を無造作にかきむしった。そして、ちっと舌打ちをする。
「ここでこいつに惚れても、なにも生まない。男なんて、私を含めこの世にはごまんといるさ。なんでその男に執着する」
その言葉はまるで、私の今までの人生を見てきたかのような言葉だった。達也に未練たらたらの私である。その言葉が刺さらないわけではなかった。だけど――
「達也はやさしくて、私のことをしっかり見てくれて、私のペースに合わせてくれて、なにより私のことを一途に愛してくれる」
私はドラゴンの身体をぎゅっと抱きしめる。
「これほどまで、私を愛してくれる男なんて、なかなかいないわ」
そう一言いうと、ドラゴンが私に頬ずりをした。鱗の肌ではあるが、なぜか痛くなかった。むしろ、私と付き合ってた時にしてくれたあの感触そのものであった。私はドラゴンの頬にキスを落とした。
達也の顔をした彼が崩れ落ちる。そして、彼の身体が光の中に溶けていく。徐々に、彼の姿が見えなくなっていく。その間ずっと彼はうつむいていた。私は彼の最期をずっと見ていた。
彼の気配がなくなったころ。私はあらためて達也の方を向いた。まだドラゴンの姿の達也の頬に触れる。そして、私はそのまま彼の唇に己の唇を重ねた。
そこで、私ははっと目が覚めた。目の前には見慣れた天井、私の身体はいつも通りベッドの上にある。しばらく私は訳もわからずぼーっとしていた。数分経った頃、私の意識はようやくはっきりしてくる。
なるほど、先ほどまでは夢だったのか。通りで、現実味のない話だったわけだ。
私は枕元にあったスマホを手に取る。今日は12月25日。クリスマスである。男と別れ、家族と会う予定の無い私にとってはいつも通りの平日である。しかたない、出勤の準備をするか。そう思った、その時。
ピコン。
私のスマホがひとつのメッセージを受け取った。なんのメッセージかと怪訝に思う。が、その送信主を見て、私の心は大きく動いた。
錦戸達也。彼からだ。私はあわててメッセージの内容を見る。
『この間はごめん。少し話せないか?』
その言葉を見て。私は深呼吸をひとつした後に、彼に返信を打ったのであった。
