2025〜2026 冬の思い出 短編集


時過鉄道 紅葉線 朽野行き


 月は霜月。ほのかな風が、私の身体をかすかに震えさせる。

 私は駅で電車を待っていた。名を時過鉄道といい、自然の恵み豊かな木曽の山を越え、ずんずんと山脈の奥地へと向かうローカル線である。無論、この鉄道を使うものは多くない。こういう鉄道は、行った先にメジャーな観光地があるだの、学校やら工場やらがあるだので、少なからず利用者があるものだ。が、ここはそんなものはない。行った先にあるのはよくて集落か、悪くて山か森か川だ。いかにして、この列車を運行するための費用を賄っているのか、不思議なものである。

 さて、そんな鉄道であるが、ただの大学生である私がなぜこの電車を待っているのか。端的に言うと、やけくその現実逃避である。
 
 事の発端は、とある男と付き合ったところから始った。相手は同じ大学の、同じ学部の、同学年の男であった。私は奴からの猛烈なアプローチを経て、付き合い始めた。特に刺激もなく、持ちつ持たれつの平凡な関係を築いていた。悪くは思っていなかったが、とはいえ奴に強い想いを抱くまでもなかった。ゴキブリほどの嫌悪感はないが、好物であるオムライスほどの好意はなかった。彼から普通に「別れようか」と言われたら、嵐の無い広い海のような穏やかな心で頷けたはずである。

 さて、そんな関係を築いていたわけだが、奴はある日とある女と出会った。どうやら、これも同じ学部の女であるらしい。私は存じ上げてなかったが、噂では女狐とよばれるほど、男女の世界のなかで悪名高い女であった。

 人の男を取りたがるというのが、こういう女の性というようで。あれよあれよという間に奴はころりとその女のところへ転がり込んだ。この時の状況など私には分からない、奴の心情などわからない。が、結果として私の耳に届いたのは「奴が浮気した」ということと、「私は浮気された哀れな女である」ということであった。

 元来、奴にそこまでの執着はなかったから、「奴が浮気をした」という点については今回は問題としないでおこう。私がひどく傷ついたのは、「私は浮気された哀れな女である」というところであった。

 これは私のプライドを傷つけたし、自分自身が修羅場の渦中にいるというのが酷く嫌だった。私は目立ちたくない。平凡な日常の中で、平凡な女として、平凡な一生を過ごしていきたい。この噂によって、それが叶わなくなるのだ。

 学校中の視線が私に突き刺さった。私はそれから逃れるように、ひとつの旅の計画を立てた。

 紅葉が色づき、パラパラと葉が散り、冬がやってくるこの頃。あてもなく旅をする。とくにどことは決めずに、ぬるりぬるりと旅をすること。これが私の現実逃避であった。世俗から離れれば噂から逃げられるし、私自身の頭の中からも噂がなくなると思ったのだ。一か月か二か月もすれば、みんな私と噂のことなど忘れる。4年生で授業もあまり取らなくてもいいし、出席日数は余裕がある。それに、あとちょっとすれば冬季休暇にさしかかる。旅をしたって、大きな問題はない……はずだ。

 さて、あてもない旅の中で出会ったのが、この列車である。JRの某駅を降り、徒歩20分。駅も古びた無人駅。時刻表を見ると、二時間に一本のこの電車。「あてもない現実逃避」にはピッタリだと思った。

 私は列車を待つ。周りを見渡すと、いつのまにかベンチに一人の男性が座っているのに気が付いた。

 20代くらいの黒いトレンチコートを着た男性であった。きれいな顔立ちである。切れ長の瞳に、さらさらとした美しい黒髪。組んでいる足も長い。座っているから分からないが、きっと背も高いだろう。彼は本を読んでいた。知的そうな男性である。

 かん、かん、かんーー

 「列車がまいります」

 音がした。私は、不審者のように男性を観察していた視線を、線路の奥へと移す。豆粒のように小さく見えたそれは、だんだんと大きくなっていく。古びた赤い車両が私の前に止まった。一両編成のワンマン列車であった。
 
 時過鉄道 紅葉線 朽野行き

 これが私が乗る列車である。私は列車に足を踏み入れた。列車の中は誰もいなかった。なので、乗車は私と例の男性一人だけである。

 乗客が少ないので、容赦なく座席に座る。すこし距離を置いて、男性も座席に座った。男性は席に座るなりすぐに本を開いた。

 ガタンゴトンーー

 列車が動き始める。窓の外を見ると、田舎の景色が広がる。広い田んぼに、ぽつんぽつんと点在する住宅。ときどき、車が走る、軽トラが走る。どこにでもある地方の姿だった。これから、自然に入ると思うと少し胸が高鳴る。平凡な日々が好きであるが、このような穏やかな刺激は好きだ。流れていく風景を私はただ眺める。

 しばらくして、列車はトンネルの中にはいった。真っ暗な景色に私は少し肩を落とす。これじゃあ、何も見えないじゃないか。

ふと電車前方を見ると、運転手の帽子をかぶった後頭部が見えた。彼は黙々と仕事をしている。ワンマン運転なので、彼以外に乗組員はいない。

 次にこの列車の内装をぐるりとみわたす。この電車は電子機器の類を持ち合わせていなかった。最近の都市部の電車は電子化が進む。次の駅を知らせるのは電子パネルだし、電車の中に映像広告が流れているところもある。それがないのは少々不便かもしれないが、それがいい味を出していた。

 座席はえんじ色であった。ほのかに高級感を感じる色であるが、座るとぎしりという音がする。私の軽いとは言えない体重に負けるのではないかと思ったが、壊れる気配は無いので大丈夫だと思う。上を見ると、埃かぶった少し黄ばんだつり革が見える。これは少々触れるのを躊躇うものであった。床は木でできており、これも少し古いものであることが伺えた。この列車の車内の様子を総括すると「随分と年季の入った列車」なのである。

 運転手の方を見ると、その奥に光が見えた。トンネルの出口だ。列車は一目散にそこへ向かう。

 真っ白な光が私たちを覆った。それと同時に、鮮やかな赤色が目に入った。

 紅葉だ。無限の先まで続く紅葉のトンネルだった。太陽の光に照らされる紅葉の赤が、私の足元にまで映し出される。

 美しい。綺麗。

 それ以外の言葉が見つからなかった。ふと、例の男性を見てみる。彼はこの美しい景色もそっちのけで本を読んでいた。彼はこの景色を見慣れている、この電車に毎日乗る常連さんなのだろうか。にしたって、日々変わるであろうこの景色を見ないのは少しもったいない気もする。

「次はナクシカ駅、ナクシカ駅」

 車内にアナウンスが響き渡る。

 鳴く鹿駅。奇妙な名前である。

 しばらくして、駅が見えた。これが鳴く鹿駅か。ここも無人駅のようで、駅舎のない、屋根もない駅であった。

 ピタリと列車が止まる。その駅は、赤い紅葉に包まれた駅だった。地面に落ちた葉がほのかに散らばり、まだら模様を作る。
 
 そのなかにぽつんと一人、誰かが立っていた。それは腰の曲がった老人であった。梅干しのようにシワシワの顔の中にある瞳は弓形で、穏やかそうな男性であった。彼はのそりと電車のなかに入る。そして、私の目の前に座った。彼は何をするでもなく、外を眺め始めた。

 しばらくして。電車が再び動き始める。紅葉のトンネルを駆け抜けて。はらりと散る葉っぱたちに体当たりしながら。それは一定の速度を保って動き始める。

 老人は微動だにせず。この老人の身なりはしっかりしたものであった。白いシャツにシワは見当たらず、セーターには毛玉ひとつない。生え揃った髪の毛は綺麗に撫でつけられており、セットされているのであろうと伺える。腰は曲がり、顔はシワシワだが、品のあるお爺様だった。紅葉の背景の中にある彼の姿は様になっている。

 目の前の老人がちらりと私を見た。目と目があう。まずい、まじまじと見すぎてしまった。赤の他人を、食らいつくように見るなど非常に失礼である。

 老人の温厚そうな糸のような瞳が、徐々に開いていく。その目は何かに驚くようで。私の顔になにかついているだろうか、いやそんな軽い違和感を見たという反応ではない。食い入るように見ていた私に驚いたのか、いやそんな訝しむような目ではない。まるで、私の顔を見てなにかを驚くような、懐かしむようなーー刹那。老人の身体がぐらりと揺れた。よろめいたのかと思ったが、そうではない。老人の身体はゆっくりと倒れていく。

 「あっ……」

 思わず、身体が動いた。が、私よりも早く誰かが老人の身体を支えた。それは例の本を読む青年であった。

 「大丈夫ですか?」

 その青年の声は、玲瓏たるものであった。聞いてて心地の良い声である。この男は顔も美しく、声も美しい。非の打ちどころのなく美麗な男であった。

 老人は、むくりと顔をあげた。そして、青年の顔を一目見るなり、円やかな表情を浮かべる。

 「ありがとう」

 そして、老人がちらりと私を見た。思わず、身体を震わせてしまう。この老人は私を見て倒れた。私が何かまずいことをしたのだろうか……と思うが、心当たりがさらさらない。この老人とどこかであったかと記憶の糸をたぐってみるが、糸の先にはただの糸以外のものは何も見当たらない。

 「おどろいたなあ……」

 老人がかすれた声でつぶやいた。彼はまじまじと私の顔を観察する。その顔はさっきの驚きと懐かしみに満ちた顔ではなかった。まるで、孫を見るような温かみ溢れる顔である。

 「うちの嫁さんにそっくりだ」
 「お嫁さん……?」

 私が聞き返すと、老人はふたたび目を弓形にする。

 「美人さんだねえ……」
 「ありがとうございます」

 老人の言葉は、心の底からの言葉のように感じた。

 老人は私をちょいちょいと手招きした。隣にこいということだろう。老人の思惑わからず不思議に思うが、やさしそうなお爺さんである。私は彼の手招きに応じた。老人の隣に座る。老人の右には私、左には青年がいる。ほとんど人のいない列車のなかで、赤の他人三人がこうやって集まって座るのは、すこし居心地の悪さを感じる。

 「私があの人と会ったのも、この電車だったよ」

 老人が遠くの紅葉を眺める。ちょうどハラハラと赤い葉が地面に落ちたところだった。

 「ちょうどこの季節でね。紅葉がとてもきれいだった。とはいえ、私は紅葉なんかに興味はなくて、ただひたすら読書に耽ったんだ」

 まるで、隣にいるこの青年のような男である。ちらっと青年を見ると、彼も静かに老人の話を聞いていた。

 「だけど、彼女は違ったんだ。まるで珍しいものを見るかのように、外を眺めていた。その横顔はとても美しくて……本を読むふりをしながらも、私は彼女の横顔を遠目で眺めていた」

 老人が私の顔を見る。お嫁さんを懐かしんでいるのだろう。

「今から私はばあさんに会いに行くんだ」

 そういって。老人が窓の外を眺める。列車が走る音がカランカランと軽いものになっていた。そして、いつの間にか、紅葉のトンネルは抜けていた。その代わりに、私たちの身体は橋の上にあった。私は、老人に倣って外を眺める。

 「綺麗……」

 思わず声がこぼれてしまう。私の目の先にあったのは、色鮮やかな川だった。落ちた紅葉の葉が、川一面に広がっている。紅の川だった。

 先ほどは外の景色に露ほども興味もなかった青年も、紅葉の川を眺める。あまり興味なさそうに、眉を顰めてはいるが。

 あっという間に、橋を渡り終える。それと同時にーー

 「次は、錦駅、錦駅」

 アナウンスが聞こえた。ピタリと電車が止まる。その駅も鳴く鹿駅と変わらない静かな無人駅であった。屋根もない、駅舎もない。誰が使うのか分からない不思議な無人駅。さっきと違うのは、紅葉がないところだった。そういえば、橋を渡ってからは紅葉がひとつも見当たらない。あったのは、杉の木ばかりであった。赤から一転、緑ばかりの景色である。隣に座っていた老人がむくりと立ち上がった。

 「私はここで降りるよ……」

 老人が歩き始める。私たちには、彼の丸まった背中しか見えない。少し寂しさを感じるが、丁寧なあいさつを交わすほどの仲でもない。私は、彼の背中を見送るのみであった。

 ぽとり。何かが落ちた。老人の懐から落ちたものだった。老人はそれに気が付かない。慌てて、私と青年は同時に立ち上がる。私よりも先に「それ」を手に取ったのは、青年の方であった。彼はそれを握り、老人を追いかける。が、老人はするすると空いた扉から出ていった。

 ぱたり。扉が閉じた。老人は外、青年は内。青年が「それ」を老人に渡すことはかなわなかった。青年は小さくため息をつく。

 「……これ、どうしたらいいんだろうか」

 ぽつりとつぶやいたその声は確実に私に充てられたものであった。が、私に聞かれたって分からない。愛想笑いを浮かべ、「さあ…‥」と返した。青年の手にあった「それ」の正体は文庫本であった。書店でもらえる紙のブックカバーをしているから、どんな本かは分からないが、ページはほのかに黄色くなっており年季を感じる。

 青年は私の隣に座る。隣と言っても、すぐ隣に座るのではなく一席ほど開けたところに座ったのだが。ガタンゴトンと列車が動き始めた。列車の中は、私と例の青年のみであった。

 私は駅に降りた老人を目で追いかける。かすかに見える老人は駅を出て杉の林の中に消えていく。このあたりは繁華街どころか集落がある気配もない。この老人はどこへいくのだろうか。疑問に思うが、その答えがわかることはないだろう。 

 ゴトンゴトンと、電車が動きつづける。青年はじっと自分が持っている老人の本を眺めていた。頁を開くでもなく、そのブックカバーを不思議そうに眺めているのである。しばらく彼の様子を観察して、ピンと来た。私は、彼がこの本をどうしようかと迷っているのだと悟った。

 「……あの」

 声をかける。青年は、ゆっくりと首をこちらに向けた。

 「次の駅で駅員さんか運転手さんに渡したらどうですか?」

 さっきは適当な返事をしてしまったが、彼にだけ責任を押し付けてしまうのは申し訳ない。とはいえワンマン運転なので今、渡してしまうのは危険行為だ。運転手さんの仕事が落ち着いてから渡すべきである。

 私がそういうと、青年は「そうだな」とうなづいた。ほのかに笑みを携えた顔が、太陽の光に照らされる。

 青年は自分が持っていた鞄に老人の小説を入れた。

 「お兄さんはどこまで行かれるんですか?」

 聞いてみる。すると、青年は少し遠い目をした。

 「決めてないなあ」

 ぽつりとそう言い放った。

 「……私と同じだ」

 思わず心の声がこぼれる。私の言葉を聞いて、青年は目を丸くした。

 「そうなの? まあ、なにか目的があったらこの電車には乗らないよね。この電車の先には何もないし」

 青年が肩をすくめる。どうやら、彼と私の目的は同じらしい。あてもない旅。ゆるりゆるりと蜻蛉のように揺蕩う旅。きっと彼にもなにか事情があるのだろう。

 「君の名前は?」

 問われる。私は素直に、彼に名前を名乗った。彼は私の名前を聞くと、その﨟たけた顔を朗らかな色に染める。

 「綺麗な名前だね」

 おもいのほか、蠱惑的な男性である。男に浮気された後の恋に疲れた私でなければ、ころりと彼に落ちていたかもしれない。私は、できるだけ顔がゆがまないように心掛け、「ありがとうございます」と言った。

 「お兄さんの名前は?」

 一応、問うてみる。

 「御手洗晴樹」

 青年ーー御手洗さんが名乗った。御手洗晴樹。なかなかにきれいな名前である。

 ガタンゴトンと、相変わらず電車は動き続ける。外はやはり杉の木で。マイナスイオンを感じる神聖な景色であるが、先ほどの紅葉のトンネルや川と比べると少し物足りない。それよりも、私は目の前にいるこの青年に関心があった。

「さっき、なんの本を読んでたんですか?」
「これ?」
 
 鞄から取り出す。ブックカバーをぺらりと外した。そこにタイトルが書いてある。

 『聖夜のメルヒェン』 恋町舞子

 意外だと思った。若い男性が読むような本ではないと思ってしまったのだ。が、本の趣味なんぞ人それぞれである。私がここで「かわいいですね」なんて言ったら、相手の不快感と争いの火種を生むだけかもしれない。ここは「へえ、おもしろそうですね」という可もなく不可もない返事を返すに徹する。

 裏表紙を見てみる。そこには、「みたらいはるき」という名前が記してあった。子どもの字のようである。

 「幼いころに買ってもらった本なんだ」

 御手洗さんは、小さくため息をつきながら言った。その声は、どこか懐かしむようだった。

 「母親が、この作者の話のファンでね」
 「なるほど」

 だから、女性的な本なのかと納得する。

 「思い入れのある本なんですか?」
 「別にそういうわけではないんだが……」

 御手洗さんは眉をひそめた。まるで悪いことを思い出すかのように。

 「母が亡くなったんだ」

 ……なるほど。少し悪いことを聞いた。私は「すみません」と一言言って、うつむいた。そんな様子をみて、御手洗さんがくすりと笑う。

 「大丈夫だ。少し母のことを思い出したかったところだ」

 気を使わせてしまった。そういって、御手洗さんは本にブックカバーをつけなおす。

 刹那。

 「次は、木枯らし駅、木枯らし駅」

 再度、声が流れる。しばらくして、電車が止まった。木枯らし駅は無人駅であった。あたりに木は1本もない。奥にかろうじて田んぼと集落が見える。が、人の気配はなかった。大きな音を立て空いた扉から、かわいた風がからりと入ってきた。

 「よし、行ってくる」

 そういって、御手洗さんは手に老人の本を持って、立ち上がる。そして、運転席の方へ行く。

「すみません、これ」

 御手洗さんが話しかける。が、運転手は微動だにしない。

「あの……」

 御手洗さんがさらに語りかける。が、やはり運転手からの返事はない。まるで、こちらの存在に気がついてないかのようだった。静けさが、車内に轟く。

「出発しまぁーす」

 御手洗さんの声を無視して。電車は動きはじめる。
 眉をひそめた御手洗さんが、私の隣に戻ってきた。ドスンと荒々しく腰をかける。

「次は、終点。朽野でーす」

 もう終点かと、驚く。そういえば路線図を見ていなかった。こんなにも短かったのか。しかたない、次で降りるしかない。

 御手洗さんはじっと老人の本を見つめている。

「さすがに終電だったら無人駅ってこったないよな」
「でも、こんなにお客さんいないし……」
「最悪、あの運転手を無理やり捕まえて押し付けるか」

 恨みがましい目で、運転手を見つめる。

 ガタンガタンと電車が震える。私はふと、窓の外を見た。外に緑はひとつもない。先程まであれほど並んでいたはずの杉も1本もない。枯れ木だらけだ。

 まるで冬のようだった。

 しばらく私たちは走り続ける。その間、特に会話はなかった。どうやら彼は自分から会話をする質ではないらしい。私もではあるが。とはいえ、気まずさはなかった。むしろ心地良さを感じる。ボーッと二人で外を眺める。殺風景な、しかしどこか趣のある景色であった。大きな変化はない。だけど、私たちはずっと眺め続けた。

 ずっと……ずっと。

 そして――

「朽野駅ー朽野駅」

 声が轟いて。私たちの目の前にはひとつの建築物があらわれる。大正ロマンを感じるレトロな駅だった。が、規模はそこまで大きくない。建物というより、小屋と言った方がいいかもしれない。とはいえ、駅員さんはいそうである。

 朽野駅にはかろうじて集落があるようであった。駅の奥には個人経営のお店がちらほらとあるのが見える。

 隣で御手洗さんがむくりと立ち上がった。

「降りるか」

 そう私に向けて。私は彼の背中を見る。筋肉質ではないが、広い背中だった。彼は電車を降り、駅に降り立つ。ふと、目の前に若い男の駅員さんが待っているのが見えた。そして、私たちはその駅員さんに切符を渡した。

「ようこそ、朽野駅へ」

 駅員さんが軽やかな声で言った。

「あの……」
「なんでしょうか?」
「これ、電車の忘れもので……」
「ああ! なるほど! では、少し手続きするので待っててくださいね」

 そう言って、駅員さんはパタパタと家屋の中へ入っていった。そして、バインダーとボールペンを持って、私たちに向かう。

「お客さんのお名前をお伺いしてもいいですか?」
「御手洗晴樹です」
「御手洗さんね……」

 駅員さんと御手洗さんがやり取りをする。私はただ聞いてるだけだった。それなら、私だけ先に言っても……と思うが、御手洗さんに全て任せてどこかへ消えるのも気が引ける。一応、御手洗さんを待つ。

「錦駅で降りたお爺さんが持ってた本かと思います」

 御手洗さんは駅員さんに老人の本を見せた。駅員さんは、バインダーを脇の下に挟んで、それを受け取る。そして、ぺらりとかけられていたブックカバーを外した。まだ私たちも見ていないその中を見るなり、駅員さんは怪訝な顔をする。

「これ、御手洗さんのものじゃないですか?」
「……は?」

 御手洗さんは咄嗟の声をあげた。そして、駅員さんはその本を私たちの前にずいっとつきつける。

 その一箇所を見て、私たちは目を丸くした。

 みたらいはるき

 裏表紙に名前が書いてあった。

 これはさっき御手洗さんが読んでいた本なのか? いや、それにしては古びている。この本は表紙も、裏表紙も、頁も珈琲色に変色している。明らかにさっき御手洗さんが見せてくれたものとは違う。時間の重みが明らかに違うのだ。
 いやいや、でもこの名前の筆跡は明らかに私がさっき見たものだし……。

 御手洗さんが恐る恐るそれを受け取った。くるりと本をひっくり返して。その本の表紙を見る。

 そこにあったのは――『聖夜のメルヒェン』
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