2025〜2026 冬の思い出 短編集

 
時過鉄道 春愁線 鶯行き



 乾いた風がからりと吹く中。桜見夢子は駅のホームで待っていた。

 夢子が育った地――朽野はさびれた土地であった。荒れ果てた森林には小さな村しかなく、デパートもスーパーもコンビニもない。夢子たちがキラキラとした都会の文化が栄える土地に行くためには、この時過鉄道を使うしかなかった。

 この時過鉄道もあか抜けない鉄道である。この駅は二路線あるが、どちらも二時間に一本しかこない。夢子は学校もこの鉄道を用いて通っているが、非常に不便である。

 いつもは時過鉄道紅葉線を使っている。が、今日は違った。今日乗るのは、時過鉄道 春愁線 鶯行きである。この路線の終点――鶯は栄えた町であり、東京へとつながる電車と乗り換えができる。

 そう、彼女の目的は上京であった。こんな辺鄙で不便でじめじめとした田舎からは抜け出したい……それが夢子の狙いであった。

 かん、かん、かんーー

 「列車がまいります」

 音がした。夢子はボストンバックを握りしめ、線路を見る。遠くに見えた列車はあっという間に夢子の前にやってきた。一両編成のワンマン運転の列車だった。夢子はゆっくりと開く扉から中へ入っていく。

 夢子以外に誰もいない。彼女は、席に座り、足を延ばす。外観も古いが、内装も古い。ところどころ壁がめくれ、つり革の塗装もはがれている。鉄部分は錆びれ、ほのかに埃の臭いが夢子の鼻を襲う。

 早く鶯駅に着かないかな。

 夢子は一人願った。

 ガタンゴトンーー

 列車が動き始める。夢子は外を眺めた。流れゆく木々には、葉が一枚もついていない。色がほとんどない、景色だった。

 なにもおもしろくない――夢子はそう思いつつも、外を眺めていた。

 ぱらり、ぱらりと雪が降ってきた。ささやかな粉雪である。もう春も近いのに、雪だなんて。夢子は自然の不便さに呆れた。

 「次は、雪橋駅-ー」

 車掌が告げる。夢子が見ていた反対側の車窓を見ると、屋根のない古い駅が見えた。錆びが目立つ看板には、古風な書体で「雪橋駅」と、手書きのような文字で書いてある。そこには、二人の男が立っていた。背は高いが華奢な体躯の男と、小柄でふくよかな男であった。男たちは、列車が到着すると、それに乗り込む。夢子の目の前に座った。

 「いやあ、さむいですなあ」

 華奢な体躯の男が身震いする。

 「あんたの肉が足りないからでしょう」
 「それもそうか」

 男たちは笑いあった。その声が、列車に轟く。彼らはまるで夢子がいないかのように、話し続けた。

 「川原田さんところの麻琴ちゃん、今年で30らしいよ」
 「そうなの? にしては見た目が若々しいな」

 夢子の知らない話を繰り広げられる。暇つぶしが何もない彼女は、退屈な車窓の景色を眺めながら、彼らの話をそっと聞いていた。

 「んで、麻琴ちゃんは結婚してるの?」
 「いんや。まだだ。しかも、結婚できそうな相手もいないらしい」
 「30で?」

 夢子は会話の雲行きが怪しくなっていくのを感じた。

 「たしかに、麻琴ちゃん、気が強いしなあ」
 「男を立てるっていうことを知らなさそうだしな」

 男たちがクツクツと馬鹿にするように笑う。夢子は、ぎゅっと手を握りしめた。

 今どき、30代で独身の人も多い。そして、彼女たちは輝いている。好きなことに一直線だったり、仕事を頑張っていたり……本当に憧れる。夢子の両親は、お互いが25の時に結婚したが仲が悪かった。父は母を見下し、母は常に娘である夢子に夫の愚痴を言っていた。料理がまずいと文句をいうし、親族の集まりでは「こいつは何もできない」と母を嘲り酒の肴にする。そんな母の姿をみて、夢子は結婚が女の幸せだとは思えなかった。

 「そういや、花散想子の件知ってるか?」

 太った男がまた別の話題を切り出した。花散想子。また知らない名前だ。

 「花散想子って、あの人気女優の花散想子か? 『春眠の床』の主人公役で、このあいだ日本アカデミー賞をとってた……」
 「ああ」

 女優なのか。夢子はあまりテレビを見ることがない。というか、見させてもらえなかった。女優というと、都会に住まう異次元の存在というイメージがあった。自分とはあまりにも縁のない存在である。きっと、都会で何不自由ない生活をしているのだろうな。ああ、うらやましい。夢子は、顔も知らぬ花散想子にカラッとしたあこがれと、どろどろとした嫉妬が入り混じった感情を向けた。
 
 「その花散想子が死んだらしいぞ」
 「ええ!? 俺、あの女優おっぱいが大きくて好きだったのに」

 亡くなったのか。人気女優が自殺するなんて、キラキラした世界も汚いんだ。都会に強いあこがれを持つ夢子は、少し衝撃をうけた。

 「自殺らしいぜ」
 「ええ……なにがあったのだ」
 「それが男らしい」

 太った男が、どこからともなく週刊誌を取り出して、華奢な男に見せた。華奢な男は記事を読む。

 「へえ……マネージャーと恋仲に……」
 「そのマネージャーがとんだモラハラ男だったらしい。しかも、不倫してたんだって」
 「ひええ」

 聞いている夢子は唇をかみしめた。情報が遮断された田舎で育った夢子にとっては、東京という町はキラキラとした場所で、自分自身もそこで輝けると思っていた。が、人気女優でさえ、夢子の母のように男にたぶらかされる。その現実が突きつけられ、これから先の不安と自分が信じていた世界への不信感が襲ってきた。胸がざわめく。

 ガタンゴトンと電車が揺れる。外を見ると、気づけば雪はなくなり、赤い花と白い花をつけた木々が夢子の視界を覆った。梅だ。満開の梅であった。やっと色づいた世界に、夢子は心躍る。

 「次は梅花駅、梅花駅」

 車掌の声が再び聞こえる。赤い花弁と、白い花弁がこぼれる。あたりはまるで梅花を主軸とした日本庭園のような景色である。そんな華やかな景色の中に、ひとつの駅があった。

 駅には、一組の男女がいた。二人とも、見惚れる程にきれいな顔をしていた。男女はなにか言い争いをしているようだ。ここからは、何も聞こえないが、女性のほうの顔は険しい。男は相手を諭すように穏やかな笑みを浮かべていた。だんだんと列車が彼らに近づく。列車がピタリとともった瞬間――女は男の顔を平手打ちした。そして、そのまま列車からは背を向け、駅を去っていった。扉が開き、男のみが車両に入ってきた。それと同時に、夢子の前で、下世話な会話をしていた二人は車両を出ていった。

 乗り込んだ男の姿を、夢子はまじまじと見る。すらりとした体躯に、さわやかなグレーのジャケットを羽織ったイマドキ風の男であった。きっと、都会の男もこのようなスマートな男性ばかりなのだろうと、胸が高鳴る。容姿も非常に美しい。すっと通った鼻筋に、ぱっちりとした少し垂目がかっている二重瞼。非の打ちどころのない顔であった。

 夢子がその男を見つめていると、男もそれに気が付いたようであった。

 「なにかご用かな」

 その声は、不躾に観察する夢子を問い詰めるようなものではなく、彼女に関心をもつような語り口調であった。夢子は自分の頬が火照るのを感じた。

 「す、すみません」

 夢子は慌てて謝る。男は夢子の隣に座り、顔を覗き込んだ。

 「君は、どこから来たんだい?」

 問われた。夢子は小さな声で「朽野です」と答えた。あんな辺鄙なド田舎から来たことを少し恥ずかしく思った。夢子は少しうつむく。

 「ごめんね。怪しいものではないんだ」

 男はどうやら、夢子の態度を不審者に対するものであると捉えたらしく、謝った。そして、車窓を眺め、彼女から距離を置こうとする。

 まずい。せっかくこのような綺麗な男と話すきっかけだったのに。夢子は焦って咄嗟に「あの!」と話を切り出した。

 「お兄さんはさっきなんであの人にビンタされてたんですか?」

 さらにまずい。デリカシーのないことを聞いてしまった。夢子の額に汗が伝った。夢子の焦りとは裏腹に、男はくすりといたずらっぽく笑った。どうやら、夢子の失礼すぎる質問に対しては気に留めていないようである。
 
 「あの子はね、僕の妹なんだ」
 「妹?」
 「ああ。妹。僕はね、妹を輝かせたかったんだ」

 男がジャケットの中から何かを取り出した。そして、それを夢子に渡す。名刺だ。

 ほろまちプロダクション
 夜丘夕貴

 「ほろまちプロダクション?」
 「ああ。東京の芸能事務所だよ」

 芸能事務所。一瞬、先ほどの花散想子の話が頭をよぎったが、それよりも彼の輝きと芸能事務所という仕事へのあこがれからなる興奮のほうが大きかった。

 「もともとね。今回帰省したのも容姿に優れた妹を上京させて、芸能事務所に入れるためだったんだ」

 夢子は梅花駅にいた彼女の姿を思い出す。たしかに、芸能界で活躍できそうなほど美しい容姿を持っていた。

 「だけど、出発前に本人に反抗されてね。一人で帰っちゃった」
 「反抗? 妹さんに芸能事務所に入るって言ってなかったんですか?」
 「一応、言ってはいたんだけど……」

 夜丘はもごもごと口ごもる。普通であれば、怪訝に思うだろう。しかし、目の前の男の存在から滲み出る都会の雰囲気に酔う夢子はそれに気が付かなかった。夢子は、こてんと首をかしげるのみである。夢子のそんな様子を見て、夜丘の口元がにたりと艶やかにゆがんだ。

 「君はこれからどこ行くの?」
 「鶯駅を経由して、東京に……」
 「上京? それとも観光?」
 「上京です」
 「へえ、あっちで仕事とか学校とかがあるのかい?」
 「いえ……まだ、あっちでの予定は何も立ててなくて……」

 夢子は半ば衝動的に家から出てきたのだ。東京に行ったら、何か仕事があるだろうという甘い考えて、家を出てきた。それを察した夜丘はクスリとほほ笑む。その微笑みは、いたずらっ子が悪さをする時のような含みのある笑みであった。そして、その端正な笑みを浮かべる唇がゆっくりと開く。

 「じゃあさ、一緒に来ない?」
 「え?」

 咄嗟に言われた言葉に、変な声がこぼれてしまった。夢子は口をあんぐりと開け、夜丘の顔を見る。夜丘は真剣な顔を無理やり作った。そして、彼女の手を握る。夢子は握られた手が熱を帯びるように思えた。

 「僕ね。芸能界で輝けるような女の子を探しててね」

 夢子はその言葉を聞いて、自分の鼓動の音が大きくなるのを感じた。とくん、とくんという心臓の音が、自分の耳にも聞こえるような気がした。期待に胸を膨らませ、夜丘の言葉を待つ。

 「君、芸能事務所に入らないかい?」
 
 問うた言葉に、夢子はすぐに頷いた。夢子の頭のなかでは、もう花散想子の話は忘れ去られていた。自分が目指したキラキラとした世界への切符をこんなにも早くゲットできるなんて、自分はなんてラッキーなんだ。そんな幸福感で頭がいっぱいだった。

 ガタンゴトンと列車が揺れて。目の前には町が見えた。コンビニも、スーパーもある。まだ、都会とは言えないが、夢子にとっては希望に満ち溢れる景色だった。

 自分はきっと、東京で成功できる。きっと、きっとできる。だって、こんなに東京に憧れがあるんだもの。東京に行ったら、なんだってできるに違いない。

 なんの根拠もない成功への希望が、夢子の胸いっぱいに広がる。

 「次は、鶯。鶯駅」

 車掌の声だった。

 早く降りたい。心の底から降りたい。駅に着くまでの時間が長く感じた。めくりめく景色には、多くの人が見える。自分の故郷にはなかったものがたくさんある。

 ガタンと音がした。それと同時に列車が停止した。

 「ついたね」

 夜丘が立ち上がって。そして、夢子に手を差し伸ばした。夢子はその手をとって。一歩、外を出て、鶯の地に立った。

 花は散って、想いに耽り
 桜を見ては、夢に浸る

 彼女はやがて桜の花のように、一夜の夢のように……
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