本編
あっ。そういえば。
太陽が沈み、地平線へ消えてゆくころ。下校中、信号を待っていた私は、ふと、スマホを学校に忘れてきたことに気がついた。
もしかしたら、カバンの中にあるかもしれない。限りなくゼロに近い希望を抱き確認してみるが、やっぱり、見当たらない。
ああ、図書室の机の上に置いてきたままのようだ。 迂闊だった。
現代を生きる女子高生にとって、スマホは命と同じくらい大切なものである。私もスマホなしでは生きていけない。今更学校に行くのはめんどくさいが、なんとしてでも、持って帰らないと。
くるりと振り返り、目的地を家から学校へと変える。
歩くにつれ、ゆらゆらと空に浮かんでいた太陽は、その姿を消して。気づけば、あたりは真っ暗になっていた。
これは、帰りが遅くなる。親が心配している姿が脳裏に浮かんだ。私は足早に、通学路を抜けていく。
太陽の光が消えた代わりに、夕方の街灯が、ぽつりぽつりと灯りをともす。商店街を抜け、横断歩道を渡り、長い長い坂を駆け上がって。私は、ひたすら、目的地に向かって、無心で歩きつづけた。学校に近づくにつれ道行く人々の数は少なくなっていく。
学校に着く。腕時計を見ると、針は夕方7時半を記していた。
学校には、誰もいなかった。どんよりとした風が、私の肌にあたる。普段とは違う見慣れた景色に足を踏み入れ、ほんの少しだけ気もそぞろになる。
部活も終わり、みんな帰宅したのだろう。しかし、まだ、校門は開いていた。校内を歩けば、一人くらい誰かいるだろう。
校門をぬけ、木と木の間に挟まれた道を歩く。周りに誰もおらず、静けさが揺蕩う。私のコツコツという忙しない足音のみが異様に響いた。校舎の脇の道を歩き、いつも私がお世話になっている下駄箱の元へ向かう。校舎に一歩足を踏み入れる。その瞬間だった。
「ねえ、きみ」
誰かに名前を呼ばれた。私の知らない声である。警備員さんだろうか。いや、警備員さんにしては、声が若い。
じゃあ、誰だろうか。怪訝に思いながら、振り返る。
そこにいたのは、とても美人な男だった。色気溢れる美男子といったところか。涙袋にあるホクロが、その色気をより一層高めている。身長も高く、スタイルもいい。非の打ち所のない容姿を持った男だった。その容姿は、人間離れしているほどに美しい。
彼は、手に日本刀を握っていた。映画や漫画でしか見た事ないような、立派なものである。刃がむき出しになっており、そこから放たれる煌めきを見て、それが本物だと分かった。
……銃刀法違反では……?
私は、目の前にいる不審者を見て、思わず、身構えてしまう。
どうしよう、こういう時は警察に通報? でも、私、今、スマホ持ってないし。突然の事で、何が何だか分からず、困惑する。
彼は、にこにこと微笑んでいた。まるで仮面を貼り付けたかのように朗らかに笑うその顔を見て、背筋がぞわりとする。
まじまじとその男は私のことを観察する。舐めるような視線は、たとえ相手が絶世の美男子だったとしても、気味が悪い。私は不信感を顕にしていただろう。
男は無言で私に近寄ってきた。
彼は、刀を振りかぶり……そして……
彼は振りかぶったそれを使って、私を切ろうとした。一切、躊躇いのない刃を私は間一髪避ける。
「ひぇっ! なに!? いきなり!?」
なぜ、この人は、いきなり私を切ろうとしたのか。というか、この人はいったい誰なのだろうか。
大きな恐怖といくつもの疑問が同時に湧き上がる。
「あー……外しちゃったか。君、動きはやいね」
男は余裕のある表情を浮かべている。今は、この男のそんな言葉が、余韻の残る態度が、美しい顔が、すべてすべて恐ろしくてたまらなかった。
気づけば、私は腰を抜かしていた。体中から、恐怖の汗がじわじわと吹き出している。
再び、男は私に向かって、刀を向ける。
そして、彼は、目にも止まらぬ速さで私に向かってきた。
殺される……!
私は、思わず目を瞑ってしまった。刹那ーー
「男を一人、探していたのですが……まさか、野郎が女の子に手をだしてるところを見るとは。若い女の子に、そんな手荒なことをするなんて……感心できませんね」
声が聞こえた。さっきの日本刀の男よりも、少し高い声。誰の声なのか。目を瞑っているから分からない。
しばらくして、地から足が離れたのがわかった。目を瞑っていても、硬い腕に体がとらわれるのがわかった。誰かに抱えあげられたのだ。
何が起こったか分からない。
私はゆっくりと目を開ける。私の眼前にあったのは、綺麗な男性の顔だった。私を襲った男と同じくらい綺麗な顔。あっちが色気溢れるあでやかな顔だとしたら、こっちは気品の溢れる清らかな顔。
彼は、顔だけではなく、服装も現実離れしたかのようなものだった。
さらりと揺れる藍色の着流しに、踵の高い下駄。暗闇の中でも煌めいている長い金色の髪の毛を、ひとつで束ねている。女性と思ってしまうほどに美しい容姿だが、服装や私の腰に回る力強い腕から、男性であることが分かった。
珍妙な格好だ。現代人とは思えない姿である。しかし、彼のその格好に違和感はない。なぜか、コスプレのようにも思えないのだ。
とても、よく似合っている。
「大丈夫ですか?」
声は正真正銘男性だ。柔らかい美声が私の耳にはいる。
私は、顔を真っ赤にしながら、無言でうなづいた。
「そっか。なら、安心しました。ちょっと、移動しますよ」
そう言って、彼は、私を抱えたまま、ぴょんっと飛んだ。 彼のその飛躍力は人間のものではなかった。
「ひやぁっ!」
心臓が飛び出そうになり、思わず素っ頓狂な声をあげる。
彼のひとっ飛びで、私の体は高い木の上にあった。
「少し、目を閉じててください」
私は彼の指示に従う。
怖い。怖い。
彼が動いた。彼が風を切って動いているのがわかる。道の感覚に思わず、体を強ばらせてしまう。
彼の腕の力が、私の体を安心させるかのように、少しだけ強くなった。
「怖いですよね。でも、悪いようにはしないので、安心してください」
耳元で彼の声がした。
耳に彼の吐息がかかり、くすぐったい。私は思わず、「はい!」と大きな声で返事をしてしまった。
彼の動きが止まったことがわかった。彼が私を地に下ろす。硬い床の感覚が、私の足を伝った。
「よし、目開けていいですよ」
彼の指示に従い、私はゆっくりと目を開ける。私たちがいたのは、見慣れた教室だった。なんの偶然か、私が普段学校生活を送っている教室である。
彼は、私の顔をのぞきこんだ。私の眼前に綺麗な顔がある。
「えっと、ごめんなさい。いろいろとゴタゴタに巻き込んでしまって」
「だ、大丈夫です!」
申し訳なさそうに目の前で頭を下げる彼を見て、思わずそう言ってしまった。
「あの……何が起こったんですか?」
私は先程の光景を思い出し、目の前の彼に問う。彼は、真剣な眼差しを私に向けた。
「……そうですね。私もまだ、状況が飲み込めていないんですけど……」
モゴモゴと口を動かす、美青年。困り顔でそこにいる彼を見て、私は少し申し訳なくなった。慌てて、次の質問を考える。
「えっと、あなたはなぜここへ?」
確実にこの人は学校の関係者ではない。というか、現代人かどうかも疑わしい。私のことを助けてはくれたが、正直、怪しい男である。
「私……ですか? そうですね。私、こういう者なんです」
そう言って、彼は、着物の裾から紙切れを1枚取り出した。
『【魂収集屋】
問イ合ワセ:石ノ彼方ヲ知リ念ズ
住所:妖ノ御世 三本硝子通リ 一本 南門カラ入リ三ツ目ノ家屋 右隣古書流レ堂 左隣喫茶檸檬』
「これは……?」
「名刺です。人間社会にいたら、見慣れないものではありますが」
「人間社会……?」
言葉に違和感を覚える。
この人は……何者……?もしかして、彼は……
「はい、私は人間ではありません」
彼は、あっさりと言い放った。
納得する。ほんの少しだけ驚きはあったが、いろいろと見て回ったあとなのだ。普段であれば、信じない話だが、今の私なら、容易に信じることが出来た。
「そうですね……私には、これと言った名前がないので……魂屋さんとでもお呼びください」
名前がない? 固有名詞的な名前を持っていないということなのか? 私は、名刺をまじまじと見る。
「あの……この、魂収集ってのは?」
「名前の通り、死した人間の魂を収集しております。あの世へ行くべき魂って、たまに人間界に留まり続けることがあるんですよ。
それは、人間の祓い師が祓わない限り、その地に残る。でも、祓い師が「祓う」ということは、その魂を消滅させるという無慈悲なことなんです。
だから、私が収集し、その魂を1度封印して、必要となった時に封印を解き、新しい役割を与えてます」
「ん……?」
「そうですね、色々と説明を省いて分かりやすく言うなれば、死んだ人間の魂を集めて、その魂に新しい役割を与える仕事です」
魂屋さんが、淡々と丁寧に説明する。
なんとなく、わかったような気がする。聞きなれない言葉が出てきて、どうしても、実感がわかず、しっかりと理解出来たかと聞かれれば微妙だが。丁寧な言葉遣いで話しているのだが、どうしても、話が右耳から左耳へとすり抜けてしまう。異次元の話のように思えて、どうしてもすんなりと頭に入ってこない。
とはいえ、この数分でいろいろなことが起こっているのだ。不思議なことを嘘だとする方が、バカバカしい様な気がする。嘘である可能性も拭えないが、これが真実な可能性だって大いにある。
私は、彼の説明に、「……なるほど」と返すことしか出来なかった。
「えっと、じゃあ、あなたは何故ここに……?」
「仕事です。このあたりに留まっている魂を見つけましたので。とはいえ、魂のことは今さっき何とかなったので、あとは帰るだけなんですよ。
ただ、人間界には慣れていないので、私1人だけでは帰れなくて……この辺りに詳しい友人と来たのですが、別れてしまいました」
魂屋さんはにこりと微笑む。
「あの男は?」
さっき、日本刀を持っていた男。なぜか、私を襲ってきた男。そんな彼の素性を問う。
「…………さあ」
魂屋さんがはにかみながら、曖昧な返答を漏らした。
「私もはじめて見る男です」
どうやら、彼のことも分からないらしい。
私はあの男の姿を思い出す。パッと見、無害そうな男であった。しかし、あの男はなんの躊躇いもなく、私を切ろうとしてきた。彼は、私と会って直ぐに、私を殺そうとしたのだ。確実に、まともな日本人ではない。彼も、人間では無いのだろうか。
「ところで、あなたは何故ここに?」
質問したのは、魂屋さんだった。今度は私が答える番である。
「私、忘れ物を取りに来ました」
「なるほど、分かりました」
彼は、顎に手を置き、何かを考えるような仕草をする。しばらく、俯いたのち、彼は、再び私の方を向いた。
「じゃあ、私も着いていきましょう。いつ、またあの男に捕えられるか分かりませんし」
「本当ですか!」
「ええ、私がいれば、あなたを逃がすことができますし。むしろ、大丈夫ですか? こんな怪しい男が着いてきて」
「大丈夫です……!」
私は、勢いよく頷く。あの男が学校にいる中、歩き回るなんて、到底できない。魂屋さんの存在は心強い。
私たちは、図書室に向かった。図書館に行く間、生徒たちは一人もいない。気づけば、空は真っ暗になっていた。もう、みんな、帰宅したのだろう。
あっという間に、図書室に到着する。電気をつけ、棚を見ていった。そして、私が使っていた机まで行った。
木製の机がポツンと置いてある。私は、机の周りを見た。
……あれ。ない。
私のスマホがない。あると思ったのに。
どうしよう。
一旦、帰ろうか。
そして、明日、また探そうか。
悶々と悩む。スマホがないのは、死活問題だが、スマホを探し続けて、ここに長く滞在して、あの男に殺されるよりかはマシだ。
「……どうしたんですか?」
魂屋さんが問う。そして、彼が私の言動から、全てを察したようであった。朗らかな笑みを携えた後、私の肩をぽんと叩く。
「一緒に探しましょう」
「えっ……」
「気にしないでください。今、家に帰っても暇なだけなので。友人も引き連れて、あなたの捜し物、探しますよ」
にこりと優しく微笑む。その笑みからは、心無しか圧を感じるように思える。私は、申し訳ないと思いつつも、彼の案に従うことにした。
「……とはいえ、私も友人の場所が分からないのですが……どうやら、あの人も探さないといけないようです」
「……どこ探しましょうね」
「そうだね。あんまり、歩きすぎても、あの男が来そうですよね」
瞬間だった。目の前に白い霧のようなものがあらわれた。
「……なに!?これ!」
「きたきた」
白い霧は、モクモクと大きくなっていく。そして、それは、手持ち鏡のような形になった。サイズは、私の顔くらい。普通の手持ち鏡よりは、少し大きいような気がする。
鏡の中から、1人の男の姿があらわれる。金髪碧眼の男だった。鼻が高く、目元はハッキリとしている。ひと目で、日本人では無いのがわかった。不機嫌そうな表情を浮かべているが、端正な顔立ちの男だった。
「おい、魂屋。どこにいるんだ」
鏡の中の男が、低い声で言った。
「ごめんなさい、モーガンさん。迷ってしまいました。今、図書室です」
モーガンと呼ばれた男は、呆れたようにため息をついた。そして、ちらりと私を見た。目が合う。確実に、あちらもこっちの存在に気づいている。しかし、彼が、私に反応することは無かった。何事も無かったかのように、魂屋さんに向かう。
「わかった。今行く」
「はい」
「……たく……魂は見つけたか?」
「ええ、もうすでにここにあります」
「ああ、なるほど。じゃあ、帰るぞ」
「ちょっと待って。少し探し物があるんです。君も手伝ってください」
「わかった。何探してるんだ?」
「スマホなんだけど……」
「どんなやつ?」
魂屋さんがちらっと私を見た。
「ピンク色のカバーのiPhoneです」
「ですって」
魂屋さんの視線は、再び、モーガンさんの方に向いた。モーガンさんは、不機嫌な顔を浮かべながらも、頷いた。
「……わかった。しばらく、そこで待てよ」
白い鏡が、霧のようになって消える。それと同時にモーガンさんの姿が消えた。
魂屋さんは、目を弓なりにし、私を顔を覗き込んだ。
「少し、ここにいましょうか。もしかしたら、よく探したら、見つかるかもしれませんし」
私たちは、図書館を漁る。本棚の中、貸出カウンター周辺、他の机のまわり、全てを確認する。
しかし、ホコリと古い本の匂いがするのみで、見つからなかった。ひたすら、がさごそと部屋を漁る。
ふと、時計を見ると、午後8時だった。もうそろそろ帰らなければ、親も心配する。
「……そういえば、先生とか警備員さんとか見ないですね」
「ですね」
「魂屋さんは、どうやって入ってきたんですか?」
「私は、人間じゃないので、楽々と入れましたよ。どう入ったかは企業秘密です」
「そうなんですか……」
会話が止まり、私たちは再び、探しはじめる。しかし、見つかる気配は一切ない。
やはり、ここには、無いのではないか。
「部屋出ます?」
魂屋さんが問うた。
「どうしましょうか。でも、モーガンさん待たなきゃ……」
モーガンさんは、「図書館で待て」と言っていた。その指示に従わないのは、あまり、良くない気がする。
そう思った刹那。
ガタン。
音がした。扉が開く音。それと同時に、背後から殺気を感じた。背筋がゾワっとした。冷たい何かに撫でられるような感覚が気持ち悪く、私は、すぐには振り向くことが出来なかった。
「ああ、こんなところにいた」
声。さっきも聞いた声だ。私の目の前にいた、魂屋さんの顔が険しいものとなる。
私は、恐る恐る振り返る。
そこに居たのは、先程私に斬りかかった、例の美男子だ。美しい笑みを携えているが、それが不気味で仕方がない。
私の前に魂屋さんが立ち塞がる。
「…………君、噂の魂屋さんだよね」
品定めをするような目で、魂屋さんを見る、美男子。魂屋さんは、そんな彼に怖気付く事もなく、鋭い目を美男子に向けた。
「……噂になるほどのものでもありませんよ」
魂屋さんがそんな風に返した。余裕のある表情だが、顔は真剣だ。笑みひとつこぼしていない。
立ち塞がる男は、刀の先を魂屋さんに向けた。
「……君が彼女を守りたいっていう気持ちは分かるけど、そんなに邪魔するなら、君のこともやるよ」
男の剣先が動いた。それと同時に、魂屋さんも動く。男の剣先が魂屋さんの綺麗な顔に刺さりそうになる。私は、慌てて自分の目を覆った。
魂屋さんが、殺される──そう思った。
「うっ」
うめき声が聞こえた。魂屋さんの声ではない。
真っ暗闇の中で、何が起こっているか分からない。しかし、私が身を案じていた彼は、無事そうだった。
目の前を見ると、目を押さえる男の姿があった。
「逃げるよ!」
魂屋さんが私の手を引いた。
「私には、戦う力はありませんので。モーガンがいれば、いいのですが……」
じゃあ、さっき、何が起こったんだ。あの男は、なぜ目を押さえていたのだ。尋ねる間もなく、魂屋さんは、私の手を引き、駆けていく。
図書館を抜け、廊下をかけ、階段を下る。見慣れた階段であるが、夜の階段は普段と違うものに見えた。もう学校内は消灯し、あたりは暗い。月明かりの照らす光しか、私たちの頼るものはなかった。
3階を降り、2階をおりる。私は、窓の外を見た。真っ暗闇の中、うっすらと、校門や運動場が見える。教師用の駐車場に停まっている自動車はない。学生向けの駐輪場に停まっている自転車はない。
もう、みんな帰ったのか。そうなんだ……
「あっ」
突如、頭に痛みが私を襲った。誰かが殴ったような物理的な痛みではない。頭の皮や頭蓋骨を全て剥ぎ、脳みそを直接叩くような痛みだった。
何が起こったのか分からない。
私は、思わず、その場でうずくまる。
「大丈夫ですか!」
魂屋さんの慌てた声が、私の脳裏に響く。しかし、そんな声に答える余裕など、私にはなく。私は、ただただ、私を襲う頭痛に耐えることしか出来なかった。
ゴツンとトンカチが頭を叩くような痛み。その痛みは段々と重くなって。捻り潰されるかのような重圧へと化した痛みに、私は「うぁ……」という呻きしか漏らすことが出来なかった。
なんか、隣で魂屋さんが何か言ってる気がする。きっと、私を心配してくれている声だろう。
「ごめんなさい。また、あなたの体に触れますね」
そう言って、彼は、私の体を再びかかえる。その瞬間、なぜだか、頭の痛みが少しマシになったような気がした。
彼、治癒能力でも、持っているのだろうか?
階段を降り終わる。そして、また駆ける。
廊下をぬける。もうすぐで下駄箱だ。
いつしか、私の頭の痛みは去っていた。そのかわり、今度は羞恥心と申し訳ない気持ちが私の心に押し寄せた。
「す、すみません!」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
魂屋さんは、全く気にしていないかのように、紳士的にこたえる。彼は、私を下ろした。
めちゃくちゃ恥ずかしい。ほとんど他人なのに。短時間で二回も抱えさせちゃって申し訳ない。
恥ずかしくなって彼から目線を外す。すると私の目は自然に、隣にある部屋の方を向いた。
職員室だ。中を見る。
「あれ?もう、人、いないんだ」
「帰ってしまったんじゃないでしょうか?」
「でも、教員って、ブラックじゃないですか。まだ八時ですよ。うちの担任も、九時まで学校に缶詰うんぬんって嘆いていましたよ」
おかしいな。どこかおかしい。
「ん〜……人間の学校の都合はよく分からないですけれど……」
どこかはぐらかすように、魂屋さんはそう言う。
思えば、この時間になって、警備員さんがいないのも、巡回の教員がいないのもおかしい。それに、こんなに暴れ回っていて、誰も気づかないってのもおかしいのだ。私は忘れ物をとりに、この学校に来てからは、刀の美青年と魂屋、そしてモーガンさん以外誰も見ていない。人間離れした二人と鏡越しのモーガンさんしか、見ていないのだ。
たとえ、人気が無くなった学校とはいえ、静かすぎる。不思議すぎる。まるで、外界から切り離されたかのように。
もしかして……
「ここって、本当は私の知ってる学校じゃないとか?」
恐る恐るそう彼に問う。
もう、不思議なものをたくさんみてきたのだ。このようなことがあっても、不思議ではない。
魂屋さんは、気まずそうに、顔を伏せた。
「ごめんなさい。黙ってて」
頭を下げる。
「あなたは、ただの普通の女子高生みたいだから、言ったら、困惑すると思って……黙ってたんです」
彼の動きが止まる。彼は、俯いた顔を上げ、私に向かって、微笑んだ。その顔は、少し切なさ混じるものであった。
「……ここはどこなのか……話しますね。先程、私が何者なのか……何をしているのかというのは、お話しましたね?」
「はい、魂を集めていらっしゃると……」
図書室で話した内容を思い出す。魂を集め、封じる。そして、魂に新しい役割を与える。
「そうです。魂は、この世に強い未練を残していると、亜空間を作ります」
「亜空間?」
「ええ、これは実は、魂に限らず、人ならざるものであれば、作ることが出来るものなのですが……まあ、そのことは置いときまして。魂は、自分と縁のある場所を模した亜空間を作り出すんです」
なるほど、その亜空間とやらが、ここなのか。現実の学校ではないから、先生や警備員さんがいない。生徒もいない。そして、私のスマホも無いのか。
「ということは、この学校で、誰かが亡くなったということですか?」
「ええ。亜空間は、魂がその亜空間から、出れば自然に消滅していきます。この亜空間を作った大元は手元に置いておくことができたので、あとは魂屋にお連れするだけなのです。とりあえず、今はあなたとモーガンを連れて、この亜空間から出なければなりませんね」
足を進める。前方を魂屋さんが歩いている。私は、それに着いていった。スタスタと歩いていく。その感、会話はなかった。
そういえば、なぜ、私はここにいるのだろう。
それも、魂屋さんに聞いてみようか。
そう思った瞬間だった。
後ろから、先程の殺気を感じた。それは、魂屋さんも感じたようで。私は、慌てて振り向いた。
「やっと追いついた」
にこりと微笑むあの男。
「今度は、逃さないからね……!」
刀が鋭い光を放つ。その光を見て、私の体がヒリヒリと傷んだ。まるで、光が私を焼くような感覚がする。
「くそ……」
隣で、魂屋さんの焦ったような声が聞こえた。先程まで余裕のある声を放っていた彼から、そんな声が漏れ、驚く。
そんな中でも、光は私を襲った。
いたい。
いたい。
誰か。
助けて。
私の意識が段々、朦朧としてきた。
「死した魂は、いつか暴走する」
朦朧としはじめた意識の中、男の声が聞こえた。
「それは、負の感情に魂が屈した時ですよ。彼女が屈しなければいい」
返した魂屋さんの声は冷静だった。
「屈しない可能性はゼロじゃないだろう? 現にその子は、強い負の感情を持ち、こんなに大きな亜空間を作ってる」
男の視線が、私の方を向く。そして、スタスタとこっちに来た。男は、私の腕を掴む。私にそれに抵抗する力はない。魂屋さんが、私を庇おうと動いたが、彼も、美男子が放つ謎の光には弱いようだった。私は、あっさりと、その男にとらわれてしまう。
「ごめんね。君に悪意はないんだろうけどね。君を祓わなきゃいけないんだ」
申し訳なさそうに、言葉を放つ美男子。
──祓わなきゃいけないんだ。
その言葉から、自分が、「祓われる」対象であることを悟った。
そういえば、魂屋さんが言っていた。この世に留まり続けようとする魂は、人間の祓い師に祓われない限り、この世に留まり続けるって。
あぁ、そういうことか。
2人のやり取りから、察した。
私は……私は……私は………
死んだんだ。
私がこの亜空間を作った魂なんだ。
死に対する哀しみとか苦しみとか、そういうものはなかった。今はただただ、体がいたい。それを何とかして欲しかった。
もう無理だ。
意識が無くなっていく。
私の目の前は、闇に包まれた。もう、誰の言葉も聞こえない。
死んだのかな。いや、既に死んだのか。祓われたって言った方が正しいのか。
もういいや。考える余裕もなくなっちゃった。
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