本編


 宿り心監獄のとある日の朝。出勤した俺は第一寮と書かれた看板の下をくぐり、じめっとした薄暗い廊下を歩く。

 監獄は静かであった。道を歩く人は俺しかいない。コツコツと、俺の足音だけが響き渡る。

 とある独房の前に止まる。その独房の奥には、一人の“魂”がいた。魂はうずくまってそこにいる。

「大丈夫か?」

 魂に問いかける。すると、それはくるりとこちらを見た。魂はただの影である。顔も、衣服も、ない。輪郭すらも分からない。そこにあったのは、ただの暗闇であった。

「だれかしら?」

 かえってきたのは艶やかな声であった。姿形はただの影となり、生きていたときの容貌は分からない。しかし、その声から溌剌とした女性であることがうかがえた。
 
 話す「口」すらもないのに、影から言葉が放たれているのは不思議である。しかし、ここに来る魂の容貌はすべてこれだ。何年も何年も何年もここにいるので見慣れたものである。

「あんたを見守る看守だ」

 正直に名乗る。影に目に見えた反応はない。彼女はピクリとも動かなかった。普通の人間であれば、自分が陥ったこの状況を奇妙に思うものである。しかし、この女はそのそぶりを見せなかった。

「看守……まるで、罪人にでもなったかのようね」

 影が言葉を発する。

 まるで、俺をからかうような口調であった。自分は牢屋に捕らわれているというのに、随分と余裕がある。なかなかに肝が据わった女だ。

「すまんな」

「あら、別に嫌味を言ったつもりじゃないのよ?  ただ、今までそんな機会無かったから、新鮮でね。つい、ぽろりと本音が出てしまったの」

 女の影からクックッと笑い声が聞こえた。そして、顔をこちらに向ける。実際、影なので顔はないが、“顔らしき箇所”をこちらに向けた。

「ところで、看守さん。思い違いだったら申し訳ないのだけれども……私は死んだんじゃなかったかしら?」

 ケロッとした声で、彼女は言った。俺は頷く。すると、女は「やっぱり」と小さくため息をつく。

 やはり、どこか他人事だ。自分が死んだというのに。ここに来た魂たちは自分が死んだと聞くと、少なからずショックを受ける。発狂する者だって少なくない。なのに、この女はその様子を一切見せないのだ。

「ってことは、ここは死後の世界なの?」 

「ってことになるな」

「あら。じゃあ、私はもうずっと永遠にここに閉じ込められるってことかしら?」
 
 影の声は飄々といい放った。

「いいや。ここは、この世とあの世の間ところだ」

「あいだ?」

「三途の川の一歩手前ってところだな。あんたが持ってる負の感情――未練を晴らすことができたら、ここから出ることができるぞ」

「……未練?」

 影が、こてんと首をかしげる。俺はさらに話を続けた。彼女はおとなしく、俺の話を聞いている。

「ああ。未練だ。ここに来る魂たちは、みんな何かしらこの世界に未練を残してる。しかも、強い強い未練だ」

「未練…………」

 まるでぼやくかのように、そう言った。そして、影がふたたび私に向かう。

「未練、あるように見える?」

 彼女が少女のように、あどけなく言った。

「見えないな」

 素直に返す。すると、影がもぞりと動く。

「でしょ」

「とはいえ、ここに来たということは何かあるはずだ。それを晴らす手伝いを俺がする」

「あら、ありがたいわね」

 けろっとした声だ。俺はこほんとひとつ咳をこぼした。この女とまともに話してると、なかなか話が先に進まない気がする。

「未練に関して、心当たりは?」

「そうねぇ……」

 魂が考える。しばらく、沈黙がつづいた。数刻経ったあと、彼女は「あっ」となにかを思い出したかのような声を上げた。

「しいていえば……復讐がしたいわ」

 女が明るい声で言った。「復讐」という言葉には見合わない声色である。

「復讐?」

「ええ、復讐。私を殺した人間に復讐がしたいの」

 復讐を願う女。復讐の相手がここにいない限り、復讐の実行は難しい。

 そのため、俺ができることとしてはふたつである。ひとつめが、俺がこの魂と対話を重ね、彼女が復讐を諦めること。ふたつめが復讐を諦めなかった場合であるが、この世界でこの魂を殺すこと。ちなみに、死んだ魂がこの世界でふたたび殺された場合、成仏することはない。輪廻転生することなく、ただの無となって消滅するのみである。俺としてはそれは避けたい。

 まあ、復讐の相手がここにいれば、その相手を巻き込んで、彼女の未練を果たすことができるが。
 
「復讐の相手の名前は覚えてるか?」

 とりあえず、聞いてみる。この女を殺した相手が誰かわからないとできることはない。

 魂が、考え込む。が、しばらくたっても答えは返ってこない。考え込んでいるのであろう。数分ほどたったあと、影からため息の声が聞こえた。

「だめね。でてこない。…………だれだったかしら……死んだときのことがあやふやで思い出せないわ」

 魂が言葉をこぼす。こぼした言葉が、静寂な独房内にとどろいた。

 「生前の記憶があやしいというのは、ここでは珍しいことではない」

 記憶がないという例は、この霊がはじめてというわけではない。むしろ、かなり多い。特に、死に際の記憶はあやふやなものである。

「それをひとつ、ひとつ探っていくのが俺たちだ」

「あらそう。じゃあ、お任せしようかしら」

「……参考までに聞くが、お前の名前は?」

 俺はちらりと、影の方を見る。独房のなかにひっそりと潜む影は、ピクリとも動かなかった。

「槇原雪」

 はっきりとした声で言い放った。
 
「わかった」

「お願いね」

 あどけない声でそう頼む。その頼みが俺の頭の中に響いた。俺は独房を離れた。

 とはいえ、槇原に関する情報がなにもない。槇原を殺した人間に関する情報はもっとない。

 「看守長に事の詳細を聞くか」

 看守長はこの監獄を束ねる存在である。槇原雪のことを俺に託したのも看守長だ。とりあえず、看守長に指示をあおぐことにしよう。俺はすぐに看守長室に向かった。

 宿り心監獄は、看守長室が中心にあり、そこから第一寮、第二寮、第三寮……と、監房棟が5方向に放射状に並んでいる。そんな監房棟にはひとつひとつ、そこにいる囚人を担当する看守が一人ずつ配置されているのだ。監房棟のひとつである第一寮を担当するのが、俺だ。

 看守長室の扉をノックする。が、反応はない。もう一回、ノックする。が、やはり反応はない。

 留守にしているのか。

 怪訝に思い、その場を離れようとする。

「天喜(てんき)さん?」

 名前を呼ばれた。振り返ると、そこにいたのは一人の女性であった。色の白い、白銀の髪と紫色の瞳が印象的な端正な顔立ちの女性であった。豊満な乳房としなやかな柳腰を見せつけるようなほぼ裸同然の格好をしている。乳房の先は衣によって隠されており、局部もかろうじて薄くて面積の小さい布で隠されている。見えたらいけないところは見えないようにはなっているが、目のやり場にとても困る格好である。一方で、腕と足の衣は手足を隠すほどに丈が長い。正直、隠す場所と出す場所が逆だろうと思う。

 「夢路(メロ)か」

 夢路は、看守長の助手である。彼女はぺこりと一礼した。彼女の表情変わらない。俺はこの女が笑っているのも、泣いているのも見たことがない。人形のように顔色が変わらない女なのだ。

 「看守長はどこに?」

 「用事があると言って出かけられましたよ」

 「監獄内にいないの?」

 「ええ」

 夢路がうなずいた。

 さて、看守長がいないとなると、槇原の件はどうするか。

 「なにかありましたか?」

 夢路が俺の顔を覗き込んだ。

 「槇原雪の資料はあるか?」

 「槇原雪?」
 
 「ああ。ここに来た魂だ」

 「ここに来た魂や、これから来る予定の魂の資料については、看守長室にございます」

 そういって夢路は、看守長室の扉の前に立つ。そして、衣服の中から鍵を取り出した。看守長室の扉を開く。

 ぎい……という扉が開く大きく音が、監獄中にとどろいた。
 
 看守長の部屋は汚い。書類はバラバラと床に散らばり、棚のなかは荒れている。机の上は、食べ物のゴミは捨てることなく、そのままにしてあった。 よくもまあ、こんなところで仕事ができるもんだ。

 足の踏み場もなく、俺は落ちている書類を踏みながら、歩みを進める。

「槇原様の書類はこちらにございました」

 そういって、夢路が一枚の紙を差し出した。俺はそれを受け取る。書類にはお菓子の食べかすが付いていた。そこには、槇原雪の名前が書いてある。槇原のプロフィールが書いてあるものであった。

 1998年8月10日、茨城県生まれ。今は2025年なので、28歳か。現在は建築会社の事務員らしい。顔写真も載っているが、なかなかにきれいな女性であった。あの快活そうな声によく似合う、明るく派手な女性である。

 「死因は出血多量とのことです」

 夢路がどこからともなく、もう一枚の紙を取り出す。それは槇原の死因について詳しくかいてあるものであった。交際相手の自宅で倒れているところを救急車で搬送され、そのまま亡くなったらしい。

 「殺人事件か」

 「はい。そのようですね。交際相手のストーカーとひと悶着あったようです」

 「ストーカー……そいつに殺されたのか」

 「おそらく」

 夢路が顔色を変えずにそういった。そして、そのまま顔をあげ俺の瞳を覗き込んだ。

 「天喜さん、この事件では2人の死者がでております。一人目が槇原雪」

 「二人目が槇原雪の交際相手の間口悠」

 夢路の端正な唇がゆっくりと動いた。

 「そして、ストーカーの獅山莉緒が現在意識不明です」

 意識不明? 相討ちにでもなったのか?

 「この獅山に、槇原は殺されたんだな」

 「……と、看守長の書類には書いております」

 そういって、夢路が指差したのは書類の一ヶ所であった。看守長の丸い可愛らしい手書きの文字で、関係図が書いてあった。夢路が述べた通りのものとなっている。

 なるほど。槇原の復讐相手はこの女か。一度、本人に聞いてみるか。

 「ああ、そうだ。天喜さん」

 踵を返そうとした俺を、夢路が呼び止めた。そして、夢路はまた違う資料を俺に手渡した。

 男の写真が載っている資料である。間口悠の資料だ。そして、そこには看守長の字で「第五寮」とかいてある。槇原の資料にはわざわざどこの独房にいるのかまでは書いてなかったが、間口の方には書いてあるのか。

「間口はこの監獄の第五寮にいます。優朴様のご担当です」

 夢路がそういい放った。
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