case1 洛首神社のおまじない


 ……きて……
 つ…………きて……
 つば……おきて……

「つばき! 起きて!」

 耳障りな声が聞こえた。

「うるさい!」
「おきて!」

 私の快適な眠りを邪魔したのは、呉竹の大きな声である。目を開けると、眼前に奴の気味悪い清らかな顔が広がっていた。

 ふと、時計を見てみる。私は視線の先にあるそれを見て、唖然としてしまった。

「おい、夜中の1時40分じゃないか!」
「うん」
「うんじゃないだろう!? こんな時間に起きるとか、正気の沙汰じゃない……」

 布団にふたたび包まる。が、それをもはぎ取られてしまった。

「明日は定休日だ。少しくらい夜更かししてもいいじゃないか」
「少しっていう程度じゃないだろう!? 常識的に考えろ!」

 私が怒鳴るが、呉竹はそんなのお構いなしだ。私の身体を抱え上げてしまう。

 くそう、鬼として本気を出してやろうか。

 そう思うが、そのあとの処理がめんどくさい。本気を出したら、こいつのネチネチとしたお説教が始まるのだ。こいつの性格の悪さが存分に発揮される、人の揚げ足をとるような説教なのだ。それがめんどくさい。

 私は、もがく以上の抵抗はせずに、彼に抱えられる。いわゆる、お姫様抱っこの状態であった。そのまま、私たちは外に出た。

「おろせ」

 私がそういうと、呉竹は私の身体を地に下した。私は奴の顔をにらみつける。奴は何事もなかったかのように、涼しい顔をしていた。

「どこにいくんだ」
「洛首神社だよ」
「洛首神社……? 昼間行ったじゃないか」
「『昼間に行っても意味がない』って言ったのは君だろう」

 呉竹が肩をすくめる。たしかに言った。だが、別にそれが「よし、丑三つ時に行こう!」って言いたかったのではない。

 呉竹がスタスタと脚を進める。私はそのあとについていった。あっという間に、洛首神社につく。
 
 夜の神社は薄気味悪いものであった。どんよりとした空気が境内を覆う。周りに明かりがともることはなく、唯一ある光は月明りのみであった。鳥居の前で一礼して、鳥居をくぐる。

「階段の20段目……と」

 呉竹が登る。そして、20段目についた。私は階段の1段目からそれを見る。呉竹が自分の腕時計を見た。そして時刻を確認したあと――

「首影つばき」

 私の名前をはっきりとつぶやいた。

 「ラクシュ様、ラクシュ様。私の願いを叶えたまえ。叶えたまえ」

 ……こいつ、私をおまじないに使いやがった。自分の眉間にしわが寄り、ピクピクと震えているのを感じる。とはいえ、何かが起こる気配はない。静かな空気が私の肌を伝うだけだった。

「……何か変わった?」
「なにも」
「私に恋心を抱いたということは……」
「断じてない。いまも、気持ち悪くてめんどくさい野郎だって思ってるぞ」
「なるほど……通名・・じゃだめなのかな……」

 呉竹が顎に手を置いて、いろいろと考える。その時――

「なにか、面白いことしてるね」

 ふと、私の後ろから誰かの声が聞こえた。私のすぐ後ろである。私は、すぐさま振り返った。何者だ。

「君……ものすごく動きが速いねぇ〜。ずいぶんと運動神経がいいだろう?」

 ねっとりとした男性の声。その声の主を見つめる。それは黒いトレンチコートを着た、猫のような吊り目が印象的な男であった。年齢は30代くらいか。顔は整っているが、どこか不気味さを感じる。

「何者だ」

 私が睨みつけても、男は動じることはなかった。

「おお、これは失敬。名乗らないとダメだよねぇ〜」

 そういって、男はコートのポケットから一枚の紙を取り出し、私に渡す。名刺のようだ。

 狭間綾臣はざまあやおみ

 H大学の准教授らしい。

 狭間綾臣は、私たちの姿をねっとりと見る。

「いやあ、ふたりとも随分と綺麗な容姿だね。特にそこの彼。まるで、人じゃないかのようだ」

 狭間綾臣がクツクツと笑いをこぼす。呉竹がスタスタと階段を降り、私の持っている名刺を見た。

「H大学の先生なんですね。すごいですね。ここらじゃかなり有名な国公立学校じゃないですか」

 呉竹は愛想のよい笑みを携え、狭間綾臣に向かう。狭間綾臣はニタニタとした怪しい笑みを浮かべつつも、「いやいや、それほどでも〜」と謙遜する。

「ところで、大学の先生がこんな時間にこんな場所でなにを?」

 呉竹が問う。普通の穏やかな顔であるが、どこか警戒心を抱いているように見える。とはいえ、私も同じ気持ちだ。こんな時間にこんなところに来るなんて、なにか目的があるに決まっている。自分たちだってそうなのだ。ましてや、こんな怪しい見た目の男である。何か企みがあるはず……警戒するに越したことはない。

「僕は民俗学の研究をしているんだ」
「民俗学……?」
「ああ。この土地の伝承を研究している。今日は大学での仕事の帰りにここに来たんだ」

 狭間綾臣はうっとりとした表情で、神社を見上げる。

「この土地には珍しい伝承が残る。特に、この神社に祀られている鬼とかぐや姫伝承については、詳しく知りたいねえ……」

 そう、ぼやく。そして、ちらりと横目で私たちを見た。

「ところで、君たちはここでなにを?」

 ねっとりとした声で問う。すかさず答えたのは、呉竹であった。

「おまじないをしてたんです」

 呉竹の言葉に、狭間綾臣は目を輝かせる。

「おまじない……!? そんなものもあるのかい?」
「ええ。最近、女子高生たちの間で流行ってるおまじないですが……」

 そういって呉竹はおまじないの詳細を伝える。すると、狭間綾臣は首を傾げた。

「そんなおまじない、初めて聞いたねぇ〜。この土地の伝承を研究して長いが、はじめて聞いた……ラクシュ様が恋愛成就のために犠牲を求めるとは思えないねぇ」

 狭間綾臣がそう言い切る。そして、唇が怪しくゆがんだ。「それに……」という言葉が彼の唇からこぼれる。風が一瞬だけ吹いて、私の身体にまとわりついた。

「この時間にここに来るのは初めてじゃないが、そのおまじないをしている人を今日初めて見た」

 そういえば、藍柳新太もおまじないをした人を見たことないと言っていた。

 でも流行っているのであれば、やっている人ーー少なくともこの時間にやってくる女子高生を見たことある人がいても不思議ではないはず。

 そう思っているのは、私だけじゃないようで。呉竹も怪訝そうに眉をひそめていた。

「そのおまじないを聞いて面白いことを思い出した」

 狭間綾臣が手をぱちんとならす。そして――

「ちょっとついてきてご覧」

 そういって、ゆっくりと階段を上がった。私たちもそのあとにつづく。

「君たちはこの階段をあがったところに、小さな脇道があるのは知っているかい?」
「脇道?」
「ああ。ほとんど獣道と言ってもいいものだけどね」

 狭間綾臣が肩をすくめる。しばらくして、階段をすべてあがる。狭間綾臣は目の前に社殿が見えるが、それを無視して森の方を見た。木と木の間。確かにそこには脇道がある。

「ここの先にね。小さな祠があるんだ」

 狭間綾臣はその道の中に入っていく。私たちも、彼の後を追う。

「数年前、この小さな祠の伝承を聞いたんだ」
「どんなものですか?」

 木と木の合間をぬいながら。時には葉が顔に当たりつつも、呉竹が問う。狭間綾臣がちらりと顔だけをこちらに向けた。

「ここの祠には成仏できない女の霊が1人いてね。この祠に藤と饅頭をお供えして、願いを言うとその願いを叶えてくれるんだそうだ。ただし……」

 私たちはひたすら進む。カサカサと葉と葉がこすれあう。その音が、月夜の静けさのなかに響き渡った。
 
「願いを叶えるためには、犠牲が必要だそうだ」

 森を抜けて、少し開けた場所に出た。そこには狭間が言った通り、祠があった。さびれた石の祠であった。丁寧に手入れされた洛首神社の建物たちとは対照的である。祠の前に何かが置いてある。

「ああ、誰かがやはりおまじないをしたみたいだね」

 そう、そこに置いてあったのは……花瓶の中の少し萎れた藤の花と、皿の上に置いてある饅頭であった。
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