case3 天女と少年
狭間に連れられ、私がやってきたのは鬼居山であった。
私も来たことがある、かつてのつばきの居城である。
山道を歩き、隣に並ぶ。ぽつり、ぽつりと。ほのかに雨が額に当たり始める。祭りは大丈夫だろうかと、ふと思ったが朝天気予報を見た時はそこまで土砂降りにはならないとのことだった。すぐにやむだろう。
「私は24年前、この山の湖で君に会った」
この山の湖……というとあそこか。つばきが水浴びをよくするあの泉だ。私があそこに行ったのは一回しかない。天女の姿となって水浴びをした時だ。そうか、やはりあの時の視線か。薄々と抱いていた仮説が、狭間の言葉により実証された。
「君に会うために民俗学者になった。24年前からずっと君に掛けてきたんだ」
狭間が話をつづける。ぽつり、ぽつりと。狭間の言葉がこぼれる。
「ほぼ、人生を君に掛けてきたと言ってもいい」
私はひたすら彼の言葉を聞いていた。
「だから、君とあの洛首神社の階段で再会した時の胸の高鳴りは忘れられないよ」
ちらりと横目で私を見る。目と目があう。
「よく私だとわかったな。私はあの時、女だったはずだ」
「何年も何年も忘れずにおぼえていたからね。君みたいな美人、この世に君しかいないから」
心の底からうれしそうな声であった。正直、彼の想いを直でぶつけられるのは、ソワソワする。
「さて、君に本題だ」
狭間が立ち止まった。そして、私と向かい合う。真剣な目つきが私に刺さった。ぽつり、ぽつりと雨が降って。私たちの髪の毛を、服を濡らす。
「……私の助手にならないか?」
「助手? なぜ?」
「まあ、私の下心が八割だが……」
「かなりの大部分を下心だな」
私は思わず眉を顰める。
「まあ、残り二割は君の力を見込んでだ」
狭間が強く言った。そして、私の手を握る。彼の手はひんやりとしていた。
「今まで、様々な怪異事件と関わってきたんだろう? そもそも君自身が怪異だ。きっと力になる。来てくれないか?」
情愛にみちた瞳で、狭間が言った。
「つばきは?」
「つばきちゃんもつれてきてもらって構わないぞ」
そうは言うが、つばきは嫌がるだろう。私はつばきを今連れまわしてはいるが、それはお互いの信頼関係があるからだ。
めんどくさがり屋ではあるが、義理堅い。私のことを信頼しているからこそ、こうやってここにいてくれるのだろう。
それに、私にとっても彼女との今の関係は心地いい。彼女は深いことをずかずかと聞いてこない。程よい距離を保ってくれる。それが、自分にとっていいものだった。
ここで狭間の誘いに乗ったら、きっとつばきは離れていく。鬼居山の落ち首御前に戻ってしまう。
「断るよ」
きっぱりと狭間に言い放った。その言葉を聞いて、狭間は顔色ひとつ変えない。
このまますんなりと断れるのか? ここまで、私に強い執着を見せる男が? 疑問に思う。
「……呉竹君は、私が君の探し物を持盗んだことは知っているだろう?」
……ああ。やはりか。彼が盗んだのか。それは、私もすでに状況的に察している。
「羽衣。これがないと、君は天に帰れない」
狭間が言い放つ。私はただそれを聞くのみだった。
「しかも、これを着るとここで育まれた人への情は消えるんだろう?」
ああ、そうだ。だれかがしたためたあの物語にはそんなことも書いてあったんだっけ。よくもまあ、そんなことまで書いたなとか思う。
私は何の返事も返さなかった。そんな様子を見て、狭間は少し面白くなさそうに眉をひそめた。
「私は羽衣を盗んでどうしたと思う?」
「さあ、どうしたんだい」
「……この山のどこかに隠したんだ」
にたりとほほ笑む。ああ、なるほど。言いたいことは分かった。
――お前の大切なものは俺が持っているぞ。返してほしければ俺の言うことを聞けということか。
こざかしいマネをするものだ。雨の勢いが強まった。ほのかに風が吹く。
「なるほどなあ」
私は口角を緩ませ、そう言った。緩やかな笑みを浮かべた私に対し、狭間は怪訝な顔をする。
「以前、私は探し物をしていると言ったね」
「ああ」
「君はその探し物を羽衣だと思ったわけか」
狭間は首を傾げる。
「探し物はすでに見つけたよ、狭間さん」
私がそういうと、狭間は目を開いた。
「つばきがね、回収してくれたんだ」
私は図書館から帰った後、喫茶店でつばきに頼んだこと。それは私の探し物の回収であった。
「君はつばきの正体までは分かっていないようだね」
そういうと同時に、遠くからガサゴソと声が聞こえた。
刹那――
がさり。私たちの前にひとつの影が現れた。ほのかに香ばしいにおいもする。
「おい、呉竹。たこ焼きを記しにするな」
そういって。現れたのは、つばきであった。つばきの手には、たこ焼きとたこ焼きが載ってあったであろう器があった。口元には、ソースがついている。私を追いかけながら、食べてきたのだろう。なお、私の分のたこ焼きはびしょびしょに濡れて食えたものではない。
そして、彼女の装いは、美しく雅な白拍子姿――落ち首御前としての姿であった。雨に濡れているが、それも彼女の美しさを際立たせるスパイスとなっていた。
「よく、私たちを見つけられたね」
「この山を歩くのは慣れてるからな。あそこから、人が通れるような道はこのルートしかない」
つばきが大きなあくびをひとつこぼした。余裕の態度である。
「切っていいのか?」
つばきが狭間を見ながら問う。
「一応、立派な地位の人間だ。殺すと大問題になる」
私は答えた。私たちのやり取りを見ながら、狭間が「まさか……」と言葉をこぼした。
「……落ち首御前」
彼女の名前をつぶやく。鬼というところまでは悟っていたようだが、落ち首御前だとは思っていなかったようだ。神としてあがめられ、所々に伝承を残し、絵巻物も残るような存在である。そんな鬼が目の前に現れたのだ。
この男は、腐っても民俗学が専門の大学教授である。彼女の正体を知るなり、もともと丸くしていた瞳をさらに丸くする。
つばきはそんな狭間の態度になにか反応をこぼすこともなく、私の後ろに控えている。
「狭間さん。私が言っていた探し物を教えようか」
そういって、私はつばきの方をちらりと見る。つばきは、懐からそれを取り出した。
鳳凰が描かれた檜扇だ。私のものである。
図書館に行ったとき、私は隣にあった博物館にてこの檜扇を見つけた。それをつばきに盗み出してもらったのだ。ちなみに、その日の新聞にはこの窃盗についての記事が載ったが、今に至るまで犯人は見つかっていない。
「たしかに羽衣も大切なものだ。これがないと、月に帰れないからね」
肩をすくめる。私は、つばきから扇を受け取る。
「だけど、この扇はね。私が天人であるという証なんだよ。この扇がないと、天人としての力はほとんど使えない」
とはいえ、あまり地上で使いすぎると、他の天人に怒られる。ので、扇を持っているころは意図的に力をセーブしていたが。
「偶然、扇だけ大学の博物館に展示してあったからね。これも羽衣と一緒に埋めてしまえば、今回君の誘いに乗って高尾も知れない」
「……扇だけは私の親が目をつけたんだ。私の親は日本美術の研究者でね。この扇は一級品だといって持って行ってしまった」
「なるほど」
大学博物館に寄贈されたのか。そして、それが展示され、つばきの目に入った。
「さて、狭間さん、他になにか聞きたいことはあるかい?」
問う。隣で、つばきが太刀の鞘に手をかけている。いつ、相手が変な真似をしてもかまわないように、戦闘態勢に入っているのだろう。
待つ。が、言葉は何も帰ってこない。彼は、本当に羽衣を盾にすれば、自分のもとに来ると思ったのだろう。これも、羽衣伝説や『竹取物語』の影響か。彼が、民俗学者だからこそ、「話」に頼り過ぎたのだ。人生をかけた私への思いが、私に近づきたい、手に入れたいという想いが打ち砕かれたのだ。
彼の心はしっかりとは分からないが、きっと失意の中にあるはずだ。失恋した時の気持ちなんて分からない。が、失恋で身を破滅させるものもあるという。それこそ、おまじないの時の宮本のように。
その心情は怪異である私には分からない。
しばらくして。狭間の口がゆっくりと動いた。
「聞きたいことは山ほどあるが……」
狭間の目と私の目があう。
「君は私のことをどう思っているんだ?」
彼はかすれた声で問うた。
「そうだね……」
私は少し悩む。そして――
「人間だなって思うよ」
欲望のままに周りを掻きまわし、一心不乱に目的に向かって走り続ける。まさに、人間だ。
それ以上の感情も、それ以下の感情もない。
「さて……」
私は、扇を開いた。
そして――
「君には、私のない人生を歩んでもらうからね」
そういって、彼の瞳は絶望におちた。
私は迷わず、その扇を一振りする。すると、彼の目が死んだ魚のように、とろんとしたものになった。そして、生気がぬけたように、膝から崩れ落ちる。
狭間は意識を失ったのであった。
気づけば、雨はあがっていた。
私も来たことがある、かつてのつばきの居城である。
山道を歩き、隣に並ぶ。ぽつり、ぽつりと。ほのかに雨が額に当たり始める。祭りは大丈夫だろうかと、ふと思ったが朝天気予報を見た時はそこまで土砂降りにはならないとのことだった。すぐにやむだろう。
「私は24年前、この山の湖で君に会った」
この山の湖……というとあそこか。つばきが水浴びをよくするあの泉だ。私があそこに行ったのは一回しかない。天女の姿となって水浴びをした時だ。そうか、やはりあの時の視線か。薄々と抱いていた仮説が、狭間の言葉により実証された。
「君に会うために民俗学者になった。24年前からずっと君に掛けてきたんだ」
狭間が話をつづける。ぽつり、ぽつりと。狭間の言葉がこぼれる。
「ほぼ、人生を君に掛けてきたと言ってもいい」
私はひたすら彼の言葉を聞いていた。
「だから、君とあの洛首神社の階段で再会した時の胸の高鳴りは忘れられないよ」
ちらりと横目で私を見る。目と目があう。
「よく私だとわかったな。私はあの時、女だったはずだ」
「何年も何年も忘れずにおぼえていたからね。君みたいな美人、この世に君しかいないから」
心の底からうれしそうな声であった。正直、彼の想いを直でぶつけられるのは、ソワソワする。
「さて、君に本題だ」
狭間が立ち止まった。そして、私と向かい合う。真剣な目つきが私に刺さった。ぽつり、ぽつりと雨が降って。私たちの髪の毛を、服を濡らす。
「……私の助手にならないか?」
「助手? なぜ?」
「まあ、私の下心が八割だが……」
「かなりの大部分を下心だな」
私は思わず眉を顰める。
「まあ、残り二割は君の力を見込んでだ」
狭間が強く言った。そして、私の手を握る。彼の手はひんやりとしていた。
「今まで、様々な怪異事件と関わってきたんだろう? そもそも君自身が怪異だ。きっと力になる。来てくれないか?」
情愛にみちた瞳で、狭間が言った。
「つばきは?」
「つばきちゃんもつれてきてもらって構わないぞ」
そうは言うが、つばきは嫌がるだろう。私はつばきを今連れまわしてはいるが、それはお互いの信頼関係があるからだ。
めんどくさがり屋ではあるが、義理堅い。私のことを信頼しているからこそ、こうやってここにいてくれるのだろう。
それに、私にとっても彼女との今の関係は心地いい。彼女は深いことをずかずかと聞いてこない。程よい距離を保ってくれる。それが、自分にとっていいものだった。
ここで狭間の誘いに乗ったら、きっとつばきは離れていく。鬼居山の落ち首御前に戻ってしまう。
「断るよ」
きっぱりと狭間に言い放った。その言葉を聞いて、狭間は顔色ひとつ変えない。
このまますんなりと断れるのか? ここまで、私に強い執着を見せる男が? 疑問に思う。
「……呉竹君は、私が君の探し物を持盗んだことは知っているだろう?」
……ああ。やはりか。彼が盗んだのか。それは、私もすでに状況的に察している。
「羽衣。これがないと、君は天に帰れない」
狭間が言い放つ。私はただそれを聞くのみだった。
「しかも、これを着るとここで育まれた人への情は消えるんだろう?」
ああ、そうだ。だれかがしたためたあの物語にはそんなことも書いてあったんだっけ。よくもまあ、そんなことまで書いたなとか思う。
私は何の返事も返さなかった。そんな様子を見て、狭間は少し面白くなさそうに眉をひそめた。
「私は羽衣を盗んでどうしたと思う?」
「さあ、どうしたんだい」
「……この山のどこかに隠したんだ」
にたりとほほ笑む。ああ、なるほど。言いたいことは分かった。
――お前の大切なものは俺が持っているぞ。返してほしければ俺の言うことを聞けということか。
こざかしいマネをするものだ。雨の勢いが強まった。ほのかに風が吹く。
「なるほどなあ」
私は口角を緩ませ、そう言った。緩やかな笑みを浮かべた私に対し、狭間は怪訝な顔をする。
「以前、私は探し物をしていると言ったね」
「ああ」
「君はその探し物を羽衣だと思ったわけか」
狭間は首を傾げる。
「探し物はすでに見つけたよ、狭間さん」
私がそういうと、狭間は目を開いた。
「つばきがね、回収してくれたんだ」
私は図書館から帰った後、喫茶店でつばきに頼んだこと。それは私の探し物の回収であった。
「君はつばきの正体までは分かっていないようだね」
そういうと同時に、遠くからガサゴソと声が聞こえた。
刹那――
がさり。私たちの前にひとつの影が現れた。ほのかに香ばしいにおいもする。
「おい、呉竹。たこ焼きを記しにするな」
そういって。現れたのは、つばきであった。つばきの手には、たこ焼きとたこ焼きが載ってあったであろう器があった。口元には、ソースがついている。私を追いかけながら、食べてきたのだろう。なお、私の分のたこ焼きはびしょびしょに濡れて食えたものではない。
そして、彼女の装いは、美しく雅な白拍子姿――落ち首御前としての姿であった。雨に濡れているが、それも彼女の美しさを際立たせるスパイスとなっていた。
「よく、私たちを見つけられたね」
「この山を歩くのは慣れてるからな。あそこから、人が通れるような道はこのルートしかない」
つばきが大きなあくびをひとつこぼした。余裕の態度である。
「切っていいのか?」
つばきが狭間を見ながら問う。
「一応、立派な地位の人間だ。殺すと大問題になる」
私は答えた。私たちのやり取りを見ながら、狭間が「まさか……」と言葉をこぼした。
「……落ち首御前」
彼女の名前をつぶやく。鬼というところまでは悟っていたようだが、落ち首御前だとは思っていなかったようだ。神としてあがめられ、所々に伝承を残し、絵巻物も残るような存在である。そんな鬼が目の前に現れたのだ。
この男は、腐っても民俗学が専門の大学教授である。彼女の正体を知るなり、もともと丸くしていた瞳をさらに丸くする。
つばきはそんな狭間の態度になにか反応をこぼすこともなく、私の後ろに控えている。
「狭間さん。私が言っていた探し物を教えようか」
そういって、私はつばきの方をちらりと見る。つばきは、懐からそれを取り出した。
鳳凰が描かれた檜扇だ。私のものである。
図書館に行ったとき、私は隣にあった博物館にてこの檜扇を見つけた。それをつばきに盗み出してもらったのだ。ちなみに、その日の新聞にはこの窃盗についての記事が載ったが、今に至るまで犯人は見つかっていない。
「たしかに羽衣も大切なものだ。これがないと、月に帰れないからね」
肩をすくめる。私は、つばきから扇を受け取る。
「だけど、この扇はね。私が天人であるという証なんだよ。この扇がないと、天人としての力はほとんど使えない」
とはいえ、あまり地上で使いすぎると、他の天人に怒られる。ので、扇を持っているころは意図的に力をセーブしていたが。
「偶然、扇だけ大学の博物館に展示してあったからね。これも羽衣と一緒に埋めてしまえば、今回君の誘いに乗って高尾も知れない」
「……扇だけは私の親が目をつけたんだ。私の親は日本美術の研究者でね。この扇は一級品だといって持って行ってしまった」
「なるほど」
大学博物館に寄贈されたのか。そして、それが展示され、つばきの目に入った。
「さて、狭間さん、他になにか聞きたいことはあるかい?」
問う。隣で、つばきが太刀の鞘に手をかけている。いつ、相手が変な真似をしてもかまわないように、戦闘態勢に入っているのだろう。
待つ。が、言葉は何も帰ってこない。彼は、本当に羽衣を盾にすれば、自分のもとに来ると思ったのだろう。これも、羽衣伝説や『竹取物語』の影響か。彼が、民俗学者だからこそ、「話」に頼り過ぎたのだ。人生をかけた私への思いが、私に近づきたい、手に入れたいという想いが打ち砕かれたのだ。
彼の心はしっかりとは分からないが、きっと失意の中にあるはずだ。失恋した時の気持ちなんて分からない。が、失恋で身を破滅させるものもあるという。それこそ、おまじないの時の宮本のように。
その心情は怪異である私には分からない。
しばらくして。狭間の口がゆっくりと動いた。
「聞きたいことは山ほどあるが……」
狭間の目と私の目があう。
「君は私のことをどう思っているんだ?」
彼はかすれた声で問うた。
「そうだね……」
私は少し悩む。そして――
「人間だなって思うよ」
欲望のままに周りを掻きまわし、一心不乱に目的に向かって走り続ける。まさに、人間だ。
それ以上の感情も、それ以下の感情もない。
「さて……」
私は、扇を開いた。
そして――
「君には、私のない人生を歩んでもらうからね」
そういって、彼の瞳は絶望におちた。
私は迷わず、その扇を一振りする。すると、彼の目が死んだ魚のように、とろんとしたものになった。そして、生気がぬけたように、膝から崩れ落ちる。
狭間は意識を失ったのであった。
気づけば、雨はあがっていた。
