case3 天女と少年
20年ほど前の夏の日。
K町まで来た私はふと旧友の鬼に会いに、鬼居山へ向かった。彼女――落ち首御前がこの鬼居山に住む鬼であるというのは有名な話であった。 地元では愛され、信仰され、洛首神社という神社でその存在は祀られている。
彼女と鬼居山の大蛇の伝説は、1000年以上前から有名な話であった。かつて私は都にいたが、彼女の噂はそこにも届いた。
前回、旧友に会ったのは、「とうけい」の町であった。文明開化の音が響き渡る町であった。
さて、彼女の居城である鬼居山は自分にとっても縁のある場所である。しかし、山に登るのは初めてであった。
山に登り、私には当然キツかった。私は天人であるが、今はその力を意識的に封じている。そのため、体力は人並みだ。すぐに疲れ果て、身体は重かった。
さて、鬼居山は複雑な山である。一応、登山道はあるが、私が求めている彼女が登山道などという人目に付く場所にいるわけが無い。
捜査は難航した。だが、今は懐かしい顔にどうしても会いたかったのだ。もう、もしかしたらここで会えなければ、しばらく会えないかもしれない。そう思って。とはいえ、時間もたっぷりある。ゆっくりと探そう。
何日も迷ったある日。木と木の間を巡っていた私の目の前に、太陽の光がさした。木のない開けたところがあった。湖だ。
澄んだ美しい湖であった。その中に1人。人がいた。彼女だった。
彼女は衣服を全て脱ぎ、水浴びをしていた。華奢な体であった。この体が大蛇を倒すほどの膨大な戦闘力を秘めてるとは思えない。しなやかで、白い肌が私には眩しかった。
なお、私には性欲はない。今は男の体であるが、一糸まとわぬ彼女の姿を見て性的な感情は湧かなかった。
「つばき」
私は森からでて、彼女に声をかけた。
「呉竹……お前、なんでここに……?」
つばきは目を丸くする。その間、彼女は身体を隠すことはなかった。私に性欲がないのと同じように、彼女にも異性に身体を見られるという羞恥心はあまりないのだろう。
「懐かしい顔に会いたくてね」
そう言って、私は肩を竦めた。
つばきが湖からあがり、服を身に纏う。彼女の鬼としての姿は美しい。
立烏帽子に白い水干、赤い袴に腰からぶら下がる太刀。手には蝙蝠扇子を持っている。その姿は平安の白拍子である。そして、その容姿も人並み外れたものであった。白い肌に、さらりと流れる美しい髪。天人は全員美しい清らかな姿をしているが、鬼には個体差がある。醜い姿の鬼もいるし、多くの人間がイメージするような筋骨隆々の男もいる。とはいえ、美しい女性の鬼も珍しくはない。紅葉伝説の鬼女だって美しい。彼女もその類だ。
「何年ぶりだ?」
「100年はいってないと思うよ」
「……そうか」
つばきは近くの岩に腰掛けた。そして、鼻をすんすんとして、私の匂いを嗅いだ。
「お前、臭いぞ」
つばきが鼻をつまんだ。私は慌てて自分の匂いを嗅ぐ。たしかに、臭い。
「数日、山の中をさまよってたからかな」
「そこまでして私に会いたかったのか。途中で諦めればよかったのに」
「ここまでしないと、君は会わないだろう?」
「まあな」
彼女はふわぁと大きなあくびをした。呑気でマイペースなところは変わってない。そのマイペースなところが、彼女の欠点でもある訳だが。
「つばき、湖借りていい? 匂いを落としたい」
そう聞くと、つばきは眉をひそめた。
「男の汚らわしい身体をこの湖にいれるのは気に食わんな」
とんだ女尊男卑である。
「じゃあ、女だったらいいのか?」
私はむっとしてそう返した。すると、つばきは鼻で笑った。
「できるもんならやってみな」
……そういうなら、やってやろうじゃないか。
今はあまり天人としての力を使いたくないが、仕方ない。私は少し力を使った。
私の体が光に包まれる。その光が無くなった時。私の身体は女になっていた。
つばきは口をぽかんと開けた。
「おまえ、天女なのか?」
「天女になれるっていうだけだよ。私に本当の性別はないからね」
私はつばきを見下ろした。
「これでいいだろ?」
私は言い返してやる。すると、つばきが悔しそうに頬をふくらませた。こういう表情が豊かな所は少し可愛い。
つばきはくやしそうに唇を噛みながらも、頷いた。そして、湖から離れ森の中に消える。
「さて」
私はまず荷物を下ろし、服を脱いだ。
そういえばと思い、私は持っていたリュックの中から、あるものを取り出す。それは清らかな、この世のものとは思えぬ輝きを放つ布であった。羽衣である。これも一応洗濯させてもらおうか。神聖なものであるがこんなに綺麗な湖であれば、問題ないはずだ。
羽衣を取り出す同時にポロリと何かが地に落ちた。檜扇だ。ああ、そうだ。無くさないように羽衣の間に挟んでいたのだ。
鳳凰の模様が入った檜扇である。これは私にとって天人の証だ。大切なものであるが、前、つばきにこれを見せた時、「ふーん」と興味無さそうな反応をされた。
私は檜扇を羽衣の上に置いた。
全てを脱ぎ、私は湖に入る。
川魚もそよそよが泳いでいた。ここは水だけでなく空気も澄んでいる。目の前の森と湖のコントラストも素晴らしいものだった。
本当に清らかな湖であった。私は身体の汚れを落とす。
汚れはあっという間に落ちた。が、心地いい空間のためもうちょっとここにいさせてもらう。
ふと、誰かの目線を感じた。くるりと振り返る。が、誰もいない。きっと気のせいだろう。
私は身体を湖に沈めた。ひんやりとした感覚が、私の体を包み込む。それが心地よかった。
しばらくして。
私はこの湖からあがる。よし、羽衣を洗おうか。そう思い、湖から上がったその時。
「あれ?」
岩の上に置いてた羽衣がない。というか、私の荷物がまるっとない。当然、檜扇もない。
「つばき?」
私は冷静に、森の中にいるつばきに呼びかけた。つばきはすぐに私の元に来た。そして、私の一糸まとわぬ姿を見て、眉間に深いシワを刻む。
「服着ろよ」
「……その服がないんだよ」
私がそう言うと、つばきは辺りを見渡す。どうやら、つばきが持ってったわけではないらしい。
つばきは怪訝そうに眉をひそめた。
「……盗まれた?」
私は頷く。おそらく、そうであろう。まさか、羽衣伝説が自分の身に起きるとは。
こうして、私は今に至るまで自分の荷物を探している。その中には羽衣を含め、大切なものも多い。私の天人としての沽券に関わるものも。
「……つばき、探すのを手伝ってくれないかい?」
私がそう言うと、つばきは嫌そうな顔を浮かべた。この子は煩わしいことには関わらない。
「私を助けて」
念押しする。夏のそよ風が吹いた。
「少しだけだぞ」
つばきは不満そうな顔を浮かべながらも言った。
つばきは押しに弱い。私はそれを利用した。きっと「いいよ」と言ってくれると思った。そういう女なのは私は分かっていた。
そして、現代。年号は令和に変わった。まだ探し物は続いている。
K町まで来た私はふと旧友の鬼に会いに、鬼居山へ向かった。彼女――落ち首御前がこの鬼居山に住む鬼であるというのは有名な話であった。 地元では愛され、信仰され、洛首神社という神社でその存在は祀られている。
彼女と鬼居山の大蛇の伝説は、1000年以上前から有名な話であった。かつて私は都にいたが、彼女の噂はそこにも届いた。
前回、旧友に会ったのは、「とうけい」の町であった。文明開化の音が響き渡る町であった。
さて、彼女の居城である鬼居山は自分にとっても縁のある場所である。しかし、山に登るのは初めてであった。
山に登り、私には当然キツかった。私は天人であるが、今はその力を意識的に封じている。そのため、体力は人並みだ。すぐに疲れ果て、身体は重かった。
さて、鬼居山は複雑な山である。一応、登山道はあるが、私が求めている彼女が登山道などという人目に付く場所にいるわけが無い。
捜査は難航した。だが、今は懐かしい顔にどうしても会いたかったのだ。もう、もしかしたらここで会えなければ、しばらく会えないかもしれない。そう思って。とはいえ、時間もたっぷりある。ゆっくりと探そう。
何日も迷ったある日。木と木の間を巡っていた私の目の前に、太陽の光がさした。木のない開けたところがあった。湖だ。
澄んだ美しい湖であった。その中に1人。人がいた。彼女だった。
彼女は衣服を全て脱ぎ、水浴びをしていた。華奢な体であった。この体が大蛇を倒すほどの膨大な戦闘力を秘めてるとは思えない。しなやかで、白い肌が私には眩しかった。
なお、私には性欲はない。今は男の体であるが、一糸まとわぬ彼女の姿を見て性的な感情は湧かなかった。
「つばき」
私は森からでて、彼女に声をかけた。
「呉竹……お前、なんでここに……?」
つばきは目を丸くする。その間、彼女は身体を隠すことはなかった。私に性欲がないのと同じように、彼女にも異性に身体を見られるという羞恥心はあまりないのだろう。
「懐かしい顔に会いたくてね」
そう言って、私は肩を竦めた。
つばきが湖からあがり、服を身に纏う。彼女の鬼としての姿は美しい。
立烏帽子に白い水干、赤い袴に腰からぶら下がる太刀。手には蝙蝠扇子を持っている。その姿は平安の白拍子である。そして、その容姿も人並み外れたものであった。白い肌に、さらりと流れる美しい髪。天人は全員美しい清らかな姿をしているが、鬼には個体差がある。醜い姿の鬼もいるし、多くの人間がイメージするような筋骨隆々の男もいる。とはいえ、美しい女性の鬼も珍しくはない。紅葉伝説の鬼女だって美しい。彼女もその類だ。
「何年ぶりだ?」
「100年はいってないと思うよ」
「……そうか」
つばきは近くの岩に腰掛けた。そして、鼻をすんすんとして、私の匂いを嗅いだ。
「お前、臭いぞ」
つばきが鼻をつまんだ。私は慌てて自分の匂いを嗅ぐ。たしかに、臭い。
「数日、山の中をさまよってたからかな」
「そこまでして私に会いたかったのか。途中で諦めればよかったのに」
「ここまでしないと、君は会わないだろう?」
「まあな」
彼女はふわぁと大きなあくびをした。呑気でマイペースなところは変わってない。そのマイペースなところが、彼女の欠点でもある訳だが。
「つばき、湖借りていい? 匂いを落としたい」
そう聞くと、つばきは眉をひそめた。
「男の汚らわしい身体をこの湖にいれるのは気に食わんな」
とんだ女尊男卑である。
「じゃあ、女だったらいいのか?」
私はむっとしてそう返した。すると、つばきは鼻で笑った。
「できるもんならやってみな」
……そういうなら、やってやろうじゃないか。
今はあまり天人としての力を使いたくないが、仕方ない。私は少し力を使った。
私の体が光に包まれる。その光が無くなった時。私の身体は女になっていた。
つばきは口をぽかんと開けた。
「おまえ、天女なのか?」
「天女になれるっていうだけだよ。私に本当の性別はないからね」
私はつばきを見下ろした。
「これでいいだろ?」
私は言い返してやる。すると、つばきが悔しそうに頬をふくらませた。こういう表情が豊かな所は少し可愛い。
つばきはくやしそうに唇を噛みながらも、頷いた。そして、湖から離れ森の中に消える。
「さて」
私はまず荷物を下ろし、服を脱いだ。
そういえばと思い、私は持っていたリュックの中から、あるものを取り出す。それは清らかな、この世のものとは思えぬ輝きを放つ布であった。羽衣である。これも一応洗濯させてもらおうか。神聖なものであるがこんなに綺麗な湖であれば、問題ないはずだ。
羽衣を取り出す同時にポロリと何かが地に落ちた。檜扇だ。ああ、そうだ。無くさないように羽衣の間に挟んでいたのだ。
鳳凰の模様が入った檜扇である。これは私にとって天人の証だ。大切なものであるが、前、つばきにこれを見せた時、「ふーん」と興味無さそうな反応をされた。
私は檜扇を羽衣の上に置いた。
全てを脱ぎ、私は湖に入る。
川魚もそよそよが泳いでいた。ここは水だけでなく空気も澄んでいる。目の前の森と湖のコントラストも素晴らしいものだった。
本当に清らかな湖であった。私は身体の汚れを落とす。
汚れはあっという間に落ちた。が、心地いい空間のためもうちょっとここにいさせてもらう。
ふと、誰かの目線を感じた。くるりと振り返る。が、誰もいない。きっと気のせいだろう。
私は身体を湖に沈めた。ひんやりとした感覚が、私の体を包み込む。それが心地よかった。
しばらくして。
私はこの湖からあがる。よし、羽衣を洗おうか。そう思い、湖から上がったその時。
「あれ?」
岩の上に置いてた羽衣がない。というか、私の荷物がまるっとない。当然、檜扇もない。
「つばき?」
私は冷静に、森の中にいるつばきに呼びかけた。つばきはすぐに私の元に来た。そして、私の一糸まとわぬ姿を見て、眉間に深いシワを刻む。
「服着ろよ」
「……その服がないんだよ」
私がそう言うと、つばきは辺りを見渡す。どうやら、つばきが持ってったわけではないらしい。
つばきは怪訝そうに眉をひそめた。
「……盗まれた?」
私は頷く。おそらく、そうであろう。まさか、羽衣伝説が自分の身に起きるとは。
こうして、私は今に至るまで自分の荷物を探している。その中には羽衣を含め、大切なものも多い。私の天人としての沽券に関わるものも。
「……つばき、探すのを手伝ってくれないかい?」
私がそう言うと、つばきは嫌そうな顔を浮かべた。この子は煩わしいことには関わらない。
「私を助けて」
念押しする。夏のそよ風が吹いた。
「少しだけだぞ」
つばきは不満そうな顔を浮かべながらも言った。
つばきは押しに弱い。私はそれを利用した。きっと「いいよ」と言ってくれると思った。そういう女なのは私は分かっていた。
そして、現代。年号は令和に変わった。まだ探し物は続いている。
