case2 狐の神隠し
翌日の閉店後。喫茶つきかげにて。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」
そう言ったのは、増田尚子である。彼女はカウンター越しに立っている呉竹の方を向く。そして、ペコペコ頭を下げていた。隣には、小さい少年――健一くんの姿があった。
健一くんは、鬼が言う通り大木の傍にいた。丁寧に世話されていたのだろう、やつれたり飢えたりしている様子はなかった。
「お代は……」
増田尚子はカバンから、何かを取り出そうとした。が、呉竹がそれを制する。
「今回は、現金じゃなくてそれが欲しいです」
呉竹がそう言って指さしたのは瑪瑙のネックレスであった。
「これ?」
増田尚子が怪訝な顔をした。健一くんが母親の顔をじっと見つめる。
「どうして? これ、旦那から貰ったものなんですけど……」
「どうしてもです。必要なんです」
にこりと微笑む。しかし、口調は強い。その口調を圧迫され、増田尚子が気まづそうに俯いた。 しばらく考えて。
増田尚子は、そのネックレスを渡した。
「あなたたちはこの子の恩人なので……こんなもので良いのなら……」
呉竹はそれを受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ、お礼を言うのは私たちです!」
増田尚子は、息子を抱き寄せた。
「本当に、無事に帰ってきてよかった……」
その声には安堵の色が滲み出ていた。健一くんは、わけがわからないと言った顔をしている。あの神隠しの時の記憶は、健一くんにはないらしい。
「もう……なんで、あんな森にいたんだか……」
「肝試しだよ。変なおじさんが、あそこで肝試しが流行ってるって教えてくれたんだ」
「変なおじさん……?」
健一くんの言葉に、呉竹が反応する。健一くんは、こくんと頷いた。
「ああ。変なおじさん。黒いコートを着たおじさん」
「黒いコートってのは、こんな感じかい?」
そう言って、呉竹が見せたのはトレンチコートの写真だ。健一くんはまた首を縦に振る。
その答えに、呉竹は眉をひそめた。おそらく、私も同じ反応だ。
健一くんと子どもたちが、森に行ったきっかけは狭間綾臣だ。前回の近藤美幸の件と同じ流れである。
増田尚子と健一くんは喫茶店のドアの前で一礼した。そして、そのまま喫茶店を出ていった。
「あの子が狐の子だってのは伝えなくてもいいのか?」
私は呉竹に問うた。呉竹は肩をすくめる。
「言わない方がいいこともあるんだよ」
そう言って、呉竹はカウンターに座った。私のすぐ隣に座って、頬杖を着く。
「あの鬼、だいぶ話が分かる鬼だったよね。鬼って、日本だと悪く書かれがちだけど、いい鬼も多いよね」
「でも、あいつも元は人を襲ってたんだろう?」
「まあ、過去は過去だから」
たしかに、事の発端は狐のうっかりだったか。なんか、鬼は悪くない気がする。どっちかと言うと、狐の方がひどい。欲のままに夫がいる女に妊娠させ、悪気なく鬼の大切なものを盗んだのだ。
「この瑪瑙は俺が責任をもって返しとくよ」
呉竹が、瑪瑙のネックレスを胸ポケットにしまう。
「……先に子どもだけ返してもらったのか。よくそれでいいってなったな」
「まあ、まともそうな鬼だったからね。あと、君が強いからだよ。君にはかなわないって分かったんだね。それよりも気になるのは……」
「狭間綾臣だな」
私はその名前を呟く。今回の件でも、前回の件でもトリガーとなった男。あいつの狙いはなんなのか。
そう思ったその瞬間。
カランコロンと音が鳴った。もう閉店後なのに。呉竹が立ち上がる。
「やあやあ」
入ってきた声に、思わず身体が凍える。
「狭間……」
呉竹が名前を言った。
細い目をさらに細くして。不敵な笑みを浮かべている。
「あやしいものじゃないさ。少し、話がしたかったんだ。怪異事件専門の相談所さん」
私は身構える。呉竹も穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳は警戒心に満ち溢れていた。
「ずっと気になってたんだ」
狭間が、喫茶店内を眺める。
「K町で話題の怪異事件専門の相談所。愛想の悪いやまとなでしこと、絶世の美男子が営む喫茶店――
さて、ここでひとつ仮説だが」
まじまじと私たちを見る。まるで、蛇が獲物を見るような視線だった。
「怪異事件専門の相談所を営む喫茶店――そこで働く2人が、怪異だとしたら?」
うっすらと目を開いて。まずは、私を指さした。
「鬼と……」
その後、呉竹の方を指す。
「天人か桂男といったところかな」
呉竹の眉毛がぴくりとふるえた。狭間は、カウンターに座る。さきほど、呉竹が座っていた席――つまりは私の隣の席に座る。
「別に君たちに何かをしようっていうわけじゃない」
そう言いながら、私の顔を覗き込む。至近距離に狭間の眼前が広がった。その気持ち悪さに、思わず私は拳をふりあげ、目の前の顔を殴ろうとする。が、その前に呉竹に腕を掴まれた。そして、呉竹が私の腰を抱き、カウンターから無理やり立たせる。
狭間との間に物理的な距離が生まれた。
「ごめんね。うちのつばきは少々手が早いんだ」
「だろうね」
身体をこちらに向けた。そして、その怪しい眼差しをこちらに向けたまま、口を開く。
「君たちに調査して欲しい事案があるんだ」
足を組みながら、私たちを見た。
「私がずっと探してる天女を探して欲しい――」
その言葉が、静けさ漂う喫茶店の中に轟いた。
