case2 狐の神隠し
つばきと呉竹が、瓦木と会った日の翌日。月夜の森のなかで、1匹の狐が立っていた。もちろん、瓦木である。彼はおどおどとしながら、辺りを見渡した。
「く、呉竹の旦那ァ……本当に俺は無事に帰れるのか……?」
森に向かって。瓦木は吠える。瓦木の体はブルブルと震えていた。
「大丈夫だよ。私たちが守るから」
木々の中から、声が聞こえる。呉竹の声であった。呉竹は身を隠しており、瓦木にはその姿が見られない。瓦木は、キョロキョロと周りを見渡す。
「俺、どこ行けばいいんですか……?」
「とりあえず、あの岩に向かってくれ」
「…………分かった」
瓦木は額に汗をかきながら、歩みを進める。一気に駆け出し、あっという間に岩の下にきた。
狐はちょこんと岩の上に座った。
……しばらくして。ドスンドスンという大きな音が聞こえた。
空気が震える。ふと、風が吹いた。狐の毛並みが揺れる。
瓦木は、ぶるりと身体を震わせた。毛が逆立つ。
森の中から、“それ”は現れた。
大きな鬼だった。3メートルはあるであろう。筋骨隆々、顔も厳つい。藍色の着物を着流した男であった。鋭い眼光が、狐を見下ろす。
「狐、待ってたぞ……」
口元は弓形であったが、その瞳は恨みの籠ったものであった。
狐がその場から逃げようとする。が、鬼はそのしっぽを即座に掴んだ。そのまま、狐の身体が宙に浮く。
「おまえ! 俺の息子を返せ!」
狐が叫んだ。すると、鬼は鼻で笑った。
「やはり、あのガキはお前の子どもか……通りで匂いが同じだと思ったんだ」
「うるさい! 早く返せ!」
「まあ、慌てるな。そのうち会えるさ。俺の胃袋の中でな」
鬼が言い放つ。狐がその言葉を聞いて、その細長い目を丸くした。
「食ったのか……? 健一を」
「いや、まだだ。せっかくの機会だ。おまえの前で食べてやろうと思って、取ってある。さて、お前もお前の子どもも、俺の居城で調理して食べてやろう」
鬼は、そう言って舌なめずりをした。そして、そのまま踵を返そうとした。
その時。
「つばき、もうそろ行ってやれ」
森の中から、呉竹の声が轟いた。それと同時に、鬼の前に風が走った。鬼は一瞬、何が起こったか分からなかった。が、すぐにその手の中に狐がいないことに気づく。
「おまえ! もう少し丁寧に助けてくれよ!」
狐の叫び声が聞こえた。声は聞こえる。が、声の元からは物理的な距離を感じる。
「うるさい」
今度は深みのある女性の声だった。鬼は声の主を見る。そこに立っていたのは、黒く、長く、美しい髪を持つ平安の白拍子のような装いの女性であった。落ち首御前である。手には狐のしっぽを持っていた。乱雑にそれを握りしめ、狐の身体はぶらぶらとマヌケにぶら下がっていた。
落ち首御前は、狐の体を地面に下ろす。
「おまえは……」
「うちの鬼だよ」
鬼の背後から声が聞こえた。
いつの間にか、鬼の背後に呉竹が立っていた。鬼はその姿を見て、目を丸くする。
「きれぇな顔な男だな。女だったら、番にしてた」
鬼がにたりと笑った。呉竹が肩をすくめる。
「ごめんね。君の相手は私じゃないんだ」
そして、ちらりと後ろにいる落ち首御前を見た。
「……ラクシュ様が相手だよ」
風に溶け込むように、言葉が流れた。刹那――
落ち首御前が動いた。そして、鬼との距離をつめる。落ち首御前の身長は150センチほどである。彼女にとって鬼は、見上げるほどの大きさであった。
地面を蹴り、顔までの高さまでいたる。
そして、足をふりあげ、鬼の顔を蹴りあげた。
蹴られた鬼は勢いよく吹っ飛ぶ。近くにあった木にぶつかった。その勢いで、木がばきりと折れ、倒れる。
圧倒的な力だった。
「つばき、まだ乱暴なことはしなくていいよ」
呉竹が諌める。呉竹が倒れる鬼に駆け寄った。
「ねえねえ。なんで君はこの狐を目の敵にするんだい?」
呉竹は鬼のそばにしゃがみ込んだ。鬼は口を固く結んでいる。
「うちのつばきはとても強いんだ。君は適わないよ。私たちだって、君を殺したいわけじゃない」
そう言っても、口を開かない。呉竹が小さくため息をついた。
「もしかして、この狐が君の大切な何かを奪った……武器か何か神具と言ったところかな」
「……なぜそれを」
ようやく、鬼が口を開いた。呉竹が肩をすくめる。
「おかしいと思ったんだ。結界は破れたけど、君は人を襲ってない。元々、君は人を食らう鬼だったはずだ。力を失ったんじゃないのか?」
呉竹が静かにそう言った。それに応じて、ゆっくりと鬼の口が開く。
「その狐に奪われたんだ」
「奪われた?」
「ああ。15年前、俺の瑪瑙の首輪をこいつがな……あの瑪瑙は母ちゃんから貰ったものだ。あれをつけてる間だけ、俺は自分の力を放出できる」
ぎらりと鬼が狐を睨みつける。
「奪ったのか?」
「奪ってなんかいないぜ? 落ちてたから、拾っただけだ」
瓦木が鼻を鳴らした。呉竹が、呆れたようなため息をつく。
「それは今どこに?」
「あげちまったよ」
「……もしかして」
呉竹はピンと来たかのように、顔を上げる。
「……呉竹。この鬼の処遇はどうする」
落ち首御前は、太刀に手をかけ、呉竹に問う。
「どうしようね。瑪瑙を返すと人を殺す可能性があるし、だけど健一くんも返して欲しい」
呉竹が、ちらりと鬼を見た。
「返してくれるかい?」
「…………瑪瑙を返したら、ガキは返してやる。あの瑪瑙は俺の大切なもんだ。ただ、力を放出するためのものじゃねぇ。母ちゃんから貰った大切なものだ」
「でも、瑪瑙を返したら人を襲うだろう?」
「もう襲わねぇよ」
ちらりと、落ち首御前を見た。
「蹴られただけで分かる。この女に俺は勝てねぇ。瑪瑙があったとしてもな。
こんなバケモンみてぇな鬼がいるんだ。俺が悪さしようものなら、今度こそ殺される」
ふっと。笑った。
「俺ァ、何百年も封じられたんだ。もう、封じられるのはまっぴらごめんだ。殺されるのもな」
鬼は、呉竹の目をじっと見つめる。
「だから、俺が悪さしたら、殺しに来い」
落ち首御前の顔を見つめる。
「つばき、どうする?」
「なぜ、私に問うんだ。私は別に殺したくて殺してるわけじゃない」
つばきが大きな欠伸をした。
「わかった。瑪瑙は返そう……健一くんはどこに?」
「俺が住んでる洞穴の中だ。今は寝てるはず。ここから1里行った先に一際大きな木がある。その脇だ」
「つばき、行ってきて」
その声と同時に、落ち首御前の姿が消えた。呉竹は、立ち上がる。
そして、鬼を見下ろした。鬼は落ち首御前に蹴られた箇所を、その大きな手で撫でる。
「この近くにアトリエがあるのは知ってるだろう? 今は廃墟になってる。そこで人間文化に触れながら生活したらどうだ?
私たち、怪異が人間に溶け込んで暮らすのも、面白いものだよ」
そう言って。呉竹はくるりと振り返って、森の中に消えていった。
