case2 狐の神隠し
「そうか、あの子は健一って言うんだ」
どこか温かさのある声で、狐が言った。
「……なにか、知ってることでも?」
呉竹が問う。すると、狐の口元がゆっくりと動いた。
「……分かった。最初から話す」
狐が諦めたようにそう言った。呉竹が、今日1番の笑みを浮かべる。嬉しそうだ。正直、こいつがこんなにニマニマしてると、気持ち悪く思える。
「それだとありがたい。ほら、ちょうど着いた」
窓の外を見ると、見慣れた商店街の街並みだった。駐車場に車を停め、「喫茶 つきかげ」へ向かう。
店に入り、私はカウンターに座って。ひとつ挟んだところに、狐は座った。カウンターの机に、増田尚子から貰った写真が1枚置いてある。
「俺は狐だ。親につけられた名前はない。人間社会だと瓦木雅彦って名乗ってる」
瓦木は、カウンター挟んで向かいで立っている呉竹に向かって言った。
「最初に言っておく。お前らの思ってる通り、鬼の結界を破ったのは俺だ」
「何故?」
「理由はない。ただ、引っかかって縄が切れてしまっただねだ」
なるほど、そこに関してはただのミスなのか。鈍臭い狐だ。
「ちなみに、ここのどんな鬼なのかみたかい?」
「ああ。大柄な男の鬼だな……力は強い。とはいえ、頭は弱ぇぞ」
瓦木が鬼をバカにするようにそう言った。
「つばきとどっちが強そう?」
「その女の力がわかんねぇからなんとも言えねぇ」
瓦木は鼻で笑って、そう言った。なんか、鼻につく男である。私自身はバカにされていないが、見下されている感じがする。
「ところで、なんで鬼は君を追いかけてるんだい?」
「俺が聞きてぇくらいだよ」
瓦木の眉と眉の間に深いシワが刻まれる。どうやら、こいつにとっても鬼に追いかけられることは理不尽なことらしい。
呉竹が、「なるほど」とつぶやく。そして、真剣な眼差しで彼を見た
「……健一くんが狙われる心当たりは?」
呉竹がそう言った瞬間、瓦木の表情が固まった。そして、彼はゆっくりと、ゆっくりと俯いた。
「尚子は俺の想い人だ」
ぽそりとつぶやいた。瓦木が、手をぎゅっと握りしめる。
「尚子、めちゃくちゃ美人だろ? 俺、一目惚れしちまったんだ」
私は増田尚子の顔を思い出す。たしかに、彼女は美人だった。人間で言うなら、芸能人レベルの美人と言ったところか。
「どうしても、手に入れたいって思った。だけど、彼女にはすでに人間の夫がいた。娘もひとりいた」
瓦木のかすれた声が、店内に轟く。私たちは何の口も挟むことなく、その話を聞き続けた。
「……諦めきれねぇ俺は、彼女の夫に変身した。そして――」
わなわなと唇が震える。
「彼女と関係を持った」
……まじか。生理的な嫌悪感をいだく。呉竹も私と同じ感情を抱いたのだろう。眉をひそめている。
「そこで生まれたのが健一くんか」
「ああ。恐らくな」
たしかに、言われてみれば健一くんは父親には全く似ていない。母親似かと言われれば、それも少し違う気がする。あらためて、写真を見てみる。まだ幼いため断定はできないが、健一くんの顔はこの狐の顔とよく似ている……気がする。
「健一が森に来た日、俺、森の前に健一が来たところで彼に気づいて……それで健一と子どもたちの後を着いて行ったんだ」
「てことは、もしかして健一くんが神隠しにあったところも見てるってこと……?」
「まあ……遠目からだったけどな。とはいえ、あれは間違いねぇ。
あの鬼だ」
言い放つ。
「俺ァ、すぐに追いかけようとした。だけど、足がすくんで動かなかった」
手が震える。声も震える。
「父親失格だよな……」
微かな声で、そう呟いた。
「その後、一応俺なりに森の中を探した。んで、あの時あのボロ小屋でお前らに会ったってぇわけだ」
狐が窓から見てたあの時のことか。あれは、健一くん探しをしていたのか。
「……なるほど。なんで、私たちから逃げたんだい?」
「そりゃあ、見ただけじゃ何者かわかんないしな……しかも恐らくあんたらは人外だ。逃げるだろうよ」
瓦木がふっと鼻で笑う。
「……君はこれからどうしたいと思ってる?」
呉竹が問うた。すると、瓦木はバツが悪そうに目を逸らした。
「そりゃあ、健一を助けてぇって思うよ? だけど、力もほとんどないただの狐の俺には無理だ」
その声はだんだんと小さくなっていく。他人を見下す心は持ってるくせに、自分には自信が無いらしい。そんな狐を見て、呉竹は穏やかな笑みを浮かべた。そして――
「私たちが協力する」
そう一言。言った。
瓦木が、ガバッと顔をあげた。その瞳は光に満ち溢れている。
「本当ですかい!? 俺の代わりに健一を助けてくれるってことですかい!?」
その声ははつらつとしている。本当に嬉しそうだ。呉竹は、その穏やかな笑みを携えたまま、瓦木に向かう。
「私たちだけじゃないよ。君も手伝ってもらう」
「いくらでも力貸しますぜ!」
我が子を助けるためか。弱々しい狐のくせに随分とやる気である。
呉竹はやっぱり穏やかな笑みのままだ。……なんか、よからぬことを企んでる気がする。
喜びの笑みを浮かべている瓦木の前で、ゆっくりと呉竹が口を開いた。
「君は囮だよ」
