case2 狐の神隠し
「他の地域だと狐の神隠しの伝承って、ないことは無いらしいよ」
本をペラペラとめくりながら、呉竹が言った。
「とはいえ、あんな軟弱そうな狐が神隠しなんてできるわけないだろう」
あの狐は、そこまで大きな力は持ってないだろう。持ってたら、私に対抗していたはずだ。下手したら私たちの方が神隠しにあってたかもしれない。
「だよねえ……」
呉竹が肩を竦めながら、そう言った。
私たちがいるのは、地域の図書館であった。小さな図書館ではあるが、郷土資料の充実した図書館である。
「……やっぱり、この地域で狐の神隠しの伝承は聞かないよね」
やつは、パタンと本を閉じた。私も手元に本はあるが、めぼしいものは無いため閉じる。
呉竹がふと、どこかに消えた。どこに行ったのかと思うが、私は自分が持っていた本を書架に戻す。しばらくして、戻ってきた。手には1冊の本があった。借りてきたのだろう。
そのまま、図書館を出た。図書館の目の前に広がっていたのは公園であった。広々とした公園である。遊具は少ないが、子どもたちが駆け回っていた。
呉竹は私の隣に並び、歩いていた。
「あの土地についてだが」
そう言って、やつはどこからともなく1冊の本を取り出した。図書館の本である。先程借りた本だ。
『全国津々浦々! 怪談話』
コンビニに売ってるような薄いオカルト本である。図書館にこのような本まで置いてあるとは驚きである。作者は「マスワビ」と記してある。珍妙なペンネームだ。
「どうやら……」
ゆっくりと口を開いた。その時であった。
「おや、それは私が書いた本じゃないか」
どこからともなく、声が聞こえた。私の背後からである。私は、すぐに振り返った。
「やっぱり、動きが早いねえ。君は」
ねっとりとした、気味の悪い声。
「狭間綾臣」
呉竹が彼の名前を言った。もう夏も近づいてくると言うのに、黒いトレンチコートを着ている男――民俗学者の狭間綾臣であった。彼は猫のように細い目を弓形にして私たちをねつとりと観察する。
こいつは、前回の近藤美幸の事件で怪異をけしかけたといっても過言ではない男だ。正直、今回接触してきたのも、めちゃくちゃ怪しい。
「洛首神社であった子たちだね……えっと……名前は……」
「呉竹です。この子はつばきです」
呉竹が素直に名前を伝えた。そういえば、私たちの名前は言ってなかったか。私たちの名前を告げるなり、狭間は噛み締めるように「つばき……呉竹……」とつぶやいた。生理的な嫌悪感を抱く。そして、その見定めるような瞳で私たちを見た。
「2人とも、綺麗な名前だね」
……褒められているが、正直胡散臭さしかない。
「ところで、これ狭間さんが?」
「ああ。マスワビは私のペンネームだよ。研究者だから、本名で書いても良かったんだが……ペンネームというものを1回使ってみたくてね」
狭間綾臣が肩をすくめる。そして、流し目で呉竹が持っている本を見た。
狭間の本。それだけで、この本に対する不信感が強まる。
「ところで、なんでその本を借りたんだい?」
狭間綾臣が問うた。すると、呉竹はページを開き、それを狭間に見せた。
「森の中の廃墟の話です」
「おお、懐かしい。どこで聞いたんだっけな……ああ、元々そこにあった調査員から聞いた話だ」
そう言って。狭間綾臣はぽつりぽつりと語りはじめた。
※※※
私はK町にアトリエを建てました。人里離れたアトリエで、私はコツコツと絵を描きたいとおもったのです。それは、それは。満足するアトリエができました。
ある日の夜ことでございます。
扉をゴンゴンと叩かれました。最初はイタズラかと思いました。しかし、不思議に思ったのです。
私はこのアトリエを、森の中に建てました。しかも、ほぼ道のない森の中です。人間の来るような場所じゃないのです。
もしかして、遭難だろうか。その想いが、胸をかすめ、私は外へ出ました。
誰もいません。
再び、部屋に戻ります。
ゴンゴン。音がします。
やはり、いたずらか。
家にいた私は、窓に向かって叫びました。
「おい、こんな時間に何の用だ!」
怒りに身を任して叫びました。
すると、聞こえたのはか弱い声でした。
「助けてくだせぇ! 鬼に狙われてるんです!」
鬼だ? 私は信じませんでした。とはいえ、外に人がいる。私は扉を開けました。
……でも、誰もいません。
やはり、いたずらか。そう思った時。
ゴンゴンゴン!
さっきより、大きな音が聞こえました。まただ。私は再び叫びました。
「いい加減にしてくれ! 何時だと思ってんだ!」
すると。
聞こえた声は、さっきとは違う声でした。
「狐をだせ」
太く、低く、恐ろしい声。怒り心頭だった私の背筋が一気に凍りました。
それからしばらくして。
ゴンゴンゴンと。ずっと鳴り続けました。私は自室にこもり続けました。布団にずっとくるまって、こもり続けました。朝になって。私はアトリエを出ました。朝には音が消え、外には誰もいなくなってました。私はすぐに森を出ました。以来、あの森には行ってません。
今では、都会でアトリエを構えています。自然豊かな場所では、霊的な何かがあるのでしょう。芸術家であれば、それを楽しむのも一興ではございますが、まだ未熟な私にはそれができませんでした――
※※※
「以上だ。その本にも書いてあるものだが。これは、そこに住んでた芸術家から聞いた話だよ」
「……その芸術家は……」
「生きてるよ。ここにあるとおり、今は東京にいる」
「なるほど……」
呉竹が考え込む。おそらく、この芸術家は例のアトリエの元住民であろう。狐はきっと、あの狐だ。だが、気になるのは――
「鬼……」
呉竹が唸る。そう、鬼だ。鬼はまだ見てない。というか、狭間綾臣の中の鬼は何故狐を追いかけていたのか。
……なぞは深まるばかりである。
私が考えている間、呉竹も同じような態度であった。呉竹が顔を上げ、「狭間さん」と呼びかけた。
……しかし、彼が返事をすることは無かった。
彼は忽然と姿を消したのだった。まるで、影のように――
