case2 狐の神隠し
時刻は午後3時。カフェタイムには最適な時間である。「喫茶 つきかげ」は、数人の常連客で賑わっていた。
私――首影つばきは、そんな「喫茶 つきかげ」の従業員である。私はいつも通りカウンターに座って、新聞を読んでいた。いわゆるサボりである。
「輝夜ちゃん! ものすごく肩がこってるの! もしかして、これって幽霊の仕業かしら……?」
そう言ったのは40代くらいの女性であった。常連客の山本さんである。山本さんはカウンターに座り、マスターの男に対して悩ましげな表情を見せる。
「山本さん、多分それただの肩こりですよ。霊の仕業じゃないと思います」
マスターの男が珈琲を山本さんに出した。彼――呉竹輝夜は、そのこの世のものとは思えぬ美しき顔を携えながら、彼女に向かった。山本さんの頬がぽっと赤くなった。
ちなみに、山本さんには旦那と娘がいる。
「昨日、山本さん大きな荷物持ってたでしょう?」
「あら、なんで知ってるの?」
「大荷物を持って歩いてる山本さんが店から見えましたよ」
「あら〜」
山本さんは珈琲をひとくち飲む。
「さすが、怪異専門の相談所ね〜」
「山本さん、怪異関係ないですよ」
「それもそうね」
はははと、山本さんと呉竹が笑い合う。
ここは「喫茶 つきかげ」。さびれた商店街の中にあるレトロな純喫茶である。しかし、裏の顔として怪異専門の相談所としての顔も持っていた。
「怪異の相談とか本当にくるの?」
「ぽつぽつ来ますよ」
そう返事をしながら、呉竹は洗い物をしていた。ソーサーを拭いている。山本さんが「すごいわね〜」と感嘆の声を漏らした。
「ところで、輝夜ちゃんとつばきちゃんはなんで怪異専門の相談所なんてしてるの?」
山本さんが何気なく聞く。呉竹が穏やかな笑みを携えながら、拭いていたソーサーをコトンとテーブルの上に置いた。
「……なんとなく、かっこいいでしょう?」
「それもそうね〜」
山本さんがふふふと微笑む。ちなみに、山本さんは怪異とは無縁の人物だ。呉竹が話す怪異専門の相談所なんて話、信じてもいないだろう。ただのジョークだと思ってそうだ。
とはいえ、山本さんに限らず、常連客のほとんどはこのような認知だ。令和の世は怪異が忘れ去られた世なのだ。
……山本さんだって目の前にいる私たちが怪異であると、考えたこともないだろう。
「今日もありがとうね。ごちそうさまでした」
そう言って、山本さんが出ていった。しばらくして、喫茶店の中のお客さんは誰ひとりいなかった。
時刻を見ると15:27:。今日は時短営業なので、16:00閉店。15:30にラストオーダーだ。つまり、15:30までにお客さんが来なければ帰られる。
待ちわびた閉店時間だ。もう終わるぞ。
時計をじっとみ続ける。針がことんと動く。1分が過ぎたのだ。
……よし、あと2分だ……
そう思った――
カランコロンと鈴がなる音がなった。
「すみません、まだやってますか?」
そう言って入ってきたのは、30代ぐらいの女性だった。なかなか端正な顔立ちの女性である。白いブラウスに、ベージュのスカートをあわせた、清楚そうな女性だった。胸元には、赤褐色の石がついたネックレスが光る。瑪瑙だろうか。
……まだ、帰れなさそうである。心の中で舌打ちを打ちながら、私はふたたび新聞を読む。
「やってますよ」
呉竹が穏やかに言い放った。そして、彼女をカウンターに促す。先ほど山本さんが座っていた場所だ。
「メニューはこちらです」
そう言って、呉竹が女性にメニューを渡す。
「すみません……私、喫茶店じゃなくて……」
その一言で。私たちは彼女が何を言いたいか察した。
「……何かあったんですね」
呉竹がそういうと。女性はこくんとうなづいた。呉竹の瞳が真剣なものとなる。
「息子が神隠しにあいました」
女性がそう言い放った。
女性は、増田尚子と名乗った。小柄であるが、目鼻立ちのはっきりした可憐な女性であった。専業主婦であり、息子を1人育てているらしい。
「神隠し……ですか。ちなみに、息子さんはおいくつで?」
「9歳……小学校3年生です」
「やんちゃ盛りですね」
呉竹が珈琲を差し出す。増田尚子がそれをひと口飲んだ。
「1週間前のことでした。息子は友だちと森の隣の公園で遊ぶと言って、出ていったんです」
「森の隣……というと、鬼居山の麓の森ですか?」
「ええ」
鬼居山。洛首神社のすぐそばにある山だ。ここはかつて、私が何百年もの間籠っていた山であった。今も、探せばかつての私の居城があるはずだ。
その近くの森というと、私も心当たりがあった。
規模の小さい森であるが、鬱蒼と生い茂り、人が入る場所ではない。たしか、この間見た時、森の中の大きな岩に、結界のためのしめ縄が張ってあったような気がする。この間といっても、十数年前の話であるが。
「公園で遊ぶと行った日の夜、うちの息子は帰ってきませんでした。すぐに警察に届出を出して、一緒に遊びに行った子どもたちの家に連絡しました」
増田尚子がソーサーをコトンと置いた。その音が、静かな店内に響く。
「その時、子どもたちが言ったんです。うちの息子――健一は神隠しにあったって」
言い放つ。呉竹は、彼女の俯いた顔をじっと見つめる。
「公園に行くって言ってましたが、実はあの森に入る約束をしてたんですって。ただの肝試しのつもりだったらしいです。
私、最初は神隠しだなんて、馬鹿げてるって思いました。
でも、警察もまだ息子を見つけてくれなくて……」
増田尚子の声に悲嘆が滲む。カップを持つ手が小刻みに震えていた。
「健一くんだけが神隠しにあったんですか?」
「ええ。他の子たちは無事に帰ってきました」
掠れた声で増田尚子はそう言った。
「……これが息子の写真です」
そう言って震えた手で彼女が見せたのは、1枚の写真であった。母親、父親、姉、息子が写った家族写真である。彼女はその中のひとりの少年を指さした。
息子は母親に似た端正な顔立ちの少年だった。その隣には、中学生くらいの年代の姉と父が立っていた。2人はそこまで綺麗な顔立ちではない。極端に容貌が悪い訳では無いが、十人並だ。姉は父親似なのだろう。
「やんちゃだけど……すごいいい子なんです」
瞳にうっすらと涙を携えて。増田尚子は呉竹に向かう。
「お願いです。呉竹さん。息子を探していただけませんか……?」
