case1 洛首神社のおまじない


「起きて、つばき」

 ぬくぬくと穏やかな眠りについている頃。誰かの声で私は目覚めた。男にしては軽やかで、女にしては低い声であった。ふと、時計を見ると時刻は6時。起きるのにはあまりにも早すぎる。私はその声を無視して、布団に包まりつづけた。

「つばき、ほら、開店の時間だ。今日も働いてもらうぞ」

 聞きなれている声が眠り続ける私に語りかけ続ける。私はイラッとしながら、寝返りを打った。私の「快適なひきこもり極楽生活」が、地獄へと変貌してしまったのはこいつのせいである。こいつなんかに負けるものか。

「ほら、はやく起きて」

 そう言って、声の主は私の布団を捲り上げた。私は仕方なく目を開く。そこには声の主が立っていた。背の高い男であり、私をじっと見つめている。その顔は、この世のものとは思えぬ雅で清らな顔だった。が、装いは白いシャツに黒いズボン、黒いエプロンという非常に現代的なものである。

「うるさいぞ、呉竹」
「つばき……働かざる者食うべからずだ。早く来なさい。君が起きるまで、私はここで君の名前を呼び続けるからね」

 声がでかい。こいつがいる限り、私の「快適ひきこもり極楽生活」はないに等しいことを実感する。

 私はちっと舌打ちをした後に、ベッドから起き上がる。こいつが、ここにいられ続けては何もできない。なにせこいつは執拗い。私が起きるまで、延々と睡眠の邪魔をし続けるだろう。

……こいつに邪魔され続けるよりは、まともに仕事するふりをしながらさぼる方がマシである。

 重い脚をゆっくりと動かして、私は仕事場に向かった。
 
 現在、私はK町というところに住んでいた。ここは、自然や歴史のある建築物が今も残る街である。よく言えば「いい味が出ている」、悪く言えば「さびれた」……そんな商店街であった。

 商店街の中にある純喫茶――これが私の現在の居城、「喫茶 つきかげ」であった。私は、ここで、喫茶店のマスターであるあいつ――呉竹輝夜から寝床を借りながら、馬車馬の如く働かされている。

 私は着ていたジャージを脱ぎ、身支度をして、店に出た。アンティーク調の家具が並び、凝ったデザインのガラス窓からは朝の優しい光が差し込む。雰囲気は昭和初期の純喫茶といったところであろう。店内はカウンター数席、テーブルも数席というこじんまりしたとしたものであった。

「つばき、今日もよろしくね」

 呉竹が憎たらしい笑みを私に向けた。そして、彼は外に出て、「close」と掲げてあった札を、「open」に変えた。開店の時間だ。

 私はぼーっとカウンターに座り、新聞を見る。文字を読むわけでなく、なにげなく、ぼーっと眺めているだけであったが、ふととある記事が私の目に入った。

「おい、呉竹」
「なに?」
「これ見ろ」

 私は、呉竹にその記事を見せた。呉竹は、目を細めそれを見る。

「K町高校で自殺者……?」
「これ、あそこの神社の向かいにある高校だよな」
「ああ……あそこだな」

 そう。新聞に載っていたこの高校は私たちが今いる喫茶店から、すぐ近くにある高校であった。歩いて10分もかからないところにある。 呉竹の使いっ走りで、何度もこの高校の前を横切ったことがあるが、何の変哲もない普通の高校である。

 記事を見ると、亡くなったのは高校2年生の女の子らしい。学校の屋上から飛び降りたそうだ。

「いじめとかあったのかな」
「さあな」

 気の毒だとは思うが、私にできることは何もない。新聞をめくり、次の記事を眺める――その時であった。

 カランコロンと、鈴が鳴った。それは喫茶店の扉が開き、来客を告げる音だった。

「いらっしゃいませ」

 呉竹が穏やかな声色で告げる。

 客は若い女であった。20にも満たないであろう。その証に、彼女は制服を身にまとってる。彼女は不安そうな表情を浮かべていたが、呉竹の清らで美しい顔を一目見るなり、頬を赤く染めた。呉竹の顔は女好きのする顔なので、こんな女性も珍しくはない。

「こちらの席をご利用ください」

 そう言って呉竹が案内したのはカウンター席であった。私と1席間をあけたところの席である。呉竹は彼女にメニューを渡す。すると、彼女はあわてた様子で、彼を見上げた。

「あっ……私、カフェの利用じゃなくて……」

 その言葉に呉竹は彼女の目的を悟ったようだ。目を細め、彼女を見つめる。

「ああ。ご相談ですね」

 女子高生はこくんと頷く。呉竹が私に目配せをした。私は、彼の意図を察し、外の「open」の札を再び「close」に戻す。

 ……そう、この喫茶店はただの喫茶店ではない。

 「怪異専門の相談所」としての顔を持つ喫茶店である。鬼である私はそんな相談所が持ってくる面倒ごとに、日々巻き込まれているのだ。
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