本編


あのあと兄とアラン様に事の顛末を報告し、私たちは舞踏会に戻るよう言われた。

「殿下、先程は手伝っていただきありがとうございます」

私が殿下にお礼を言うと、彼はいつも通りの穏やかな笑みを携える。彼自身も魔力をだいぶ使ったはずなのに、そんな様子は露ほども見せない。

「オリヴィアこそ、ありがとう」

フィーリオ殿下の綺麗な顔が、月夜に照らされる。 本当に美しい顔であるが、今の私にはその顔が「美しい」というだけの存在ではなくなっていた。安心感を与えてくれる顔──どんなつらい時でも、彼さえいればと思ってしまう。

これ以上彼と絡むと、気持ちが抑えられなくなってしまう。私は、くるりと彼に背を向けた。

──と同時に、ふらりと私は身体のバランスを崩した。咄嗟に支えに来てくれた殿下の身体に、体重を預けてしまう。

「大丈夫?」

「だいじょばないかもしれないです……」

足に力が入らない。かろうじて歩けるが、足が棒だ。踊るのは無理だし、1人で立つのもきつい。

私は殿下に支えられながら、自分の馬車に向かった。殿下は馬車に乗るところまで支えて下さり、お見送りまでしてくれた。

「じゃあね、オリヴィア」

「ええ。本日は本当にありがとうございました」

手を振る。殿下はそんな私の手をとった。そして、そのまま手の甲に口づけをする。

……え。

口づけられた箇所が熱を帯びたようだった。いやそこだけではない。今の私の顔はゆでダコのように真っ赤であろう。身体中が火照っているのを感じる。

「また、絶対会おう」

殿下が、「絶対」を強調させる。

馬車が動きはじめた。

「ちょっ……殿下……!」

この口づけの意味が聞きたい。でも、もうすでに殿下と私の距離は話せるような距離ではなかった。

モヤモヤとした気持ちを抱きながら、私は帰路につくのであった。

※※※

舞踏会が終わって数日後。あの出来事がなにもなかったかのように、静かで平穏な日々だった。あの時のフィーリオ殿下との甘い時間は忘れないわけではないが、その時間は夢でこの平穏な日々が現実なのだと実感する。

ちなみに、あの舞踏会の日の異世界転移魔法の件はそこまで大きな騒ぎにはならなかった。当事者の子たちには、体調不良のため別室で看病したということになっている。記憶が曖昧なので、それで納得してくれたようだった。

私はいつも通り、学校生活を送っている。フィオナとの関係もいつも通りだ。

「あそこの本店がね、ミゲル・ラプロスの新作出てたよ」

「本当!? どこも売り切れだったのに……」

いつも通り何気ない話をする。いつも通り授業を受ける。いつも通り……いつも通りの日々。

そう、自分に信じ込ませる。夢など思い出させないように。

「オリヴィア嬢」

フィオナと話している最中、ライカ先生に話しかけられた。ライカ先生は、メガネをクイッとあげ私に向かう。

「もうする新学期が始まるから、相談したいことがあるの。ちょっと学園長室まで着いてきてちょうだい」

なるほど。生徒会長としての仕事についての相談らしい。

私は頷き、ライカ先生に着いていく。学園長室は前回来た時となにも変わっていなかった。椅子の上に、学園長が堂々と座っている。

学園長は優雅に紅茶を飲んでいた。私とライカ先生が室内に入るとすぐに、私の存在に気がつく。

「……やあ、モルセット嬢」

彼は中年男性特有の余裕のある態度で、迎えてくれた。

「君みたいな優秀な女性が生徒会長になってくれて、私は誇らしいよ」

「ありがとうございます」

綺麗な一礼をこころがける。私はライカ先生に促され、ソファに座った。

「お茶、飲むかい?」

学園長に聞かれた。せっかく誘ってくださるのに理由もなく断るのも少し失礼な気がする。

「……では……」

私がそう言うと、学園長は私にお茶を注いでくれた。

「ありがとうございます」

ひとくち飲むと、柑橘系のいい香りが広がる。アールグレイだろうか。

「オリヴィア嬢は最近の調子はどうだい?」

学園長に問われたので「まあまあですかね……」と答えた。別に学園生活では、良くも悪くもないといえよう。

私が返すと学園長がにこやかに微笑む。

余裕ある大人の表情──逆に言えば、さまざまな経験を経て、さまざまな修羅場を超え、それに対応する力をつけた隙のない大人の表情であった。

「ところで──」

学園長がコトっとティーカップを置いた。そして、顔色ひとつ変えずに私に向かう。

なぜか、背筋に冷や汗が伝う。

「君はどうやって異世界転移を阻止しているのかな?」

学園長が問うた。

こ、こいつが……? 犯人……?

彼と目が合う。やはり、その顔は余裕のある大人の表情で。堂々と「自分が黒幕です」ということを明かしてるのに、こんな態度が変わらないのが恐ろしかった。

ライカ先生もこの場にいる。彼女も驚く気配はない。部屋の壁に佇むのみだ。ということは、彼女も協力者か。

まずい。逃げるか、対抗するかしなければ。

私は立ち上がる。すると、ふらっと視界が震えた。

……あれ……?

「ごめんね。君の行動力と魔力が邪魔だったから」

学園長が自分のティーカップを揺らした。

あの紅茶のせいか!

意識が朦朧とすることは無いが、身体に力が入らない。ソファにうなだれてしまう。学園長がこちらにやってきた。

「なにを……」

学園長は私の手をとり、まじまじと観察する。

「魔力量が人よりも多そうだね。だけど、レナード・モルセットよりは少ない。なんで、彼女だけ転移を阻止できるのか……」

学園長が私の顎をクイッとあげる。眼前に学園長の顔がせまった。深いシワが刻まれているのがよく分かる。

魔力も奪われたようだった。魔法が一切使えない。

「ああ。この人よりも立派な責任感と正義感が、自ずと術になってるのか」

学園長が嘲るように笑った。

「なんでこんなことを……?」

私は問う。すると、学園長は私の顎から手を離し、私の隣に座った。そして、そのまま肩を組む。

「君は愛する人はいるかい?」

いきなり、何の話だ。私は首を傾げる。答える気のない私を見て、学園長は肩を竦めた。

「私の場合は愛する人が異世界の人間だったんだ」

「異世界の人間……」

「そう。40年くらい前だな。私がまだここの学生だった頃。ひょんなことから、ニホンから転移してきた女の子に会ったんだ」

学園長の瞳が憂いを帯びたものと変わる。この男に感情が見えたことに驚いた。

「まあ、面白い子で私はすぐに惚れたよ。だけど、彼女は元の世界に帰っちゃった。もともと事故でこの世界に来て、「帰りたい」っていう気持ちが大きかったんだ。自分で異世界転移魔法について研究して、自分で帰っちゃった」

学園長が肩をすくめる。 自分で元の世界に帰るまでの女性──よっぽど魔力と胆力がある女性であったのだろう。そのような女性がいたことに少し驚く。

学園長はさらに話を続ける。

「私はその子を見つけ出したい。だけど、異世界転移魔法はまだ全然解明されてない分野でね。

元の世界に戻った彼女が1番異世界転移魔法に詳しかったけど、なんの資料も残さず帰ってしまったから」

学園長がちらりと私の顔を見た。そして、完璧な大人の顔を見せる。

「だから、自分で研究することにしたんだ」

……あまりにも自己中心的だ。要するに、その女の人に会いたいから、異世界転移魔法の研究を行っているのか。しかも、彼女は自力で帰ったのだ。確実にこの世界に戻りたいとは考えてない。

学園長は魔法学の研究者であり、その分野の第一人者だ。それがこんなことに使われるとは嘆かわしい。

「ちなみにライカは私が転移させた人間だ。だから、協力してくれてる」

ライカ先生も……巻き込まれているのか、自分の考えで行っているのかは分からない。しかし、舞踏会の時の女性は「女の人に襲われた」といわれた。おそらく、彼女だろう。

兄に告げなければ。アラン様に告げなければ。フィーリオ殿下に告げなければ。

頭によぎるが、なにも出来ない。

……どうする……! 考えても、考えても身体が動かないし、魔力も奪われたからなにも出来ない。

どうすることもできないのか。悔しさで涙が一筋伝った──その時。

学園長室の重い扉が開いた。

「全部聞いたよ、学園長」

あらわれたのは、フィオナであった。
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