本編

執務室には、すでに兄とアラン様がいた。アラン様の脇には拘束されているアリスが椅子に座らされている。この間、アリスがアラン様が仕立て屋に入っていく現場を見たが、今のふたりは恋仲のようには見えない。アリスはぐったりとうなだれ、椅子に座っている。

「遅かったな」

兄が聞く。殿下は肩を竦めながら「まあね」と返した。

よかった。さっきのエドワードとのことは言わないでくれた。アリスもアラン様もいる場だし、今はアリスの尋問の場だ。ここであの件を大事にしたくない。

「んっ……」

アリスが私の存在に気がついたようだ。私の顔を見るなり、「はっ」と嘲るように笑う。

「いい気味だって思ってんでしょ」

それは私に向けられた言葉であった。彼女の瞳には怒りの色が浮かんでいた。

いい気味だとは思ってない。私はアリスに、その感情を抱くまでの怒りと対抗心をもともと持ち合わせていないのだから。

アリスは私の隣にいるフィーリオ殿下を見た。そして、舌打ちをしながら俯く。

「いいわよね。あなたはこの世界でも、ゲームの世界でもフィーリオ王子が守ってくれて」

何の話だろうか。首を傾げていると、兄が補足説明をいれた。

アリスは異世界から転移してきた女性であった。アリスの世界で私たちは‘’ゲーム”の登場人物だったという。その“ゲーム”とやらが女性プレイヤーが男性キャラクターと恋愛をするゲー厶らしい。

アリスはその登場人物と出会うため──とくにエドワードのことが好きで、彼と出会うためにこの世界にやってきたのだ。そこまでの愛を抱いているアリスには申し訳ないが、今の私にはあの男のいいところがさっぱり分からない。

「あんたのせいで、上手くいかなかったんだから」

アリスがぼそっと言った。彼女の目は赤く、涙で濡れていた。髪の毛もボサボサでいつもの自信溢れる姿は見る影もない。

「あんたが原作通りにフィーリオ王子と婚約してればよかったのに……なんで他の男と……しかもエドワードと婚約してるのよ!」

アリスが赤くなっている眼で私を睨みつける。

私とフィーリオ殿下が婚約なんてするわけない。そんな話はでたことがないのだ。

アリスの息がだんだんと上がっていく。

「あんたが……あんたがっ……!」

逆恨みだ。なんで、私が怒られているのか。そうは思うが、目の前にいるアリスがあまりにも哀れな女の姿すぎて怒る気にもなれない。

アリスはその先の言葉が出てこないのか、言葉を発さず、こちらを睨みつけるのみだった。しばらく黙りこくったあと、彼女は私から視線を外しゆっくりと俯いた。

「勝てるわけないじゃん……」

アリスはこちらに聞こえるか、聞こえないかくらいの声でぽそりと呟いた。

レナードが私とアリスの間に割り込む。

「俺のオリヴィアがあんたに勝てるわけないのは当然だけどさ……もうそろ、あんたがここに来た黒幕を教えてくれ」

口を開く気配はない。兄が頭をかかえた。

「ずっとこんな調子なんだ」

兄はため息をつく。アラン様も同様の表情であった。

アリスは息を切らしながら、ひたすら俯く。私はそんな彼女にスタスタと歩み寄った。私の行動を見て隣にいたフィーリオ殿下や兄がぎょっとした表情を浮かべた。

アリスの前にしゃがみこみ、目線をあわせる。微かであるがふーっ、ふーっと彼女の息が荒い。少し興奮しているのか。

「……勝てるわけないって言っても、あなた私からエドワードを奪ったんだから、最終的には勝ちじゃないかしら?」

「そんな今更ご機嫌とろうったって……」

「事実、そうじゃない。私は『浮気された女』であなたは『浮気した女』──つまり、私は『恋愛に負けた女』で、あなたは『恋愛に勝った女』よ」

「でも、結局エドワードは私の望んだ相手じゃなかった」

「とはいえ、あなたがエドワードの心を射止めたのは事実だわ。愛嬌もあざとさもあるし、その力がほかの方向に働けば──」

「私を哀れまないで!」

アリスが声を荒らげた。怒らせたかと思って顔を覗き込むが、彼女の顔はさっきの己の感情が昂っているものではなく、どこか辛そうなものであった。

少し冷静になったか?

執務室内に沈黙が流れた。誰も話を切り出そうとはしない。アリスの言葉をひたすら待つ。

しばらくして。アリスの鼻をすする音が聞こえた。そして、彼女はゆっくりと、唇をわなわなと震わせながら口を開く。

「なんか……心まで負けてるとか……もう……本当に……」

ぽつりと言葉をこぼすアリス。彼女の瞳から一筋涙がこぼれた。

「自分でも自分が惨めで仕方ない」

蚊の鳴くような声で言った。

「あんたは見た目も性格も才能も人並外れた完璧人間だから分からないだろうけど、自分の嫌いな相手が自分をすべて上回ってると──特に人間としての格の違い見せつけられると、本当に惨めになるのよ」

吐露する。私もできた人間じゃないから、その嫉妬と敗北感で惨めになる気持ちは分からない訳では無い。

「私よりも可愛くて、私よりもスタイル良くて、頭はずば抜けてよくて、人望もあって……性格も素晴らしい」

「なにひとつ勝ってないじゃん」と、アリスの口からこぼれ落ちた。

「私のこと買いかぶりすぎだ」と言いたいところではあるが、それを言うと火に油を注ぐことになるだろう。

「アリス。たくさんの人が犠牲になってるの」

私は問いかけた。そして、アリスの手をとる。アリスは目を大きく見開く。それと同時にまた大粒の涙がこぼれた。

「なにか情報があれば、教えてほしい」

彼女に訴えかける。彼女の顔を、目を見て。

数刻場を沈黙が支配した後、彼女は小さくため息をついた。

「分かったわよ……でも、私もなにも分からないってのが私の答えよ」

アリスがぶっきらぼうに言う。言葉と態度は私の求めるものではなかったが、彼女の言葉は事実っぽい。

「あっちの世界で声が聞こえたの」

「声……?」

「ええ。この世界に来ないかっていう誘いね。その声に応えて、ここに来た。ただそれだけ」

誰かがこの世界に人を呼んでいるというのか。私はさらにアリスに問う。

「どんな声だったの?」

「……男性の声だわ。だけど──あの声どこかで……」

聞いたことあるのか……?

アリスが何かを考えるように、上を向いた。だけどの後の言葉を紡ごうとする。しかし、しばらくして深いため息をついた。

「……なんでもないわ。気のせいね」

「気のせい?」

「ええ。聞いたことがあった気がしたの」

アリスのそんな言葉が執務室に轟いた。
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