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激短編

別れよ、もう限界だと思う。
彼女の口から発せられたその音。 一つ一つの音が組み立てられなくて、ようやく理解したのはたっぷり10秒後。はく、と開けた唇から音にならない息が漏れる。今朝だって、さっきだって、そんな雰囲気ではなかった。いつもの様に楽しく笑いあっていたはずなのに。
「な、んで。」
ようやく降り出した言葉はみっともなく動揺していて。彼女はそんな俺にごめんね、と呟いた。
「今の雅治、私といても楽しそうじゃないもん。」
「そんなこと!」
無いじゃろ。そう言葉にしようと思って、口を閉ざした。彼女の前で笑ったのは、いつが最後だろうか。けど。彼女はそんな俺の心を見透かしたかのように、唇の端を上げた。
「私さ、好きだよ。好きなことに全力で、意外とまわりの皆のこと大切にしてる雅治のこと。」
だから。彼女の唇から紡がれるその言葉の続きを聞きたくなくて、かぶりを振る。聞きたくない。聞きたくない、聞きたくない。
「おまんが好きじゃ、それでええじゃろ。」
殴るように彼女に言葉をぶつけた。彼女が好きだ。それでいい。彼女がいるなら、全部を投げ捨てたっていい。当たり前に彼女を優先するし、大切にする。それのどこかに問題があるのか。
「だって私と一緒じゃ、雅治は幸せになれないもん。」
「今が幸せじゃ。」
「嘘。友達も、家族も、もっと大切にしないと駄目だよ。私じゃ雅治を幸せにできない。」
そんなことはない、と思いが泣き叫ぶ。おまんが居れば幸せで、それは事実で。だから友達との約束よりも、家族の用事よりも、彼女の傍にいることを優先した。それの何が駄目なのか、皆目見当もつかない。
「幸せじゃ、幸せやき!……棄てんといて……。」
そうだ、彼女が俺の手を手放してしまわないように、俺が縋り付けばいい、みっともなく、不格好に。そうすれば、優しい彼女は俺を見捨てられない。
「ずるいよ、雅治は。」
彼女は哀しそうに目を伏せて、一つ、俺の頬にキスを落とした。
「そうすれば、私は罪の意識を感じるって知ってるもんね。」
彼女の声はやっぱり優しくて、りんと澄んでいる。
「でもね、やっぱり戻っちゃ駄目なの、私たち。」
「なんで、俺の駄目やったとこは直すき、」
「そういう問題じゃないの、分かってるでしょ。」
その声に答えることはできなかった。彼女は薄く笑って、それから光の加減だろうか、少しだけ潤んだように見える瞳で、笑って見せた。
「……さようなら、仁王くん。」
がらがらと、今までの全てが崩れていくような気がした。音が遠くなって、光が暗くなる。離れていく彼女を抱きしめて、ごめんと、愛していると、伝えなくてはいけないと、理性が必死に命令しているのに頭が動かない。彼女は最後にもう一度振り返って、その後すぐにぱたんと、扉の閉まる音が響いた。
呆然とその光景を見るしかない自分の心の中に、黒い靄が渦巻く。チッ、チッ、と時間だけがいつも通りに時を刻むことを知らせて、ドク、ドク、と今更になって酷い動悸がする。
「いや、じゃ。」
彼女が出ていって、たっぷり10分は経ってから。ようやく乾いた口から掠れた音が出れば、それは止まらなくて呪いのように溢れ出す。
「いやじゃ、いや、置いていかんといて、捨てんといて、おまんがいればえぇから、おまんしかいらんから、他は全部いらんから、やから、」
戻って、きて。その音は言葉にならなくて、誰もいない部屋に吸い込まれてゆく。久しぶりに感じる静寂に胸の中の穴がぽっかりと吸い込まれてゆきそうで。
自分は今、世界の全てを失ったのだと、気が付いた。
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