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キャラソンシリーズ


03.Oblivion...



「…ちっ、もうこんな時間か…」


ふと、手を止め、顔をあげた先にある時計を見て溜め息を吐いた。

周りを見渡せば、広いこの部屋には自分1人しかいない。

灯りも、自分の作業をしていたデスクのライトとパソコンしか点いていない。


「締切まで後1日か…」


そうは言ってみるものの、作業を再開するでもなく椅子ごと後ろを振り返った。

そこに広がるのは、眩しいほどの東京の夕焼け空。

壁一面がガラス張り、しかも立地条件が非常に良いために、そこら辺の展望台より眺めが良いと社員には人気だった。


「…英二、」


しかし誰より、此処を気に入って訪れていたのは菊丸英二、その人だった。


「…お前は、…」


あれから、どれくらいの時が流れただろうか。

少なくとも1、2年などという短い時間ではなかったのは確かだ。

今では大分落ち着いたが、それでもやはり胸が痛む。


「あの日も、確かこんな空だったよな…」



───────………‥‥



「残念、だったね…なんて言ったら怒るだろうけど」

「別に怒りゃしねーよ」


全てを懸けて挑んだ、自分の人生の中で最高に力を発揮した全国大会。

しかし結果は心とは裏腹に敗北という形で幕を閉じた。

もちろん悔しいという気持ちはあったものの、怒っていないどころか、不思議なくらい清々しい気分だった。


「…ねぇ?」

「アーン?」


きっとそれが伝わったのだろう、その話題についてはそれ以上何も言わなかった。


「…んーん、なんでもない」

「アン?…ったく…」


そしてそのまま、大きな夕陽をバックに唇を重ねる。

出逢いがあれば別れがあるのは当然のことだ。

どれだけ一緒に夢を追いかけた仲間であっても進む道はそれぞれ違う。

それでも、今の自分とコイツだけは例外だと、我ながら甘いことを考えていた。


しかし数年の後、アイツは何も言わずに俺の前から姿を消した。


「…英二…?」


それはいつもと同じようで、しかし明らかに何かが違う朝だった。

跡部財閥があれだけ大会社なのだから子会社と言えども並みの大きさではない。

そんな子会社のひとつとそれなりの大きさの家を大学進学と共に与えられ、極自然な成り行きで一緒に暮らすようになった。


「いねぇのか…?」


どこに行くでも俺に言わずに行くことなど今までなかった。

それが、今回だけは何も聞いていない上に、書き置きすらも置いていない。

嫌な予感が脳裏をよぎった。


「…………」

「(お掛けになった電話番号は現在使われておりません…)」


それから俺は会社も大学も投げ出して英二を探し続けた。

しかし、あらゆる会社の権力や知り合いの協力を得ても有力な情報は何一つ得られなかった。



そして見つけ出した時には、英二は既にこの世にいなかった。


「…畜生…っ!」


暫く俺はコイツの墓の前から動くことが出来なかった。

そんな姿を見ていたコイツの姉が、事の次第をゆっくりと話してくれた。

始終、何度も何度も謝りながら。


「…英二はね、本当はこの歳まで生きられたのが奇跡なくらいだったの」

「…じゃあ、俺と逢う前から…」

「そう。長くはないってあの子、自分でもちゃんとわかってたわ」


まさか、あの笑顔の裏に大きな爆弾を抱えていたなんて。


「でも、凄いでしょ。病気を宣告された後でも家の中で一番明るいのは英二だった」


それは、家の中だけではなかったというのは俺もよく知っていた。

だからこそ、事実に気付いてやれなかったということが悔しくて堪らない。


「…あの子ね、ワガママに見えるけど、本当は誰よりも相手を大事に思う子なの」

「…そう、ですね…」


ふと、今まで前を向いて話していた彼女がこちらを見て微笑んだ。


「…貴方のことよ」

「は…?」

「あの子は私にだけは何でも話してくれたわ」


英二とそっくりな、赤い髪をなびかせながら懐かしむように夕暮れ空を見上げた。


「楽しいことも苦しいことも、一番に話してくれた」

「………」

「…英二ね、本当は貴方と付き合うつもり、なかったのよ」


あの時俺の告白を渋っていたのは、世間の目を気にしていたんじゃない、迷惑を掛けないためだと今更わかった。


「『ホントに跡部が俺のこと好きなら、悲しませるだけだ』って言って」

「…アイツらしい…ですね」

「ごめんなさいね。」


悲しげに呟く彼女が、一瞬アイツと重なって見えた。


「『それでも、好きだから一緒にいたい。その時まで』」

「……っ!」

「『これが最初で最後のワガママだから。
俺がいなくなったら忘れてくれていいから。
だからそれまでは、跡部の一番でいたい』」


痛い程のアイツの愛に。

もうまともに顔を上げられなかった。


「ごめんなさいね。もう、いいのよ跡部君。自由にしてくれて」

「…そんな…」

「今まで、ありがとう」


そう言って彼女は一枚の封筒を差し出した。


「英二からよ。死ぬ間際に書いてたの。貴方にって」

「ありがとう、ございます…」


にっこり笑って首を横に振り、静かに去っていった。



───────………‥‥



はたと気付けばもう外は漆黒の闇に包まれていた。

眠らない街東京に相応しく、眩しいほどの夜景が目の前に広がっていた。

それが明らかな時間の経過を物語っていて、嫌でも現実に引き戻された。


「…アルバム、か…」


ふと、目に付いたのは中学卒業あたりからやたらと写真を撮りたがるようになった英二と俺との、約5年の歳月を記録した数冊のアルバム。

ここ最近見ていなかったそれを一枚一枚捲りながら見る。

それには英二がお気に入りだったこの部屋の眺めの良い風景をバックに笑う2人の姿も写っていた。


「…懐かしいな」


言葉とは逆に、懐かしいなどとは思わなかった。

アルバムが無くとも、どんなに時が流れようとも、鮮明に思い出せる。

忘れたことなどなかった。
いや、忘れられる訳がない。


「…永遠、か…」


そしてその写真の下に書かれていた英二の文字。

長くはないと知りながら、これを書いたアイツの思惑だけが今もわからないまま。


「…ん?」


しかしその時、一枚の封筒がアルバムの間から滑り落ちた。


「…英二」


それはあの時、英二の姉にもらった、謂わばアイツの最期の言葉。

実は、中身をまだ見ていない。

英二の死に目を見ていない俺にとって、俺の中の時はあの頃から止まったままで。

いつかまた俺の元に帰ってくるんじゃないかと思うと、見ることが出来ないでいた。


「…情けねーなぁ…」


しかし、もう10年以上の時が経っても尚、このままでは流石に駄目だろう。

意を決して封筒を開いた。



───景吾へ

久しぶり、って言った方がいいのかなぁ。

ごめんね。
急にいなくなって。

病気のことは姉ちゃんから聞いてるよね?

始め告白されてすごい嬉しかったけど、OKしても長く一緒に居られないってわかってたから断ろうと思った。

…でも、ダメだね。

好きな人に、景吾に好きって言われて、断れなかった。

ホントはちょっとだけ一緒に居たら、浮気でもなんでもして景吾から別れようって言わせるつもりだったんだ。

だけど、あまりにも楽しくって幸せで。

いつの間にか身体が悲鳴あげるまで、気付かないフリしちゃった。

気付かなかったでしょ?
いつも忙ししそうだったし、疲れてたもんね。

けど景吾ってホントは優しいから気付かなかったの責めるでしょ。

でも、いいよ。

俺が隠してたんだし。

それから、何も言わずにいなくなったのはね、勝手にいなくなるような奴なんか知るか!って言って、忘れてくれればいいかなって思ったから。

…でも、きっと今これを読んでるってことは、まだ忘れてないんだよね?

だったら、ひとつ、最後にお願いがあります。


…俺のこと、忘れないで。

景吾が悲しまずに生きていけるならそれでいいって思ってたはずなんだけどさ。

やっぱり、死を目前にするとすごく怖い。

好きで好きでたまらない人に忘れられるなんて悲しいから。

だから、忘れないで。

隣に誰が居ても構わないから。

景吾さえ覚えていてくれたら、それでいいよ。


…それじゃあ、景吾。

ずっと、傍にいるから。

振り向かないで、前に進んで。
忘れないでって言ったくせにって思うだろうけど。

やっぱり、景吾は景吾らしく、生きていってね。


ずっと、大好きだよ。───



「…英二っ…!」


涙が溢れて止まらない。

英二の所在に辿り着いた時でさえ、流さなかった涙が10年の時を越えてとめどなく流れる。

漸く、全てが繋がり、英二がこの世にいないと実感した。


「…忘れるわけ、ねーだろ…」


アイツと過ごした日々が、走馬灯のように流れていく。

そんな日々が俺の凍り付いた心を溶かしていく。

何もかも、充実感のない生活を送っていた俺を癒していく。


「…サンキューな…英二」


今まで止まっていた時が、ゆっくりと動き出した。

そして、今まで流されて生きてきた人生に終止符を打つ。

知らず知らず、英二の生きていた日々に甘えていた自身を叩き直して前に進む。


「俺様らしく、な」


どんなに立ち止まっても振り向いても、あの日々は返りはしない。

けれど、忘れない。


「どれだけ時が流れようと俺が愛するのは後にも先にも、お前だけだぜ…、英二」


お前の生きた日々を。

お前のくれた最上級の愛を。


「…永遠にな」


パソコンを閉じ、無造作に荷物を鞄に詰め込む。

封筒を懐に入れ、アルバムを抱えて会社を後にした。

あの時のまま、止まっていたのは俺の中の時だけではなく。

家もまた同じだった。

そんな、今尚愛しき者の温もりが残る家へと還る。

久しく感じていなかった愛しさという名の煌めきを胸に。



───今、愛しき人が側にいなくとも、愛しき人と過ごした日々こそが。


(……永遠の宝物だ)



*2009/09/12
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