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幕間

八咫語り
一言で言えば、至極子供っぽい方、かと。
私が彼と出会ったのは高校二年生の始めの頃です。

私の名前は八咫鏡花。高校受験で親からのプレッシャーに耐えられずストレスが溜まり、進学校への受験当日にばっくれてそこそこ平均、以下の高校に入りました。今ではあまり想像がつかないでしょうが、当時大体そのような高校は不良たちが多くいて、私は親への反抗心からか今までの鬱憤晴らしかそういった集団に所属して非行に走りました。
そこには番長、そう今では絶滅危惧種にして過去の遺物がいました。
私はその族の中に恋人がいました。入学して三ヶ月経った頃くらいでしょうか、求められて恋人となりました。
体の関係はまだなかったのですが、そういった集団の悪習とでも言えばいいのか、自分の女を上の者に献上するというものがありました。その彼は付き合ってから一月経とうかという頃にその提案を、いえ提案というには決まりきった事柄のように私に言いました。私はもちろん恋人にも貞操を明け渡していなかったので拒否をしました。しかしそれには拒否権などなく、私は言葉通り無理矢理族のリーダーの元に連れて行かれました。今思えばどうしてあんな男と付き合っていたのかわかりません。
そして、そこであった事は衝撃的な事実として記憶に刻まれています。
番長、リーダー、そう呼ばれる人物の前に出された時どうしようもない恐怖が体を襲いました。しかし私に指一本触れる前にその男は崩れ落ちました。
ただ一振りの三段ロッドによって。
それを振るった男は朗らかな笑顔で言い放った。
「おいおい、嫌がる女を力ずくでモノにしようとするなんて男の風上にも置けねえだろうが?」
三段ロッドを肩に掛ける男の名は草薙剣と言いました。彼はその事件以降チームをまとめる立場になりました。
そして私も彼と同じように同じ武器で敵対するチームを倒しそしてもう一人、私や剣より一つ下の八尺瓊碧玉という子が中学三年ながらもチームに入り同じくチームを引っ張っていく存在となりました。
私たちのチームのエンブレムはひび割れた髑髏が一本のロッドを咥え、角のようにもう二本のロッドが生えているものです。
チームの名前はダウンロッド。名前の由来はそのまま、振り下ろす杖。ダウンロッドは当時においてもかなりの武闘派のチームでした。
考えたのは剣です。皆それを誇りに思いました。作ったタグをステッカーにしてバイクに貼ったり配ったりしては「な?イカしてるだろ?」と笑ったものです。
私たちは一つになったと、結束力があるのだと思いました。


そして、幸せの絶頂期にあの男は私たちの前に現れました。
「ねえこの組織、ボクにちょうだい」
倒産し廃墟となった工場跡地をチームの集合場所としていたのですが、そこに見知らぬ男が立っていました。進級し、私と剣は二年生になり八尺瓊も同じ学校の一年生となりました。そんな矢先の事です。

初対面の印象は、言動はとても子供のようだと思いました。無論、見た目は図体ばかり大きく巌のようで、当時は日に焼けた浅黒い肌で茶色に白のメッシュの髪が印象的でした。
しかし何より目を引いたのは、鮮やかなオレンジ色のブレザーと、オレンジ色が光の角度によって赤色に見える炎のような色合いのサングラス……ではなく、その奥に光る深い色を湛えたピーコックグリーンの瞳でした。
「何を言ってんだ?馬鹿じゃねえのかテメェは」
当たり前の事を剣が凄味を効かせながら聞くと、対峙する彼が不釣り合いなまでににっこりと笑いました。
「だって必要なんだ。でも一から作るってなると面倒でしょ?だからね、奪う事にしたんだ」
そして剣の前に立ちボクサーのように両拳を構えました。その左拳が素早く剣の前に出されました。
「キミがテッペンなんでしょ?戦ろうよ、強い奴が上なのは自然の摂理だよ」
剣はベルトの後ろに差していた三段ロッドを抜いて、その左拳はまるで見えていないかのように男の首筋に添えました。
何でもありバーリトゥードでいいんだよな?」
「もちろん」
唇をぺろりと舐めて、男の目つきは変わりました。そう、まるで獲物を前にしたケダモノのように。
男の奇行に嘲笑していたチームの仲間たちもその二人の空気に飲まれ一言も発することができませんでした。勿論私も。
そして男が拳を引き構えて、剣も後ろへ下がり正面に構える。

どちらが先に動くのか、私たちは固唾を飲んで見つめていました。どれくらい経ったのか分かりませんが先に動いたのは剣です。ロッドを下ろしてから勢いをつけて下からこめかみに向かって振り上げる。よく剣がやる手でした。
しかし男は分かっているとでもいうように左手を頭の横にやり受け止める姿勢。左手がイカれても良いのでしょうか、殴られるよりも自分の拳の方が早いと思っていたのでしょうか。
剣の口元は笑っていて、手元のロッドは途中で軌道を変えて男の胴に思い切りめり込みました。
けれど力は入っていませんでした。
男の右拳がいつの間にか剣の顎を的確に捉えており、剣は脳震盪を起こしているようで足元すらおぼつかない状態で、男はにっこりと笑い左手を伸ばし胸ぐらを掴んで剣を倒れさせてはくれなかった。
そこからはもう、右拳の連撃が剣の顔面を何度も何度も何度も何度も殴り続けました。
「あは、勝負早かったね」
殴り続けた右拳をひらひらさせながら男は左手を離し、剣は意識もなく地面へ倒れ伏しました。顔は腫れあがりもう剣の面影などありません。
「あ。トドメ刺さなきゃ。だよね?不良としては」
地面に落ちていた剣の三段ロッドを拾い上げると様子を確かめるように何回か振る。足元に転がる剣の右腕を容赦なく踏みつけて。
「頭じゃないだけ感謝してね」
……私たちはその後の悲劇を分かっていながらも止めることが出来ませんでした。何故なら、誰もがその男に畏怖し動けなかったからです。
「じゃ、なんかゴメンね?ホント」
振り上げたロッドを容赦なく剣の右腕に叩き下ろしました。
私たちにとってとても聞き覚えのある音が聞こえました。
そして男は皆を振り返って声高々と宣言しました。
「これでボクがここのトップでいいんだよね?文句ある奴いる?」
異論を唱える者は誰一人としていませんでした。それはそうです。実力が全ての世界ですから。……納得、するしかありませんでした。
あの方は本当に、他人の獲物を奪うハイエナそのものかと。
そう思い至って、そして息も絶え絶えな剣を見て、ようやく実感が湧きました。あの剣が負けたのだと。瀕死なのだと。
「剣!」
自分が出したとは思えない大声でした。私は傷付いた剣に駆け寄りました。他にも剣を慕う部下数人が倒れる剣の元に来ました。
それらを見下ろして、どんな表情だったのでしょう。街角でお茶でも誘うかのような軽い口調で男は言います。
「救急車でも呼んであげたら?喧嘩に負けちゃったんですが、ってね。冗談だよ冗談。あ、あと彼は追放ね。元トップとか火種以外の何物にもならないから。長ってのは一人しかいないものだよね」
何を、などと口走ったように思います。正直その時の事は頭に血が上りすぎて曖昧なのです。
しかし、次の瞬間冷水をかけられたようにひやりとしました。
「俺はこの人に賛成だぜ。強い奴が上だ」
無言を貫いてきた八尺瓊がそう言ったのです。
私は八尺瓊の言うことが理解できませんでした。今までの絆よりも優先されるべきものか、疑問を抱いてしまったのです。
強さなどと、そんなものが。
しかし喧嘩を買ったのは剣で、負けたのも剣です。私たちに反発する力も権利もありはしません。
「いいね、短ランのキミ。で、そっちの髪の長い方のカノジョ、キミはどうなのかな?抜けるってんならケジメがいるよ?」
剣から奪ったロッドをくるくると器用に回して笑う男に対し絶対的な敗北感を感じました。勝てない。屈服するしかない。
私は無言を以って奴の言いなりとなる事を承諾いたしました。
男は笑みを深くして皆に語りかけました。
「ボクの名前は四元橙。これから、キミたちのボスになるよ」
ハイエナのような男は名乗りを上げた。そして少し考えるような素振りで首を傾げる。
「あ、このままだと威厳がないか。もっと不良っぽくしなきゃ。とりあえず草薙ちゃんのマネしようかな、うん」


たかだか高校の不良たちを集めたような小規模の集団から始まりました。ダウンロッドと命名してからは近隣の不良たちも傘下に加わりました。……よく、よくある程度のものです。いつしか自然消滅してしまうくらいの矮小な、全国どこにでもある小集団。
しかし男、四元橙はそれを後に近隣一の武闘派集団と呼ばれるものへと昇華したのです。格が、違うのです。

私は剣の家に見舞いに赴きました。
剣の部屋へと通されて、ベッドに腰掛ける彼に対しかける言葉が見つかりませんでした。
剣は私を見ると「おう、来たのか」と不明瞭な発音で話しかけてきました。
口の中が腫れていて、歯も何本か折れているので聞き苦しいだろう、と説明を受けましたが私の中で様々な感情が渦巻いて何も返せませんでした。
そんな私を見て剣は左手で右腕のギプスに触りながら話を始めました。
「俺は辞めるしかねえんだろうなあ。悪いな、鏡花にも碧玉にも迷惑かけちまって。逃げる俺を責めていい。俺はもう人を壊せないし……怖い。今まで幾つもの死闘を他の不良どもと繰り広げてきたが、あれは違う。目が、あの目は……俺を殺す気だった。本気で。よくぶっ殺す、なんて言って言われてきたが本当に人を殺す度胸なんて覚悟なんてあるわけない。でもあいつは本気で殺しにかかってきた。けどなんの気まぐれか、あいつは遊んでいたから俺は生きてる。あいつの拳が少しでもズレてたら俺はこうやって話す事も起き上がる事も出来なかっただろうな」
腫れ上がった顔に貼られた湿布の端がめくれていて、貼り直そうと腕を伸ばしたら手が顔の近くに来た瞬間、剣は大袈裟なまでに体を震わせました。
「剣、湿布が剥がれかかっています」
そう、声をかけて剣はハッとした顔になり「自分でやるから」と自らの顔を触り、適当に直しました。
ああ、これはもう戦線復帰は困難だろうと理解しました。剣はもう殴られる事に恐怖を抱いていました。拳に、手に近づく事を恐怖した戦士はもう戦えません。
……それでも、私は。


剣の家から出てすぐの道を曲がった所にあの男、四元が壁にもたれて立っていてとても驚いて思考が停止しました。
「やあ、草薙ちゃん元気だった?」
まるで世間話のように、いや彼にとってはそうなのかもしれませんが自分が殴った相手の様子をこうも気軽に尋ねられる所に恐怖を覚えました。
「……ええ、まあ」
およそ返事にもならないような返しをするとふうん、と言って壁から背を離し私に向き合いました。
「家まで送るよ、夜道は危険だからね。……なあんて。こういう事やってみたかったんだよね」
拒否するにはあまりにも強制的で私は無言でついていくしかありませんでした。
道中、何が珍しいのか商店街の店々を興味深げに眺めていました。
「八咫ちゃんってさ、結構マジメだよね」
唐突に投げかけられた言葉に私は何を言っているのだ、という気持ちと以前から同じような意味を持つ言葉を言われてきたので特に表情を変える事なく返しました。そして気になっていた事をついでのように聞きました。
「不良っぽくないと意味でしょうか?でしたら、貴方も似たようなものかと。……何故、不良に?」
問いかけに一瞬きょとんと目を瞬いて意表を突かれた表情を見せました。この男は強い。しかし不良らしいかと言えば否、だ。
そして苦笑いのように口の片方だけ吊り上げました。
「不良になるのに理由なんて必要ないよ。切っ掛けは要るけどね」
それには確かに同意だったので無言を以って肯定しました。
「どうしても相対したい子がいるんだ。その為にチームが、手駒が必要でね」
「それで、たまたま目についたのが私たちのダウンロッド、というわけですか」
怒気を隠そうともせず発言すると彼はうーん、と言って前髪を弄る。
「ちょっと違うかな。だいたい、それならもっと近くのチームにするよ。ボクの制服見てみてよ、わざわざ三駅向こうから来てるんだけど」
言われれば、確かにその目立つ制服はここより遥か離れた場所に立地する高校のものでした。私たちが通っている学校などとは比べ物にならない進学校のもの。エリートたちが集まる巨大な学園。彼の着る制服が所属する学科を示しているのは理解していても、それがどこかなどは詳しく知りはしませんでした。
「では、何故?」
何故、目をつけたのだ。
「ここら辺で一番目立つやり方していたから。武闘派、良いね。分かりやすくって。シンボルも良い。これなら思っているより早く会えそうだな」
先程言っていた相対したい者、でしょう。それは一体誰なのか。わざわざチームを乗っ取ってまで会わなければならない者。
気になって質問しました。
「誰にですか?」
「まだ、内緒」
踏み込んで聞けばひらりと躱される。人の事には容赦なく踏み込むのに自分が踏み込まれる事を良しとしないその性分を理解するのに、今までの短いやり取りで充分過ぎる程でした。
剣の家から私の家まではバスで十分ほどの距離でしょうか。バス停で止まると、てっきりここまでで去るものだと思っていたので彼も共にバスを待つようで少し驚きました。
「……貴方もバスで帰るのですか?」
訝しんで聞いてみると彼はサングラス越しの目が見開いて驚きの表情を見せました。
「送るって言ったよね、ボク」
まさか本当に家まで来る気なのかと驚きました。
絶句する私の前にバスがタイミングよく来て、二人で乗り込みました。
幾つもの停留所を過ぎ目的地、私の家に向かう道中私たちは無言でした。
「あ、こっち」
何も言わなかったというのに急に口を開いたかと思えば私の腕を引いて高架線下の方へと向かう道に逸れました。
「あの、こっちでは」
ない、と言おうとしたがそれを遮られる。
「キミさあ、無防備すぎ。最初からつけられてたよ。ずっと」
目を見開いたのは一瞬、視線だけを後ろに遣ると黒い制服がちらちらと建物や塀の影から見えました。
高架線下に着くとその開けた土地の中央で彼は立ち止まり、来客を迎えるように振り返って両手を広げます。
「さて、何の用事があんだよ?雑魚どもが」
その口調は先程までの素のものとは違っていて、先日彼が言った剣の模倣そのものでした。
集まってきたのは近くの族の者たちでした。以前ボコった記憶のある顔がちらほらと見えましたので。
「誰だテメェは?っつーかそこの女こっちに寄越せよ」
「今までの礼をしなきゃなんねぇからよお、たっぷりとな」
「草薙がいねえってんならこっちのもんだぜ」
勝手な事を宣う男たちは十数人いました。ああ、こんなに恨みを買っていたんですね、なんてどこか他人事のように思っていたら、彼はベルトの後ろに差していた──剣の三段ロッドを取り出して手首のところでぐるんと一周回しました。
「なんだ?つまりリーダーがいなくて女一人だけなら復讐出来るからやるって訳か?おいおい、小物臭は顔だけにしとけよ」
呆れ返った様子の彼に対し不良たちは顔を真っ赤にさせて怒り、聞き取れない言葉を吐きながら彼に殴りかかりました。
そこからは、蹂躙、という言葉が似合うでしょう。多勢に無勢、そんな戦力差などものともせず彼はロッドで、拳で、敵を圧倒的に制圧しました。
流石の彼も全員を倒せば肩で息をしておりました。それでも毅然とした態度は変わらず、倒れている不良の一人の頭を掴んでぎらりと睨みます。
「なんだよ、弱すぎんだろおい」
手を離せば相手の頭は地面に落ちます。そして彼は高らかに宣言しました。
「魂に恐怖と共に俺の名を刻み込め!俺が新しいダウンロッドのリーダー、四元橙だ!」
狂気を孕んだ目を辺りに向けると、辛うじて動ける者達は怯えながら逃げて行く。……これで、近隣一帯の不良たちの間に彼の名前は響き渡る事だろう。そう思い、その通りになりました。


領土が広がり自分たちの陣地だとタグ付けを廃ビルの壁に行なっている最中、缶スプレーを持って至極楽しそうに絵を描いている彼に対し私は問いかけます。
「貴方は何故そんなにも強いのですか。精神も肉体も」
そう問えば彼は自嘲するような笑みを初めて浮かべました。
「生まれた時から熾烈な生存競争を強いられてきた人間と、普通に生きてきたキミたちとじゃあさ『つくり』が全く違うのは当たり前だよね?」
缶を振る音が妙に耳につきました。敵の前とは違い、私や八尺瓊の前では本来の話し方に戻っている事がしばしばありました。
「自分は他の雑兵たちとは違うと?」
ラッカースプレーを使う音に混じる自分の声は酷く冷たく聞こえました。
「雑兵ねえ」
どこか悩んでいる様子の彼はスプレーで器用にダウンロッドの髑髏を描いていきます。
「仮に君たちが歩だとして、ボクは成った王ってとこかな。ならされた、が近いけど。……うーん、ちょっと違うかな。成らざるを得なかった、か。成っちゃった、か」
手先はもう慣れたように迷いなく絵が進められていきました。
「君が通い詰めている草薙ちゃんも、ボクがいなけりゃ猿山の大将でいられたのにね。ごめんね」
私は彼の言葉を故意に無視しました。


運命的な対峙を彼は望み、そして叶いました。
相対するのは、四元橙が望んで焦がれた人物。想像していたより弱々しく映り、想像していたより強い目をした人でした。
驚愕を形作る目に四元は笑いかけました。それを見て、相手もようやく目の前にいる人物が自分の知己だと悟ったのでしょう。口を開きました。
「土御門、さん。なんで……ここに?その、後ろにいる人たちは、一体」
状況に困惑しながらも四元の事をはっきりと土御門、と呼びました。気になり四元の方を見ましたが、相手の言葉に四元は満面の笑みを浮かべて両手を大きく広げました。きっともう彼の視界には唯一の存在以外入っていないのでしょう。
「遊輝!遊輝!会いたかった!どれだけこの時を待っただろう!ずっとこの瞬間を夢見ていた!ボクの名前は土御門じゃない、四元。四元橙、お前の前に立ちはだかるもの!」
大声で呼びかけます。遊輝、と呼ばれてびくりと体を震わせましたがそれでも視線は次第に冷静さを取り戻していったように見えました。
四元の口調は素のものに戻っていました。部下の前で格好つけるためのものではなく、敵に畏怖を与えるためのものでもなく、初めて会った時や気を抜いた時に私や八尺瓊の前で出るそれ。遊輝、という人物は四元の素を知っている人物なのだろうと予想がつきました。しかし既知という割にはどうも反応がおかしい。四元と遊輝という人物の間に齟齬があるように見えました。
「遊輝、こいつらはお前のために揃えた兵隊だよ。お前の前に立ちはだかる敵だ。ボクは四元の姓を手に入れた。だからお前に存分に敵対出来る!その為に、今日この為だけに生きてきた!さあ殺し合おう、遊輝!」
「なんで、なんで貴方が立ち塞がるんですか、土御門さん」
悲しそうに呼びかけられると、四元は困ったような声色で優しく語りかけました。
「だから、四元だってば」
隣に立つ四元と自分の知る四元という存在のズレに少しばかり違和感を感じましたが現状、些細な事だと判断し三段ロッドを構えました。きっと彼が望んでいたので。


戦から帰る途中、妙に晴れやかな顔をした四元に私はようやく気になっていた事項を聞きました。
「土御門、というのは?」
問いに対し返事を期待はしていませんでした。けれど、四元は血の混じった唾を吐き捨てながらまるで独り言のように語りました。
「ボクの元々の苗字が土御門。四元は名前の通り四つの家を統括する者に与えられる称号みたいなもの。その代で一番優秀者が四元の名を受け継ぐ。だからどこの家も子沢山でね。ボクこう見えて五人兄弟の長男なんだよね。まあみんな仲悪いけど。全員年子で全員が競争相手。そりゃ仲良くなれるわけないよね。従兄弟だって沢山いたけどほんっと仲悪くてさあ。一族の同世代ほとんどが敵だったよ。
土御門の一族の拠点にしてるのが東海地方で、他の家は関東だったり関西だったり。ボクが四元に選ばれる前、実家にいた頃に遊輝に会ったんだ。小さかった遊輝、幼い頃から才能の片鱗を見せていた輝かしい存在。ボクが殺伐とした家を生き抜けたのは遊輝のお陰。遊輝の存在だけがボクの希望だった。ボクの光。
近所に住んでた二つ下の子で、弟の同級生だったけれどボクと仲良くなった。弟は普通に友人として家に招いていたけれど、他にどれだけ友人を連れてこられようともボクは初めて会った日から遊輝しか目に入らなかった。
今思えば二つ下の弟はあの後継者争いから諦めていたのだと思う。なんてったって同じクラスに遊輝がいたから。自分の限界に気付けたんだろうね。
遊輝はうちですれ違う度に挨拶をしてくれた。初めて会った時もそうだった。
「こんにちは、蒼くんのお兄さん!」
元気いっぱいにボクを見る目が本当に愛おしくなった。存在自体が眩しくて直視するのが耐え難いくらいに。でもその感情と同じくらい、遊輝を見つめていたかった。
呪われた四つの家に連なるもの。ボクたちは同じ血が流れる者同士で争い生き残る運命にあった。血で血を洗う凄惨な戦いに身を投じて生き残る。そんな血みどろで恐ろしい血族に対して、弟は抗ったんだろうか。天真爛漫とも言える万能の天才をうちに連れてきた。もっと優秀な奴が世の中にはいるのだとボク達に知らせる為に。結局他の弟達は遊輝の存在に対して目を瞑って見ないフリしたけど、ボクは違った。心の底からその存在を賛美した。たまたま会えばさりげなく会話を振って、自分の元に留める。そんな子供らしい独占欲。その奥底に眠る仄暗い感情。遊輝の全てを支配したくて、されたい。そんな部類のもの。
ボクが高校二年生の時、遊輝はある男の下で側近として働いていた。遊輝は不良達のチームに所属して、それを知った時とても驚いたよ。あの子が、なんで?って。ひとの下につく子ではない。でもそのトップに会って分かった。こいつは人間の上に立つのが当然だという顔をしていたから。それはうちの一族、果ては父や他の家々の奴らも同じ顔をしていたから。腹立つ顔だよ。でも分かる気がした。そいつからはカリスマのにおいがした。だから万能家たる遊輝も従っていたんだろう。遊輝は孤独でこそ輝くものだ。でも遊輝は誰かを輝かせる為にその力を発揮していた。
でもある日、遊輝は姿を消した。一応は歳の離れた兄の転勤に従ってという名目だったけれど、ボクから見れば明らかだった。遊輝は自分の上司を裏切った。そして逃げた。
だったら、だったらボクは遊輝が遊輝個人として立てるように力を貸したかった。一族の中で最も優秀な者が与えられる称号『四元』の名を手に入れて、遊輝の一番の障害に成ろう。そうすれば遊輝は気付くだろう。自分が誰よりも人の上に立つ者だと。だからボクは──。
分かった?
ボクは遊輝が成長する為の、もっと高みに行く為の障害に成ろうと思ったんだ。
その為に力が必要で、このダウンロッドを利用した。ボクはそんな色恋に負けた愚かな男なんだよ。軽蔑した?あはは、いやいいよ答えなくて。いつもそんな顔してるもんね」
四元は、四元と名乗る男はしっかりと私を見て太陽のように笑いました。
そうして、ダウンロッドは決定的な敗北と共に解散しました。


どんどん病んでいく剣に対し私は文字通り全身全霊を持って慰め、現世に留めようとしました。しかしある日決定的な事実が彼を追い詰めてしまいました。
それは四元のせいでもなく、ただ私が──妊娠したからです。
それを告げた時の剣の表情は、酷く怯えたものでした。私はただ事実として伝えただけであり、責任を取れなどと詰め寄ったりしませんでした。どうあれ私は産むつもりでしたし、養育費だとか認知だとかそういった煩わしい問題を剣に押し付けるつもりはありませんでした。
けれど、その日を境に実家住まいだった剣は行方不明になりました。剣の親も翌朝朝食を持っていったら姿が見えず困惑したようです。部屋からなくなったものは服一枚もなかったようで、財布も携帯も置いてありました。失踪届が出されましたが、多分もう剣はこの世にいないのでしょう。
私は親に当然ながら反対されましたが、高校を中退し一人で産むという決意は変わらなかったので、母は折れました。父は未だに口すら利かず、実家に帰る事もありません。
産むまでは実家にいて、しばらくしてから職を見つけ乳飲み子の息子を抱いて最小限の荷物と共に実家を出ました。
それからは大変ではあったものの、平穏な日々が続きました。長らく闘争の世界に身を置いていた身としては、この仕事と育児の両立という忙しいながらも充実した毎日はとても穏やかでした。

しかしある時、不穏が扉をノックしました。
それは唐突に。族を抜けて、いえ解散に追い込まれてから五年の月日が経った頃でした。
私は実家を出てから昼は近所のドラッグストアでパートをして、夜は息子が寝てからコンビニでアルバイトをしていました。ドラッグストアでは勤勉な働きぶりが評価されて正社員にならないかと話を持ちかけられており、息子のためにも安定して働けるのは助かると思っていた時でした。
その日は土曜日で、保育園はお休みなのでいつもなら保育所に預けてパートに出かけるのですが、珍しくお休みをいただいて、息子と一緒に家でお絵描きをしていました。
息子が好きな戦隊もののヒーローの絵を描いてくれとせがまれ描いてみるとどこか似ていなくて首を傾げるものの、息子は嬉しそうにその絵を掲げて走り回っていて、それがなんだかとてつもなく幸せでした。息子の笑顔はどこか剣に似ていました。けれども息子は息子で、剣ではありません。この愛しい存在は何がなんでも守らなければならないと思いました。
時間はお昼頃だったのでそろそろ昼食を作らねばと思っていた時に、玄関のチャイムが鳴りました。
普段訪ねてくる人間はセールスや宅配便くらいのもので、先日ネットで購入した品物が届く頃合いだったので私は何の躊躇いもなく玄関の扉を開けました。……ああ、せめてうちに訪問者の顔が映るインターホンがあれば状況は変わっていたのでしょうか。いえ、そんなことはないでしょうね。あれは私が家にいる事を調べて知っていて訪ねてきたのでしょうから。例え顔が見えていたとしても私には扉を開ける選択肢しかなかったでしょう。
「や、や、八咫ちゃん久しぶり。元気してた?」
扉を開けると記憶の彼方に忘れかけていた顔がありました。四元橙は記憶と寸分違わぬ顔でそこに立っていたのです。
変わったところと言えば制服ではなく私服で、彼の印象とは違うパンクロック?とでも言うのでしょうか。ロックミュージシャンじみた格好がとても不釣り合いに思えました。違和感は凄まじく、驚いたのもあり咄嗟に声が出てきませんでした。目の前にいるのが彼だと思えなかったので。
そんな私を無視して四元は伸びた前髪を弄りながら話し始めます。
「あのさあ僕、大学卒業して色々家の会社なり任せられてさあ今すっごい忙しいんだよね。だから八咫ちゃん僕の秘書やってよ」
いきなり本題を話すところは昔からでした。慣れています。しかし今回ばかりは流石に何を言っているのか理解したくありませんでした。
平穏をぶち壊す男はにこやかに笑います。
「今やってるパートとかバイトの給料よりもっと出すからさ。勿論働き次第で値上げするし。免許も取らせてあげる。欲しい資格があったらお金出してあげる」
既に彼の中では決定事項のような言い方に、何もかも言いなりになることでしか納得しない人間なのだと思い知らされながら、ドアノブを握る手に力を込めました。
「もし私が断れば?」
「有り得ないでしょ」
そんな事論外とでもいうような言い草に唇を噛みました。
「これでもね、キミの事買ってるんだよ。ダウンロッド時代に部下をまとめてたやり方とかさ。それに学歴はアレだけど八咫ちゃん頭良いじゃない。その辺の人間より使えるからね。御曹司とはいえ大学出たばっかの人間の下についてハイハイ話聞いて動いてくれる奴ってそうそういないの。玉の輿狙いの秘書課の女なんてもっと嫌だし。ビジネスライクに振り切ってくれる八咫ちゃんは、それはそれは有り難い人間なんだよね」
褒めているものの、説明が面倒くさいという態度は透けて見える。片手をポケットに入れてもう片手で頭をがりがりと掻いていましたから。早く私が頷くのを待っている様子でした。
そこへ、息子が私の足に抱きついてきました。
「ああこの子が草薙ちゃんとの子?よく似てるね、目元の辺とか。こんにちは、お名前なんていうの?」
四元に話しかけられて息子は少し私の後ろに隠れたものの、ちゃんと返事をします。
「やたつるぎです」
その名前を聞いて四元は驚くでもなく、むしろ知っていたかのように破顔し屈んで手を伸ばし息子の頭を撫でます。
「そっか。よろしくね。僕はママのお友達なんだよ」
お友達、という言葉に思わず顔を顰めると四元はくつくつと喉の奥で笑って立ち上がります。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。じゃ、要項はこれに入ってるから。今月中に仕事辞めといてね」
彼は色々な書類が入っていると思われる封筒を押し付けるように手渡して、さっさと帰っていきました。
それからは大変でした。パート先にもバイト先にも頭を下げて辞める意向を伝えて引き継ぎをして。自分を正当に評価していてくれたドラッグストアには本当に申し訳なかったです。しかし私には拒否権はありませんでした。もう決定事項だったので。
そして今に至るまで影に日向に四元を支えてきました。始めは秘書として。
最初にやった事は運転免許の取得で、合宿に行かされました。そして免許取り立てだというのにその取得日の翌日から「あ、免許取れた?じゃ、運転よろしく」と有無を言わさずハンドルを握らされて、移動の際は運転手をやらされました。息子がいなければいっそ自分ごとどこかの壁にアクセル全開で突っ込んでやろうかとさえ思いました。
後はそうですね、凡その事はやらされました。スケジュールやタスク管理、雑務も多かったです。スーツをクリーニングに出したり、ある日は「八咫ちゃん、靴のソール擦り切れてきたから交換してきてよ」などと私の給料ひと月分程する革靴を渡されて修理屋に向かった事もありました。
そんな事を三年ほど務めた頃でしょうか。四元は百花の副理事長の職を得ました。重役を務める会社の方は、なんと私が引き継ぎました。
「八咫ちゃん、ボクのやってた事全部分かるよね?じゃあお願いね」
と彼は笑いました。あまりにも呆気ない引き継ぎに私は困惑しました。副理事長とはいえ、常に学園に居るわけでもない筈でそちらを専業にする必要性は全く感じなかった為、私は疑問をぶつけます。
「何故退くのですか?」
「あはは、これからねえ面白い事が起きるから最前列で見たいじゃない?ね?ね?そうでしょ?それに学園運営自体は土御門の専門だし、理事長は実父で理事会もほとんど土御門の血縁なんだよ。だから多少四元の方の会社はお休みしてていいの。ボクが任されてるのそれだけじゃないしね」
四元は仕事用の携帯を取り出して私に見せました。
「ホラ、見てよ。八尺瓊ちゃん覚えてる?カレにもね今お仕事やってもらってるんだよ。お店任せててさ、これが結構順調でびっくりしちゃった」
見せられた画像には、記憶にあるまだあどけなさを残した学生時代の面影がある青年が派手な店の前で妙に鯱張った面持ちで写っていました。
懐かしさと、まだ彼に従っていたのかという呆れが頭をよぎりましたが私もそうだったので何も言えませんでした。
「ダウンロッド時代の子たちはまだボクに従ってくれてるから有難いんだよねえ。八咫ちゃんにも感謝してるのよ、ホント」
そう言って豪快に笑い出しました。

そしてその翌年、私は空いた理事会の一席に座らされました。ただ単純に手駒が必要だったのでしょう。
今では秘書という立場はなくなったものの、その立場であった頃と学生時代であった頃と同じ事をしています。
恐怖による洗脳にも似た支配はまだ続いています。
少なくとも私はそうですし他の昔の仲間たちもそうでしょう。八尺瓊は馬鹿なので純粋に彼の強さに憧れているようですが。
英雄への当て付けなのか。教祖への嫌味なのか。革命家への意趣返しなのか。救世主への挑戦なのか。
彼の行動原理は今も昔も説明されなければ分からないままなのです。それでもついていくしか、ない。

この地獄から救われる事など、もう期待していません。
この子と共に私は生きていくしかないのですから。
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