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百本の花


話すのは、得意じゃない。文字では駄目なのか、そうか。
どこから話せばいい?そうだな、だとしたらまず前提として俺は血とは呪い以外の何物でもないと思っている。血が繋がっていて良かったなんて思った事は一度もない。
……いや、嘘だ。一回だけ、一瞬だけある。
小学一年生の時だ。血の半分が繋がった同い年の兄が目の前に現れたあの、刹那一瞬。
俺の母は水商売の女だ。別にそこに差別はないし偏見もない。それで育てて貰ったのだから。問題は、母が人を育てるのに向いていないという事だろうか。
母は夢見る少女のようなひとだった。いつか自分が救われると、白馬の王子のような人物が現れて自らを救ってくれるのだと信じてるひとだった。
あのひとが俺を愛していた理由なんて、自分が産んだという事実より、父に似ているという事だろう。
月に一度来るか来ないかという生物学上の父も自分に似ているという事で俺を愛していたものの、子供に接するのが苦手なのか、いつも名前を呼ばれ撫でてもらうくらいしか思い出がない。それすらもなくなったのは、やはり、小学校一年生の頃。
起点はやはり兄が俺に会いに来てくれた、あの出来事だろう。
身体が弱く、せっかく入学した小学校にもあまり行けず馴染めなかった俺は、自然と一人遊びの上手い餓鬼になった。父が画家なのだと母は事あるごとに言い聞かせて安い画材を与えるものだから、俺もやる事といえば絵を描く事くらいしかなかった。
手本も先生もなく、ただ目の前にあるものを描くだけ。……まあ、今と、そう変わらない。
あの日もそうだった。朝起きて帰ってきたばかりの母に布団をかけて、自分のご飯を用意する。といっても食パンを焼くだけの簡単なもの。体調が良かったものだから学校へ行こうとして、今日が土曜日で休みだったと気付く。起きて体調が良ければ学校へ行く、という日々だったので曜日の感覚がいつも薄かった。午前中はぼう、と子供向け番組を見ながらスケッチブックに絵を描いていた。
昼ご飯にはカップ麺を食べて、今日は天気が良いと気付いて外で絵を描こうと思った。空を描くのが好きだった。
今思えば惨めな幼少期だったのだが俺はそれを知覚できるほど聡くはなかったから、成長してから「ああ俺は可哀想な奴だったんだなあ」と漠然と思ったし、そしてどうしようもないものであるから、諦めた。
外に出て絵を描くと言っても体調が悪くなったりしては困るから、大抵がアパートの近所で何かしら書いていた。今日は鉄錆の浮いた階段のところに腰をかけて、また空を描いていた。昇ったり降りたりするたびにかんかんと鳴るうるさい階段は好きではなかったが、座るにはちょうどいい椅子だった。
その日は雲が多く出ていて、澄み渡る空と青と白が美しくて、それをスケッチブックに閉じ込めようと思った。
アパートの周りに植えてある生垣ががさりと音を立てたのには気がついたが猫か何かかと思っていた。
しかし手元に影が出来て、目の前に誰かが立った。誰か階段を使うのなら邪魔になるだろうかと思ったところで、声がかかった。
「きみが、ぼくの弟?」
見上げるとそこに、確かに天使がいた。
栗色の巻き毛、琥珀のような目に長いまつ毛、健康的な肌。彫りの深い顔立ち、綺麗な服とぴかぴかの靴。どこからどう見ても自分と正反対だった。
「きみはだれ?」
こんな誰からも愛されているような子が、自分などに声をかけるなんて。その質問の内容を理解するより先に、もっと話したくて言葉を返した。
質問を聞いて彼はゆっくりと、笑みを浮かべていった。本当に天使のような笑顔。
「……ぼくはね、きみの、お兄ちゃんなんだよ」
言葉を今度こそ理解する。
「おにいちゃん?」
この天使が、自分の兄。信じられないでいると彼は頷く。
「そ。ひきしまみちるっていうの。きみの名前は?」
ひきしま、と苗字を繰り返す。あああの、母さんの恋人の。納得して、そっか、と言った。挨拶はし返さないといけないと思い自分も名乗る。
「ぼくは、あかばねゆきや」
兄は唇だけで声に出さずゆきや、と呟いた。
「いい名前だね」
褒められたのが嬉しくてすぐに「お母さんがつけてくれたんだ」と返す。
「お母さん今いないの?」
「寝てる。夜お仕事だから」
そう言うと何とも言えない表情でふうん、と返され彼は俺の手元にあるスケッチブックを覗き込んだ。
その目はまん丸になったから、何を驚いているんだろうと思った。
ふと気になって顔を上げて聞いてみる。
「お兄ちゃん、も絵を描くの?」
母は父が描くからと俺にも描かせていた。この兄も描くのであったら、そちらのお揃いの方が嬉しいと思った。
「……描くよ、父さんも描くから」
「へえそうなんだ!見たいなあ」
「また今度、ね」
もう行かなきゃ、と言われとても残念だった。もっと色々話したかった。
「ねえ、また会える?」
「……きっとね」
ばいばい、と付け加え彼は振り返る事なく去っていった。
それはきっと追いかける感覚。兄と同じものをしたい。だから、描く。
自らの血の流れにあの人と同じ血が流れているというのなら。俺はきっとこの世界を愛せるだろう。

俺はそれからは絵を描く事が楽しいと思えた。絵を描いていればあの天使のような兄と繋がっていられるのだと思えたからだ。この古ぼけたアパートで惨めに暮らす少年の唯一と言ってもいい光だった。
その頃からは父親というあの男はめっきり姿を見せなくなって、俺の頭を撫でるものはいなくなった。母は徐々に体と精神を壊していった。翌年にはもう仕事に行くこともなく家で呆けている事が増えた。
俺はといえば今までは体調が良い日に学校に行って、という生活をしていたが家に食べるものがなくなりつつあったから、歩けるうちは学校に向かった。先生は困ったふうであったけれど、授業で俺の描いた絵を見て顔色が変わったのを覚えている。
迷惑な生徒。服はいつも同じものを着ているし、来れば普段来ないから人間関係に気を遣わなければならないし、贔屓をしているとも思われたくない。勉強は遅れているし運動も出来ない。俺だって先生の立場なら学校に来て欲しくはないだろう。
だが、俺の描いた絵を見るなり絶賛してみんなが描いた学校の風景画の中で赤色のリボンをつけてもらえた。俺が生まれて初めて褒められた瞬間だろう。
その絵は町のコンクールにも出されて、今度は金色のリボンに変わった。
表彰状を持って帰っても、母はずっと写真を見ていてこちらを見ようともしない。父とかいうあの男と撮った、煌びやかに着飾った美しい母が写っている写真。そこに俺はいない。
俺は表彰状を学校の教材入れに使っているカラーボックスに入れた。うちには勉強机なんて贅沢なものはないから。小学一年生の俺がしまっておける場所は教材入れのカラーボックス一つ。絵を描く道具もそこに適当に突っ込まれている。
ついでに貰えた五百円分の図書カードも表彰状と一緒に入れておいた。
兄がまた来ることがあれば、表彰状を見せてすごいねって褒められたかった。図書カードなんて俺は使わないからあげたいなって思った。
俺が三年生に上がった時のことだ。あいも変わらず病弱で、腹を空かせて学校にふらふらしながら来ている俺を見かねて、新しい担任の先生は言った。
「あのね往哉くん、良かったらまた絵を描かないかい?」
四十過ぎの、おっとりとした男の先生だ。今でもしっかりと顔を覚えている。優しくてみんなから慕われていた。
下校時刻に居残りするように言われて、何かしてしまったのかと不安になった。
先生はちっぽけな俺に目線を合わせるようにしゃがんでくれて、肉に埋もれた細い目を更に細くして優しく笑っていた。
「去年絵の大会で金色のリボン貰ったよね。あの時図書カード貰えたよね。小学生の大会は賞品はほとんど図書カードや商品券、あとは旅行ツアーとかかなあ。でもね、先生色々調べてきてね。これ見てくれるかな?」
先生はズボンのポケットから四つに折り畳んだ紙を取り出した。
「読めるかな?海の絵を描こうねっていう隣の県のコンクール、えっと大会なんだけどね。これ小学生も参加していいって書いてあるんだ。この大会はこの間みたいにリボンが貰えたらお金貰えるんだよ」
お金、の部分に俺は目線を紙から上げて先生を見た。凄く真剣そうな顔をして、俺に分かりやすく説明してくれていた。
「ご飯、今日帰ったらあるかい?」
俺は首を振った。少しだけ振ったはずなのに頭がくらくらする。
「これは内緒だよ。本当は怒られてしまうから……」
そう言って先生の机の引き出しの中からコンビニ袋を出してきて、横に置いてあった俺のランドセルに入れた。
「パンとおにぎりが入っているからね、お母さんと食べなさい。お菓子もあるから。それからこれ、娘が使っていたお下がりなんだけどまだ使えるから、これで絵を描いてごらん」
そう言ってアクリル絵の具とバケツに入った筆を貰った。
俺は涙が出てきて、ありがとうございます、と言えた。
絵の具は使った事はないが教育テレビで使っているところを見たことがある。
それを見様見真似で使って、一枚目は思ったように色が乗らなくて、二枚目は中々良い出来だな、というものが出来た。それを先生の所に持っていったらとても褒めてくれて、しばらくしてから家に表彰状と金一封が届いた。本当はそれもカラーボックスに入れたかったけれど、お腹が空いたのでご飯を買った。母はコンビニ弁当を半分だけ食べた。

今思い返せば母はどんどん病んでいったように思える。勿論子供の俺にそんなの分かる訳もなく、時折夜に化粧をして着飾って出かけていくのを見送っていただけだった。四年生の頃ではあったが、それでも俺は世間の他の子供よりずっと無知だった。絵を描く事しか知らず出来ず、それで微々たるお金を家に入れるくらいしか出来なかった。お金は絵の具や筆を買ったりするのにも使い、使わなかったお金はカラーボックスに入れた。お金を入れた封筒は増えていった。
出かける母はかつての客を相手に春を売っていたのだろうと後から気付いた。時折家にお金と食糧を持ち帰ってきてはそれを無言で差し出してきた。
貧しくも支え合っている家族だと思っていた。惨めだと言われても俺はこの暮らしで満足していた。
そんな日がいくらか続いた時、土曜日の昼前だったと思う。俺は家にいて、母は布団の中で眠っていた。
ピンポン、と甲高い音が鳴って俺は軋む体を引きずって玄関を開けた。ドアの向こうには真っ青な服を着た警察官が二人いた。
警察官たちは「お母さんはいるかな?」と言って俺は頷いた。「上がらせて貰うよ」と警察官たちは奥の部屋へ行って母と何か話している様子で、そして俺の目の前で母を連れて行った。去り際、一人の女性警官が「後から大人の人がくるから、安心してね」と言い残した。
何も安心など出来ない。何が起こっているのかも分からずに俺は無性に悔しくて悲しくて泣いた。思えば、嗚咽混じりに涙を溢すなんて物心ついてから初めての事だった。
俺はどうして母が連れて行かれたのか分からなくて、でも後を追っては行けないんだと理解していて。
後から来た人が「お母さんは行かなくちゃいけないところがあるから、君はとうぶん別のところに住むんだよ」と言った。周りの荷物、着替えとかを詰めさせられた。
それから児童相談所で一週間ほど過ごした。途中担任の先生が様子を見に来てくれて「何か困っている事はあるかい?」と聞くから、そういえば母さんが作り置きしておいてくれたニラ玉がラップをかけて机の上に置いてあったのが気になっていると伝えたら「……流石に家の中には入れないからなあ」と困った顔をしていた。困らせてしまったな、と悲しくなった。
俺のいた児童相談所は俺が住んでいた家よりも何倍も何倍も綺麗なところで、私物の持ち込みが禁止なのと、外出は許可されていないところを除けばとても住みやすいところだった。荷物は最低限の衣服以外は倉庫のような所に保管された。
玄関にはセンサーが何個もついていて、人が通る度に音が鳴るようになっていた。あとは男子寝室と女子寝室の間にも合った気がする。脱走防止として付けられていたのだろう。風呂場の窓にも鉄柵があって外に出る事は出来ないようになっていた。
正直、最初に通った時と着替えを取りに荷物保管所に換えの下着を取りに行った時だけでセンサーの向きと間隔で通っても鳴らないルートを見つける事に成功しているのだが、ここを出たとしても帰られるわけではないから、諦めた。
一週間と少し、そこで過ごした。そこには何人か同じように子供が生活していて、俺より三つ上の女の子と一つ上の女の子の姉妹と、一歳の赤ちゃんがいた。年が近い妹の方とよく遊んだ。オセロをしたり、猫の額程の吹き抜けの四角い中庭で石を拾って絵の具で色を塗って遊んだりした。
勉強の時間もあって、最初はIQテストのようなものをさせられた。結果は教えてもらえなかった。次の日からは簡単な問題集のようなものを渡されてやった。
何か物を作る時間があって、俺は絵を描いたし、三つ上の女の子は切り絵をやっていた。一つ上の女の子も切り絵がやりたかったみたいだけれど、カッターを使っていい年齢じゃなくて諦めさせられていた。変なルールだなと思った。みんなが作ったものは壁に飾られて、俺の絵はまた褒められた。
食事は毎食きちんと出されて、みんなで机を囲んで食べた。まともな食事を毎日毎食取れるというのを俺はここで初めて体験した。美味しかった。厨房の方では無言で作っている職員の人がいて、顔は見えなかった。
多分そんな健康的な生活を送れていたせいか、その時はとても体調が良かった。多分人生で一番健康に近い時だった。夜に少し熱が出たりしたけれど、翌朝には元気になっていて驚いた。普段なら数日は寝込んだから。

そして、俺に迎えが来た。

ある日周りの物を片付けてみんなにお別れを言うように言われた。仲良かった女の子は涙ぐんでいた。たった一週間程度の間だったけれど、本当に楽しくて俺も思い出したら泣きそうになった。名前は覚えてなくて、苗字に花という字が入っていたから「花ちゃん」と呼んでいたから。
着替えて荷物を持って玄関まで行くと、そこには知らない男女がいた。怖い顔をしていた。誰だろう、と思って付き添ってくれていた職員の人の顔を見上げると「あの人たちはね、往哉くんのお爺ちゃんとお婆ちゃんよ」と教えてくれた。
それから職員の人と俺の祖父母が何か話して、俺は俺の方を一切見ない見知らぬ血縁に連れて行かれた。正確に言うなら、見向きもしないから後をついていくしかなかった。

祖父母の家へと預けられた俺は、またもや人生の生きづらさを知った。
祖父母の家には母の姉夫婦が住んでいて、そこには俺より一つ上の息子がいた。体が大きくて乱暴なやつで、意味も分からず殴られたり蹴られたりした数は星の数ほどだった。それを見て祖母は俺に「ほんに鈍臭い子だこと、母親にそっくりだね」と罵った。
「あんたの母親はね、捕まったんだよ。麻薬を使って。刑務所にいるんだ。迷惑ったらありゃしない。ほんとはあんたを引き取るつもりもなかったんだ。施設に送ったって全然良かったのに、世間体が悪いから仕方ない引き取ってやったんだよ。有り難く思うんだね」
事あるごとに祖母に言われた言葉だ。
そこでは俺は厄介者以外の何者ではなく、いつも体を小さくして目立たないように目立たないように息を潜めていた。
学校も転校した。家にあった荷物と教材なんかもまとめて持って来させられてこの馴染めない家に置いた。
カラーボックスをどうしよう、と俺は自分に当てがわれた北にある寒い暗い四畳半の部屋で悩んだ。
このままここに置いておけばあの乱暴ものの従兄弟が勝手に漁ってお金や図書カードや商品券を持っていくだろう。この数年で結構溜まっていた。本当はあのアパートの部屋に置いて行きたかったけれど、母が帰る見込みが分からなかったし、俺を迎えに来てくれるかも分からなかった。
荷物を運んでくる時、祖父が「お前の荷物を全部持ってこい」と言うから、残りの少ない衣服とランドセルと画材や教科書などが入れられた一つのカラーボックスだけを抱えると少し困ったように「それだけか」と言ったから頷いた。
カラーボックスからお金と金券達を全部取り出した。最初に貰った図書カードがあって、なんだか泣きそうになった。あの天使のような兄とまた会いたい。あの家にいなかったら会いに来てくれないだろう。俺がどこにいるか知らないから。俺がいない間に俺に会いに来てくれていたらどうしよう。そんな益体もない事を考えて浮かんできた涙を袖で拭った。従兄弟から殴られても祖母に伯父と伯母に酷い事を言われても泣かなかったけれど、母に会えなくても泣かなかったけれど、兄に会いたくて泣いてしまった。
お金は畳の下に隠す事にした。この狭い部屋ではそこくらいしか隠せるところはなかったし、普段布団を畳んで置いておく畳の下なら安全だろうと思ったからだ。

体調はこの家に来てからというもの、悪化した。
常に微熱はあり、高熱を出して何日も寝込むこともあれば意識が朦朧として何もできない事もままあった。そこの家の人間は、看病などしなかったし放置されていたから余計治りも遅かった。母は熱が出れば氷嚢を作ってくれたし解熱剤を飲ませてくれた。食べ物は相変わらずレトルト食品だったけれど食べられそうなものを常時買っておいてくれた。ヨーグルトやゼリーを口にして、喉を冷たい物が通り抜ける感覚が心地良かった。
あれでも優しい母だった。俺はそう思う。例え俺があの男の子供というだけで愛されていたとしても、愛情は確かにあったんだ。
この家では食事は居間の食卓まで行かないと食べられないから、俺は寝込んでいて食いっぱぐれるのがほとんどだった。余計治りは遅く、トイレに行くのも苦痛で、喉が渇いたからと台所に行けば伯母が嫌な顔をした。
「何だい、今は飯時じゃないから何もやんないよ」
「喉が、乾いて」
そう言えば水道水をコップに入れて机に置かれた。洗い物を増やしやがって、と文句を言いながら食事の下拵えを続けた。
水を飲み終えてありがとうございます、と言ってふらつく足に何とか力を込めて部屋に戻る。変に倒れたりしてはまた何か言われるから。
お腹空いたな、と戻って布団の中で腹を抱える。何食食べていないだろう。前に食べた時は手に力が入らなくて箸を机の上に落としてしまって、祖母に怒鳴られた。
学校に行かなくては。そう思った。
学校に行けば給食があるし、と低学年の頃の事を思い出す。同じように腹を空かせて学校へ行く事になるとは。
この家で食べる食事は味がしない。怖くて恐くていつ怒鳴られるか殴られるか分からない。恐怖で味なんか分からない。
行こうと思えば何とかなるもので、翌朝学校へ行く支度が出来た。頭はぼうっとするが大丈夫だろう。
数えるほどしか行ってないから全く馴染めていない場所だが、ここより何倍もましだ。
朝食には間に合ったから食卓についた。相変わらずの無視したような空気に胃が痛くなる。味がしなくても食べなければ。この家の食事は食事とは思えなかったが、それでも。
学校へ行く途中何度も従兄弟からは小突かれて、時には転んでしまったがそいつは知らんぷりだ。集団登校で他の生徒たちもいて、転んだ俺に大丈夫?と声をかけて手を差し伸べてくれる子もいた。だが俺が勝手に転んだだけだと思われた。
教室に入ってしまえば安心だ。従兄弟は隣のクラスだからだ。
来るなり周囲の同級生が集まって声をかけてくる。久しぶり、元気、何でいつも来ないの、今日の授業はね、と賑やかだった。先生が入ってきて、「お、今日は赤羽も来てるのか。偉いな」と言った。
その日は外で絵を描く授業があった。日差しが暑くて、ふらついたのを覚えている。朝ご飯を食べておいて良かったと思う。
学校のシンボルになっている大きな樹を描く事になっていて、今までの授業で描き進めていたようで、線を描き終わって色を塗っている生徒もいた。
俺は適当な所に絵の具バッグと水の入ったバケツを置いて座って、膝の上に画板を乗せた。
ざっくりとアタリを取ってパースを調整する。今でこそそういう言葉を知っているが、当時は用語なんて知らなかったし人よりも何も知らなかったからアタリの事を下書きと言って、パースについては何も考えずにただ「気持ち悪い」と思って調整していた。透視図法なんてのも知らないのにその樹を描くのに三点透視図法を使用していた。
大雑把に描き終えて細かい所を描き込んでいく。大きな樹と周囲の草木だけなので、俺には描くのは簡単だった。自然の風景は俺の一番身近にあった題材で得意なものだった。
全ての描きたい線を描き終えたら今度は絵の具バッグを開いた。自分で稼いだ賞金で買ったものだった。
パレットと筆、それから水彩絵の具を何色か取り出す。絵の具をパレットにそれぞれ捻り出して、筆をバケツの水につける。
それからはさらさらと筆が進む。教室で他の教科の授業を受けていた時よりも体が軽く感じる。絵を描くのは俺にとって簡単で、自分で始めた好きな事ではないけれど、呼吸するように人生に必要な事だった。そうその時には既に思っていた。いつかまた兄に会う事があれば兄が喜んでくれるように。母に会った時に安心させられるように。俺は描き続けなければならなかった。
描き進めていて、色を確かめる為に樹を見上げると、担任の先生が声をかけてきた。
「赤羽、もう色を塗り始めているのか?早いなあ。どんなんだ、見せてくれないか」
逆らう必要もないので俺は画板から体を起こして先生の方に向けた。
すると先生はとても驚いた顔をしてしゃがみ込み、俺の絵をじっと見つめた。
「赤羽お前、さっき描き始めたよな?」
そう聞かれても質問の意図が分からなかった。他のみんなみたいにいつも学校に来ているわけじゃないから何を分かりきった事を聞くのだろうと不思議に思いながらも頷いた。
「絵を習っていた事があるのか?」と聞かれて「ない」と答えると、大抵「そんなにも上手なのに?」と聞かれる。何故絵が上手なら習っていなければならないのだろう。不思議だった。
先生とも同じやり取りをして、画板をまた膝の上に乗せて続きを描いた。
俺の描いた絵はまたしても金色のリボンを付けられて、仰々しい賞を貰った。
……困ったのは、祖父母の家の対応だった。
俺が賞を取ったと電話で聞き祖母は始め従兄弟の方かと思ったらしく凄く嬉しそうに喋っていた。しかし先生が褒めているのが俺と分かったのか、とても険しい顔になった。俺は隠れて見ていた。とても恐ろしい顔をしていた。
賞金は出なかったが商品券と記念の賞状が貰えた。それを持って帰ると玄関先で商品券は伯母に奪い取られた。悲しくなりながらも賞状をいつものようにカラーボックスに入れると、いつの間に部屋にいたのか祖母が「そこには何枚の賞状が入っているんだい?」と聞いてきて、びっくりしながらも覚えていなかったので正直に言うと舌打ちをして部屋を出て行った。
それから、俺はいないものとして扱われるようになった。
祖母は怒鳴らない、伯母夫婦は無視をする。従兄弟はあれだけ絡んできたというのに舌打ちだけして俺を見ないようにする。俺はこの家で空気になった。
それでも居間に行けさえすれば食事は与えられたし、背が大きくなれば服も少し買い与えられた。
……多分、俺の扱いに困ったのだろう。周囲からは絵の天才と呼ばれていたようで、先生は過去俺がどれだけ賞を取ってきたのか祖父母の家に知らせたらしい。寝耳に水の彼らは驚いた事だろう。下手に嫌がらせをすれば、金の卵を逃すと思っていたのかもしれない。或いは今更ながら、世間体だろうか。才能ある人間を壊してしまっては周囲は絶対に疑問を抱くから、その時に自らが不利にならないように立ち回るには無視が一番手っ取り早かったのだろう。

中学に上がっても俺は変わらず体調は悪く、しかし賞は取り続け、そして賞金の額は増えた。賞金は小学生までは自宅に送られたりして見つかったら取り上げられてしまっていたが、中学に上がってそれは自分のものだと主張したら、それ以降巻き上げられる事はなかった。
ある日、体調が良くて見に行ったコンクールで兄の名前を見かけた。自分とは描くジャンルが違うみたいで、日本画というものを描くらしい。それは不思議な魅力に溢れていて、初めて見た時衝撃を受けた。こんな絵があったなんて!こんな描き方があるとは。色の使い方がまるきり自分とは違う。本当に、本当に凄かった。辺りを見回して兄がいないかと探した。あれからかなり月日が経っていたが、あのうつくしい兄を見間違えるはずがない。この感動を伝えたかった。
しかしその会場には来ていなかったようで、肩を落としながらも兄の絵を目に焼き付けて帰った。
それ以来、コンクールなどで兄の絵がないか、兄が来ていないかと探すようになった。会う事は叶わなかったが、数多くの作品たちを見る事ができて嬉しかった。

そうして、中学三年生までを過ごした。
その頃には賞状やトロフィーなんかはその頃にはもうカラーボックスには収まりきらなくなってきて、適当に積んでおいたら寝ている時に蹴飛ばしてしまったらしく布団の上に落ちてきて朝足が痣だらけになっていたりもした。
高校は百花学園というところに推薦されて、試験を受けたらあっさりと合格した。いや、試験などというものでもなかった。面接と限られた時間内に作品を作るもので、俺にとっては造作もない事だったからだ。
そしてそれを機に祖父母の家を出る事にした。学校には寮があるという。一旦そこに住むとして、俺には確かめたい事があった。
それはあの母と住んでいたアパートの事。今あの人はあのアパートに住んでいるのだろうか。何の音沙汰もないのは祖父母が連絡を絶っているのか、本当に母が俺を見捨ててどこかに行ってしまったのか。分からない。学校はあのアパートの隣町にあるから、向こうに引っ越したら確かめに行こうと決意した。

入学式の前に寮に引越しをして、数少ない荷物を整理する事もなく急いで俺はあのアパートへと向かった。
バスに乗り少しの距離を歩いて、目的地へと辿り着いた。
そこは相変わらず古びたアパートで、全然変わっていない事に安堵した。
アパートの前の小さな庭を竹箒で掃いている老婦人がいた。曲がった腰に手編みのカーディガン。総白髪に深く刻まれた皺。ここのアパートの管理人さんだと気がついた。記憶よりも少し老けただろうか。しかしその出で立ちは全く変わっていなかった。
「……あの、すみません」
声をかけると管理人さんはこちらを振り返って見上げた。
「はい、どうしましたかね」
「ええとその、俺、実は昔ここに住んでいて……えっと、赤羽、っていうんですが覚えて、いますか……?」
ここに住んでいたのは痩せっぽっちの小さな子供で、今の俺は相変わらず痩せてはいたが背は伸びたから、分かるかどうか不安だった。この人は出会うとよくおせんべいをくれた。覚えていてくれると嬉しいのだけれど。
管理人さんはじっと俺の顔を見つめて、そしてああ!と大きな声を上げる。
「覚えているとも、覚えているとも。大きくなったねえ往哉くん。ご飯はちゃんと食べているかい?どうしてここにいるんだい」
「あの、えっと昔、母と俺がが住んでた部屋って、今どうなっていますか……?母はまだ、住んでいますか……?」
懐かしそうに笑顔で手を握ってきた管理人さんは途端に悲しそうな顔をする。
「往哉くん、もしかして今お母さんと一緒に住んでいないのかい?」
そう言われ首を横に振る。祖父母の家に預けられてこの春からは高校の寮に住むのだと告げるとああ、とため息のような声を出した。
「お母さんはねえ帰ってこなかったよ。あの部屋はしばらくそのままにしておいたけどね、ずっと空けておく訳にもいかなかったから荷物は処分してしまった。ごめんねえ、ごめんねえ。あれから何度か入居者は来ては出て行って、今は空き部屋になっているよ。……せめて、見ていくかい?」
俺は首を横に振った。そして意を決して聞いた。
「その部屋を借りる事は、出来ますか?」
管理人さんの目は悲しみとやるせなさが混じった色をしていた。
俺はこの部屋を借りる事ができて、寮に届いたばかりの引越しの荷物を業者を呼んであのアパートに運び入れてもらった。
荷物の中にあのカラーボックスもあった。古びて色が剥げてぼろぼろのそれ。お金は今はもう銀行に預けているが図書カードや金券なんかは使わないものは賞状と一緒にカラーボックスに入れた。トロフィーや盾なんかは押し入れに適当に入れた。
……母さんは二度とここに戻る事はないだろう。そう確信めいた気持ちを感じていた。


そして、兄と待ちに待った再会したのはこの学校に入ってから。
体調が悪く入学式には出られなかったから、その姿を見る機会をなくしてしまったのだけれど、入学してからやはり彼は有名である事を知った。何度もコンクールで名前を見た。残念ながら同じコンクールに出る事は叶わなかったが、同世代の中でも抜きん出た存在。そんな素晴らしいひとが、俺の兄。全世界に自慢して回りたかった。

俺にとって神なんてものは信じられない存在だった。だがあの美しい腹違いの兄に会って、芸術科に入ってその姿を再び見る事になって神の存在を信じたのだ。
彼は神に愛されているのだと。
そう思えたから。
……でなければ、でなければこの差はどうあがいても埋められないこの運命の差は何なのだ。

入学してひと月ほど経った頃だ。その日はようやくやって来た。何年も待ち望んだその時。

専攻は同じ絵画系列と言えど兄は日本画コース、俺は西洋画コースで、しかも長年の無理が祟ったのかやはり登校できたは数えるほどしかなかった。
しかも辛うじて来られればやる事は多すぎて、入学からひと月、とうとうその日はやってきた。
彼は校内のカフェテリアで一人静かに珈琲を飲んでいた。ひと目でわかった。

「比企島、満、さんです、か」
何とかして勇気と一緒に振り絞った声は震えているのが自分でも分かる。
彼はカップに注いでいたであろう視線を上げて、俺の方を振り向いた。
「そだけど、なあに?」
ああ、やっぱり。あの頃から変わらず、いやもっと、天に恵まれた相貌の同い年の兄がそこにいた。
豊かな栗色の巻毛、オリーブ色の健康そうな肌、彫りの深い整った顔、唇の厚い口元は笑みの形をしていた。
ヘーゼル色の瞳がこちらを見つめている。
俺は少し長い制服の袖を握りしめて、言葉を紡ぐ。伝えなければ。
「覚えて、いるだろうか。俺は、赤羽往哉、という。貴方の、弟の」
すると彼は少し呆れたような口調で答えた。
「覚えているよ。昔、俺が会いに行ったもん。忘れる訳がないよ」
覚えていてくれた!
あまりにも嬉しくて、嬉しくて。抱えていた言葉が洪水のように止めどなく溢れ出た。
「貴方の絵を、見た。たくさん。貴方の名前を忘れないようにして、ずっと待っていた。聞いたその場で書き付けて、何度も何度も復唱した。今まで会う事は叶わなかったけれど、コンクールで、多くの貴方の作品を、見た。名前を見た。これが自分の兄が描いた作品なのだと嬉しくて、烏滸がましくも誇らしくて。とても、とても素敵な作品ばかりだった」
言い足りない、とてもじゃないが溜め込んできたこの感情を言葉にするには時間が足りない。いや、けれどこれからは好きなだけ──
ガシャン、と音がしたのは彼の手元で、ティーカップがソーサーに叩きつけられた音だった。
目が、怒りに燃えている。
「……あんな必死な絵のどこが?」
「え?」
素っ頓狂な声が漏れ出た。兄の目は怒りに満ちていた。
「お前の才能に勝てもせず只管描き続けた血塗れの作品群を俺は好いてない。あの日見たお前の絵に、コンクールで見続けた進化していくお前の絵に勝てもせず、燃え上がるような嫉妬の炎に身を焼き焦がせながらも筆を走らせるしかない男の絵の、どこが?いいって?」
何を言われたのか何一つ理解できなかった。しかし言葉は更に重ねられ、俺の脳に心に激情の刃は突き刺さる。
「絵のためなら俺は何だって捨てられる。家族も可愛い妹も身の回りの全てを、それこそ俺の命だって捧げてもいい、そんなにも焦がれる才能をお前が持ってる。お前の吐く賞賛なんか強者の驕りだ。虫唾が走る、やめろ」
何もかも、捨てられる?そんなにたくさんたくさん、俺の求めてやまないものを全て持っていて?傲慢な言葉の数々に、俺は言い返さずにはいられなかった。
「……何を、言っているのかさっぱり、分からないけれど。得る覚悟もないくせに」
「血を吐く程求めないくせに!」
「俺は、貴方みたいに勝つ為に絵を描いてない。貴方が求めるものは、陸上選手が水泳選手に勝ちたいと思うようなものだ。手に届かぬものを欲して偽の翼諸共焼け死ぬ所業だ」
「俺は描きたい、もっと上手くもっともっと巧く。その為なら何だってやる。偽物の翼でだって飛ぶ。魂を悪魔に売るくらい平気でやる」
「貴方程恵まれて何を言うのか!?」
「俺が恵まれてる!?お前が言うのか!?俺の何を知って言うんだ!」
こんなにも激昂したのは生まれてこの方初めてだった。多分周囲が止めに入らなければ掴みかかっていたし、向こうもそうだと思う。
彼が……満が、何を思ってああ言ったのか理解できない。したくない。きっと満もそうだろう。
俺たちは互いに欲しいものを持っていて、無い物ねだりをしている。隣の芝は青いのだろうか。
俺にとって幻ともいえる温かい家庭、安らげる家、安心して眠れる寝床、満足に与えられる食事、手作りの料理、健康な肉体、愛し愛される家族。
そんな、羨む全てを持つ兄は、何一つとして必要としてはいなくて、満ち足りなくて。
どう足掻いても手に入らないそれらを当然のように始めから持っていて蔑ろにしていて。
そんなの、ずるい。

それから一年近く、満と話す事はなかった。俺は気まずかったのもあるがそれよりも、体がどんどん悪くなってきていた。クラスメイトの顔だってまともに覚えられないくらいに。クラスメイトからしてもそうだろう。部活に所属するも出ていない生徒の事を幽霊部員というそうだが、こういう場合は何というのだろう。そのまま幽霊なんだろうか。
しかし二年に上がる前、俺と満は芸術科の生徒会に招待された。生徒会に入っていた方が何かと都合が良いのでそうした。
満とはぎこちなさを残す知人、くらいの距離感で話した。向こうもそうだった。
しかし体調が良くなる事は稀で、やはり生徒会業務もまともに出来はしなかった。芸術科の生徒会担当の教諭は俺の実力なら本当は生徒会長にすべきで、前任の生徒会長も指名したがっていたのだが出席率の悪さからどうしてもだめだと言った。
二年に上がる頃には月に一度すら登校出来ない事もあった。
俺が辛うじてこの学校にいられるのは特待生制度によるもので、出席日数の代わりに俺は絵を描いて実績を出す事。多分満は嫌がる言い方をすれば、俺にとってそれくらい容易い事だった。
もう俺に残されたものはこの絵を描く腕だけだ。母が期待し皆が期待し親戚が妬み、兄が嫉んだこれだけ。いっそ絵筆を捨ててしまいたくなる。
……でも、絵を描いている間だけは、兄と繋がれている気がするんだ。俺たちは兄弟だと未だ思って願ってしまって。満が捨てた縁に縋っている。俺の、唯一の家族だなんて、思っているから。

二年の半ばにしてもう次の生徒会長へと指名を受けた。副会長には比企島満だ、と伝えられて俺は二つ返事で了承した。俺たちにはそれぞれアトリエが与えられた。

ちょうどその頃満が彫刻系列に興味を持ち学んでいると人伝てに聞いた。三年に上がったら本格的に彫刻系列で学ぶらしく、その為に色々なコース見て回っていると。
彼の執念からして日本画以外に手を出すとは思えなくてとても驚いた。でもしばらくしてからだろうか、満の作った彫刻を見た。見てしまった。
初めて作り上げた作品だと聞いた。それが審査員特別賞を貰ったのだと。
それはあまりにも生命力に満ち溢れた作品だった。凄く彼らしい、なんて思ってしまって。そんなに彼の事を知っている訳ではないのに、本当にそう思ったんだ。
彼はきっとこの分野でも成功するだろう。そう確信する。本当に素晴らしいひとだ。自分の兄は。
俺は兄との絆を、違うな。絆なんてない。縁だ。縁に縋って絵を描いている。彼を追って、追わなければどこかで筆は置いていただろう。そして、これがなければ俺の存在価値はないとずっと思っている。
俺が筆を置く事は死ぬまでないだろう。
この身が心身共に削られ摩耗しようとも描き続ける。
そうしなければ、俺は誰とも繋がれない。

あの初めてもらった図書カードは未だにカラーボックスの底に入っている。
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