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百花学園の愉快な日常 ACT:1

ACT-8 未知との遭遇
昼休み、一二三はカフェテリアにて食後の紅茶を飲んでいた。砂糖たっぷりのチャイティー。ここのチャイティーはとても美味しいのでお気に入りだった。午後からは数学が立て続けに二時間あるので、糖分を摂っておこうと考えた一二三は一人でカフェテリアに来ていたのだ。
今日は気分ではなくいつもいる外のテラス席ではなく、店内のカウンター席の一番奥まった所を陣取っていた。バスクチーズケーキを一欠片口へ放り込みながら、忙しそうに走り回るカフェの店員、 御羊おひつじ 宵朔よさくをなんとなしに見ていた。ここの従業員は全て外のスタッフで、学校関係者ではない。が、このカフェ自体は卒業生たちが立ち上げたものであるらしく提携しているというわけだ。御羊もここの卒業生で、バリスタとしてイタリアでも修行してきたらしい。彼のラテアートは芸術品で、ここの一番人気のメニューでもある。以前みちかが入れてもらっていた時は立体の泡でできた猫がそれはそれは可愛かった。残念ながら一二三はコーヒーが飲めないので注文できない。
もう一口、ケーキを口の中へ入れる。舌の上でとろける感覚にうっとりする。と、そこへ一二三の隣に香り高いコーヒーが置かれた。コーヒーは飲めないがその匂いは好きだ。置いた宵朔を見ると微笑んだ。
「相席というか、隣使うね。ごめんねえ」
そう言われては仕方ない。元より人見知りする方でなし。会計を済ませた者が一二三の隣に来て、座る。
すっと通った鼻梁に烏の濡れ羽色の髪、浅黒い日に焼けた肌、黒曜の瞳が、誰かに似ていた。あまりじろじろと見るのは失礼かと視線を逸らそうとした刹那、ばちりと目が合った。
思わず会釈すると向こうも少し顎を上げる。
そこへ宵朔が顔を出す。
「俺の学生時代の同級生なんだ。今は大学で民俗学の助教授をやってるんだよな?逆蔵さかくら蔵人くろうど、んでこっちはここの普通科の大饗一二三ちゃん。ごめんね今店内混んでてさあ。ああ蔵人、資料は貰えたかい?」
それぞれ紹介をして話を蔵人に振る。男はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「目的の物は一応な。相も変わらずあそこの教師陣は頭がおかし過ぎるからとっとと頭の病で辞職してくれんものか」
その返しと姓を聞いて一二三は確信する。この人は絶対確実に逆蔵皇逹の親類である、と。容貌とて彼にとても良く似ている。皮肉げに吊り上がった口角なんか特に。
物怖じする性格ではないので、一二三は蔵人に質問する。
「あのう、もしかしなくても神学科の逆蔵皇逹くんの親戚ですか?」
すると蔵人は驚くでもなく猫のように目を細めた。
「何だ、皇逹の知り合いか?ふん、普通科。その銀バッジは理数系列進学コース。よもやあいつに学科が違う友人がいるとも思えん。皇逹の彼女か?確かにあいつのタイプではあるな」
勝手に話を進めていく蔵人に慌てて首を振る一二三。
「違います違います。本当にただの知り合いです。それにしても良く似てますねえ」
しみじみと呟けば蔵人はくつくつと笑った。
「ま、従兄弟だからな。よく面倒見てやったぞ。あいつは兄貴が好きだが性質は俺そっくりだからな。気になったものをそのままにしておけん研究者型だ。だからまあ、兄貴の跡を追って神学科なんぞに入ったんだろう。」
「逆蔵くんお兄さんいたんですか」
「数年前に事故で死んだがな。皇逹が反対の聖人君子みたいな男だったぜ。亡くすには早すぎた」
ぽつりと呟かれた最後の台詞があまりにも寂しそうで一二三はかける言葉を失う。
「初対面でする話でもないか。皇逹は学校ではどんな感じだ?相変わらず女にモテてはいるが友達はいないだろ?俺そっくりだ」
友達いないと言い切ってしまう辺りとても潔いが如何なものか。一二三は反応に困りあはは、と笑う。印象として歳を重ねて角が取れた逆蔵皇逹という所だろうか。蔵人はジャケットから煙草の箱を取り出し一本口に咥えると、それを目敏く見つけた宵朔が素早く取り上げた。
「うちは禁煙って何回言えば分かるの!」
くくくと笑う蔵人は一二三の方を向いて「こうは言うがこいつな今は数が減ったが結構なヘビースモーカーでな。見ろ、俺から奪った煙草をポケットに入れたろう。後で吸う気だ。今までも何本も取られた」
「人聞きの悪い事言わないでよお!そのぶん君だって俺の煙草持ってくじゃない!」
「だいたいお前、ブラストのヴァニラだろ。俺のはチェリーだ。よくもまあ吸えるもんだ」
「君だって貰い煙草するじゃないのお!」
気の置けない仲なのか、小突きあったりして笑い合っている。一二三は逆蔵皇逹もこういう風に笑い合える友がいれば変わるのだろうかと思い、脳内に女郎花透が過ぎったが彼はまた違うのだろうと完結した。
「うお、逆蔵の旦那。来てらしたんか」
最近よく聞く声に一二三は振り返り声の主を見て気安く話しかける。
「てこ先生、知り合いなんですか」
「知り合いというかのう。わしの二世代上の総括生徒会長でな、何というか逆蔵の旦那が可愛がっていた後輩がわしらの先輩で、その伝手で顔見知りというかの。ああそうじゃ、神学科の逆蔵皇逹の従兄弟じゃぞ」
「それは聞きました。とても良く似てますよね」
「性格は逆蔵皇逹のが大人しいぞ」
「えっ嘘だ」
どこからどう見てもこちらの方が落ち着いた大人だ。首を傾げながら一二三は蔵人の方を見る。
「くく。まあ、昔はやんちゃしていた時分もあったからな」
「いや、というか現在進行形でそうじゃ、騙されるなひふみ。逆蔵の旦那、もう少し凛悟さんの事は容赦してあげてください」
「考えとく」
「それ絶対考えるつもりないじゃないですかいつもそうじゃ!人でなし!鬼!悪魔!唯我独尊!わしの恩人が可哀想じゃ!」
ぎゃんぎゃんとてこが吠えかかるが蔵人は何処吹く風、特に気にした風もなかった。
今度こそ愉快そうに笑う蔵人を見て、一二三もなるほど、と頷いた。中々にジャイアニズムを突き進む人らしい。
「凜悟といやあ、あれの甥が今体育科にいるんだろう?あれの一族なら生徒会長か?あいつはあまり身内の話を俺にせん」
非常に不服そうに鼻を鳴らす蔵人に御羊が苦笑した。てこは蔵人の言葉に驚いた様子で答える。
「え?凜悟さんから聞いとらんのですか。体育科ですが生徒会役員ですわい。今の生徒会長はオリンピックに出ていた、あいつですわ」
「ああ、あれか。水野だか水田だかいう。それなら仕方ないな。しかしとうとう以劔一門の奴が生徒会長落ちか。ま、この御時世剣の道など滅びゆく伝統だろう」
てこの言葉に蔵人は納得したように頷いた。てこは小さく「水野です。水田は被服の方の奴です」と付け加えた。
体育科の生徒会長のオリンピック出場は一二三とて覚えていた。その人物がどのような見た目かは忘れたが、去年学校中がお祭りのように盛り上がっていた。
そこここでその渦中の人物が歩いていれば人集りが出来て、声援の言葉が雨あられのように浴びせかけられていた。覚えていないのはその人垣のせいかもしれないな、と一二三は一人頷いた。
才能の収束地たるこの学園に於いても、やはり在学中にオリンピック出場ともなると一目置かれる。ましてや、メダル獲得者ともなれば。現在在学者でオリンピック出場者は三人おり、その全てが体育科生徒会に入っている。
その中でもやはり、水野泉水という体育科生徒会長は別格であった。
飛び込み競技というマイナーな競技にも関わらず、水野泉水いずみは日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。素人目にも分かりやすい程の美しいフォーム。洗練された技巧。純粋に人を魅せる美しさ。役重雪飛が丹念に手入れされた薔薇ならば、水野泉水はありのままの姿で美しいとされる大海だろうか。
「体育科の生徒会の連中は将来メディアで多く見かける事なるじゃろうから、今の内から仲良くしておきたい下世話な奴らが多いからのう」
「はは、確かに。俺たちの世代からでも変わらんもんだ」
椅子に寄りかかり呆れ返った様子で手を挙げる蔵人に一二三は少し笑った。
そしてその視線はそのままカフェの外に向けられた。
「あれ、あそこにいるのは皇逹くんじゃないですか?」
振り返る蔵人も皇逹を遠目に認識して、にやりと悪意ある笑みを浮かべながら一二三に囁く。
「よくぞ気が付いたな。ふん、なるほど。いいか民族学で重要な事を俺は三つ提案する。観察力、理解力、そして事態を予想する推理力だ。見ていろ、絶対これは面白くなるぞ……!」
「洞察力はいいんですか……?」
にやにやとした蔵人と、頷くか迷いながらも結局気になってそのまま視線を外さない一二三の見守る中、皇逹は体育科の女生徒と対峙していた。

何かを差し出されている逆蔵皇逹と、体育科の真っ白な制服に長い鮮やかな朱色の髪を頭の天辺で一つに纏めている女生徒。遠目からみても皇逹よりも長身だった。
皇逹は差し出された何かを受け取ろうとするが体育科の女生徒は離さないらしく二人は差し出した手を引かない。そして何があったのか、女生徒は手を上へと掲げるものだから、皇逹は半ば宙吊りの形となった。
それを見て蔵人は腹を抱えて笑い出す。
「ははは!おい見ろ最高に面白い事になっているな!吊し上げられているぞ文字通り!」
それを冷ややかな目で宵朔は見る。
「酷い従兄弟だよねひふみちゃん、嫌な大人すぎるね」
一二三は苦笑しながら流石に手を貸した方が良いと判断して席を立つ。それに宵朔は「また来てね」と声をかけた。
てこも「流石に手を貸さんとな……。獅子崎も容赦ないからの」とついてきて、蔵人も面白そうな予感に立ち上がる。
「相変わらずの野次馬根性だねえ」
何度目かの呆れたため息を吐く宵朔に、蔵人は笑って去っていった。

「さっさと手を離せメスゴリラ」
「口の利き方がなってないな歳上には敬語を使え拾ってもらったらちゃんとした礼を言え女に向かってメスゴリラとは何だブッ飛ばすぞ」
口喧嘩の内容に一二三は大体の予想がついた。皇逹が落し物をしてそれを拾って貰ってろくなお礼も言わず無礼な態度を取って怒りをかっているようだ。
「あのすみません!皇逹くんが全面的に悪いとは思いますがどうかご容赦を!」
「ああ!?」
釣り上げられながらもさりげない暴言に皇逹は振り返る。
最近見慣れた同学年の生徒と、兄の同期の教師、そして従兄弟だった。
「……どういう組み合わせで来やがる」
そう言う逆蔵皇逹は一二三の言葉によって降ろされる。
「ほんとすみません皇逹くん世間の常識とか何とかかんとか色々苦手なんで!人間生活慣れてないんです!」
「お前ほんとふざけんなよ……!」
皇逹の前に出て頭を下げて謝る一二三とその言葉に腹を立てる皇逹。そして体育科の女生徒は更に大声を出して怒鳴る。
「女背に隠れて情けないとは思わんのか!それにさっきから聞いていれば謝ってくれている奴にどういう態度をしている!」
腹から声を出しており、気持ちの良いくらいの発音の良さが耳にすっと入ってくる。
話を聞きながらも今にも笑い出しそうな蔵人と、止めに入るてこ。
「落ち着け獅子崎。確かにこやつも悪いが、本人からではないが、謝られたのじゃ。一旦下がりよれ」
尖った犬歯を剥き出しにして今にも皇逹を喰い殺しそうな顔をしていた、獅子崎と呼ばれた女生徒。
渋々、仕方なく、といった様子で一歩下がった。
腕を組み一二三を見下ろす様は威圧感に満ち溢れていた。が、一二三はそんなに悪い人と思えなかったし、言っていた事は正論だったので怖いとも思わなかった。
「初めまして!大饗ひふみといいます!皇逹くんがごめんなさいでした!体育科の人ですか!?」
笑って聞くとムッとした表情をしていた相手は表情を崩す。
「この雑魚雑魚の連れとは思えない程に良い生徒だな!感心した!私は体育科三年、獅子崎ししざき麗央那れおなだ」
腕組みを解いてわしわしと頭を撫でる。一二三は力が強いのと癖っ毛の髪の毛が乱れてぎゃーと言っている。
その様子を少し離れた場所で見て蔵人がてこに聞く。
「なあおい、てこ。あの愉快そうな奴は誰だ?」
「体育科で柔道やっとります、獅子崎家の人間ですわ。以劔の嫡男と幼馴染みで」
「ほー。そりゃ、皇逹とは相性の悪そうな相手だな。ま、あいつの場合ほとんどの奴は相性悪いだろうが」
遠回しに性格がとびきり悪いと言われている皇逹。
その皇逹はといえばようやく手放してもらえたハンカチをポケットに入れて、ひふみも麗央那も無視して蔵人のところへ来る。
「玄人兄さん、どうしてここにいるんだ?なんであいつと一緒にいたんだ?」
「さっすが俺の従兄弟。スルースキルが高え。ちょっと資料を取りに来ただけだ。ついでに御羊んとこ寄ったら隣にあの子がいて話し込んでて、んでお前が吊し上げられてんの見て面白そうだから寄ってきた」
相変わらずか、といった顔をする皇逹。てこも苦笑していて「傲岸不遜は一生治らんじゃろうなあ」と呟いている。
「ああそういや、玄人兄さんの親からうちの親に来て俺にって伝言ゲームが成立してて、たまには実家帰って孝行しろだってよ」
「遠回しにお前が伝えて伯母さん達がオブラートに包んで嫌だっつっといてくれ」
「逆蔵の旦那、相変わらず過ぎるな」
「実家は別に嫌じゃねえが、顔を合わせる度にやれ結婚はまだかいい人はいないのか見合いはどうだ?と言われまくってみろ。足が遠のくに決まってんだろ」
「旦那は好きに生きまくってるからまあそうじゃろうなあ」
うーん、と頷くてこ。皇逹も肩を竦める。
「つっても玄人兄さんは一人息子だからやっぱり気になるんじゃねえの?」
「ほら逆蔵の旦那、従兄弟の方がまともな事言うとるぞい」
「おい皇逹お前はどっちの味方だ?恩人たるこの蔵人兄さんの永遠の味方だろ?」
じっとりとした目で皇逹を見遣る。それを皇逹ははん、と笑う。
「俺は俺の味方で、俺に火の粉がかからない限りは玄人兄さんの味方だ」
「くそ、育て方を間違えた!」
そんな三人のやりとりとは別に、ひふみと麗央那は既に仲良くなっている。
「あいつほんとに陰険だな!友達少ないだろ!お前が友達やっているのは慈善事業か!?」
「いやあ、ああ見えて面倒見が良いんですよ、私の知らない事を教えてくれたり。まあ性格は壊滅的なんですけど」
そこまで喋ったところで皇逹が振り返る。
「聞っこえてんだよクソ!」
皇逹が怒っても一二三はいつも通りあはは、と笑った。
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