百花学園の愉快な日常 ACT:1
「それでは新年度統括生徒会会議、第一回を始めます」
耳にすんなりと入る、良く通る声で生徒会会議の始まりが告げられた頃、一二三は購買に来ていた。隣には潤一。このまま買い物をしたら家に帰って二人でゲームをする。
「よっちゃーん」
一二三が声をかけると、奥の方から低い男の声が返ってきた。
「んー?誰かにゃー」
競馬新聞を手に現れたのは三十代前半から半ばというくらいの、おおよそ社会人には見えない男だった。染めた髪にじゃらじゃらとつけられたピアス、ネックレス、ブレスレットに指輪。いつもゆるく笑っている口元。ロックバンドのTシャツに革パンという街中にいればまだいい服装ではあるが、確実に学校にいてはならないだろう。
「おっひふみに潤一じゃーん。何か買ってってよ。今日のオススメは俺の服と同じ色のオレンジジュース」
「じゃ、それとポテチのコンソメ味とプリッツ。あとよっちゃんください」
「え。やっと俺のお持ち帰り考えてくれた?」
きゃー、なんて言って自分の体を抱きしめる。一二三は冷静だ。
「いえ、イカの方です」
「……俺はイカに負けたのか」
購買の隅で今度は丸くなって落ち込む、この感情表現の豊かな男は四元という。よっちゃんというあだ名で生徒たちから好かれている。憎めない男だが、時々、少しだけ、結構、面倒くさい。
全力で落ち込んでいたかと思うと、次の瞬間てきぱきと一二三の言った商品を袋に詰めてくれた。それを差し出しながら空いているもう片手を差し出す。
「ほい、三百八十円。しかしおまけして三百五十円でいいよ〜」
朗らかな笑顔で笑う四元に一二三も笑った。
「よっちゃん優しい。はい、ありがとう」
お金を渡して袋を貰う。中をふと見ると頼んでない物もいくつか入っていて、それは一二三達の好物ばかりだった。
何か言おうとする一二三の眼前に皮のぶ厚い掌をかざして台詞を言わせない。チチチ、と外国映画の中の登場人物のように舌を鳴らして、四元は笑う。
「可愛いお嬢ちゃんにはおまけをつけるってのが良い男のマナーだ。二人で一緒に食うんだろ?とっとけとっとけ。おっと、生徒指導のあの虫みてーな男にゃナイショだぞ。あいつ、生徒だけじゃなく俺にまで口を出すのよ。お前自身が教育の害だ、的な?ヒドいよねー」
こそっと内緒話でもするかのように手を口に当てて話す四元。一二三と潤一は互いを見てぷっと吹き出した。ここに来る前、その教諭から四元に対する愚痴を聞いたばかりだった。
笑い出した二人を見て、四元は年齢にそぐわない、口を尖らせるという仕草を見せて拗ねる。
「何よ何よ、俺も混ぜてよ〜!姉弟だけの内緒話なんてそんなやーらしい響きのする事など、このよっちゃんの目の前で見過ごすことはできないよっ!そう、俺も混ぜて!」
拳を握りしめて訳の分からない事を叫ぶ彼を放置して、一二三と潤一は昇降口へと向かう。後ろでまだ何か叫んでいる四元の声を聞きながら、二人は人が増え始めた廊下を進んだ。
昇降口、それはこの学園の中でも一番特殊な場所と言ってもいいだろう。それはこの学園に通う者全てが、毎日ここを通過するからだ。毎日全校生徒が必ず通る場所などそうはない。学園が広ければ広いほど、それはより特殊な場所となる。
勿論、全国には学科ごとに完全に校舎が違っていて昇降口が完全に別だったり、人が多ければ学年毎になど、複数作られたりもするだろう。
しかしこの学園は、全校生徒、その全てが、一ヶ所の昇降口を利用している。当然とても広い空間となった昇降口だが、極めて効率的な下駄箱の配置で利用者の混雑などは少ない。
一二三は普通科専用のスチール製の下駄箱の、手前から三番目で止まる。上から四番目、自分の胸辺りに位置する蓋を開ける。潤一とお揃いの、有名スポーツメーカーのスニーカー。……それの上に何やら見慣れない物が置かれていた。
それを手に取ってよく見てみる……までもなく、それは封筒。表に丁寧な字で『大饗一二三様』と書かれ、裏には何も書かれていない。
封を開けてみると、シンプルな封筒同様、シンプルな便箋に文字がしたためらていた。
『大饗一二三様へ
急にこのような手紙が届けられ、驚かれていると思います。
私は純粋な気持ちでこれを書いております。決して悪戯だと、冗談だと思わないでください。
私は元気な貴女にいつも力を貰っています。生きる力を貰っています。いつも誰かと笑っている貴女を見ていると、こちらまでいつの間にか笑っている事もしばしばです。貴女は私にとっての太陽です。明るくて美しくて、皆が貴女の光に集まってくる。引き寄せられる。陽の光を求めるように。私もきっとその中の一人なのでしょう。しかしこちらから貴女が見えても、貴女がこちらを見る事はないでしょう。多数存在する群の中の個に、気付く事などないでしょう。光の中で闇の奥は見えないでしょう。しかし私はそれで良いのです。この手紙を読んでいてくれるというだけで、私は救われるのです。
どうか、そのままの貴女でいてください。』
その手紙に名前はなかった。そしてそれはラブレターだった。いや、そうだと思う。
「……なんかストーカーっぽくて恐いね」
いつの間にか隣にいた潤一に驚く。
「わあ!びっくりした!ちょい、人の手紙を勝手に見ないでよ!」
「見えたんだって。ごめんごめん。で?誰からなの?それ」
「分かんない。名前書いてなかったから」
ふうん、と言って潤一は一二三の手元にある手紙にもう一度視線を送った。
「ってか、ストーカーとか酷いでしょ潤。人に想いを伝えるのがどれだけ難しい事か分かるでしょう?この人だって勇気を振り絞ってこれを書いてくれたんだ。礼は言えども批判はすべきじゃあ、ない」
「はいはい。ひふみは人を信じやすいからね。それで本当にストーカーだったらどうするの?」
互いに主張を言い合いながら昇降口を出る。
「潤は人を疑いすぎなんだって」
「ひふみは無闇矢鱈に信じすぎ」
いつもの事なので二人は半分楽しみながら帰っていく。
これがいつもの日常だった。しかし、この日が、日常との分岐点だった。第一回統括生徒会、差出人不明の手紙。そう、ここが変わり目だったのだ。
耳にすんなりと入る、良く通る声で生徒会会議の始まりが告げられた頃、一二三は購買に来ていた。隣には潤一。このまま買い物をしたら家に帰って二人でゲームをする。
「よっちゃーん」
一二三が声をかけると、奥の方から低い男の声が返ってきた。
「んー?誰かにゃー」
競馬新聞を手に現れたのは三十代前半から半ばというくらいの、おおよそ社会人には見えない男だった。染めた髪にじゃらじゃらとつけられたピアス、ネックレス、ブレスレットに指輪。いつもゆるく笑っている口元。ロックバンドのTシャツに革パンという街中にいればまだいい服装ではあるが、確実に学校にいてはならないだろう。
「おっひふみに潤一じゃーん。何か買ってってよ。今日のオススメは俺の服と同じ色のオレンジジュース」
「じゃ、それとポテチのコンソメ味とプリッツ。あとよっちゃんください」
「え。やっと俺のお持ち帰り考えてくれた?」
きゃー、なんて言って自分の体を抱きしめる。一二三は冷静だ。
「いえ、イカの方です」
「……俺はイカに負けたのか」
購買の隅で今度は丸くなって落ち込む、この感情表現の豊かな男は四元という。よっちゃんというあだ名で生徒たちから好かれている。憎めない男だが、時々、少しだけ、結構、面倒くさい。
全力で落ち込んでいたかと思うと、次の瞬間てきぱきと一二三の言った商品を袋に詰めてくれた。それを差し出しながら空いているもう片手を差し出す。
「ほい、三百八十円。しかしおまけして三百五十円でいいよ〜」
朗らかな笑顔で笑う四元に一二三も笑った。
「よっちゃん優しい。はい、ありがとう」
お金を渡して袋を貰う。中をふと見ると頼んでない物もいくつか入っていて、それは一二三達の好物ばかりだった。
何か言おうとする一二三の眼前に皮のぶ厚い掌をかざして台詞を言わせない。チチチ、と外国映画の中の登場人物のように舌を鳴らして、四元は笑う。
「可愛いお嬢ちゃんにはおまけをつけるってのが良い男のマナーだ。二人で一緒に食うんだろ?とっとけとっとけ。おっと、生徒指導のあの虫みてーな男にゃナイショだぞ。あいつ、生徒だけじゃなく俺にまで口を出すのよ。お前自身が教育の害だ、的な?ヒドいよねー」
こそっと内緒話でもするかのように手を口に当てて話す四元。一二三と潤一は互いを見てぷっと吹き出した。ここに来る前、その教諭から四元に対する愚痴を聞いたばかりだった。
笑い出した二人を見て、四元は年齢にそぐわない、口を尖らせるという仕草を見せて拗ねる。
「何よ何よ、俺も混ぜてよ〜!姉弟だけの内緒話なんてそんなやーらしい響きのする事など、このよっちゃんの目の前で見過ごすことはできないよっ!そう、俺も混ぜて!」
拳を握りしめて訳の分からない事を叫ぶ彼を放置して、一二三と潤一は昇降口へと向かう。後ろでまだ何か叫んでいる四元の声を聞きながら、二人は人が増え始めた廊下を進んだ。
昇降口、それはこの学園の中でも一番特殊な場所と言ってもいいだろう。それはこの学園に通う者全てが、毎日ここを通過するからだ。毎日全校生徒が必ず通る場所などそうはない。学園が広ければ広いほど、それはより特殊な場所となる。
勿論、全国には学科ごとに完全に校舎が違っていて昇降口が完全に別だったり、人が多ければ学年毎になど、複数作られたりもするだろう。
しかしこの学園は、全校生徒、その全てが、一ヶ所の昇降口を利用している。当然とても広い空間となった昇降口だが、極めて効率的な下駄箱の配置で利用者の混雑などは少ない。
一二三は普通科専用のスチール製の下駄箱の、手前から三番目で止まる。上から四番目、自分の胸辺りに位置する蓋を開ける。潤一とお揃いの、有名スポーツメーカーのスニーカー。……それの上に何やら見慣れない物が置かれていた。
それを手に取ってよく見てみる……までもなく、それは封筒。表に丁寧な字で『大饗一二三様』と書かれ、裏には何も書かれていない。
封を開けてみると、シンプルな封筒同様、シンプルな便箋に文字がしたためらていた。
『大饗一二三様へ
急にこのような手紙が届けられ、驚かれていると思います。
私は純粋な気持ちでこれを書いております。決して悪戯だと、冗談だと思わないでください。
私は元気な貴女にいつも力を貰っています。生きる力を貰っています。いつも誰かと笑っている貴女を見ていると、こちらまでいつの間にか笑っている事もしばしばです。貴女は私にとっての太陽です。明るくて美しくて、皆が貴女の光に集まってくる。引き寄せられる。陽の光を求めるように。私もきっとその中の一人なのでしょう。しかしこちらから貴女が見えても、貴女がこちらを見る事はないでしょう。多数存在する群の中の個に、気付く事などないでしょう。光の中で闇の奥は見えないでしょう。しかし私はそれで良いのです。この手紙を読んでいてくれるというだけで、私は救われるのです。
どうか、そのままの貴女でいてください。』
その手紙に名前はなかった。そしてそれはラブレターだった。いや、そうだと思う。
「……なんかストーカーっぽくて恐いね」
いつの間にか隣にいた潤一に驚く。
「わあ!びっくりした!ちょい、人の手紙を勝手に見ないでよ!」
「見えたんだって。ごめんごめん。で?誰からなの?それ」
「分かんない。名前書いてなかったから」
ふうん、と言って潤一は一二三の手元にある手紙にもう一度視線を送った。
「ってか、ストーカーとか酷いでしょ潤。人に想いを伝えるのがどれだけ難しい事か分かるでしょう?この人だって勇気を振り絞ってこれを書いてくれたんだ。礼は言えども批判はすべきじゃあ、ない」
「はいはい。ひふみは人を信じやすいからね。それで本当にストーカーだったらどうするの?」
互いに主張を言い合いながら昇降口を出る。
「潤は人を疑いすぎなんだって」
「ひふみは無闇矢鱈に信じすぎ」
いつもの事なので二人は半分楽しみながら帰っていく。
これがいつもの日常だった。しかし、この日が、日常との分岐点だった。第一回統括生徒会、差出人不明の手紙。そう、ここが変わり目だったのだ。