憂いを癒す声
後家から洋服をプレゼントされた。シフォン生地の白のトップスに、フリルの付いたピンク色の膝丈のスカート。
彼と街を歩いていた時に目を奪われたそれを、彼は当たり前のように買ってくれた。審神者が持っている私服の中で、一二を争うお気に入りだった。
好きな洋服というのは、身に纏っているだけで幸福になれる。その日も審神者は、後家からもらった服を身に着けて万屋へ向かっていた。
スカートのフリルが視界に入るたびに、心が弾む。似合っているかはわからないけれど、この服が大好きだった。
「さて、コーヒー豆は買ったし……もう買うものはないよね?」
「ねえねえ、お姉さん」
買い物メモを確認していると、誰かに声をかけられた。
「はい?」
そこにいたのは、金髪の軽薄そうな男だった。薄っぺらい笑みがやけに気持ち悪い。
「お姉さん超カワイイね。俺と遊ばない?」
「…………」
見た目を気にかけるようになってから、この手の輩に声をかけられることがとても多くなった。大抵審神者が後家を待っている時に声をかけてきて、彼が戻ってくると脱兎のごとく逃げ出すのだ。
「……すみませんが、買い物の途中なので」
「じゃあ荷物持つからさ、ちょっとお茶しよーぜ?」
「嫌です」
「そんなこと言わずにさあ」
男があまりにもしつこいので腹が立ってきた。横を通り過ぎようとすると、強い力で腕を掴まれる。
「痛っ……」
「損させねーって、な、いーだろ?」
「っ……」
ここまでしつこいのは初めてだ。審神者は男をきっと睨んで、絶対に興味を無くす魔法の言葉を放った。
「彼氏いるので、止めてください」
さすがに相手がいるとわかれば男だって諦めるはずだ。そう思ったのだが────。
突然、男は一気に顔を不快に歪めた。
「はあ!? っざけんな男持ちかよ!? 声かけて損したわ!」
男は豹変して掴んでいた腕を離す。そして、片手に持っていたアイスコーヒーを、審神者の服にぶちまけた。
「きゃあっ!?」
「調子のんな、ブス!」
男は吐き捨てて去って行ってしまった。審神者は何をされたのか理解できずに、呆然と茶色に染まった服を見る。
「…………あ……」
後家が、プレゼントしてくれた服が。
「────────」
シフォン生地はコーヒーを吸ってすっかり汚い色になっている。淡いピンクも泥がついたようだった。
「……どう、しよう……」
服が駄目になってしまった。その事実が、審神者を絶望の底に叩き落した。
「あれ? 主おかえり」
声をかけられてはっと上を向く。気がつけば本丸の玄関にいた。どうやって戻ってきたのか覚えていない。目の前には内番姿の加州がいる。
「って、その服どうしたの!? お気に入りのやつって言ってなかった!?」
「か、しゅ……」
加州は審神者に駆け寄って、コーヒーをぶちまけられた服を見て焦っている。
「これ……コーヒー? 零しちゃったの?」
「ち、ちがう、の」
言葉を紡いだ瞬間、目から勝手に涙が零れた。
「は!? 主!?」
「コーヒー、かけられた、の……ナンパ、断ったら、怒鳴られてっ……」
ぼたぼたと雫が地面を濡らしていく。せっかく彼が贈ってくれた、大切な服だったのに。
「かけられた!? え、怪我は!?」
「ない、けど……服が……後家が、くれたやつなのにっ……」
審神者は耐え切れなくなって、両手で顔を覆った。
「うわあああああんっ!」
子どものように声を上げて泣きじゃくる。加州はあわあわと慌てて、審神者の肩を掴んだ。
「お、落ち着いて主! えっと、安定ー! 後家呼んで、大至急ー!」
「はー? なんか泣き声聞こえたけど何……ってええ!?」
普段冷静沈着な審神者が泣いているのを見て、安定も狼狽える。ふた振りは泣き続ける審神者を、必死になだめた。
「……えっとつまり、ナンパされて断ったら、コーヒーかけられたの?」
遠征から戻ってきた後家は、加州と安定から事情を聞いていた。審神者は後家の腕の中で、ぐずぐずと鼻を啜っている。
「うん……ごめんなさい、せっかく後家がくれた服なのにっ……」
「服はどうにでもなるよ、クリーニングするでも新しく買うでもいいんだから。火傷はしなかった?」
「アイスコーヒーだったから……」
「ありえないんだけどそのナンパ男! フラれただけでそんなことする!?」
「うーん……ちょっとやばい奴だったのかも……」
「よくひとりで帰ってこれたね」
「どうやって帰ってきたか、覚えてないの……」
「そりゃ怒鳴られたらびっくりもするって。あーもーそいつボコボコにしたい!」
加州はナンパ男が許せないようで、ずっと怒ってくれている。それが有難かった。
「主、そいつの人相は覚えてる?」
安定が優しくたずねてきたのを、こくんと頷いて答えた。
「金髪で、日焼けしてて……耳にいっぱいピアスつけてた……あと、胸のところにタトゥーが……」
「そこまで覚えてるなら絞れるね。皆にも伝えよう」
「……主、大変だったね」
後家はまだ震えている審神者の身体をそっと抱き締める。彼の体温が、恐怖に怯えている心を優しく溶かしていく気がした。
「っ……ごめん、なさい……」
「主はなんも悪くないよ。ゆっくり息吐いて、深呼吸しよう?」
「うん……」
「何か欲しいものある? 甘いものとか、飲み物とか」
後家の問いかけに、審神者はふるふると首を振る。
「傍にいて、ほしい……」
今は、後家に抱き締められていたかった。わがままを口にすると、後家はいっそう強く審神者を抱き締めた。
「だいじょーぶ。ずーっと傍にいるよ。もう怖くないから」
「っ……」
穏やかな声を聞いて安堵したせいで、また涙が零れてくる。審神者は顔をぐしゃぐしゃにしながら、後家に縋った。
「う……ひっ、く……!」
「よしよし」
後家は子どもをあやすように背中を叩いてくれる。そして、涙に濡れる審神者の頬に、ひとつ口づけをした。
「いっぱい泣いていーよ」
「っ、ごけ……」
「ごめん、まだナンパしたやつ近くにいるかもしれないから見てきてくれないかな」
「任された! 見つけたらふん縛ってやる!」
「清光、僕も行くよ。後家は主の傍にいてあげて」
「うん、お願い」
ふた振りが部屋を出ていくと、後家は泣き続けている審神者の顔を覗き込んだ。
「怖かった?」
「ちがう、私……大事にするって言ったのに、汚しちゃって……」
何もない日に着るべきではなかった。あまりにも可愛くて好きだったから、つい着ることを選んでしまった今朝の自分が許せない。
「浮かれてたの……そのせいで、こんなっ……」
自分を責める審神者に、後家は優しく両の頬を包んだ。
「主のせいじゃないよ。自分で汚そうとしたわけでもないのに、そんな風に言わないで」
後家は目尻にそっと口づけを落とす。そして、頬を濡らす涙をぺろりと舐め取った。
「ボクがプレゼントした服、そんなに気に入ってくれたのすごく嬉しい」
「っ……」
どこまでも優しい後家に、卑怯だとわかっていても縋ってしまう。審神者は後家の胸に顔を押しつける。
「大好きだよ、主。優しくて真面目で、一生懸命な主。いっぱい泣いて、たくさん寝て、そしたらまた笑ってね」
彼の穏やかな言葉は、水に溶けた砂糖のように傷ついた審神者の心に深く沁み込んだ。
彼と街を歩いていた時に目を奪われたそれを、彼は当たり前のように買ってくれた。審神者が持っている私服の中で、一二を争うお気に入りだった。
好きな洋服というのは、身に纏っているだけで幸福になれる。その日も審神者は、後家からもらった服を身に着けて万屋へ向かっていた。
スカートのフリルが視界に入るたびに、心が弾む。似合っているかはわからないけれど、この服が大好きだった。
「さて、コーヒー豆は買ったし……もう買うものはないよね?」
「ねえねえ、お姉さん」
買い物メモを確認していると、誰かに声をかけられた。
「はい?」
そこにいたのは、金髪の軽薄そうな男だった。薄っぺらい笑みがやけに気持ち悪い。
「お姉さん超カワイイね。俺と遊ばない?」
「…………」
見た目を気にかけるようになってから、この手の輩に声をかけられることがとても多くなった。大抵審神者が後家を待っている時に声をかけてきて、彼が戻ってくると脱兎のごとく逃げ出すのだ。
「……すみませんが、買い物の途中なので」
「じゃあ荷物持つからさ、ちょっとお茶しよーぜ?」
「嫌です」
「そんなこと言わずにさあ」
男があまりにもしつこいので腹が立ってきた。横を通り過ぎようとすると、強い力で腕を掴まれる。
「痛っ……」
「損させねーって、な、いーだろ?」
「っ……」
ここまでしつこいのは初めてだ。審神者は男をきっと睨んで、絶対に興味を無くす魔法の言葉を放った。
「彼氏いるので、止めてください」
さすがに相手がいるとわかれば男だって諦めるはずだ。そう思ったのだが────。
突然、男は一気に顔を不快に歪めた。
「はあ!? っざけんな男持ちかよ!? 声かけて損したわ!」
男は豹変して掴んでいた腕を離す。そして、片手に持っていたアイスコーヒーを、審神者の服にぶちまけた。
「きゃあっ!?」
「調子のんな、ブス!」
男は吐き捨てて去って行ってしまった。審神者は何をされたのか理解できずに、呆然と茶色に染まった服を見る。
「…………あ……」
後家が、プレゼントしてくれた服が。
「────────」
シフォン生地はコーヒーを吸ってすっかり汚い色になっている。淡いピンクも泥がついたようだった。
「……どう、しよう……」
服が駄目になってしまった。その事実が、審神者を絶望の底に叩き落した。
「あれ? 主おかえり」
声をかけられてはっと上を向く。気がつけば本丸の玄関にいた。どうやって戻ってきたのか覚えていない。目の前には内番姿の加州がいる。
「って、その服どうしたの!? お気に入りのやつって言ってなかった!?」
「か、しゅ……」
加州は審神者に駆け寄って、コーヒーをぶちまけられた服を見て焦っている。
「これ……コーヒー? 零しちゃったの?」
「ち、ちがう、の」
言葉を紡いだ瞬間、目から勝手に涙が零れた。
「は!? 主!?」
「コーヒー、かけられた、の……ナンパ、断ったら、怒鳴られてっ……」
ぼたぼたと雫が地面を濡らしていく。せっかく彼が贈ってくれた、大切な服だったのに。
「かけられた!? え、怪我は!?」
「ない、けど……服が……後家が、くれたやつなのにっ……」
審神者は耐え切れなくなって、両手で顔を覆った。
「うわあああああんっ!」
子どものように声を上げて泣きじゃくる。加州はあわあわと慌てて、審神者の肩を掴んだ。
「お、落ち着いて主! えっと、安定ー! 後家呼んで、大至急ー!」
「はー? なんか泣き声聞こえたけど何……ってええ!?」
普段冷静沈着な審神者が泣いているのを見て、安定も狼狽える。ふた振りは泣き続ける審神者を、必死になだめた。
「……えっとつまり、ナンパされて断ったら、コーヒーかけられたの?」
遠征から戻ってきた後家は、加州と安定から事情を聞いていた。審神者は後家の腕の中で、ぐずぐずと鼻を啜っている。
「うん……ごめんなさい、せっかく後家がくれた服なのにっ……」
「服はどうにでもなるよ、クリーニングするでも新しく買うでもいいんだから。火傷はしなかった?」
「アイスコーヒーだったから……」
「ありえないんだけどそのナンパ男! フラれただけでそんなことする!?」
「うーん……ちょっとやばい奴だったのかも……」
「よくひとりで帰ってこれたね」
「どうやって帰ってきたか、覚えてないの……」
「そりゃ怒鳴られたらびっくりもするって。あーもーそいつボコボコにしたい!」
加州はナンパ男が許せないようで、ずっと怒ってくれている。それが有難かった。
「主、そいつの人相は覚えてる?」
安定が優しくたずねてきたのを、こくんと頷いて答えた。
「金髪で、日焼けしてて……耳にいっぱいピアスつけてた……あと、胸のところにタトゥーが……」
「そこまで覚えてるなら絞れるね。皆にも伝えよう」
「……主、大変だったね」
後家はまだ震えている審神者の身体をそっと抱き締める。彼の体温が、恐怖に怯えている心を優しく溶かしていく気がした。
「っ……ごめん、なさい……」
「主はなんも悪くないよ。ゆっくり息吐いて、深呼吸しよう?」
「うん……」
「何か欲しいものある? 甘いものとか、飲み物とか」
後家の問いかけに、審神者はふるふると首を振る。
「傍にいて、ほしい……」
今は、後家に抱き締められていたかった。わがままを口にすると、後家はいっそう強く審神者を抱き締めた。
「だいじょーぶ。ずーっと傍にいるよ。もう怖くないから」
「っ……」
穏やかな声を聞いて安堵したせいで、また涙が零れてくる。審神者は顔をぐしゃぐしゃにしながら、後家に縋った。
「う……ひっ、く……!」
「よしよし」
後家は子どもをあやすように背中を叩いてくれる。そして、涙に濡れる審神者の頬に、ひとつ口づけをした。
「いっぱい泣いていーよ」
「っ、ごけ……」
「ごめん、まだナンパしたやつ近くにいるかもしれないから見てきてくれないかな」
「任された! 見つけたらふん縛ってやる!」
「清光、僕も行くよ。後家は主の傍にいてあげて」
「うん、お願い」
ふた振りが部屋を出ていくと、後家は泣き続けている審神者の顔を覗き込んだ。
「怖かった?」
「ちがう、私……大事にするって言ったのに、汚しちゃって……」
何もない日に着るべきではなかった。あまりにも可愛くて好きだったから、つい着ることを選んでしまった今朝の自分が許せない。
「浮かれてたの……そのせいで、こんなっ……」
自分を責める審神者に、後家は優しく両の頬を包んだ。
「主のせいじゃないよ。自分で汚そうとしたわけでもないのに、そんな風に言わないで」
後家は目尻にそっと口づけを落とす。そして、頬を濡らす涙をぺろりと舐め取った。
「ボクがプレゼントした服、そんなに気に入ってくれたのすごく嬉しい」
「っ……」
どこまでも優しい後家に、卑怯だとわかっていても縋ってしまう。審神者は後家の胸に顔を押しつける。
「大好きだよ、主。優しくて真面目で、一生懸命な主。いっぱい泣いて、たくさん寝て、そしたらまた笑ってね」
彼の穏やかな言葉は、水に溶けた砂糖のように傷ついた審神者の心に深く沁み込んだ。