奪われたくないもの

「後家、あんまりきょろきょろしないで」
 政府が管理しているビルの中を物珍しそうに見る後家に、思わず注意をする。
「へへ、ごめん。政府の中ってこんな感じなんだなあって思って」
 彼を政府管轄の場所に連れてくるのは初めてだ。珍しいのは分かるが、流石に少し恥ずかしい。
「もう用事終わり?」
「うん。必要書類は提出したから、後は帰るだけ」
「じゃあさ、何か食べに行こうよ。そろそろおやつの時間じゃない?」
 時計を見ると時刻は三時半だった。確かに小腹も空いてきた。
「……いい、けど……」
「やった。主何食べたい?」
「うーん……クリームあんみつ?」
 そんな話をしていると、後ろから審神者の名前をフルネームで呼ぶ声がした。
「はい?」
 振り返ると、そこには豊満な胸を持った、妖艶を身に纏った白衣姿の女性がいた。
「ごめんなさい、私研究班のもので、貴方が提出した時間遡行軍が使ってきたという毒物の報告書を見たのだけれど──」
「ああ、半月前の。どうしましたか?」
「…………」
 返事をしたのに、女性はじっと後家を見つめている。そして艶やかに笑い、審神者に視線を戻した。
「ごめんなさい、あまりに綺麗な刀だったから目を奪われて。もし毒物のサンプルがあったらいただけないかしら」
「本丸に保管してあるので、今度持ってきます」
「ありがとう。それではこれで。綺麗な刀剣さんもまた」
「…………」
 女性が去っていくのを、後家はどこか冷たい目で見ていた。
「綺麗な女の人だったね。ああいうのを美人って言うんだろうな」
「……そうかな?」
 後家はそっと審神者の頭を撫でる。そしていつもの人当たりのよさそうな笑みを見せた。
「ボクは主が一番かわいくて美人だなって思ってるよ」
「っ……そういうこと、ここで言わないの!」
 唐突な甘い言葉に思わず顔が赤くなる。怒り始めた審神者を、後家は猫をあやすようになだめた。

「……刀剣男士って、みんなかっこいいし綺麗だよね」
 書類の整理がひと通り終わってひと息ついている時に、審神者はぽつりと呟いた。近侍である長義はまあ当然かな、と答えを返す。
「刀剣はもとは人を斬るためのものだが、美術品としても扱われる。それが人の姿になったら、まあ美しくはなるだろうね。俺のように」
「長義は自信家だなあ……」
「まあ、君が言っているのはどうやら別の刀のようだけど」
 長義は冷えた麦茶を差し出してくれる。
「へっ!?」
「どうせ後家のことを言っているんだろう?」
 確かに彼のことを思い出してはいたが、一言も後家なんて言っていないのに。
「いやその、一般的な話をしてただけで!」
「惚気なんて主にしては珍しい。いいよ、聞いてあげよう」
「だから違うの!」
「好きなものを口にするのは大事なことだ。大丈夫、誰かに言いふらしたりしないから」
 長義はどこか審神者を妹扱いする節がある。彼に促されて、審神者は思っていることを口にした。
「……こ、この前、政府に言ったら、女性の職員さんが後家のこと綺麗って言ってて」
「へえ」
「ああ、やっぱり綺麗なんだよなって、なんか、主としてじゃなくて、その……恋人として隣にいていいのかな、って思って……」
「……前から思っていたが、主は自分に自信が無さすぎる」
「そう、なのかな……」
「あんなにも惚れ込まれているのにまだ不安になるなんて不思議なものだね。それを後家に言ったらきっと怒られるよ」
「その、後家のこと綺麗って言ったお姉さんが、さ……」
「うん?」
「すごくその、色っぽいっていうか、大人っぽい人だったから……なんというか自信がなくなって……」
 審神者には豊満な胸も大人の色気もない。多分一般的に考えて魅力があるのはあちらの方だ。
「…………女性の魅力は色気だけではない、とだけアドバイスしておく。少なくとも後家はそれだけに惹かれる男じゃないことくらいわかるだろう。ただの杞憂だと思うけれどね」
「……うん…………」
 それでも心は晴れない。きっと審神者は一生自分に自信が持てない。それが申し訳ないと思いながら、後家に飽きられたくないとわがままを考えた。
 
「暑い……もう普通に生きていられる気候じゃないよなあ……」
 夏の暑さに疲弊しながら、審神者は街を歩く。ふらつきつつも、涼しさを求めて日陰のある裏路地に入った。加州が持ち歩くようにと言っている日傘を置いてきてしまったのが悔やまれる。
 ほんの少しの買い物だったので、誰も護衛をつけなかった。個人的な用事で刀剣男士を使うのは憚られたからだ。
「もう無理……ちょっと休もう……」
 日陰も少しましなだけでやはり暑い。ペットボトルを取り出して、くっとお茶を煽った。
「畑仕事してる子たちにアイスでも買って帰ろうかな……」
 そんなことを呟いた瞬間だった。不意に、誰かに後ろから引っ張られた。
「わあっ!?」
 後ろを振り返ろうとしたが、口を塞がれて振り向けない。
「んー! んー!」
 身体を必死に動かしても振りほどくことはできなかった。時間遡行軍の襲撃かと思ったが、霊力が感じられない。
「んー!」
 目の前に屈強な男が現れる。見覚えはない。男は角材のようなものを持っていた。
 抵抗する審神者の頭に、角材が振り下ろされる。
 強い衝撃を受けて、審神者は意識を失った。


「……ん……」
 ズキズキと頭が痛い。目を覚ますと、そこは見覚えのない空間だった。整理された段ボールがラックに積まれている。
「ここ、は……」
「やっと起きたの」
 高いヒールが目に入る。見上げると、そこには数日前に会った政府の女性職員がいた。後ろには審神者をさらった屈強な男がふたりいる。彼女の部下だろうか。
「貴方は……確か研究班の……」
 審神者の身体は縄で縛られていた。こんなことをされる覚えはない。
「……こんなことをして何のつもりですか? 私は政府に仇なすようなことをした覚えはありません」
「政府とは関係ないわ。私の個人的な用事で、貴方を誘拐したの」
「個人的……?」
「私、欲しいと思ったものは必ず手に入れたいの。その為ならなんでもするわ」
 女は妖艶な笑みを浮かべる。彼女の赤いリップが艶やかに映った。
「欲しいって、何をですか。私が持っているもので貴方が欲しがるようなものはないはずですが」
 審神者は冷静に彼女を見る。彼女の目的がわからなかった。
「貴方が連れていた刀剣男士、あれが欲しいの」
「は……?」
 女に会った時は、後家を連れていた。つまり彼女は後家を欲しているということか。
「……彼は私の刀です。貴方には渡しません」
「別に戦闘力として欲しいわけじゃないわ。私は彼を愛玩したいの」
「っ……そんな身勝手、尚更許せません」
 それは審神者としてではなく、彼の恋人としての言葉だった。愛玩なんてさせるわけがない。
「貴方たちを見てればわかるわ。彼の恋人なんでしょう? でも欲しいの。だから無理やり手に入れる」
 女は懐から紫色の小瓶を取り出した。
「霊力を練り込んだ、刀剣男士専用の惚れ薬──肉の身体を得たばかりの男には、さぞ効くんでしょうね」
 惚れ薬。その言葉を聞いた瞬間、頭に血が昇った。後家の意思を無視して惚れさせようなんて許せるはずがなかった。
「っ……! そんな、もの……後家に使わないで!」
「あはっ、ようやく焦ったわね。自分が命令できる立場だと思ってるの?」
 女は審神者の腹に足を叩き込む。痛みに身体が九の字に曲がった。 
「げほっ……!」
「貴方は時間遡行軍にさらわれたことにしてあげる。拷問されている貴方を助けるために彼を呼び出して──強化薬って言って、これを飲ませるの」
「駄目、やめ……」
「だから多少は怪我をさせないと、リアリティがないでしょう? 私が満足したら貴方は解放してあげる。その頃には彼は私のモノだけれど。やって」
 屈強な男たちが審神者に近づいて、腹や顔を殴り、蹴る。
「がっ、ぁ! ぁ、う……」
 口の中に鉄の味が広がる。女はぼろぼろになった審神者の髪の毛を掴んだ。 
「私は貴方の刀と楽しんでくるわ。せいぜい好きなだけ泣き喚きなさい? 私の虜になった男を見て絶望する貴方を見るのが楽しみだわ」
 口裂け女のような笑みを浮かべて、部下を引き連れた女は扉を閉めようとする。審神者は必死に身体を動かしたが、当然それを止められるはずがなかった。
「だ、め……駄目、駄目────!」
 ガチャン、と無常に扉が閉まった。


「は……はあ……」
 あれから何時間が経っただろう。審神者は縄から抜けようと試みたが、きつく縛られてそれは叶わない。そして事態は悪化し、空調が壊れたのか倉庫内が一気に蒸し暑くなった。髪の毛からぽたぽたと汗が零れる。殴られたところはずきずきと痛み、熱を持ち始めていた。
「ご、け…………」
 けれどそんなことより、彼を奪われてしまう方が怖かった。優しくて、温かくて、強くて、ご飯を食べさせるのが大好きな彼。
 それが、惚れ薬なんて卑怯な手段で手の中からすり抜けていくなんて。
「やだ、やだ……いかないで…………」
 涙がぼろぼろと零れる。あの温もりがなくなることが耐えられない。あの女性と後家が肉体関係になると考えだけで、全身が悪寒に包まれる。
「ごけ…………」
 自分は容姿が整っている方ではない。性格だって面倒なのは自覚しているし、仕事くらいしか取り柄がない、『女』としてつまらない部類の人間だと思う。けれど、だけど。
「あのひとのところ、いかないで……おねがい……」
 後家の心だけは、誰かのものになってほしくなかった。
 水分が全身から抜けていき、意識が朦朧としてくる。全身が痛くて吐き気もする。このまま死んでしまうのだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えていた時、倉庫の扉が開いた。
「主!」
 そこにいたのは、審神者だけの後家だった。
 彼は審神者にかけよって、汗と血で濡れた身体を抱き起こす。
「っ……! 主、主しっかり!」
「ご、け……?」
「なんだこれ、暑い……! 空調効いてないのか!? 水持ってこい! 怪我もしてる!」
「医務室に運ぶぞ!」
 後ろでは政府の役人らしき男たちが騒いでいる。
「ごめん、遅くなって……」
「ご、け、おねがい……」
 審神者は目に涙を浮かべて、後家の腕に縋る。
「ほかのおんなのひと、すきにならないで……」
 釣り合わないことはわかっている。わかっているけれど、誰にも奪われたくない。どうしても、彼には自分だけを見てほしかった。
「ごけが……ほかのひと、すきになるの、いやなの……」
「……そんなの、とーぜんだよ?」
 後家は優しく微笑んで、審神者を抱え上げる。
「ボクが好きなのは、主だけなんだから」
 その言葉を、どれだけ求めただろう。審神者は嬉しくなって、また涙をぼろぼろ流した。
「よか、た……」
「ほら、医務室に行こう? 手当てしないと。舌噛んじゃうから、ちょっと喋らないでね」
 いつもは温かく感じる後家の体温が、今はひんやりしていて気持ちがいい。審神者は朦朧とする意識の中で、力なく彼に抱きついた。

「はい主、あーん」
「あ、あーん……」
 後家が差し出した白桃を、戸惑いながら口に含む。誘拐された次の日、審神者は自室で休養を取っていた。
 後家は審神者が連れ去られたと言ってきた女性職員を怪しいと思い、彼女を問い詰めたそうだ。最初は口を割らなかったようだが、部下の屈強な男たちを一撃で倒して脅したところ、ぺらぺらと真実を語ったらしい。
 審神者をひとり誘拐し殺しかけたとして、女性職員にはかなり重い処分が下るとのことだった。
 審神者は政府から謝罪としていくつかの金銭と資源をもらい、怪我が治るまで休養するようにと願われた。もちろん治療費と休養している間にかかった金銭は政府持ちだと言われた。
 後家は怪我をした審神者に、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「おいしい?」
「うん、けどあの、恥ずかしいから……」
「なして? 今はボクと主しかいないよ?」
 後家は一切曇りのない瞳で見つめてくる。審神者と羞恥心の価値観がずれていて、どうにもやりづらい。
「痛いところ、ない?」
「まだちょっとお腹の傷は痛いけど、それ以外は大丈夫」
 審神者は怪我をしている箇所に包帯を巻いている。ひとりでできると言っているのに、後家は包帯を替える役を決して譲ろうとしなかった。
「痛み止め飲む?」
「そこまでじゃないかな。もう、子どもじゃないんだからここまで世話焼かないでいいよ」
「……主はちょっと目離すと大変なことになるからなあ」
「う……それ言われると何も言えない……」
 護衛を付けずに行動したことは、近侍である長義にみっちりと怒られた。今回はたまたま政府の人間だったが、時間遡行軍が狙ってくる可能性だってある。出掛ける時は必ず誰か護衛をつけるように────。彼は兄のように粛々と審神者に説教をした。
「もうひとりで出掛けないよ。みんなに心配かけたくないし」
「うんうん、みんな主のこと大好きだからね。一緒に出かけるのも楽しいし」
 後家は審神者の前髪を上げて、額に口づけを落とした。
「ボクはいつでもデートできるの待ってるからね?」
「っ……! び、びっくりするから急にしないでっ!」
「へへ、ごめん。じゃあしていい? 次は口に」
 彼はさらりと審神者の髪をなぞる。恥ずかしがりながらも頷くと、そっと抱き締められて唇に愛が落ちる。
「主が他の女の人のところ行かないでって言ってくれて、嬉しかったよ」
「……わがままだなって思わないの?」
「主はもっとわがままになっていーんだよ。ボク、好きな子のお願いは叶えたいタイプなんだ」
 そんな審神者に都合のいいことを、さらりと言ってのけるから。
「……じゃあ、もうちょっとこのままでも、いい?」
 彼の体温に縋って、身体を預けた。
「もちろん。ずーっとぎゅーってしてるよ」
 後家はいつまでも、愛おしそうに審神者を抱き締めていた。
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