苦手なものとかわいいところ
「ぎゃああああああああああっ!」
その日、女性の絶叫が本丸中に響いた。本丸にいる女性は、当然審神者ひとりだ。声を聞いた刀は全員、彼女になにかあったのかと本体を手に取った。
後家も当然、愛する恋人であり主である彼女を案じて、悲鳴のした方へ走っていた。もしかして時間遡行軍が侵入したのだろうか。そう思っていると、廊下の向こうから人が走ってきた。
「主!?」
審神者は涙目で何かから逃げるように走っている。そして、後家を見つけた瞬間、手を伸ばしてきた。
「後家、助けてっ!」
彼女は勢いよく後家の胸に飛び込む。美しい瞳が涙で濡れていて、とても痛々しかった。
「どーしたの、何があったの!? 怪我はない!?」
「あ、あれが……いたの……!」
「あれ?」
審神者はがくがくと身体を震わせている。彼女を落ち着かせるためにゆっくりと抱き締めて、背中を叩いた。
「っ……が、部屋に……!」
「……ごめん主、聞こえなかった。もう一回……」
「蜘蛛が、いたのっ……!」
「……へ?」
クモ。クモというと、あの多足の蜘蛛のことだろうか。
「へ、部屋で仕事してたら、目の前にっ……」
「えっと……蜘蛛だよね。あの虫の。主、虫駄目なの?」
「足がいっぱいついてるの駄目……ムカデとかも駄目で、正直時間遡行軍の足多い奴も写真で見るとぞくっとする……」
「あれ、主の中だと虫判定なんだね……」
「もう部屋帰れないっ……」
どうやら本気で蜘蛛に怯えているらしかった。また彼女の可愛らしい一面を知れて、胸があたたかいもので満たされる。
「ボクが一緒に部屋行くよ。で、蜘蛛がいたら外に放すから」
「本当っ!?」
「うん、ボク蜘蛛駄目じゃないし」
「ありがとう後家……!」
審神者はよっぽど安心したのか、ぎゅうと強く後家を抱き締めた。小さな身体でめいいっぱい感謝を表現しているのがなんとも愛おしい。
ばたばたと足音がして、こちらにやってくる。悲鳴を上げた審神者を探していたのだろう。
「主! 無事か」
近侍である長義が、審神者を見つけてほっとした顔をする。審神者はようやく、自分の悲鳴が皆を心配させたのだと気づいたようだった。
「あ、長義……ごめんなさい、急に大声出して……」
「それはいい。どうして悲鳴を? 誰かに襲われたか?」
「ち、違うの。その……蜘蛛が部屋に出て驚いて……」
「……蜘蛛」
長義は大きくため息を吐いた。そして、にっこりと笑みを向けたが、その笑顔はとてつもなく怖かった。
「主、君は審神者であり、俺達がもっとも守るべき存在だ。それはわかっているね?」
「はい……」
「君が悲鳴を上げたら、命の危機かと思ってすべての刀は戦闘態勢に入る。俺も道中で殺気立っている刀をたくさん見た」
「はい……」
「びっくりするなとは言わないが、もう少し驚き方を考えてくれないと、俺達の心臓に悪いとは思わないか?」
「はい、あの……本当にご迷惑を……」
淡々と説教をする長義に、審神者はしゅんと落ち込んでいる。流石に見ていて可哀想だ。
「まあまあ、主も悪気があったわけじゃないんだし」
「……後家は狼少年という話を知っているかな」
「オオカミ少年?」
「狼が来たと毎日嘘をついていた少年が、本当に狼が来た時に信じてもらえなかったという話だ。毎日非日常が起きれば心理的にそれに慣れてしまう。主がいちいち蜘蛛なんかに驚いていたら、俺達も『またか』と思って、本当の危機に対して警戒心が緩くなる」
「へえー……」
「つまりこれは主の為の説教だ。わかったかな」
長義の鋭い視線が後家を見る。彼はまるで審神者を妹のように扱っている。
「でもほら、主ももう気をつけるだろうし、そこらへんにしてあげて?」
「……まあ、故意にやったものではなし。仕方ないか。で、蜘蛛はまだ部屋に?」
「う、うん、多分……」
「なら俺が外に放っておこう。皆には俺から事情を説明しておく」
長義はまたため息を吐いて、審神者の部屋に向かって行った。
「……あっ」
審神者は何かに気づいたように、後家からばっと離れる。
「ん? どしたの?」
「ご、ごめんなさい、ずっと抱きついてた」
「ああ、ずっとぎゅーってしててもいいのに」
審神者から抱きついてきてくれるなんて数えるほどしかなかったから嬉しかったのだが、彼女は恥ずかしいと思ってしまったらしい。
「廊下だと、その……みんなの目があるでしょ……」
「じゃあボクの部屋来る?」
顔を覗き込んでたずねると、彼女は逡巡した後、小さく頷いた。
「へへ、やった。じゃあ部屋でいっぱいイチャイチャしよっか」
後家は審神者の小さな手を引いて部屋へ向かう。逢瀬を宣言されて金魚のように顔を赤らめる感所を見て、後家はかわいいなあ、と呟いた。