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その他






 「あなたって、保守的で嘘つきなのね」





 内気な君





 相変わらず聖地は閑散としていて、しかしそれでもどこか華やかな空気を漂わせていた。女王や守護聖の住まう場所だから、もちろんのこと一般人の姿などはあまり見かけないが、それでも廃れた雰囲気ではなく、華やかとさえ思えるのは、ただ単にここが『聖地』と呼ばれる場所だからなのだろうと、そう思う。

 平日の庭園のベンチに腰を掛けながら、セイランはふとそんな事を考えていた。いや、要はヒマなのだが。
 ヴィクトールやティムカは持ってきた荷物の整理などで忙しいらしく、今朝も早くから両隣の部屋からは物音がしていた。しかし何も持たずに手ぶらで来た自分には整理する物も、並べる物も、何もない。
 教官としてここへ来て、自分の部屋だという場所に案内された時には、もう部屋の中には必要最低限の物は揃っていたから、それ以上手を加える気にはなれなかったのだ。それに部屋なんてものは使えれば良いのだ。

 小さく息を吐き出しながら、なんとなく空を見上げる。見事なまでの蒼穹の空は、遥か彼方にまで続いている。雲一つない、晴天の晴れ空である。
 熱くも寒くもないこんな気候の良い日には外に出るべきだと思うが、庭園には誰一人として人の気配がなく、いくら華やかな聖地と言えど、ひどく寂しく思えた。
 もう一度空を見上げる。誰もいない庭園を無駄に眺めるよりは、こんな珍しいほどの晴れ空を見上げていた方が得した気分になるというものだ。

「……セイラン様?」
 不意に背後から声をかけられ、少しギョッとしながら振り返ると、そこには茶髪の少女――女王候補生の一人であるアンジェリークが両手で本を抱えて、不思議そうな顔をして立っていた。
 背後に立たれて気付けないほど空に魅入られていたのだろうか。それとも彼女の存在感がよほど薄いのか。

「ああ、アンジェリーク。奇遇だね」
「こんにちは。セイラン様」
 座ったらどうだい、とベンチの隣を勧めると、アンジェリークはやや気恥ずかしそうにしながらも小さくペコリと頭を下げてから腰かけた。

「今日はヒマなのかい?」
「えっ……あ、実は部屋で勉強をしようと思っていたのですけど……こんな天気の良い日に外に出ないなんて、何だか悪いような気がして――」
 ゆったりとした口調で話しはじめた彼女の言葉に、少なからず驚かされた。
 いつでも伏し目がちで、小声で喋る内気な少女だと思っていたのに、僕と同じ考えをしているなんて大きく裏切られた気がしたからだ。

 初めて会った時には、こんな少女が女王候補なのかと内心疑った。いかにも自分に対して自信がなさそうで、強気なレイチェルに流されているような少女が、宇宙を統べる女王になれるものかと。
 あの日、大広間へと二人が姿を現した時には、アンジェリークは女王試験でレイチェルに惨敗するだろうと誰もが思ったに違いない。
 正直、僕もこんな内気で温和な子とは馬が合わないだろうと思っていた。

「へぇ……君と僕の感性は似ているようだね。僕もそう思って外へ出てきたんだけど、誰もいなくて少々呆れていたところだったんだ」
 そう言ってやると、アンジェリークは控えめにクスリと笑みを零した。随分と可愛らしい笑顔をするものだ。僕はあまり彼女を見ていなかったように思う。

「どうだい、育成は順調かい?」
 実は先程することも行くところもなかったので、王立研究院に行って現段階の育成の様子をエルンストから聞いていたのだが、それでも問い掛けてみた。
 さて、どんな答え方をするものか。

「ええ、それなりに」
 やはり随分と曖昧な答え方をする。いや、ただ慎重なだけなのかも知れない。
 ――いや多分、彼女は嘘吐きなのだ。内気という隠れ蓑に上手に隠れて、しかし心の中では次に自分が取るべき行動を慎重に打算している。そういうタイプだ。

「それはそれは……うっかりしてると、すぐに僕たちの出番が来てしまうね」
「そう……かも知れませんね」
 これは本心だろう。なにせ現段階ではアンジェリークの方が二段階も早く育成物を成長させているのだから。王立研究院きっての天才と謳われた、あのレイチェルを差し置いてである。

 この事にはさすがのエルンストも驚きを隠せなかったようだ、偶々立ち寄った僕すら引き止めて、あれやこれやと喋り散らしていたほどだったから。
 共に並んでレイチェルの才能振りを見ていたエルンストにとって、ただの女学生で、かつあんなに内気なアンジェリークがレイチェルを退けて先へ立つなどとは考えられなかったのだろう。

 ――しかし、あのエルンストの様子は……少し嬉しそうだった。『所詮、秀才止まりの私ですから……』小さく漏らしたあの言葉には、心の奥底でレイチェルが負けてくれることを望んでいるのではないだろうか。

 沈黙の中で、横に座るアンジェリークの横顔を眺める。
 黙してただ空を眺めているが、彼女の瞳にはこの空はどのように映っているのだろう。今何を考えているのだろう。
 明らかに何も考えていなそうな表情ではあるが、内心のことはわからない。こんな顔をして、頭の中ではレイチェルを出し抜く打算でも考えているのだろうかと思うと、つい可笑しくなった。
 こんなにも性格と考え方の違う少女も珍しいものだ。考えの読めない人間ほど面白いものはない。

「アンジェリーク?」
 呼び掛けると、彼女は柔和に微笑みながらこちらに顔を向けた。蒼穹の空すらも適わぬ、深海のような蒼い瞳に、思わず心が震える。
 総てを見抜き、総てを産み、総てを抱き、慈しむ……母なる海のような、深い深い蒼の瞳――直感した、女王の座は彼女のために用意されているのだと。
 そして、悟った。彼女がこんなにも狡猾なのは天然なのだと。彼女は嘘吐きでこそあるが、決して打算などしていない。ただ生まれつき狡猾なのだ。
 ただ頭が良いとかいうだけでは女王にはなれない、まさにその模範とも言えるレイチェルと、狡猾という性格で生まれたからこそ、女王という権威を授かるべき『器』を持ったアンジェリーク。

「なんですか?」
「君は――どうして女王候補になろうと思ったんだい?」
 本当は他愛のない話題をかけるはずだったのに、口から出たのはこんな問いだった。アンジェリークはその問いに、全く表情を変えることも聞き返すこともせずに、ただ瞬きを繰り返した。
 そして僕から視線を外し、空ではない、どこか遠くを見つめ、語りはじめた。

「……女王候補であるという通知が来た時、正直困りました。友達や家族や、色々な大事なものを捨ててでしか得られないものには、何の興味もなかったんです。
 あの大広間の前で、レイチェルに会った時には本気で女王候補という立場を捨てて、あのスモルニィ女学園で、いつも通りの暮らしがしたいと願いました。
 けど、女王様はそんな私の考えをわかっていらっしゃった……侮れない方ですね」
 ここにきて、彼女の仮面に綻びが見えてきた。一気に剥がしてしまいたい気分になるが、ここで痺れを切らせたら、彼女は今まで以上に世界を警戒してしまう。
 徐々に徐々に、慎重に。今は気配を消して聞き役に回らなければ。

「あの方、私に一言仰った。その一言で私の中の色褪せていたモノが色付いたんです。あの方に私という人間を見せ付けるには、今まで得てきて大事にしてたもの、それら全てを捨てなければならない。なら、そんなもの捨ててしまおうと思った。
 だから私は、女王候補になったんです。女王になるためではなく、ただあの方を上回るために」
 彼女の温和な仮面を剥がそうとしたのは僕自身なのに、アンジェリークの口から出た言葉に思わず唖然としてしまった。一皮剥いたら、随分と負けず嫌いで勝ち気な少女だったようだ。
 今の彼女が素の状態であると確信して、僕はやっと口を挟む。

「女王は君になんて言ったんだい?」
 その問いにアンジェリークは一瞬ビクンと身を固めると、ギョッと振り返り、盛大に慌てて見せた。
「そ、それは――それだけは言えません!」
 そう言われてしまうと、より一層気になってしまうのだが。あの女王が口に出せないような暴言を吐くとは思えないから、きっと女王は彼女をやる気にさせる他愛ない言葉を知っていたのだろう。

 視線をアンジェリークに戻すと、アンジェリークは僕に向けてニッコリと微笑んでいた。その笑顔は本当に無邪気で、本心や性格を知らなければ誰もが魅了される笑みであろう。その温和な態度に騙されてか、ヴィクトールやジュリアス、リュミエールなど守護聖の数人は好感を持っていたようだった。
 だが、そんな温和な彼女が実はこんなに狡猾だったなんて知っているのは、僕だけなのだと思うと妙に嬉しくなった。

「あ、私もう行きますね。これからレイチェルと勉強会する予定なんです」
「レイチェルと?」
 こんな狡猾で嘘吐きな彼女なのに、レイチェルとの信頼関係を壊していないなんて本当に感服するしかない。
 去り行く彼女の背中を見つめながら、僕はその場で立ち上がり、その背中に声をかけた。
「アンジェ! 今度は日の曜日に会わないかい?」
「はい、喜んで!」
 振り返ってニッコリと笑ったアンジェリークはその場でペコリと頭を下げてから、小走りで――いや、かなりの全速力で庭園を駆け抜けて行った。
 その直後、晴天だったはずの空が急に陰り出し、突然バケツを引っ繰り返したような激しい大雨が振り出した。
 まるで雨を予期していたかのような彼女の去り方に、僕はただため息をついて呆れるしかなかった。濡れるのも構わずに、その場に立ち尽くし、アンジェリークの去って行った方向を、雨という滝の中で目を細めてただ見つめる。

「全く……なんて狡猾で嘘吐きなんだろうね、君は。でも――それでいて内気で温和なんて、本当に興味の尽きない子だよ」
 思わず、口元に笑みが零れ出てしまう。彼女の存在が可笑しくて、面白く思えて堪らなかったのだ。
 ――いやむしろ、愛しいとさえ思った。







・END・




 ☆御粗末さまでした☆

・天然の狡猾が嫌で、それを隠すために内気で保守的な生き方をしてたのに、いきなり嘘吐き呼ばわりされて、やる気になった温和アンジェでした。
 エルンストが好きなんですが、こんなアンジェにはセイランしか釣り合いませんでした(^_^;)。


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