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サンホラ






 これは、揺らぐ世界の物語。
 耳を塞いで、目を閉じて。決して、この幻想を信じないで。





 Disilludersi





 目に痛いほどの太陽の日差しを受けて、遥か彼方の水平線へと続く水面がキラキラと輝く。空は雲一つなく晴れ渡り、羽ばたいて行くカモメの姿がどこまでも見通せる。

 あまり大きくないとある町の港の片隅に、美しい女神像を船首に頂いた海賊船が停泊していた。いくら小さな港とはいえ、海賊船が堂々と停泊することは出来ない。故にその海賊船からは、船の命でもあるジョリーロジャーが降ろされていた。
 美しい女神像の船首のおかげが、海賊旗さえなければ客船のようにさえ見える。

 その海賊船から伸びたタラップの上に、これまた海賊とは縁遠いような風貌の男が佇んでいた。
 健康的に日に焼けた肌の上を、まるで絹糸のような銀色の髪が流れている。髪と同色の長い睫毛、その奥の瞳は紫水晶のように煌めき、男の中性的で美しい面をより際立たせていた。
「本当に行くのかい?」
 背後からかけられた声に、男は水平線を見つめていた瞳を声のした方へと向けた。

 海賊船から降りて来たのは、金髪の女だった。海の底のような碧い瞳は、まるで全てを見透かしているかのように燦然と輝きを放つ。女は艶かしい姿態を揺らしながらタラップを降りると、男の隣へと並ぶ。
「レティーシア船長……はい」
「そうかい。だが、あんな不確かな情報で船を降りることはないんじゃないのかい? このまま船に乗ってりゃ、もっと良い情報も入るだろうに」
「……どんな情報であれ、この目で確かめておきたいんです」
「まァ、あんたがそう言うんなら、あたいは何も言わないよ。妹さん、早く見つかると良いねェ」
「ありがとう、ございます。それでは失礼します」

「ちょいと待ちな」
 背中を向けて歩き出した男に向かって、金髪の女――レティーシアは声をかけた。振り返った男に向かって、レティーシアは小さな袋を放り投げる。男がそれを手の平で受け止めると、金貨同士の打ち合う音が高らかに鳴り響いた。
「持って行きな」
 男の視線は眼前の女と、己の手の平の上の袋を何度も往復する。手の感触だけではあるが、袋の中身は確実に金貨が詰まっているはずだ。

「……これは、船長……」
「なぁに、駄賃だよ。あんた、良く働いてくれたからねェ」
「――本当に……本当にありがとうございます。この礼は必ずッ! 必ず返しに参ります」
 男は右手に袋を握り締めると、その拳を胸に当て深く頭を下げた。
 生まれ落ちてからの人生の半分を地獄のような場所で生きていた男にとって、こんな優しさに触れられることは片手で足りる程度しかなかった。流れ出ていく涙の意味さえわからず、拭うことも忘れて、ただ感謝の言葉を口にする。
「礼ねェ……礼する時は、妹さんと一緒に来ておくれよ」
「はい……必ずッ! お世話に、なりました」



「あっれー? あの色男、本当に行っちゃったんだ」
 男の背中が随分と小さくなった頃に突然、背後から少女の甲高い声が上がる。振り向くと、タラップに積まれている木箱の上で小柄な少女が目を細めて、去り行く男の背中を眺めていた。
 船上で生活しているというのに、なぜか日に焼けることのない真っ白な肌に真っ白な髪。色素が抜け落ちたかのような奇異な風貌だが、ぷっくりとしたピンク色の唇と血色の良い頬はとても健康的に見える。
 しかし、その容姿とひょろりと伸びた細い手足からは、彼女が海賊船の一員しかも副船長とはとても思えない。

「アニエス! なんだい、見送りたかったのかい?」
 レティーシアの言葉にアニエスと呼ばれた少女は、ほとんど色のないようなラベンダー色の大きな瞳を見開いて、全身を使って否定の意を表現する。
「ううん、全ッ然。だってあたし、あいつ苦手だし。
 まぁ、唯一の色男がいなくなるのは残念だけどねー。良く仕事してくれたし、目の保養にもなったし」
「苦手? それは初耳だねェ」
 今度はレティーシアが目を見開く番だ。非の打ち所のない良い男だったし、目の保養になったと言っているにも関わらず、苦手とは理解しがたい。

「ん~~、苦手って言うか……なんか怖い」
「怖い? 爽やかな奴だったじゃないか」
「う~ん、外見とか性格の話じゃなくて、内面って言ったら良いのかな? なんか黒くてザラザラしてて、近くにいると息苦しくなるから、苦手。遠目から見てる分には何ともないんだけどね」
「――ああ、いつもの勘か。あんたには一体何が見えているんだろうねェ」
 アニエスのわけのわからない発言も、今では慣れたものだ。理解しようなどとしてはいけない、これはきっと彼女にしかわからない直感だ。
「さぁ?」
 アニエスにしかわからない超感覚だというのに、当の本人にもその力がどこから来るもので、また何が見えているのかもわかっていないようだ。

「まァ……あの子の未来は明るいモノではないんだろうねェ。せめて、妹さんが見つかってくれれば良いのだけれど……」
「どう、だかね……」
 今はもう見えなくなった男の背中を見つめながら、ささやかな幸運を願うレティーシアとは対照的に、気のない返事を返すアニエス。その声色は暗い。まるで男の行く末を知っているかのように。
 港で上がる喧騒も二人の耳には遠く、静かに波打つ漣の音だけが響く。やがて海賊船から流れて来た馴染みのある歌声に、二人はようやく意識を戻した。
「おっと、こんな所でグズグスしてるヒマはないね。早いとこ出航しないと、海賊船だってバレちまう。
 野郎共! サボってんじゃないよッ!!」



 帆に風受けて大海を進むウェヌス・レティーシャからは、今日も陽気な歌声が上がる。小さな港に、死の息吹を残して。






・END・




 ☆お粗末さまでした☆


 もし彼がレティーシアの海賊船に乗っていたら彼の不幸な人生にも、短いけれど幸せな思い出が出来たんじゃないかなぁと思って、つい妄想しちゃいました。
 でも、あまりに有り得なさ過ぎるので、名前は伏せてみました。


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