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幻想水滸伝






 思わず触れたのは、出来心で。
 心を奪われたのは一瞬で。





 それは手を伸ばさずにはいられずに




 バッシーン!!
 それは脳味噌が震えるほどの衝撃。
 わけがわからなくて、つい三時間前までの出来事を反芻してみるが、記憶にあるのは日常的なことばかりで、平手打ちをされた原因に該当することなど、何一つとして思い出せない。
 しかし目の前のオンナは、少し釣り上がり気味な目尻をさらに釣り上がらせて、どこか血走った瞳と噛み締めるようにきつく結ばれたピンク色の唇を振るわせながら、ただ一言口にした。
「……サイッテーね!」
 え、おい。ちょっと待てよ! なんて言葉が口から出るより早く、オンナは茶色の髪をなびかせて颯爽と去って行ってしまった。
 ヒールが石畳を叩く、カツンカツンという音はまるで気品の高さを漂わせるように、人気のない廊下に響き渡る。お陰で追い掛けることはおろか、呼び掛けることさえ忘れてしまった。

 はぁ。結局口から出たのはため息で、去る者を追うことをしない。だって所詮は遊び。それを越えることはないだろうし、越えるつもりなんて毛頭ない。だから、叩かれて罵られた理由なんて正直どうでも良いし、大体は想像がついている。
 大方、俺の悪評でも耳にしたんだろうさ。二股三股当たり前、泣いたオンナは数知れず。本気になったら泣きを見るって。ま、そんなトコか。的外れじゃないから、否定する気もないし、それでも良いっていう割り切った子が寄って来てくれた方がありがたいから、噂の流出を止めるなんて思いもしない。

 平手打ちを受けた左頬に手を当てると、手袋越しでも熱を持っているのが伝わってきた。
 まったく、なんでオンナはこうヒステリーを起こすもんなんだろうな。普段なら可愛いもんだと拍車がかかって尻を追い掛けるもんだが、今は状況が状況だし、オンナに困ることはないから、どうでも良い。
「それにしても無茶言ってくれるもんだよなー。オンナはそれぞれに可愛い面があるんだからよぉ、一人になんて絞れるわけねぇって」
 しかし口から出るのは、つい愚痴だ。俺になんか本気になるなよ、こっちは良い迷惑だ。傭兵如きに本気になったら、結果的に泣きを見るのは自分だって、どうして理解出来ないかね。

 所詮、傭兵なんて戦場ではコマの一つだ、いつ死ぬかなんてわからない。明日、刺されるかも知れねぇし、突然の流れ矢に射たれることも良くあることだ。
 そんな生き方選んだ人間に、本気で人を愛する資格はない。もちろん愛されるなんて持っての他。一夜限りの愛と欲望があれば、それで十分満足できる。高望みなんてのはしたが最後、命の終わりに近づくだけだ。

 はぁ。らしくもなく出てしまうため息に、どうしようもなくイライラする。フラレたことより、少しでも後ろを向いた自分に腹が立つ。
 がつんと音を立てて踵を返すと、気を紛らわすそうと酒場へ向かって足を進めた。
 がつんがつんと歩くたびに足音が響き渡る。まだ宵の口だというのに、塔基部地下最下層を歩いているのは俺だけだ。まぁ、うちの詰め所やら墓地やら倉庫しかない場所だ、人の通りなんて旅団の団員ぐらいしかいない。だからこそ、いいことしようとオンナとの約束の場所をここに取り付けたんだが。

 それでも一応、見られることを考慮して、頬に真っ赤に残った手の平の跡は自分の手の平を重ねて隠すことにした。
 別に情けないとか、恥ずかしいとは思っていない。むしろ、笑い話の種になる。だが、うちのメンツ以外の一般人やらに見られると、説明やら言い訳やらで色々と面倒臭いからだ。
 それにしても、オンナっていうのはビンタの極意でも心得ているのか、痛みは大したものではないが、形がしっかり残るケースが多い。あんな細腕でどうやったら、こんなに派手に跡が残せるのか謎だ。

 そんなことを考えながら歩いていると、丁度うちの詰め所を過ぎた辺りからパタパタパタと軽く走る足音が背後から聞こえてきた。
 どうせ子供だろう、なぜかそう思い込んでいたせいか、最下層に不似合いな足音に振り返りもしなかった。

「ヴィルヘルムさん」
 思いかけず呼び掛けられて振り返ると、視界に入り込んだのは目が眩むほどの白だった。本当に眩しいわけではないのに、思わず目を細めてしまった自分に苦笑する。
「――おう、王子さんじゃねぇか」
 まるでファレナを象徴するかのような真っ白な髪に、傷つくことを知らないかのようなキメの細かい白い肌。それらを目の前にしたら、相手の性別が男だってわかっていても美しいと表現せずにはいられない。
 まるで女みたいな容姿と美しさを全開にして俺の前でニコニコと微笑んでいるのは、このファレナ女王国の王子であり、奪還軍を率いる悲劇のリーダーで俺の雇い主である、ソラ王子殿下だ。

「こんばんわ、ヴィルヘルムさん。どうかなさったんですか?」
 育ちの良さを表すような柔らかで穏やかな笑顔を浮かべたまま、ソラは自分が雇っている傭兵相手にも敬語を崩さない。どころか、俺たち傭兵が対等の高さにいることを許すのだ。
 今までに王族に雇われたことは何度かあったが、こんな扱い方をされたのは初めてだった。雇い主だからと敬意を払おうとすると怒り出すし、俺が傭兵に敬語なんか使うなと言えば、それは出来ないと拒否をする。
 まったく面白い王子さんだ。俺も気兼ねせずに済むから、雇い主としては申し分ない。

「別にどうもしねぇよ」
 女にフラレたくらいで、今さら傷心するような年じゃない。だが、ソラの顔つきはどこか晴れないままだ。
「……そう、ですか? なんだか、気落ちしていらっしゃるように見えたものですから」
 言ってソラは、俺の顔色を伺おうと見上げてきた。

 びっくりするくらい青い、まるでセラス湖のようなスカイブルーの瞳に見つめられると、気がおかしくなりそうなほど動悸が激しくなる。何度も口内の唾液を喉の奥に通すが、なぜか口の中の渇きが癒えることがない。
 罪悪感なのか焦燥感なのか、わけのわからない感覚が上り詰めてくる。
 震えるように揺らめく青い瞳に魅了されたかのように、気が付くとソラに向かって手を伸ばそうとしている自分がいた。

「うわっ、真っ赤に腫れてるじゃないですか!」
 ソラの上げた声で我に返り、慌てて頬に手を戻そうと試みたが、その手はソラの手に遮られた。
 ソラは密着するくらい俺に身を寄せると、黎明の紋章の宿る右手で俺の左頬に触れてきたのだ。武器を握っているはずのその手の平は、信じられないほど白くて綺麗で柔らかだ。

「今治しますね」
 何も治されるなような名誉な傷じゃない。
 気にすんな、そんな大したモンじゃねぇから。そんな言葉をかけるはずだったのに、言葉が喉で詰まって出てこない。身を引こうと思っても、体まで固まってしまい言うことを利かない。
 俺が何も言わないのを了承だと受け取ったのか、ソラは長い睫毛に彩られた青い瞳を閉じると、ぷっくりとしたピンク色の唇から小さく詠唱呪文を唱えはじめた。
 ふわりと澄んだ水色の光が、手の甲に宿る黎明から発せられる。ひんやりとした冷気が漂い出し、ヒリヒリと熱を持っていた左頬が癒されていくのを感じる中、俺の瞳はただソラだけを見つめていた。

 美しく整った中性的な顔立ちに、ピンク色の唇、長い睫毛に白い肩に細い腰。それだけ見ていると、下手な女よりずっとキレイに思える。
 そんなのが腕の中にいると思うと、ついついヨコシマな考えをしちまうのが男の性ってもんだ。思わず生唾を飲み込んだ瞬間、まるで牽制するみたいにソラの目が開かれた。
 その毒々しいまでに青い瞳に見つめられると、心の内を見透かされたような気になってくる。
 思わず出しかけた手を引くと、ソラはニッコリと笑いかけてきた。その笑顔には、警戒心とか猜疑心なんてものは全く感じられず、俺は肩透かしを食らわされた様な気がしてポカンと、ソラを見つめてしまっていた。しかし、ソラは相変わらずの笑顔のまま、形の良いピンク色の唇を開く。
「大したことなくて良かったです」
 気が付けば、頬に宿った熱はいつの間にかなくなっていた。

「それじゃあ、僕は失礼しますね」
 ニッコリと柔らかい笑顔を浮かべると、ソラはまるで絹糸のような美しい銀髪で結った長い三つ編みをなびかせながら、去って行こうとする。咄嗟に、俺はその腕を掴んでいた。
「どうしたんですか?」
 引き止められて、振り返ったソラは眉根を寄せることなく、きょとんとした顔で問いかけてくる。
 そこではじめてソラの腕を掴んでいたことに気が付いて、俺は自分がしてしまった行為の意味がわからず、ただ混乱した。
「あ、いや……すまねぇな」
 何がしたいのかわからなくて一瞬考え込んでしまったが、あまり長く引き止めては不審に思われるだろうと思い咄嗟に礼を述べると、ソラは青い瞳を細めて微笑んだ。
「いいえ、当然のことをしたまでですから」
 神々しいまでの柔らかい笑顔を向けられると、続けて言おうと思っていた言葉が消えてしまう。体はまるで凍ったかのように動かず、三つ編みを揺らしながら小走りに去っていくソラの後ろ姿を、ただ見つめるばかりだ。



「あー……なにやってんだ、俺」
 ソラが視界から消え去った途端、腹の内にどっと後悔と羞恥心が溢れ出してきた。
「なんか、すげーヤバいこと考えた気がすんぞ」
 半ば放心気味の頭を起動させようと、ブツブツと一人呟く。
 やや薄い記憶を思い出そうとすると、一番に思い浮かんだのは、見上げてくるソラの美しい顔と、あの毒々しいまでに輝く青い瞳だった。
「おいおい、王子さんにホレちまったっていうのか……?」
 冗談だろ、男だぞ。だが、さっき俺は王子さんにナニしようとした? あの唇に細い腰に、たまらなく欲情したのは紛れもない事実だ。汚れを知らない白い肌に、俺のキズを刻み付けたいというどす黒い欲望が沸き上がる。
 それを想像すると身震いがした。

 思わず、去って行ったソラの後ろ姿を追うように、通路の奥の暗闇に目を凝らしたが、壊れそうな小さな背中はどこにも見当たらず、俺はため息を吐き出した。

 ごちゃごちゃ悩むのは性に合わないが、男に欲情したなんて初めての経験だ。俺は堪え性のない男だから、次にソラにあんな笑顔を向けられたら、きっと無理矢理でも抱いちまうだろう。だが、相手は王子で雇い主だ、今までみたいに簡単に手を出すわけにはいかない。
 まったく、厄介な相手に引っ掛かっちまったモンだよなぁ……。
 オンナにフラれた気を紛らわすために、酒場にでも行こうとしていたはずなのに、どうにも酒を飲む気分になれなくなって、俺はため息を吐き出すと踵を反して、自室へと引き返した。




・END・




 ☆御粗末さまでした☆

・ヴィルヘルムは男だから、女だからと悩むような人ではないと思うのですが……男も抱き慣れてそうだし。
 でも、女好きのプライドはあるんだろうなって思って。



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