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文司書


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冬。空は雲ひとつなく、ツユクサの色のように青く晴れている。柔らかな日差しと澄んだ空気があたりを包み込む。風もなく、師走にしては随分と暖かい十四時過ぎ。
今日はこれから司書さんと夕飯の買い出しに行く予定!…の、はずなんだけど…。

「なあ、いつまで待たせんの?」
「ん、んー…もうちょい…」
「…それ、さっきも聞いた」
「んー」

司書さんはオレの方を見向きもしないでそう答えた。
頬杖をついて、三十分くらい前からずーっと書類と睨めっこしている。この人はどうやらひとつのことに集中してしまうと、周りのことが目に入らなくなるタイプらしい。
同じ部屋にいて隣に座っているのに、司書さんはまるで自分だけの世界を作っているみたいだ。オレはなんだか一人だけ取り残されたような心地がした。…置いていかれるの嫌いだって、前に言ったのになあ。
…まあ。まあね。師走だし、いつもより忙しいのなんてわかるけど。それでも少しくらいはこっち見てくれても良いんじゃない?
そんなことを考えつつ司書さんに目をやる。とても真剣な顔をしている。
…あー邪魔しちゃ悪いし、やっぱり大人しく待ってようかな…とは思ったけど!オレのことをちーっとも気にかけてくれない司書さんも悪いわけで!
…よし、少しちょっかいを出してやろう。
でも、どうするか。「その仕事と助手のオレ、どっちが大事なんだ」なんて聞くのはさすがに女々しすぎる。それに今の状態の司書さんならスパッと「仕事」と答えるだろう。ショックを受ける自分がありありと想像できる。……あ。そうだ。背中に時でも書いてやれ。今のオレの気持ちを書いてやれ。

「なあ、今から背中に字書くから、何て書いたか当ててくれな」
「ん」

やっぱり上の空だ。まったく聞いてるんだか聞いていないんだか。はぁ…まあいいや。
オレは司書さんの後ろに回り込む。
そして人差し指を伸ばして、少し猫背気味の背中に

『構って』
と、指を滑らせた。

「…何て書いたでしょうか?」
「ん…うーん……そう…ですねぇ…」

司書さんは考えを巡らせたかと思うと、バッと振り返り「そりゃ!」と言って両手でオレの頬を包んだ。
オレはと言うと、いきなりのことで反応する間もなかったのでとっさに「おわっ?!」と情けない声をあげてしまった。
司書さんが動いたことで、…それは桃のような、洋梨のような…爽やかで甘い香りがふわっと舞って、オレに降る。この人が愛用している香水の匂いだ。目の前がチカチカして、頭がくらっとした。
だけどそんなことは御構い無しとでも言うかのように、司書さんは頬を包んだままオレの目を見つめて続けた。

「今はここでおしまいにします」
「あっ、ああ、キリが良かったのか」
「ううん、割と半端なとこです」
「え、じゃあ何で」

すると司書さんは、つい…と目を逸らして、少しニヤけながら聞こえるか聞こえないかくらいの声で「…だって…花袋先生……その、かわいすぎやしませんか…」と言った。
一瞬オレの頭の上には疑問符が浮かんだが、そのセリフの意味をすぐに理解した。

「…はあ?」
「かわいいことしますねえ…」
「おま…男に向かってかわいいとかなぁ!もー怒ったからな!」
そう言って、わざとらしく「ふんっ」とそっぽを向いてやった。
すると、オレの頬から司書さんの手がそっと離れた。それに続いて申し訳なさげな声が聞こえてくる。

「え、と…その、あの、ごめんなさい。…気を悪くされました、か…?」
横目でチラリと見た司書さんは驚いたような、少し焦ったような顔をしていた。胸の前で手をもじもじさせている。そこまで強く言ったつもりじゃなかったんだけど、オレの行動ひとつをまさかそんなに気にするなんて。かわいいのは司書さんじゃないか。

「……嘘。怒ってねえよ」
オレは少し間を置いてそう言った。
すぐに言っても良かったけど、間を置いたのは…。悪いと思いつつ、もう少しだけオレのためにその困った顔を見ていたかったから。

「あ…それなら良かったです…でもごめんなさい」
「まーあまり男に向かってかわいいとか言わないほうがいいんじゃね?」
「…そうですね…心にとどめておきます」
「それはそうと早く買い出し行こうぜ~。日が暮れちまう」
オレは壁掛け時計を指さす。時計の針はそろそろ十五時を回ろうとしていた。

「…もうこんな時間なんですね…」
「気付いてなかったのかよ…」
「全然気付きませんでした…」
「ええー…」
ああ…オレがちょっかいを出してなきゃ、きっと無限に続けてたんだろうなあ。
買い出しも行けなくて夕飯間なかったかもだったし、もしかしてお手柄?

すぐに支度しますね!と司書さんが言って、バタバタと引き出しをあさり出す。
お財布どこやったっけ、鞄がない、携帯電話は…なんて騒いでいる。
オレはそれを「あー…なんか、良いなあ」という気持ちで見ていた。

五分後。
慌ただしかった準備が終わると、コートを羽織って二人で司書室を後にした。

***

「そういや司書さんの手、冷たかったな」
「ああー…書き物してたからですかね?」
「そか。じゃ、手ぇ出して」
「? こうですか」
「ん、そう」

司書さんは冷えて少し白くなった右手を差し出す。オレはその右手を握ると、自分のズボンのポケットへと突っ込んだ。

「おわっ?!なっ、な」
「その反応!いいね~!」
「はぁっ!?なにをいきなり…」
「ん~さっきの仕返し?」
「うわ…なかなか腹が立ちます」
「へっへー」

ポケットの中で手を繋いで、廊下を歩く。
冷たさを残していた司書さんの右手が、オレの熱でじわりと暖まっていくのを感じてなんだか嬉しくなった。
まあ司書さんは実際にかわいいけどな!という本音はまだ仕舞っておくことにしよう。


【了】
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