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文司書


きみに灯る熱。


冬の日。朝。
目を覚ますと、頭がひどくもったりとしていた。頭の中身が生クリームになってしまったのかと疑った。なんだか体も重い。海から上がったときのような気だるさがある。
おかしいな、昨日は普通だったのだけど。
昨日は何があったっけ。わたしは懸命に記憶を辿った。
えぇと確か…ああ、夕方頃に館長が久しぶりに戻って来たんだ。いつも任せきりですまないと、お詫びに美味しいお酒をたくさん置いてってくれたっけ。そこから夕食と言う名の飲み会が始まって…。
一杯飲み終えては、誰かが「次は何にする?」と注いでくれたから、思えばわたしのグラスは空いてるときがなかった。普段はそこまで飲まないのに、雰囲気に飲まれてカパカパいってしまった気がする。
いつ頃お開きになったのか、どのタイミングで部屋に戻ってきたのかなんて全く覚えていない。わかるのは、布団の上に倒れこむようにして寝てたということだけ。
ということは二日酔いかな。参ったな。
昨日の出来事を思い出しているうちに頭の重さが増していく気がした。でも二日酔い程度で休んでるわけにはいかない。
わたしはのろのろとベッドから出る。体が思うように動かない。めまいがして、ベッドの横にへたり込んでしまった。

そのとき、コンコン、とドアを叩く音と啄木先生の声が聞こえてきた。
「司書〜朝だぞー!まだ寝てんのかー?」
ああ、今日の助手は啄木先生だったか。ドアを開けて迎えようと思ったが、それだけの気力がなかった。しばらくノックする音と、おーいとわたしを呼ぶ声が聞こえていた。
しかし何も反応がなかったことが気になったのか、啄木先生は、入るぞと一声かけてわたしの部屋の扉を開けた。
部屋に入ってきた啄木先生と目が合うと、先生はとても驚いた顔をした。そしてこちらへ駆け寄った。

「お前…っ!顔真っ赤だぞ!…ひどい熱じゃねえか!」
「…ただの二日酔い、ですから…」
「これが二日酔いなわけねぇだろ、馬鹿野郎…!すぐに森先生呼んできてやる」
「いえ…ほ、本当に平気…あう」
言葉を言い終える前に、啄木先生はわたしを抱き起こして布団の中へと押し戻した。
いいから大人しくしてろよ、とだけ言って慌ただしく部屋を出て行った。

***

数分後、啄木先生に連れられて森先生が部屋に来てくれた。
森先生がおっしゃるには風邪らしい。アルコールの急激な大量摂取と、暖かくして寝なかったのが原因なんだそうだ。完全に自業自得じゃないか。
「う…ごめんなさい…」
わたしは布団を頭まで被って謝った。

「酒は飲むなとは言わないが…次からは自分の力量を見失わないように。薬はここに置いておくから、今日一日安静にしていなさい」
「はい…」
今日は隣の部屋で作業するから何かあったらすぐに来なさい、と言ってわたしの部屋をあとにした。
森先生が出たのを見て、啄木先生が言う。

「まっ今日のことは俺様に全部任せとけよ」
「でっでも…やることたくさんある…」
「あー…お前、『毎日やること一覧』っての作ってただろ。あれ借りるぞ」
「え」
先生はわたしの作業机の上に並んでいる書類の中から、一覧を取り出して
「今日のお前の仕事は寝てることだけだ、いいな!」
と言うと、勢いよくドアを閉めて部屋を出て行った。

「平気かな…」
わたしは啄木先生を見送ると、ふー…と深く息を吐いて枕に頭を預けた。

***

次に目が覚めたとき、部屋は太陽の光が差し込んでいて明るかった。目覚まし時計代わりの携帯を見ると昼の一時少し前を差している。随分と眠っていたようだ。
御手洗いに行こうと起き上がってベッドから出る。足元がまだ少しふらつくが、朝よりはだいぶ良くなっていた。
ちらりと作業机を見ると、トレーに乗った小鍋と水の入ったコップ、それとメモが置いてあった。
小鍋の中身は卵粥だった。白米に浮かぶ黄色い卵。それにネギが緑を添えていて鮮やかだった。蓋を開けた瞬間、だしのいい匂いがした。朝は無かった食欲が湧いてきた気がする。
横に置いてあるメモを開くと、ガサガサとした字でこう書いてあった。

『志賀に卵粥作ってもらった。置いとくから目が覚めたら食え。それと森先生に処方してもらった薬。粉薬だけどちゃんと飲めよ』

「……雑な字」
わたしは、ふふっと笑った。
お粥を持ってきて置手紙を書く啄木先生の姿を想像したら、字の荒さも含めてなんだか可愛らしく思えたのだ。

御手洗いから戻ってきたあと卵粥を食べた。卵粥は冷めることなく程よい温度で、とても美味しかった。

***

「ん…」
わたしの額に何か暖かなものが触れた。その感触に意識を呼ばれて、目を薄く開ける。
卵粥を食べたあと、いつの間にかまた眠ってしまっていたらしい。もう夕方なのか、部屋は橙色に染まっている。
ちらりと横に目をやると啄木先生がベッドの横に座っていて、わたしの額に手を当てていた。椅子はわたしの作業机のものを持ってきていた。

「あ…悪い、起こしちまったか?」
「いえ…」
「そっか。なら良いけど。ま、起きたなら少し水飲んどけ」
ほら、と先生はコップを差し出してくれた。
ベッドの上で起き上がり受け取る。コップの冷たさが手のひらを潤す。水を一口飲むと、熱を持った体内が水分で満ちてゆく。
水を飲みながら啄木先生のほうを見る。
あ…何かいつもと違うと思ったら…先生は眼鏡をかけていた。

「あれ…先生って…」
「ん?」
「眼鏡かけるんですね、似合ってますよ」
「まあなー俺様は何でも似合っちゃうとこあるからなー」
「えー、何ですかそれー」
こんな他愛のない話が楽しい。なんだか嬉しくなる。話していると、胸が暖かくなる。

「ん、ああ、それはそうと、今日の仕事全部終わらせといたぞ。それに明日の準備もだいたい済んでるからな」
「えっ」
な、なんだか意外だ。失礼なことだとわかっていながらも少し驚いてしまった。

「あ、ありがとうございます。あれ、かなり量あったでしょう」
「ん〜それなりにな。でも俺様だって真面目なときはあるって言っただろ?お前が倒れたら助手がしっかりしないと駄目だからな」
そう言う先生の横顔は、なんだか少し切なそうに見えた。ほんの一瞬だったけれど。

「さ、お喋りはここまでだ。病人はとっとと寝た寝た!」
と、言うやいなや、わたしからいきなりコップをひったくって布団をバサッと頭から被せた。視界が一気に暗くなる。
「それじゃあゆっくり休めよ。カーテンは閉めておくからな」と布団越しに聞こえた。先生の足音が遠くなる。
「あ、ま、待って」
わたしはガバッと起き上がった。そして先生を呼び止める言葉が口を突いて出てきた。この人に傍にいてほしいと、胸の奥がきゅうと鳴いた気がしたのだ。

「どうした?」
「え、と…あの、啄木先生の手、あったかくて気持ちよかったから…おでこに、もう少しだけ…」
離れてほしくないという気持だけで紡がれたのは、苦し紛れの言葉だった。我儘を言ったと思った。
それを聞いて今度は先生が少し驚いて、わたしからパッと顔を逸らした。けれど、
「…っお前が寝るまでだからな」
と言ってこちらに来ると、また額に手を当ててくれた。暖かさが、優しさが、じわりと伝わってくる。

「へへ、ありがとうございます。おやすみなさい…」
「ああ、おやすみ」
わたしは目を閉じて、先生の手のひらの温もりと、胸の暖かさの中にゆっくりと意識を落としていった。
そういえば…顔を逸らされた瞬間、先生の顔がなんだか赤かった気がするけれど。きっと見間違いだろう。


【了】
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