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文司書


満月に捕まる。


冬。水曜日。外は日が出ている。日差しがあり暖かそうに見えるが、木々の付けた葉がゆさゆさと揺れている。きっと冷たい風が吹いているのだろう。そんな十四時過ぎ。

「政府からも一目置かれる優秀な司書様、折り入ってお願いが…」
司書室に入ってきて、僕の机の前に来るなりそう言ってきたのは啄木さんだ。この人が頼みにくることと言えばおおかた予想が…。いや、当たっているであろう彼の頼み事が言葉になる前に、僕は手元の資料を読みながら断りの言葉を投げる。
「…嫌…」
「っまだ何も言ってねえ!」
「お金貸して、でしょう」
「ううっ」
予想はやはり当たっていた。啄木さんは苦い顔をする。僕は小さくため息をつく。啄木さんは謙虚だし人あたりも良い。だからこそ、この浪費癖は何とかならないかなと思う。支出帳でもつけてもらったほうがいいのかもしれない。

「頼むよ!今回は本当に困ってるんだ!」
手のひらを合わせて必死に頼み込む姿に、一瞬ひるむ。前にも同じこと聞きましたよ…と言おうとしたが、それも喉の奥へとしまい込んでしまった。
「だ、だって、返してくれないじゃないですか…。前回の分だってまだ…。お判りでしょうけど、お金なんておいそれと貸せるものでは…」
誰かにお金を貸すときは返ってこないと思って貸せばいい、戻ってくれば儲けものだと友人は言っていたけれど。僕はそこまで割り切れない。

「そこをなんとか!雑務でも料理でも何でもやるからさ!あー、ほら…俺様の時間を買うもんだと思って…」
「ええー…それはいくら時間があっても…いえ…何でも、ですか…」
僕は右手を口元に持っていき、少し考えた。そしてゆっくりと口を開く。
「ならひとつ、ご提案が…」
「ん、何だ何だ?言ってみろ!」

「…僕に、抱かれませんか?」
「…はい?」
啄木さんは目を丸くして素っ頓狂な声をあげた。それもそうだろう。まさか同性から体を要求されようとは誰が予想できたことか。僕は啄木さんの目を見つめてそのまま続けた。
「時間をたくさん買うより体で一回払ってもらえたら…それで借金帳消しにしてもいいかなって。返済の催促ってする側もされる側もいい気持ちしないじゃないですか。ね、どうでしょう」
啄木さんは困った顔をして、あーとか、いやえっと…とか唸っている。誰がそんなことするか!とバッサリ拒否されるとばかり思っていた。だからうろたえてる様子が意外で、なんだかかわいらしく見えた。
僕はふふっと笑って
「なんて…冗談です、冗談。ちょっとからかってみただけです。地道に返してくれたらそれで結構ですよ」
と、言うと啄木さんから視線を外した。そして机の上の書類に再び目をやる。するとすぐに、安堵の中に驚きの混じった声が降ってきた。
「なんだ、冗談かよ!ああ、本当…マジかと思ってビックリしちまったぜ」
それに続けるようにして啄木さんは言った。
「それにお前はどっちかつーと抱かれる側の顔だしな」

「んなっ」
それは聞き捨てならない!僕はガタンと音がするくらい勢いよく立ち上がって、啄木さんの胸ぐらを掴んでぐらぐらと揺する。
「ちょっと!し、失礼ですよ!」
「あっははは悪ぃ悪ぃ」
「ちっとも悪いと思ってないですね!」
からからと笑う彼の顔からは、反省の色が伺えない。まったくこの人は…。

「いや、でもよ」
とたんに啄木さんは真面目な顔をして、手のひらを僕の頬に触れさせた。不意に与えられた暖かさに心臓がどきりと鳴った。
「お前、男にしてはかわいい顔してるよ。それに…俺様に抱かれたいって顔してるぜ」
「な!なにを言って」
だけど真っ直ぐに見つめられると、思わず戸惑ってしまう。「そんなわけないでしょう、冗談ばっかり」と、いつも通り笑って返せばいい。啄木さんだって本気じゃないはず。頭ではわかっているのに、言葉が喉を通過して声として出て行かない。頭に霞みがかっている。…ああ、じっと見つめられて気がついた。啄木さんは瞳に満月を飼っているんだ。綺麗な金色の瞳。彼の満月は昼の光を浴びていっそうきらきらしている。油断したら吸い込まれるような気さえした。…そう、頭がぼんやりするのも、言葉がうまく出ないのも、啄木さんが飼い慣らした満月のせい…ーー僕はハッとして、一呼吸おいた。そのあと、ゆっくり言葉を絞り出した。先刻より明らかに早くなっている心音を悟られないような言葉を。

「…あ…、えっと。あの……林太郎先生にお願いして、頭と、視力を診てもらいましょう…?」
苦し紛れに出した言葉は、我ながらなんと無礼な言葉だと後悔した。啄木さんは眉をひそめた。当然だ。そして僕の頬から手のひらを離す。わずかに寂しさを感じたけれど、それは部屋の温度が低いからだ。

「おま…ドン引きかよ!しかもお前…視力はともかく…頭診てもらおうってお前…!」
「だっ、だって、 男にかわいいとか…あの、ええと、その、馬鹿じゃないですか?!」
まあ人のこと言えないですけど、と心の中で呟いた。
「ば…!あのな、俺様は」
啄木さんがそう言いかけたとき、ドアのほうから声が聞こえてきた。

「何やってんの君たち…喧嘩?廊下まで丸聞こえだよ」
ぎくりとしてドアへ目をやると、そこには秋声くんが立っていた。有魂書が終わったことを教えに来てくれたらしい。秋声くんはため息まじりに、いつまでもじゃれてないで早く見に行きなよ、とだけ告げて去って行った。

僕と啄木さんは、秋声くんの後を追うようにして司書室を出た。そしてまたぎゃあぎゃあ言い合いながら、有魂書部屋へと向かった。
僕の心音がいまだ落ち着かないのは、思わぬ不意打ちを食らったから。きっとそう。


【了】
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