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そのほか


彼女の部屋は四季を纏う。


六月。上旬とは思えないほど暑かった日。帝国図書館に着いた時刻は、針が十八時を差す少し前。太陽は高くやや明るく、もう日が長くなったなあと思った頃。
助手の先生に案内してもらって司書室の扉を開けると、そこはこれから来る本格的な夏に似合いの涼しげな雰囲気にすっかり様変わりしていた。かなり驚いたが、部屋を見まわす間もなく司書が声をかけてきた。

「あー!遅かったですね!」
「ん、悪い悪い。本当は早く着く予定だったんだが、電車の乗り継ぎが悪かったうえバスが渋滞に巻き込まれて」
「そんな言い訳は要らないですけど」
「き、厳しい……と言うか部屋変わりすぎ」
「気が付きましたか。鈍いからスルーされると思ってましたよ」
「いくら鈍くてもこれは気付くだろ」

自分が最後に司書室へ来たのは約一ヶ月前のこと。そのときは文机と本棚、それに桜の花びらで作られたリースが壁にかけられていたくらいで、なかなかシンプルで仕事が捗りそうな部屋だったのを覚えている。
それが今日は…本棚は変わっていないが、本や書類が積んであった文机の代わりに、ちゃぶ台が姿を現していた。グラスに注がれた緑茶には氷が浮かび、数本の向日葵が活けられた細長い硝子花瓶が乗っている。ちゃぶ台の隣には外光を受けきらきらと反射して宝石のような影を落とす金魚鉢。尾ひれを揺らして水の中をゆらゆら泳ぐ紅色の金魚たちは気持ちよさそうだ。
中庭の景色が見渡せる縁側には夏の風物詩と言えるかわいらしい蚊取り豚。それにビールと枝豆が置いてある…ん?何で?司書室で飲むつもりなのか?…業務時間外なら…まあ良いが…。
…とまあ、一ヶ月前の面影がほとんど無いくらいに変わっていた。
そういえば、昨日あたりから夏の新しい家具が売り出されたという話を聞いたが……。
……。
まさかこれほどすぐに部屋を変えるとは。
そんなことを考えて、先ほど出来きずにいた“室内を見まわすこと”を今度はゆっくりしていたら、司書が「どうぞ」と緑茶を差し出してきた。受け取って、それを飲みながら話を続ける。

「ササっと模様替えするその行動力を別に活かしたらどうなのよ」
「ま、ま。善は急げって言うじゃないですか」
「部屋の模様替えは善なのか?」
「ええ、もちろん善ですよ。“季節を最大限に感じるには、まず身の周りを季節に合わせよ”って言う格言が」
「あるのか…知らなかった」
「…あったらいいなあって思ってます。わたしが今考えました」
「お前が作った格言かよ!そりゃ知らんわ」
「いいツッコミですね」
「おかげさまで…。じゃなくて、今日来たのは業務について話すためだから」
「ああそうだ、それが本題でした。お疲れ様です」
「はいはいどうも。じゃ、これ資料な。くれぐれも無くすなよ」
「赤インクの大きなスタンプで極秘って押してありますもんね…はぁい」

資料を無事に渡して、新しい有碍書の発見に伴う潜書のこと、情報が入ってきた新しい文豪のことを伝えた。
司書の研究の進み具合について聞いた。
先生方に無理をさせるのはもちろん、司書自身も無理は禁物だと釘を刺した。
業務的な話をしているうちに何度かくだらない話題で盛り上がりかけたが、何とかして引き戻したりもした。
先ほどまで緑茶が入っていたグラスは、気付かないうちに空になっていた。

そんな風に話している途中で助手の先生が八分の一サイズほどに切られた瑞々しいスイカを二切れ持ってきてくれた。「どうぞ」と言ってちゃぶ台の上に置くと、司書はにこにこして先生にお礼を言っていた。慌てて自分もお礼を言うと、先生は「お構いなく。どうぞゆっくりしていってください」と言ってくれた。そして三人でたわいの無い話を少しして、先生は司書室をあとにした。
何となく…自分はこの帝国図書館と上手くやっているのだなと考えながら司書に目配せをすると、彼女はスイカを見つめて目を輝かせている。

「やった!スイカだ!食べましょう!早く!今!ほら直ぐ!」
「うっわ!急に何だ、その子どもみたいな反応は!」
「だってこんなの見るからに美味しそうじゃないですか…ああもう先にいただきますよ!我慢できないので!」
「さっきまでスイカなんて気にする素振りすら見せずに先生と話してたのに…」
「先生の前では大人ぶりたいので…スイカを前にして逸る気持ちを抑えてました」
「ええー…」

自分の前では気にしないのか…と思いながらスイカを手を伸ばすと、触れた指先から冷たさが伝わってくるくらいよく冷えていた。かぶりつくと口内で果汁がじゅわっと舌の上で弾け、果肉はシャクシャクと音を立てた。喉を潤し、体内に染み渡ってゆく。話をして少し渇きを感じていた体に水分が染みてゆく感覚は、なんとも心地よいものだった。
スイカを堪能しつつ、ふと外に目をやるとすでに暗くなっていた。いつの間にか集まってきた蛍たちが中庭に光を灯し始めている。薄暗闇に光の線を描いて舞う蛍たちの姿は、まるで踊っているかのようで美しい。
しばらく見惚れていたが、ハッとして腕時計を見ると、針は十九時半前を刺していた。

う、やばい、図書館を出ると決めていた予定時刻を越えてしまっている。
もともと今日はそんなに長時間居るつもりは無かった。本来ならば、司書室に行って挨拶をして、書類を渡して重要事項を伝える…ただそれだけだった。
それが、司書の部屋の模様替えの話で盛り上がり、スイカで盛り上がり…肝心の業務内容ではあまり盛り上がらず…どうしてこうなった。…でもまあ構わない。楽しかったから。

「悪いな、時間も時間だ。伝えることは伝えたし、聞くことも聞いた。そろそろお暇するよ」
「お、もうそんな時間ですか。せっかくなので、良ければ夕飯もご一緒にと思ったんですけど」
「あー…そりゃ嬉しいお誘いだけど、二十一時までに本社に戻らなきゃならないんだよ」
「うわ〜…超面倒ですね」
「わかってくれるか…超面倒だよ…。そういうわけで飯は今度また誘ってくれ」
「そうですね、ではまた今度」

図書館の大きな出入り口で、司書に見送られながら帰路に就いた。
少し前まで艶やかな薄桃色を滲ませていた図書館前の桜は、すでに緑深い葉桜に変わっていた。熱を帯び始めた生ぬるい風が、ひゅうと頬を撫でていく。
季節は、誰に聞かずともはっきりとわかる初夏の訪れを感じさせていた。


【了】
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