日光一文字が霊力異常で狼さんになっちゃった話(健全ルート)
「ごめんなさい日光さん、私が不甲斐ないばっかりに……」
日光、であるところの巨大な狼は、気にしないとでも言いたげに鼻を鳴らした。審神者からの謝罪は日のあるうちから山ほど受けていた。
霊力異常。審神者なるものなら聞いたことがあるかもしれない状況だ。
審神者の霊力が体調不良などで一時的に変調し、その影響が持ち刀――特に審神者に近く結びつき、影響を受けやすい物――に現れる。今回日光を襲ったのもこれだった。
昨夜の寒波で審神者が体を冷やしきってしまったのを日光が温めてやりながら身を休めたところ、やはり体を冷やしたのが悪かったのか、審神者が今朝目を覚ますと日光は巨大な黒い狼になっていた。体毛の色は紫なす艶やかな黒で、狼特有の鋭い眼も審神者には見慣れた紫であったのと、よく知っている気配であったので、狼が日光であると審神者にはすぐわかった。
驚いた審神者は朝起き抜けの身支度もせぬ姿のまま、管狐を呼び出した。
日光であるところの狼は、管狐相手とはいえ、審神者が乱れた姿を他者に見せることを不快に思ったようで低く唸って管狐を威嚇した。しかし食えぬ狐は怯みもしない。
「これは見事に犬畜生に成ってしまわれましたねえ」
「どうしよう、こんのすけ」
「ただの霊力異常でしょう。審神者様はすでに体調がよくなられているようですので、一昼夜も審神者様と引っ付いていれば元通りの日光一文字になりますよ」
管狐の助言に従って、その日はずっと、審神者は狼になってしまった日光についていた。夜になっても離れぬ方がよいと思って、昨夜に続けて審神者は日光を寝室に招き入れた。……敷布団の上で正座してしゅんとしてしまった審神者の前で、日光は姿勢正しく「伏せ」ている。狼とはいえ巨躯ゆえに「おすわり」の形では牙が審神者の頭より上に来る。……日光は審神者を怖がらせるのではと案じたのである。
(お前が風邪を引かなくてよかった)
昨夜について、日光が思うのはその一事のみだが狼の喉は人語を発するようにはできていない。人声にもならず、わふ、と軽く鳴いただけだった。しかし審神者には届かない。
「本当にごめんなさい……」
強く自責していることが分かる声色。狼の身では何も言えぬのが日光にはもどかしい。謝罪などいらない、それより早く布団に入って、身を温めて休んでほしかった。昨夜温めたときには、審神者は芯まで凍えてしまっていた。また体を冷やされては、日光の心臓はいくつあっても足りはしない。
行儀が悪いのはわかっていたが、牙を強く立てぬよう注意して、審神者の寝衣の袖をひく。が、引っ張られたはずみに審神者の手が日光に触れた。
ふわふわもっふもふ。
巨大な狼、それも冬毛の、やわらかく、また温かい手触りに審神者は驚いた。狼の姿に転じたとはいえ正体は日光一文字、犬にするように不躾に触れては気分が悪かろうと触れぬようにしていたのだが、一度触れてしまうと離れがたくなってしまうほどのやわらかさとあたたかさだった。
思わず審神者は真顔になった。これはもふもふ。もふもふふわふわ。
「……日光さん、」
乞う声はおずおずと、しかし明確なモフ欲に満ちていた。
「さわっても、いいですか?」
言いながらも不埒な指先は日光の獣毛の先をそろりそろりと追おうとする。呆れた日光が無言でじっと審神者の目を見ると、審神者はさすがに指を引っ込めた。
「すごくやわらかい毛でしたので、すみません」
決まり悪そうな表情だが、やはり目にはモフ欲が見える。モフ欲のゆえとはいえ、触れ合いを求められるのは日光としても嫌ではなかったから、体だけでなく頭まで伏せて、仕方ないというていで身を差し出す。眼で、審神者に許しを与える。
(勝手に触れればいい)
しかしその尾はぱたぱたと静かに揺れていた。
日光に許されたのを察した審神者は、喜色もあらわに両の手を日光に伸ばした。そして狼の身を覆い守る獣毛の豊かなるに驚嘆する。
表層に見えるのは、長く、そしてやや固い毛なのだが、その下にはみっちりと、綿のやわらかな毛が密集して生えて分厚い層を成している。表面だけを撫でると艶々として冷たい手触りなのに、指を少し沈めるとそこは雲になる。あたたかでやわらかで、指がなかなか表皮に届かない。
日光は霊力異常がなくても引き締まった身のゆえか審神者よりも体温は高かったが、獣の体温はそれよりも高いようで、触れているだけで審神者の手は温まっていった。
「すごい……あたたかい……」
聞かせるつもりもなかった独り言は驚きと、それに倍するうれしさで、少しだけ語尾が震えた。無論、狼の鋭敏な聴覚を手に入れた現在の日光にはきちんと聞き取られている。尾がもう少しだけ強めに揺れた。審神者がもう少しだけ、やわらかい黒い雲の中に指を押し込むと、厚い厚い獣毛に守られた肌がある。
審神者の指が届くと同時、ぴく、と日光の狼の耳が動いた。どきりと審神者の心臓が跳ねた。肌の下に熱い血潮、引き締まって無駄のない肉を感じる。感触は全く違うのに、覚えのある触れ心地。
彼女はそっと指を引っ込めて、狼の首から背にかけてをゆっくりゆっくり繰り返し撫でた。滑らせるように触れれば、表層の固い毛の冷たさとしなやかさが心地よい。その冷たさが撫でるうちに己の指の体温と混ざって同じ温度になるもの心地よい、ほんの少しだけ指を立てるようにして撫でれば、指はどこまでも沈んでいきそうなほど、やわらかい。
あたたかい、と、やわらかい、以外の言葉を忘れそうになりながら、審神者は夢中で日光に触れた。
「日光さん……もっふもふです……きもちいい……」
審神者がやわやわと感触を楽しんで触れてくる指も、陶然として呟く声もこそばゆくて、日光は尾で布団を叩いた。
婚姻までは清い仲、閨でも添い寝と、頬にくちづける以上のことはしないと固く誓いを立てていたから、審神者から濃密な愛撫を受けるという経験は日光にとって初めてのことだった。叶うならヒトの姿のときに、それこそ初枕で受けたかったが、今となっては思うだけ無駄である。
審神者の手指は、だんだんと大胆になる。
首から背を撫でるだけだった手は、徐々に撫でる範囲を変えて、首から、耳の裏へ、顎の下へ、胸へ。撫でさするように、凝りをもみほぐすように、あるいは感触と温度を楽しむように。触れ方は優しく丁寧であるのに、その指先は明らかに日光に触れることを悦んでいたし、時折、ふう、とつく溜め息にはもふもふを撫でまわす快感があらわれていた。
日光はむずがゆくてならない。触れられ方は嫌ではない。むしろ大変ここちよい。審神者は夢心地で日光に触れてはいるが、それでも、「いやな場所じゃないですか?」「痛くないですか?」「かゆいところはないですか?」と問いかけ、日光の反応に注意しながら触れてくるのがたまらなかった。
ばたん、ばたん、と、尾が揺れる――振られる力が強まっていく。審神者は、日光に触れたくて触れている。それがはっきりと感じ取れるのがたまらない。
婚儀までは清い仲で。そう誓ったために、審神者がときどき、さびしい顔をしているのは日光が一番よく知っていた。婚約後、審神者が抱擁やくちづけなどの触れ合いをよりいっそう好むようになったのも、いくらかはその誓いが影響しているのも気づいていた。
あの誓いは日光としてはけじめであったから翻す気は毛頭ないが、それでも、触れたい、さびしい、そんな顔で審神者に見られた夜にはわざと寝床でよもやま話を長引かせて、彼女を寝入らせてしまうように仕向けることすらあった……安心しきって、気を許して眠る彼女の寝顔を見ていれば、触れたい、という熱を堪えることができたからだった。
それが今、彼女のほうから、モフ欲のためとはいえ日光に触れたい、触れたくてたまらない、触れられてうれしいと、指から通して肌で教えられて、日光はたまらなかった。
己のうちから、うれしい、という熱っぽい感情が湧いてくる。
加えてこの獣の、狼の身はずいぶんと感情に正直にできているようで、うれしいという感情は尾の動きに直結してしまう。きゅんきゅんと鳴きそうになる鼻は意志で制御できても、尾だけは日光の意志ではどうにもならない。
巨躯にふさわしく、ふさふさと長くゆたかな黒の尾はばたばたと暴れるように布団を叩いて歓びをあらわした。彼女に触れられたのがうれしかった。彼女に、触れられたいと願われたのがうれしかった。
ヒトの姿の日光ならば、こんなに(彼からすれば)みっともなく情をあらわにすることはない。彼は恥じた。恥じながらも、彼女が、己の身に触れることで悦びを得ているという事実が、たまらない。
手で顔を覆いたい気分だったが、生憎と今の日光には手はない。右前足の下に鼻づらを押し込んで恥に耐えようとしたのに、審神者は、触れれば触れるほど、日光の尾が激しく振られている事実に気づいてしまった。
「日光さん」
狼の首を撫でる手はとめないで、審神者は内緒話をする子供のように、日光の耳にくちびるをよせた。うれしくてたまらないのか、くすくすと笑う。
「きもちいい、ですか?」
その言葉に、撫でられてうれしいかどうか以上の意味はないのは理解できていたのに、日光の心臓は嫌な動きをした。何も言いたくないのに、尾は勝手に日光の腹のうちを暴露する。振られ続ける尾に、審神者はたまらないとでもいうふうに、笑った。
「きもちいいんですね。……うれしい」
違うと弁明したかったが、狼の喉は人語を発さないうえに、日光の言うことを聞かない。唸り声の一つでも出してやろうかと思うのに、この慕わしい手を持つつがいに唸るなどとんでもないと、狼の肉体のほうが日光の精神を抑え込もうとするのだった。一時的な異常でなく、本当に狼に成り下がった心地すらした。
結局日光の喉からは、わふん、と満足気な鳴き声がひとつ出ただけだった。それを聞いた審神者がさらに笑みを深くするのがいっそうの恥を煽る。
元来、一文字の左の翼は多弁な男ではない。なのにこの狼の身体はうるさいほどにおしゃべりなのだ。うれしければ尾は揺れる。鼻はきゅんきゅん鳴きそうになる。姿勢正しく伏せのかたちでいるのに、気を抜くと四肢を投げ出して腹を見せたくなる。
お前だけになら、と。
お前が触れたいと求めてくるのが、うれしくてならないのだ、と。
俺もお前に触れられたくて触れたくて、たまらないのである、と。
普段の日光ならば決して言わぬし言えぬことを、狼の身体は暴露しようとする。揺れる尾に対し、黙れと念じるほど、尾は雄弁になる。好ましい相手に触れられて、黙っていられるわけがないと騒ぎ立てるのだ。
そして審神者も尾の暴露を理解する。触れること、求めることを日光に許され、喜ばれているという実感に、彼女の指はますます熱心に狼の身体を撫でまわすのだった。耳の裏から、首へ、胸へ、顎の下へ、もう一度首をもふって、背中へ。さらに左手は日光の顎の下から胸を撫でながら、右手は背に至り、やがて尾の付け根から腰まわりをかりかりと掻くようにして撫でまわした。
これがいけなかった。尾はますますぶんぶんと揺れたが、ぎょっとした日光は突っ伏していた頭を上げて審神者を凝視する。畜生のなりに落ちようと、日光一文字は男である。狼のかたちになっていても下半身は……際どい。
慎みをもてと説教したかったが人語の持ち合わせがない。唸ろうとしたのに、きゅふん、と、狼と言うよりは甘ったれた犬畜生の声が出て、日光は愕然とした。それでも審神者は日光の言わんとすることの半分だけは察したようだった。
「嫌な場所でした……?」
犬は自分では掻けないところを掻かれるときもちいいと聞いたので、などと言い訳しながら離れていこうとする手に、気づけば日光は鼻づらを押し付けていた。
この手が惜しい。
おずおず、ぺろり、と、その手をひと舐めした。審神者は目を丸くする。
あの誇り高い日光が。いくら狼の姿に貶められているとはいえ、あの気高い日光一文字が。愛撫を惜しんで女の手を舐めた。
「……撫でてもいいんですか?」
声なき返答は、やはり舌にて行われた。彼女の頬に冷たい鼻づらが押し付けられて、そのあとを温かい舌が舐めていく。感触は全く違うのに、夜ごと受けているのと同じ、頬への接吻だとすぐに知れた。うれしくなった彼女は全身全霊、全力で日光をモフった。
尾の付け根から腰、後ろ足の付け根。顎の下から胸、胸を辿って前足の付け根。背中、耳裏、首側面のもっふもふ。どこもかしこも温かくやわらかい。
撫でられれば撫でられるだけ尾が激しく振られているのに気づいてたまらず彼女が笑うと、日光は彼女の頬を舐めた。頬から耳へ、顎へ、首へ。唇にだけは触れられなかった。
随分と熱烈に舐め回されて、くすぐったさに審神者がさらに大笑いすると、それまでの愛撫の仕返しとばかりにさらに熱心に舐め回される。お返しに、審神者も日光の獣毛をむちゃくちゃにもふってもふってもふってもふって、もふりしだいた。
撫でる、舐める、の応酬が続き、審神者は楽しいのとうれしいのとくすぐったいのとで笑いっぱなしになり、とうとうモフり疲れて狼の首に抱き着いて頬擦りをする。降参の合図だった。
「日光さんて、なでなでが好きだったんですね」
日光が心外だと鼻を鳴らせば、くすくすと笑う声があり、次いで、ごめんなさい、と続いた。審神者が狼の身体に頬擦りをすると、やはり柔らかく、温かい。息を吸い込めば、添い寝のたびに感じている日光の匂いがした。白檀のように甘く静謐な匂い、その奥に、爆ぜるような鉄と丁子。今はそこに、かすかに獣のにおいがまざる。日光の匂いを嗅ぐと、落ち着かないのに安心してしまう。
モフり疲れた満足感と、安心とで、一気に眠気がやってきた。
「日光さん。日光さんだ……」
姿は狼に変じてしまっていても、間違えようもなくこの存在は日光一文字にほかならぬ。そう分かっているから、触れればうれしいし、触れることを許されればうれしいし、大きく鋭い牙の覗く口でべろりと舐め回されてもうれしいだけで、ちっとも恐ろしくない。いつもの夜と同じに、身をよせあえて、うれしくて安心する、それだけの話。
審神者はそのまま日光の首を抱いたかたちで眠ってしまいたかったのだが、日光が体を冷やすなと言わんばかりにしきりに前足で掛布団を示すので眠い眼をこすりながら掛布団をひっかぶって、狼の巨躯に身を預けるようにして横になった。
あたたかい。やわらかい。日光のにおいがする。審神者にとっての安心と安眠の条件がそろった場所だった。日光も仕方なしと鼻を鳴らしたから、審神者はそのまま眠ってしまうことにする。
「今夜は日光さんが、触られたいって舐めてくれて、うれしかったです。おやすみなさい」
あしたは、いつものにっこうさん。就寝の挨拶のあとにむにゃむにゃと寝言を言って、日光の身に頬を寄せたまま審神者は寝入った。
日光も、毛皮に直接伝わる審神者の心音と寝息に、宥められ慰められるようにして、ゆっくりと眠りに落ちた。肌に感じる審神者の体温に、この女が生きているしあわせを感じながら見た夢は随分と心地よいものだったように思うのだが、朝の訪れとともに日光の脳裏からはすっきりと消えてしまっていた。
翌朝。日光は狼ではなくヒトのかたちで目をさました。
ぬいぐるみの棚から器物にしか聞こえぬ声で「もふもふ……」「ふわふわ……」としめやかにすすり泣く数多のぬいぐるみたちの気配を感じたが、ぬいぐるみたちが嘆くのはこのところ毎朝のことなので放置する。
それよりも、一糸まとわぬ日光の裸の胸に身を預けて眠っている審神者が目を覚ましたなら、さてどんな悲鳴をあげるかと考えるほうが、日光には重要であったし、また楽しい想像であったから。
(おしまい)
