OLの徒然なる
名前変換
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マウスポインタを動かし、画像の切り貼り処理をしていた手は止まった。
マウスを握るその指先のネイルは、少し根元が見えてきている状態である。その手抜き具合は、彼女らしくなかった。
仕事に忙しい恋人が、いついきなり会えるとなったときの為に、常に備えているのだと、恋バナ好きの後輩に話していたはずである。
「(…忘れていても、何か思い出すー!きっかけはよくわからないけど!)」
そう思っている通り、朱羅は基本的にはあの出来事のことは忘れていられた。なんだかんだ仕事が忙しいやら、その疲れで家に帰ったらすぐさま寝入っているとか、忘れられている理由はいくらでもあった。
だが、何も考えていない空の時に、思い出してしまう。東の一言を。
「(本当によく分からない…、あの後の回転寿司食べてる最中も普通だったし…)」
彼女の脳裏に浮かぶのは、回転寿司屋でのやりとりだが、自分だけなんとなく東に対してぎこちない態度を取ってしまうという、彼女にとっては面白みどころか妙に恥ずかしく思えてしまうことばかりだ。
からかわれただけだろうと思い込んでもいたが、あのタイミングで自分をからかうという理由も思いつかなかった。
要するに、彼女はこの数日間事あるごとに悶々としていた、ということがわかる。その手先や、就業中にも関わらず止まった作業から察するに。
こういう時に、同じ部屋で共に仕事に立ち向かいつつ、ある程度プライベートのことを話せる同僚が近くにいないことをもどかしく感じるものだ。名前は妙にぽっかり空いた心の隙間に、気づかないふりをした。何かを後悔したところで、何も変わるわけではない。
ラウンジに向かう廊下で空いた穴を埋めるすべを思案しながら、歩く。
この事柄は彼女の気持ち的には、相談をしてもいいのか、判断に困ることではある。自分には恋人というものがしっかりあるにも関わらず、からかい半分かもしれない言葉にこんなに悩んでいてもいいのかと。
東と名前の付き合いは浅くはないが、特別深いというものでもなかった。東に師事をしていた時期はあったし、麻雀仲間でもあり、飲み会でもよく顔を合わせていたメンバーの一人である。別に一対一というわけではなかったが、ご飯だってよく奢ってもらっていた。
平行線的な、波の立つ関係ではなかったが、付き合い自体の期間はそこそこにある。ましてや人間関係としては良好な方だ。
人となりが分からないほどのもではなく、しかし、深いところには触れないようなもの。
だが、軽い冗談は東でもつくものの、あの手の冗談を聞いたのは、名前にとっては初めてであった。
「名前っ!今から休憩?」
「響子……、そうだ!響子がいた!」
「へ?」
廊下の途中で若干影を落としながらも歩みを進めていた名前を後ろから呼び止めたのは、沢村響子だった。後ろから小走り気味に来たせいで、少し息が弾んでいる。
職場は同じでも部署が違っていればなかなか会えるタイミングも少ない。ましてやお互い多忙気味の部署のため、規定の休憩をとれることも稀だ。
そういう背景もあって小走りで名前を追い掛けてきたのだろう。
渡りに船。ぽんとすぐに浮かんだのはその言葉。
名前にとって、思いも寄らない僥倖だった。
二人分の席を確保できた響子と名前は、お昼時でざわつく空気の中、向かい合って話し始めた。
「どうしたのよ、名前。なんだかいつもより元気、ないじゃない」
「響子は、東さんと付き合い長いよね」
「えっ、東くん?そりゃ同期だし、付き合いは長いけど…」
東の名前が名前の口から出たこと自体が驚きだとも言いたげな反応の響子。
基本的に二人の会話の主たるものは響子による忍田への気持ちや、お互いの仕事に対する愚痴、彼氏と喧嘩した時の愚痴というものがメインカテゴリだ。所謂恋に纏わるものと愚痴、という女性にはよくある会話の内容のはず。
それが、今まで大した話題に上ったこともない東の名前が出れば驚くに違いない。
名前はコンビニで買ったコップ型のコーンスープを、気まずそうに啜っている。
その名前を出すのは、二人の会話の中では可笑しいことだと、彼女自身も分かってはいたからこその反応だ。
スープを一口啜った後、おずおずと例の出来事について響子に打ち明けた。
勘違いかもしれないとは思いつつも、手が触れあった時の反応や、外食に行く前の一連の出来事について。
「えっ?!なにそれ!東くんそんなこと言ったの?!」
「わー!ちょっ、響子!声が大きい!」
「ご、ごめんっ…で、でも東くんがそんなこと言うなんて思ってもなかったし、想像もしてなかったし、想像したくもなかったし…」
食事をするはずの手はお互い止まっており、特に響子は両手をテーブルの上で固く握りしめている。今にも興奮のあまり両手でテーブルを叩きそうなくらい力が籠もっている様子だ。
そんな響子があまりにも大きな声で驚くものだから、つられて名前も大きな声を出してしまう。正直周りはざわついており、そんなに会話は聞こえていないのだろうが、なんとなく後ろめたい話題のように思えて、どちらかというと名前は声を潜めて話したいよう。
「想像したくもないけど…正直私はその手の冗談?東くんに言われたことないわね」
「うーん、まぁ、私も初めてだった…」
「それに名前こそ、東くんと付き合いはあるじゃない?むしろ私よりもプライベートに近いところで会ってるイメージ」
「プライベートって言っても、麻雀だからなぁ…。麻雀は大体男面子が居るし、今までは普通だったんだけど…」
正直に言えば響子も東と付き合いは長くても、読み切れているとは言い難かった。どちらかというと彼の性質的に読めないタイプではあるし、深入りしようにもやんわり受け流される。
仲間としてのお互いはわかってはいるが、こういうことに関しては響子もとんと分からない。
「でも、ほんとに一言言えるのは、私はそんなこと言われたことないってことかしら。私のことについてからかわれることは結構あるけれど…」
「ぷっ、響子はわかりやすいからね。分かってないの、忍田さんだけでしょってぐらい」
「あっ!それ同じこと東くんに言われたー!」
「そ、そうなの?」
「意外と似てるんじゃない?名前と東くん」
結局、響子との話の中で東の意図はわかることはなかった。
それでも久しぶりのボーダー内での友人との会話は名前の心を少し明るくしてくれた。
私には私で彼氏がいるし、東くんに言われたことは彼から言われないうちは気にしないでおこう。
そういう名前の発言に、響子も神妙な顔でうんうんと頷き、賛同の意を示した。