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高低

 複数人で飲んでいる席で、興味のない話に、なんとなくうなずいているとき。のどが渇いて夜中にベッドから抜け出して、コップに水をためるちょっとした瞬間。そいつは急に現れて、小指でひっかいたくらいの浅い傷を残していく。痛くもかゆくもないが、存在はにおわせていく。そんな感じだ。
 轟洋介。
 長すぎた高校生活の最後にできたはじめての後輩。
 今回は、コインランドリーで、なぜか六巻からしか置いていないバトル漫画をパラパラめくっていた時だった。ため息をつく。まったくもって脈絡がない。
 あいつ、今どうしているのかな? 驚いたことに、そういういかれた空想が頭をよぎるのだ。そういうのは、拳に傷を作るような生活を送っていない人間の仕事だろう。腹にきつい一撃を入れられたような最悪の気分だ。物理でこられたら、対処の仕方もあったのに。大きな声で唸ったところで、何も解決しない。
 つまるところ、俺は、あの喧嘩ばかり強くて間抜けな後輩のことが心配で仕方がないのだ。
 数か月ぶりの母校は相変わらず色彩が多すぎて、遠目で見ると濁った灰色に見えた。足元に転がっていた空き缶を蹴とばす。遠くで「いてぇな。おい!」と怒声が響いたので、宙に向かって謝っておく。上書きされ続けている落書きのせいで、壁なんて元々の色が何色だったかからない。不良は空白を嫌う傾向があるのかもしれない。自身に置き換えると、たしかに納得できる部分がある。シャツは白よりも柄が入っているものを選ぶし、ジーンズも断然敗れていた方がかっこいい。そう考えると、やはりこの学校であの男は浮いている。真っ白なシャツに、しわ一つない学ラン。濡れたような黒い髪に、白磁のようななめらかな肌。要素を並べると、この学校に馴染む気がないというよりも、馴染むものかという反抗を感じる。案外そうなのかもしれない。壁に張り付いた使用済みコンドームに向かって、思わず舌をだした。あはは。ぞっとする。
 目当ての放送室の扉を蹴飛ばしたが、中は空だった。今日はまだ登校していないのだろうか。時間を確認すると、午前十二時。
「遅刻だよ。遅刻」
 何人かの生徒が俺に気づいて、挨拶をしたり、がんをつけてきたりする。
「村山さん、どうしたんすか?」
 どこかで見たことがある顔なので、俺が在籍中にいたやつだろう。
「轟ちゃんってどこにいる?」
「屋上じゃないですかね?」
 あぁなるほど。その生徒の反応で察した。轟ちゃんは、最近はよく屋上で過ごしているのだろうということに。
 数か月ぶりに会った轟洋介は、俺が高校生をやっていたころに比べると少しやわらかい雰囲気になっていた。全日を束ねていたあの妙に明るい生徒の話に緩い笑みを浮かべながらうなずいている。そのそばには、仲間らしい生徒が何人かいた。それが、とても自然に見えて、思わず目を細めた。
 帰ろう。何かがストンと落ちて冷静になった。楽しみにしていた喧嘩相手が、鉄パイプを持って現れたようなそんな気分だ。そこまで考えて、ハッとした。なんだ。それ。それだとまるで、轟ちゃんに仲良しの友達ができてほしくなかったみてぇじゃん。あれだけけしかけておいて? 
ちょっと考えて面倒くさくなってやめた。自然とため息がでる。早く帰ろう。よくよく考えたら、俺はこの場所にけじめをつけて卒業を決めたわけだし、もうあの後輩の面倒に頭をまわす義務だとかもまったくない。
 踵を返そうとした瞬間、ふと顔をあげた轟ちゃんと目が合った気がした。濃くなった眉間のしわに、それが勘違いではないことを悟る。最悪だ。
「村山」
 激しい怒声に自然と唇の端があがる。
「轟ちゃん」
 面倒くさい感情をぶら下げていないかのように、あの頃のような気軽さでひらひらと頭のわきで手を振った。
「元気? 久しぶり」
 見開かれた瞳はすぐに鋭さを帯びて俺を捉える。瞬間、空気を引き裂く鋭い音がした。相変わらずだ。戯言で応対したかったが、喧嘩に関しては鋭さを増しているようでそんな余裕はなさそうだ。攻撃をうけるために、振った手をガードに転じたが、思っていた衝撃はなかった。
「えっと、なに?」
 力強くつかまれた右手の意味がわからなかった。
「お前、いきなり学校やめてどうしたんだよ?」
 デジャヴを感じて苦笑したら、その意味を深読みしたのかローキックが繰り出された。相変わらず足癖が悪い。
「轟ちゃんはあれだね。ちょっとは成長した?」
 鼻で笑われる。どういう意味だろう。見てわかんねぇのか? ということだろうか? だとしたら、最高にかわいい。先輩の忠告をしっかりきけたことをほめてあげた方がいいかもしれない。
「俺が聞いてんだけど?」
「さすがに、俺、二十歳越えちゃっているし。そろそろ卒業しておこうかなぁって。いつまでもあのままじゃいられないでしょ」
 轟ちゃんの顔が、殴られたみたいにくしゃくしゃに歪む。普段、仏頂面な分、そういう表情は新鮮だ。率直にいって、気になるのでもっと見たい。轟ちゃんは、さっきから「なんだよ。それ」とか「くそが」だとかそういう悪態をつきながら俺のことを睨みつけてくる。
「どうしたの? 轟ちゃん」
 だんだん、周りの目が気になってきた。あの明るいやつが、ニヤニヤしながらこちらに向かってこうようとしているのを、芝マンと辻が無言で睨みをきかせながら止めている。まるで、みんなが轟ちゃんのこの反応の理由を知っているみたいだ。轟ちゃんはそんな周囲の反応なんてお構いなしに、なんだかキレている。
「みんな~。どうしたの?」
 俺だけわからないっていうのはなんだか癪に障る。俺の大声にやっと事態を把握した轟ちゃんにつかまれたままの右手を引っ張られる。
「来い」
 屋上の住人たちのにやけた顔に見送られながら、俺は轟ちゃんに引っ張られる形で屋上を後にした。手を振ってみた。何人かが振り返してくれた。俺を引っ張っていく子に比べると、多少むさいけど素直でかわいい後輩たちだ。
 
 鬼邪地区に大型な商業施設なんて洒落たものなんてほとんどない。大手スーパーマーケットすら手を引くような治安の悪さだ。あるのは、長年店を構えている小さな商店やどう見てもまともじゃない店主が睨みをきかせている飲食店くらいだ。だから、メニューの種類は少ないがごく一般的な学校の制服でも入りやすいカフェテリアに連行された後、小さな噴水が鎮座している公園に連れて行かれて、笑ってしまった俺の気持ちもわかるだろう? なんだ。これ。まるでティーンのデートみたいなラインナップだ。轟ちゃんは、終始いつもの仏頂面を保ちながら、次々と面白い行動を続けている。近くの自販機で買ってきたらしいファンタのペットボトルを差し出される。しばらくいないと思ったらそんなことをしていたらしい。
「お金、さっきから払ってくれているけど。いくら? 一応、俺働いているから」
「いや、いい。金がないから働いているんだろ」
 なるほど。社会人よりも、働く必要のない自分の方が懐の融通が利くと思っているらしい。素で云っているのか、馬鹿にしているのか図りにくい発言だが、本人は至って真面目な顔をしている。まぁいいや。キャップをひねって、ありがたくもらった飲み物を嚥下した。パッケージを見たら、オレンジ味。好みと大きく外れたところをついてくるあたりが、この男らしい。
「それで、轟ちゃんいきなりどうしたの?」
 仏頂面で睨みつけられる。だんまりか。もうすでに、日が傾いていて、噴水の水は、夕日の光を浴びて甘ったるい色に煌めいている。俺や轟ちゃんが並んで一緒にいるには、場所も時間もどう考えてもすべてがおかしかった。
「お前が学校を勝手に辞めたのが許せなかった」
「あぁ、勝ち逃げしちゃったしね」
「……そうだ。俺はお前に負けてばっかりだ。お前より俺の方が腕力もあるし、身体もでかい。頭だってきれる。勝てない理由がわからない」
 まるで駄々っ子だ。いったいその自信はどこから湧いてくるのだろうか。あまり好みじゃない炭酸飲料をあおる。
「ただ最近、あの頃……お前がまだ学校にいた頃に云われたことが少しわかった気がする」
「そりゃよかった」
「それでわかったのは、俺がお前のことが好きだということと、だから勝てねぇっていうことだった」
 激しくむせた。俺がむせている間、轟ちゃんはただただオロオロしていたように思う。思う、というのも、俺は鼻にまでまわった炭酸にそれどころではなかったし、轟ちゃんはあまり感情が顔に表れないからだ。ただ、罵声を浴びせることなく、俺が落ち着くまで眺めていたあたりおそらくそういうことだろう。
「ごめん、びっくりしすぎてちょっと追いつけないわ」
「はぁ? 何をそんなに驚くことがあるんだよ」
 告白してきた人間にしてはふてぶてしい発言にイラっとする。そして、轟ちゃんから今まで浴びせられた言葉の数々を思い返して妙な納得をしてしまった。要は、ボキャブラリーが少ないのだ。
「あのさ、」
 むかつく。きらい。イラつく。うぜぇ。轟ちゃんの形のいい唇から出てくる言葉はだいたいそんなラインナップだ。初めて抱いた感情を性欲と結びつけて、答えを出してしまったのもわからなくはない。
 頭を抱えたくもなる。なんだそれ。
きっと、お前が本当に抱いている感情は、「好き」だとかそんなんじゃなくて、例えば、尊敬だとか憧れとか、信頼だとかそんな言葉だと思うよ。そうやって教えてあげるのが正しいのだと思う。
「じゃあ、俺のことが好きな轟ちゃんは俺と何をしたいの?」
「何って?」
 本人に似て壊れやすそうな眼鏡をはずして、無防備になった顔に顔を寄せた。そのまま軽く口づけた。至近距離で、大きく見開かれた目を眺める。
「じゃあ、轟ちゃんが俺に勝てるまで、そういうことをして過ごしてみる?」
 轟ちゃんはまだ、目をパチパチさせている。
 ホント、さぁ。
 轟ちゃんは救いようのない馬鹿だし、俺もたいがいどうしようもない。もう一度、唇をくっつけてみる。初恋はレモン味だっていうから、少しだけずれている轟ちゃんの抱いている気持ちにオレンジ味はちょうどよかったかもしれない。笑い出した俺につられたのか、轟ちゃんも困ったような不敵に見えるような笑みをこぼした。普段は見えないアンバランスな歯並びが、らしくて可愛かった。
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